岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

フェイク 02

2023年03月14日 14時30分43秒 | フェイク(クレッシェンド4弾没作品)

 

 ドアのチャイムを押そうとした瞬間、ひかるが飛び出してくる。俺と逢うのがよほど嬉しかったのであろう。マンションの通路だというのに、人目もはばからず抱きついてくる。

「おいおい、ひかり…。まず中に入れてゆっくりさせてくれよ。」

 ひかりは俺の頬に自分の頬をくっつけて、ギュッと抱き締める腕に力を入れてくる。仕方ないので、しばらくそのままの状態で我慢する。

「お腹は減ってる、光ちゃん?」

「ああ、全然食べてないからペコペコだ。」

「良かったー。私ね、色々料理作っておいたの。ほうれん草の胡麻和えでしょ。ポテトグラタンに、オムライス…。あっ、いけない…。火を点けっぱなしだった。」

 ひかるは大慌てで部屋に戻る。相変わらずそそっかしい奴だ。俺も靴を脱いで部屋に上がる事にする。キッチンでひかりは懸命に雑巾で周りを拭いていた。

「ごめんねー、光ちゃん。味噌汁が煮立っちゃったよ。」

「入り口でずっと抱きついてるからだ。」

「だって嬉しかったんだもん。」

 俺も片付けるのを手伝い、食事の準備をする。ひかりの手料理は中々うまい。さっきまで会ってた和美と比較すると、派手さはないが非常に家庭的な女だった。

「あ、あとねー…。光ちゃんきゅうりの漬物好きだったでしょ?私、毎日丹念にぬか味噌に漬けといたんだ。食べるでしょ?」

「ああ、ありがとう。」

 よく気が利くし、優しいし本当にいい女だ。ただ唯一の欠点をしいてあげるなら、俺に惚れてるとこだろう。恋は盲目とは良く言ったもんだ。それにしてもこの漬物のきゅうりはいい具合にうまく漬かっていて抜群にうまい。

「ねー聞いて、昨日会社で嫌な事があってさー。」

「また例の課長か?」

「うん、年中セクハラまがいな事ばかりしてくるの。」

「嫌なら辞めちゃえばいいじゃん。」

「仕事の内容自体は好きなの。待遇も悪くないし、休みだって週休二日だしね。問題はあの課長のセクハラだけなの。」

 まともに就職した事がない俺にとって、ひかりの話はよく理解出来なかった。分かったようなふりをして、作り笑いしながら頷いているだけで、ひかりは満足そうに生き生きと喋り続けている。

「ふーん、そうなんだ。ひかりも大変だよな。辛い事あったら何でも俺に言ってこいよ。それにしても本当にこの手料理おいしいな。」

「ほんとー、嬉しい。光ちゃんが喜んでくれるのが私、一番の幸せー。」

 美千代の件がなかったら、俺はこいつに夢中になっていたかもしれない。だけど現状は理想通りに中々いかないものだ。俺にとって一番の長所である女に好かれるという特技を活かして、どれだけ色々な女から金をうまく引っ張れるかだけを考えて、生きていかねばならない。この半年間で俺は一千万円を貯められた。それしか道はないんだ…。

「どうしたの、光ちゃん。」

「い、いやー…、入院している俺の妹いるだろ?」

「うん、美千代ちゃんでしょ?」

「ああ…、実は入院費が足りなくて病院を追い出されそうなんだ…。」

「光ちゃんの親はどうしてるの?」

 ワザと食事している手を止め、ゆっくりと下をうつむく。

「まだ、ひかりに言ってなかったんだよな…。中々言いづらくてな…。」

「何がどうしたの、私に話してみて…。」

「俺が高校生の頃から妹の美千代は体が弱く、入退院を繰り返していた。卒業した時には病状が悪化して寝たきりになったんだ…。家族みんなで稼いだ金は入院費に消えていく日々。やがて家の中で見苦しいいがみ合いになり、両親の喧嘩はどんどんエスカレートしていき、母親は俺が社会人になってすぐに家を出ていった。妹の美千代を見捨てて…。やがて親父も妹の入院費を工面出来ないようになり、気付いたら俺たちの前から消えた。俺は妹の入院費を必死にバイトして金を稼いでるけど、全然追いつかないんだ。」

 ひかりは真剣に頷きながら俺の話を聞いている。俺はひかりの目から視線を離さずに、ジッと見つめながら話した。弱々しさをかもし出す様に微調整しながら表情を作る。

「いくらぐらい足りないの?」

「ほんと嫌になるぐらい…。とりあえず考えたんだ。ひかりには申し訳ないけど、しばらく逢えなくなるかもしれない。」

「やだよー、そんなの…。何でいきなりそんな事言うの?」

「仕方ないだろ…、美千代の為の入院費がどうしても必要なんだよ。この間、地方の山奥だけど、一年ぐらい向こうに住み込みで働く仕事の話があったんだ。」

 ひかりの表情が急に変化する。何があっても俺と逢えなくなるのは、考えられないといった感じだ。あと一歩、もう少しだ…。

「嫌だ。光ちゃんが遠くに行くなんて、私は耐えられない。」

「もちろん光の事は大事に想ってるよ。でもね、俺は妹の美千代の事を何とかしないといけない立場にいるんだ。両新共々それを放棄した訳だからね。一人残された俺は守ってやらないとしょうがないじゃないか。違うか?」

「何で全部一人で背負い込もうとするの?私にそこまで話しといて、それはないんじゃないの?」

「じゃー、どうしろっていうんだよ。」

「私だって働いてるんだからね。」

「そんな事は分かってるよ。」

「少しぐらい私だって貯金してる。ちょっとは私に甘えてよ。」

「無理だよ。出来る訳ないだろ。」

 ひかりは黙って奥の部屋に行き、ゴソゴソと何かを探しているようだ。またこれで成功したって訳だ…。いくらぐらいになるだろう…。

「光ちゃん、これ…。」

ひかりは通帳を俺に差し出してくる。俺は笑いそうになるのを堪えながら真剣な表情を作り、間をとるようにする。

「どういうつもりだよ、ひかり…。」

「妹さんの入院費の足しにして…。使って欲しいの。」

「おいおい、馬鹿言えよ。そんなの出来る訳ないに決まってんだろ。」

 不意にひかりが抱きついてくる。俺の表情に笑みが浮かんでくる。これで一丁上がりだ。

「お願い…。私ね、光ちゃんの役に立ちたいの。」

「ひかり…。」

 人差し指でひかりの顔を上げて、唇を静かに重ねる。俺に抱きついているひかりの腕に力が入るのを感じる。

 

 男としてのあれは小さいが、北方は案外いい人なのかもしれない。明日連絡すると言ってたが、すぐに仕事が何とかなりそうで良かった。電車で帰る途中で色々考えた。まず、アリーナに対してちゃんと言って辞めるべきかどうかだ。神威の奴と喧嘩になったがあいつの性格上、わざわざ店の人間に抜きの話をばらすような事はしないはず。しかしどっちにしろ神威が抜きの話を言おうが言わまいが、もう店にはいけない事だけは確かだった。店にはちゃんと世話になったのだから筋を通して、ちゃんと言って辞めるべきだろう。

「狭山市―、狭山市に到着です。」

 電車のアナウンスで我に返る。考え事をしてて、地元の駅に到着したのも気付かなかった。駅のホームを出て携帯を取り出す。アリーナの番号を出して電話をしようと思うのだが、中々掛けられずにいた。時計を見ると七時、もうすっかり夕方だった。マンションに帰る途中で少し腹が減ってきた。タイミングよく喫茶店のアラチョンの横を通る。大好きなハンバーグを作ってくれる俺の行きつけの店だった。俺の姿に気付いてマスターが外に出てくる。このマスターは亡くなった俺の親父と親友だったみたいで、何かと面倒を見てくれるいい人だ。

「よう隼人ちゃん。珍しいなー、こんな時間に…。今日仕事休みかい?」

「どーも、こんばんわー。まーそんなとこです。ちょっと小腹減ったんで、寄ってっていいですか?ハンバーグ喰いたいです。」

「おお、入りなよ。最近隼人ちゃんさー、彼女と同棲しだしてから来る回数急激に減ったもんな。でも二回ほどうちに一緒に連れて来たよね。」

「ええ、俺がハンバーグをよく食べるんで、栄養のバランスが悪いっていつも怒るんですよ。料理もそんな得意じゃなかったのに近頃、妙に色々作るようになったんです。」

「ハハ、それだけ隼人ちゃんが愛されてる証拠じゃないの。まっ、入って入って。」

 中に入ると、アラチョンの店内は客が誰もいない様子だった。まだこの時間じゃ、いずみは仕事から帰ってこないだろうから、少しはゆっくり出来そうだ。マスターは奥で料理を作っている。グラスに入った水を一口含み、新聞を手に取る。記事を眺めていて自然と求人広告欄に目が止まる。

「急募 喫茶 日払い 一万五千 ダークネス」

 俺が歌舞伎町で初めて働いたポーカーのゲーム喫茶。右も左も分からない状況で必死に頑張ったなと思い出し、懐かしく思う。半年ぐらい前なのに随分昔の事のように感じる。両オーナーの鳴戸と水野は元気だろうか。いや、相変わらずなんだろうな…。俺の歌舞伎町生活は、ここのアラチョンで新聞の求人広告を偶然見てから始まったんだよな。最初の店ダークネスで知り合った店長の岩崎。とても俺には親切な対応で接し、沢山の金をくれた。店の売り上げから抜いてる岩崎にとって一日一、二万の金を俺に渡す事など、痛くも痒くもなかったのかもしれない。ある日抜きがバレ、オーナーの鳴戸は俺の目の前で容赦なく岩崎をボコボコにした。俺はその時に恐怖を感じびびり、ダークネスを辞めてしまった。心身ともにボロボロの俺を支えてくれたのは、泉だった…。

「はい、お待たせー。」

 目の前にジュージュー音を立てたハンバーグが出される。さっきのサウナのハンバーグとは偉い違いだ。去年のクリスマスに妹の愛の墓に、このハンバーグを持っていった時の事を思い出す。雪がシンシンと降り、辺り一面の銀世界だったのが印象に残っている。

「どうした、隼人ちゃん?」

「い、いやー…。去年のクリスマス思い出すなあって…。」

「愛ちゃんか…。ほんとに笑顔が可愛い子だったよな。」

「あの日、愛にマスターのハンバーグ持ってったら喜んでたんですよ。確かに聞こえたんです。お兄ちゃんありがとうって…。」

「もういい…、ハンバーグ冷めちまうぞ。さっさと食べちゃいな。」

 マスターは話題を切り替えて奥に下がる。場がしんみりしてしまった。

「おにーちゃーん…。」

 遠くから俺を呼ぶ、愛の声が聞こえたような気がする。目をつぶると愛の顔が浮かんでくる。俺が二十五歳になっても、愛はずっと小さい頃の姿のままだった。ハンバーグが大好きだった愛…。ずっと喰わせてやりたかった。でもそれはもう絶対に叶わない願いなのだ。温かいうちに俺はハンバーグを口に放り込む。アラチョンのハンバーグは抜群にうまかった。俺は生きているからこのようにうまいとか、幸せを感じられるんだ。愛の事を思い出すと決まって、その後は自分を振り返ってしまう。一体、今の俺って何なんだ…。今の自分を俺は好きだと言えるのだろうか。生き方が格好悪いったらありゃーしない。全部自分のせいなんだ。歌舞伎町に行ってから、間違いなく俺はあそこの空気に染まっている。金を稼ぐつもりが、いつの間にか金の魔力に魅了されていた。泉の為にも亡くなった愛の為にも、いや自分自身の為にもっと格好よく生きたい。現状が堪らなく嫌だった。

「マスター御馳走さま。」

 料金を払ってアラチョンを出る。八時頃にマンションに帰ったが、いずみはまだ仕事から帰って来ていなかった。電気を点けるとテーブルの上には泉の手料理が置いてあった。野菜サラダにナポリタン。オムライスにポテトフライ。そしてハンバーグまで作ってあった。失敗した…、こんな事なら今日はアラチョンに寄るべきじゃなかった。お腹も今さっき喰ったばかりだからパンパンだ。明日、北方から仕事の連絡があるから、履歴書ぐらい書いておいた方がいいだろう。半年振りに書く履歴書はかなり面倒臭かったが、この際、仕方のない事だ。玄関のドアが開く音がする。どうやら泉が仕事から帰ってきたようだ。予め今日は新宿に泊まると言っておいたから、俺の顔を見てビックリしている。

「あれ、こんな時間に帰ってきてどうしたの?しかも履歴書なんか書いて…。」

「あれから店で従業員と揉めて帰ってきたんだ。多分辞めると思う。他からも色々誘いはあるしね。だから履歴書を面倒だけど書いてんだよ。」

 とっさに嘘が出る。泉は心配そうな表情で俺を見ていた。

「何かあったの?大丈夫なの?心なしか右の頬が少し腫れてるみたいだけど…。」

「負けた客が掴みかかってきただけだ。問題ないよ。」

「もうこれで歌舞伎町で働くの辞めたら?私、隼人の事心配だよ。」

「色々義理もあるしそれは無理だよ。おまえに心配掛けちゃって申し訳ないと思ってるけど…。明日辺り知り合いから新しい仕事の件で、連絡あると思うんだ。」

「ふーん…。」

 泉は機嫌悪くなると、無口になりすぐ顔に出る。気まずい雰囲気になってきたので俺は慌てて話題を切り替える事にした。

「ねーこれ、全部泉が作ったんだろ。すげー、うまそうじゃん。喰っていいかな?」

「う、うん…。」

 腹が苦しかったが俺は無理に食べだす事にした。

「冷めちゃってるからもう一度温めるよ。ちょっと待ってて。」

「このパスタうまいな。うまくて食べるのが止まらないよ。」

「そう、結構この味出すの苦労したんだ。でも作りたての方がもっとおいしいんだからね。」

「ああ、今度楽しみにしてるよ。」

 少し泉の機嫌が良くなったみたいだ。でもこれ以上喰ったら俺の腹はパンクするかもしれない…。

 

 キャッシュディスペンサーから金が引き出される。ひかりの通帳は全部で二百万あった。引き出すのに五十万ずつ四回に分けて下ろさねばならなかったが、全然面倒に感じなかった。ひかると知り合ってから約二ヶ月で二百万…、ちょろいもんだ。俺の流儀として、稼いだ金の半分は一気に遊んで使う事にしていた。自宅に帰り自分の部屋に戻る。まだ親父は仕事から帰ってきてないみたいだ。家族の誰もテーブルの下に金庫があるなんて気付いていないだろう。俺は金庫のダイヤルを慎重に回し始める。

「えーと、右に三回、左に…。」

 金庫が開くと一千万の現金が入っているのを確認する。百万円の札束が全部で十個。これでまたもう一束増えたわけだ。さて、残りの百万はどうやって使おうか…。財布にとりあえず三十万だけ入れようとした時、ヒラリと一枚の名刺が床に落ちた。拾ってみると、「エンジェルビースト 美紀」と書いてある。今日昼間、和美と新宿プリンスで別れた後で逆ナンしてきた女だ。まだ時刻は九時、これから店に行ってみるか。残りの金を無造作に金庫に放り投げてから、隣りの部屋にある仏壇のところへ行く。

「美千代…、俺がこんなんで怒ってるか?ごめんな…、もう、俺はこうやって生きていくしかないんだ。でも所詮、言い訳だよな…。」

 手を合わせて目をつぶる。祈るようにして美千代に謝った。仏壇に飾ってある美千代の写真は笑っているのに、何故か悲しそうな表情をしているように見えた。奥の部屋では、血の繋がってないお袋がイビキを掻いて気持ち良さそうに寝ている。俺は憎悪を込めてお袋を睨みつけた。呑気にのうのうと寝てやがって、クソが…。寝顔を見ているだけでイライラしてくる。いくら憎んでも美千代が生き返ってくる訳じゃない。ここにいても仕方ないか…。外に出てタクシーを拾い、歌舞伎町へと向かう。

 さくら通りを歩いていると沢山のポン引き連中が声を掛けてくるが、無視して美紀のいるエンジェルビーストへと向かう。少し歩いていると、美紀の店はパチンコ屋の二階にあった。店の従業員が外で客引きをしていたので、美紀の名刺を見せて聞いてみる。

「この子、今日出勤してるの?」

「いらっしゃいませー。美紀さんですか、少々お待ち下さい。」

 従業員はトランシーバーで中と連絡を取り合っている。店頭に貼ってある女の写真を見ると、中々レベルの高い女が揃っているのが分かる。

「御客様、本日美紀さんは御出勤されております。指名でよろしいですか?」

「ああ、頼むよ。」

「では指名料合わせて一万と二千円になります。」

 金を払うと中に通される。おさわりパブで一万二千なんて結構高い店だが、これもここまでレベルの高い女を揃えているという店の自信の表れだろう。階段を登っていく度に、店内の騒音が激しくなっていく。やかましい店だ。二階に着くと、横一列に椅子が何列もズラリと並んでいて、待機してる女が最後尾に座っていた。前の方で客の上にまたがって座っている女が何十人かいる。ハタから見てて異様な世界だった。従業員に案内されて、俺もその異様な世界に加わる。前から三列目の右端の席に座らされると、ドリンクを何にするか従業員が聞いてくる。

「うーんと…、ブランデーのストレートでいいや。」

「かしこまりました。」

 煙草に火を点け、辺りを見渡すと前の席にいる女と視線が合う。客の上でまたがって向き合っているので、自然と後ろの客と目が合ってもおかしくはない。客に自分の胸を揉まれながら、俺と見つめあい、この女は何を考えているのだろうか。不思議な感覚だった。

「お待たせー、あれっ?光太郎…。」

 美紀が席まで来て俺の顔を見た途端、ビックリしている。まさか俺が今日ここに来るとは思いもしなかったのだろう。

「よう、早速来たぞ。」

「嬉しいー、いきなりだからビックリしちゃった。」

 美紀は本当に嬉しそうに飛びついて軽くキスをしてくる。その間に従業員が酒を運んでくる。見ると普通のロックグラスに、なみなみとブランデーが入れてある。文句を言いたくなるが、こういう場所で言っても仕方ない。俺はブランデーをゆっくり飲む。

「何よ、光太郎。ウーロン茶なんか飲んじゃってさー。そーそー…、私、喉カラカラだったの。一口ちょうだいね。」

「おい、馬鹿。やめろって…」

 俺が止めるよりも早く、美紀はブランデーをウーロン茶と勘違いして一気に飲みだした。止めるのが数秒遅かったようだ…。

「ブッ…、何よ、これー。」

「言うより早く、おまえが勝手に勘違いして飲んだだけだ。」

「うえー…、気持ち悪いー。」

 俺は美紀の頭を撫でてやる。さてとそろそろ本題に移るとするか。

「でも光太郎がここに来てくれるなんて思いもしなかったよ。」

「迷惑だったか?」

「そんな事ある訳ないじゃん。ちょー嬉しいに決まってるでしょ。てっきり携帯に連絡あるもんだと思ってたからビックリしたの。」

「言ったろ、仕事の話があって忙しかったって。」

「うん、大変だったんだね。ほんとお疲れ様ね。」

 おさわりパブに来て、普通に会話してるのは店内で俺たちぐらいだろう。周りの客は本能を剥き出しにして欲望の赴くまま、女の体を弄っていた。

「光太郎ってここに来る男と違うよね。」

「そうか?俺だって、おまえにキスして色々しちゃうかもしれないぞ?」

「全然構わないよ、仕事だしね。それに光太郎なら何されてもOKだよ。」

「美紀は俺に何を望んでるんだ?」

「何を望むって、何が?」

「客として接したいのか、もしくはプライベートで俺と接したいのか。」

「うーん、両方かなー。仕事以外のプライベートでも逢いたいし、店にこうやって来てくれたらやっぱ、嬉しいし…。でもお店で働いてる姿を光太郎に見られたくないっていうのもあるんだよ。」

 俺は両手を開いて差し出すと、美紀は不思議そうな顔でキョトンと見ている。

「いいか、よく見ろよ。」

「うん。」

「こっちが自分の身を守る為の手だ。」

 右手を軽く握って下ろすと、左手で美紀の頬に優しく触れる。

「そしてこれがおまえを癒す為の手だ。」

「何だか、触れてると落ち着く…。」

 こいつも俺に惚れる一歩手前になっている。最初会った時から分かっていた事ではあるが…。こいつも金を稼いで好きに生きているように見られがちだが、心の中は寂しさでいっぱいなのだ。誰かに癒されたいと心の奥底で、常に思っている。もちろん誰もが美紀を癒せられる訳ではない。こいつの中での癒されたい男の基準に、俺が合格しただけの事だ。

「今度、時間作れよ。おまえを癒してやる。」

「本当?」

「ああ、好きでこの仕事やってる訳じゃないもんな。嫌な事を毎日毎日やってきて、疲れてるんだろ?女は本来、男に寄り添って生きていくように出来てんだぜ。今度、時間あったら俺に寄り掛かってきなよ。別に今だって俺に寄り掛かってもいいんだぜ。」

 美紀は目を閉じて、顔を俺の胸に埋めてくる。俺は宝物を扱うようにそっと抱き締めてやる。店内はハードなロックがガンガンにかかっていて、相変わらずうるさかった。

「もっと静かなところでゆっくり話そう。」

「ねぇ…。今日お店終わったら逢う時間ある?」

「もちろん。俺はハナッからそのつもりで今日ここに来たんだぜ。」

 最高の作り笑顔を見せてやると、美紀はウットリしていた。

 

 苦しい…、胃が圧迫されて少しでも押されると、吐きそうなくらいだった。泉の手料理を喰い過ぎた。でもそのおかげで泉の機嫌が良くなったのだから、我慢して喰った甲斐がある。呑気に鼻歌を歌いながら泉は食器類を洗って後片付けをしている。俺は横に寝転がってダウンしていた。

「ねぇ、隼人。全部綺麗に食べてくれたのは嬉しいんだけど、ちょっと食べ過ぎよ。太っちゃうよ。」

「た、頼むから話し掛けないでくれ…。口を開くと吐きそうだから…。」

 時計を見ると十時五分前、普段ならアリーナに出勤している時間だ。まだ俺は店に辞めるという連絡を入れてなかった。出来ればちゃんと筋を通したいが電話するのも面倒なぐらい苦しい。どうせ明日になれば北方から仕事の連絡がくるし、いちいち店に辞める言い訳を考えるのもだるかった。携帯の電源をオフにしておく事にする。

アリーナに入った時に出会った従業員の鈴木勝男。彼は俺に一番親切に接してくれた。俺の約一ヶ月後に入ってきた元レスラーの神威龍一。とにかく曲がった事が大嫌いな奴だった。一緒に協力して金を抜こうと相談したのは俺のミスで、自分の愚かさを痛感した。そして偶然にもその二人は、前のダークネスのホモ店長の岩崎靖史と同じ地元の同級生だったのだ。本当に凄い偶然もあったものだ。考え事をしてる内に目が次第にトロンとなる。面倒だからこのまま寝ちまおう…。

「隼人…」

 泉が何かを言っているみたいだ。うっすら目を開けると部屋で寝ていたはずが、いつの間にか外にいた。驚いて立ち上がり辺りを見回す。ここはどこだろう。以前、どこかで見た記憶がある。そうか…、近所の公園だ。愛の亡くなった…。

「ヤダー、あれがいいー。愛、絶対あれ乗るー。」

 急に愛の声が聞こえてくる。振り向くと愛がブランコに乗ろうとしている。何で愛が…。思わず叫んでしまった。

「愛―っ、駄目だ。あーいーっ。乗っちゃ駄目だっ。乗らないでくれー。」

 愛は俺の声などまるで聞こえないかのように、ブランコに乗り出す。俺は近寄ろうと駆けだすが、すごい力で誰かに肩をつかまれ前に進めない。

「誰だ、離せよバカ野郎。愛―っ、降りてくれー。そのブランコに乗っちゃ駄目だ。」

 ブランコはゆっくりと動き始め、次第に大きく揺れていく。愛は楽しそうにはしゃいでいる。この後、どんな結末になるのか何も知らずに幼い愛はただ無邪気にブランコを漕いでいる。俺がどんなに叫んでも声は届かない。一瞬、愛の体勢が崩れ掛けたかと思うと、ブランコから地面に頭から落ちていく。何度も何度も見た光景だった。

「あーいーっ…」

 全身の力が抜けその場にへたり込んでも、まだ俺の肩を誰かがつかんでいた。一体誰が肩をつかんでるんだ。怒りの形相のまま振り向くと、以前俺を生んだ人間が立っていた。

「てめぇ…、何してやがんだ。」

 俺を生んだ人間…、分かりやすい言い方をすると世間一般では母親と呼ばれるらしい。目の前に立つ母親という生物は、神経の通ってないサイボーグのような冷たい目でジッと俺を見ていた。右側のこめかみにある傷が疼き出す。

「どけよ、どけっ。俺に触れるな。」

「あんた、いつの間にそんな偉くなったんだい。」

 気付くと、何故か俺は右手に、おもちゃ電話の受話器を手に持ち耳に当てていた。母親はおもちゃ電話の本体を持ったまま、一歩一歩後ろに下がっていく。俺の右こめかみにある三本の傷は過去それで出来た傷だった。

「愛があそこで倒れているのにテメーは何してやがんだ。何だよ、そのおもちゃの電話はよー。やれるもんならやってみやがれ。」

「愛はおまえが見殺しにしたんだ。ハハハ…。」

「何だと…、もう一度言ってみやがれ。ブチ殺すぞ…。」

「ハハハ…。」

 母親の笑い声と共に、おもちゃの電話がすっ飛んでくる。避けようと思っても体が硬直して動かない。まだ俺は過去の呪縛に囚われているのだろうか…。電話が目の前まで迫ってくる。こめかみの傷が疼き出す。

「うわ―――――――――…」

「隼人…、ねぇ、隼人ってば…。」

 目を開くと泉が心配そうに俺を覗き込んでいた。まったく嫌な夢を見たもんだ。幼少の頃母親が散々俺を虐待してから家を出て行き、しばらくして妹の愛まで亡くなった。俺が一緒にいながら、愛は目の前でブランコから滑り落ちて頭を強く打った。いまだにあの時の光景が忘れられない。ずっと引きずっている忘れられない嫌な過去だった。母親の件は俺の中で解決してつもりでいたが、夢にまであんな形で出てくるなんて思いもしなかった。虐待で母親につけられたこめかみの傷が痛む度、俺は過去を思い出し憎しみを覚える。そして決まって愛の事を考え、言いようのない悲しみでいっぱいになる。

「すごい汗だよ、随分とうなされてたけど大丈夫?」

「何か俺、言ってたか?」

「うん…、隼人が小さい時に亡くなった妹の愛ちゃんの名前とか、多分出て行ったお母さんに対してなんだろうけど怒鳴ったり、すごい剣幕だったよ。」

「そうか…。」

 泉はとても優しく暖かい目で俺をみながら、ゆっくりと口を開く。

「辛い事とか、悲しい事とか、私が一緒にいるんだからすべて共有しよ?隼人の悲しみとか私には全部理解出来ないかもしれない…。でもね、私は隼人の事を少しでも理解するようにしたいんだ。」

「ありがとう、泉…。おまえと出逢えて俺は本当に幸せだと感じているよ。」

 

 夜中の四時、新宿歌舞伎町にあるホテル街を美紀と二人で歩いていた。美紀は俺の腕にベッタリと腕を絡ませてくる。

「ねぇ、このホテルすごいお洒落じゃない?」

「うーん、まあまあだな。」

「フン、何よその言い方。今まで色んな女といっぱいラブホ行ってんでしょ?」

「いちいち絡むなよ。よくないぞ、そういうの。ホテルの外観を見て素直に感想を言ったまでだ。ここはちょっと子供っぽいよ。もうちょっと雰囲気ある方がいいだろ。」

「じゃー、どういうとこがいいって言うわけ?」

「そーだなー…。あ、あれあれ。あそこのホテル、どうよ?」

 俺が指を指した方向を美紀はジッと見ている。そのホテルの外壁は黒で入り口の飾りつけも派手過ぎず、かといって地味でもない。微かに聞こえるクラシックの音楽がよりシックで落ち着いた雰囲気を漂わせている。

「カラオケとか無さそうじゃん。」

「じゃー、辞めてカラオケボックスに行くか?」

「何でそんな意地悪な言い方するのー。そんなの嫌だ。」

 俺が思っているよりも、子の女は扱いやすいかもしれない。美紀の店で閉店まで四時間ほどいて、四万二千円の料金だった。俺以外にも美紀を指名している客はかなりいたはずだ。こいつは一体一日でどのくらい稼いでいるのだろうか。それによってとれる金額も変わってくる。それを考えれば、さっき使った飲み代ぐらい安いもんだった。美紀の肩を抱きながら、黒のシックなラブホテルに入る。

「うわあー…、綺麗でおっしゃれー。やっぱ光太郎ってセンスがいいんだね。」

 中に入ると清潔感あふれる白中心の内装で、中央に白のグランドピアノが置かれている。俺は立ち止まり、その白いグランドピアノを眺めていた。思わず指が疼く。

「ねえ、どうしたの?早く部屋を選ぼうよー。」

「ん…、ああ。分かった、分かった。」

フロントの横には各部屋の写真が貼ってあるパネルがあった。迷わず俺はピンクの壁紙の部屋のボタンを押す。フロントに八千円を払ってエレベータへ乗り込むと、美紀はいきなり抱きついてきた。

「おいおい、部屋に着くまで落ち着けよ。」

 美紀はワザとブー垂れた顔をする。この表情でほとんどの男は、こいつの言いなりになってしまいそうな魅力ある表情だった。部屋に着くと小奇麗に整理整頓されていて、中々の好印象を受ける。

「ここ、何かいいね。私、すごい気に入っちゃった。」

 俺がベッドに腰掛けると、美紀もすぐに横に腰掛けてくる。

「聞いてー、今日さー、光太郎が店来てくれたから良かったけど、キモイ客ばっかでさー。もう全身を消毒したいぐらいだよ。」

「でも、そのおかげで金をもらえる訳だろ。」

 もともと金目当てで、ああ言った店で働いているのだから文句は言えないだろうが、ここはうまく相手をしてやらないといけない。

「そーだけどー…。でもさー…、全然わりに合わないよー。」

「どのくらいもらってんだ?」

「うーんとねー、今日で七万ぐらいかな?もうちょっと指名とか、かぶればもっといくんだけどね。でも今日は光太郎が来てくれたから、いい日だったよ。」

 こんな二十歳そこそこのガキが一日七万円稼いでいるのか…。週に一度休んだとして、一週間で四十二万。いかに世の中が狂っているか分かる。こんなバランスの崩れた世の中で世間は不況だとか騒いでても、若い女は少し自分の体を使えば金が稼げているのだ。

「光太郎にずっとついていたかったんだけど、指名かぶるから他の客にもつくようでしょ。ほんと天国から地獄へ行く気分になってたんだよ。」

 優しく頭に手を乗せて、美紀を引き寄せてやる。

「おまえも大変だな。俺が美紀の体を消毒してやらないとな。」

 ゆっくりと美紀の服の上からスキンシップをしだす。

「忙しいから毎日は無理だけど、たまには店行って癒してやるよ。」

「ほんと?」

「ああ、もちろん今も癒してやるけどな。」

 そう言いながら軽くキスをしてやると、美紀はウットリしている。今日のとこはこの女を抱くだけにしといて、次の機会で金を搾り取っていけばいいか…。

「光太郎って仕事何してるの?」

「うーん、格好いい言い方すれば、青年実業家みたいなもんかな。ま、俺って結構器用だから色々やってんだよ。例えばSPプランナーとかね。」

「SPプランナーって何?」

「セールスプロモーションプランナーの略。」

「横文字ばっかで、全然分かんない。光太郎の話って難しいよー。」

「販売促進を考える人。つまり商売をうまくいくように色々計算したり考えたりする人。その商売…、分かりやすくいうとイベントなどがうまくいくも、いかないもSPプランナー次第なんだよ。いかに時代のニーズにあったいいものが出来るか…。その辺が、大事な部分だと俺は感じるよ。」

 以前、誰かに聞いたウンチクを思い出しながら話す。この説明で合ってるのかどうか俺には分からないが、こいつさえ理解させればいい事なので問題ない。

「ふーん、私にはよく分からないけど、光太郎って何だか凄いんだね。」

「ま、生きていくには色々と大変って事よ。」

「そーだよね…。私も…、ん…」

 お喋りの時間は終わりだ。強引に美紀の唇に俺の唇を重ねて、そのままベッドに押し倒した。俺の手が動く度に、美紀は体を敏感に反応させた。

 

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