岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

フェイク 03

2023年03月14日 14時31分52秒 | フェイク(クレッシェンド4弾没作品)

 気付いたら朝になっていた。あのまま寝てしまったのだろう。今日は北方から仕事の件で連絡がある。結局、アリーナには何も言わずに職場へ行かないという最低の方法をとってしまった。昨日、俺を殴った後輩の神威とかは何て言っているのだろうか。鈴木勝男はあの性格だから俺の事を庇ってくれているかもしれない。

「おはよう、よく寝られた?今、朝食作ってるから待っててね。」

 肉を焼いている香ばしい匂いが漂ってくる。そう、俺には泉がいるんだ。心機一転、泉の為にも頑張って行かないとな…。テーブルに着こうとして箸置きに目が自然と止まる。何だか見慣れない箸が一膳交じっている。俺専用の紺色の箸と泉専用のピンクの箸以外に、緑色の箸が置いてあった。

「泉、この緑の箸って何?」

「あ、言い忘れてた。昨日ねー、怜二君が遊びに来てくれたのよ。たまには兄貴の顔を見に来たってね。でも隼人、昨日電話で帰らないって言ってたでしょ。せっかくだから、昼食まだだったら食べて行けばって御馳走したの。」

「あいつもタイミング悪い奴だな。いつも俺、いる時間なのにな。」

「たまには連絡くれって言ってたわよ。」

「そうだな、おまえと暮らしだしてから、家に連絡全然とってなかったよ。」

その時、突然携帯が鳴り出した。北方からの着信だった。

「おう、今日こっちに出て来れるか?」

「ええ、履歴書も書いて準備はしてあります。何時ぐらいに行けばいいですか?」

「そうだな、うーん…、五時ぐらいにはこっち来るだよ。」

 前から気にはなっていたが、北方は言葉の語尾に「だよ」と、たまに付ける癖があるみたいで聞いてて面白い。電話を切って、泉にはその事を報告しておく事にする。

「お待たせ、しょうが焼きと卵焼きと茄子の味噌汁。それにマカロニサラダ。」

「うまそうじゃん。朝から豪華だなー。」

「エヘヘ。」

 機嫌がいい状態の泉に、さっきの北方からあった電話の内容を伝える。

「危ない仕事とかじゃないんでしょうね?」

「ああ、問題ないよ。俺は出来れば、おまえに心配は掛けたくない。」

「うん、分かった。隼人はゆっくり食べててね。私、もう仕事行く時間だから。」

「そっか、あんまり無理すんなよ。いってらっしゃい。」

「いってきまーす。」

 泉が慌ただしく部屋を出て行く。朝からこんなに凝って料理を作ってるから、自分の時間が無くなるんだ…。一生懸命、俺に尽くしてくれる泉が、愛しくて堪らなかった。とにかく金を貯めよう。そして泉が働かなくても済むように楽にしてあげたい。

 まだ十時にもなってないので、新宿に行くまで何もする事がなく暇だ。暇だとついつい色々考え込んでしまう。いつからこんな風になってしまったのだろう。少し金に執着し過ぎていたみたいだ。いつの間にか亡くなった岩崎が持っていたような歌舞伎町の毒が、俺にもうつってようだ。こんな俺でも泉はいつも傍にいてくれる。金を稼ぐなら狡賢くじゃなく、もっと正々堂々といきたい。でも、今の俺には一体何が出来るのか。人より秀でたものなど何もなかった。

 昼過ぎまでテレビをつけてボーっと眺めるが、何の番組をやっていたか全然覚えていなかった。すごい無駄な時間の過ごし方をしている。気持ちだけがいつも焦り、行動がまるでついていってない。二十五歳にもなって俺は何をしてるのだろう。入り口のチャイムが鳴る。こんな時間に誰だろう…。足音を立てないように忍び足で玄関へ近付き、覗き穴から様子を伺うと弟の怜二だった。俺はドアを開けながら、いきなり怜二に文句を言う。

「怜二、来るなら来るで携帯に一言ぐらい連絡ぐらいしろよ。」

「わりーわりー…。でもほんと久しぶりだな、兄貴。」

「昨日、来たんだって?悪かったな。仕事で色々あって夜に帰ってきたんだ。」

「大丈夫、泉さんの手料理を御馳走になったからラッキーだったよ。」

「おまえ相変わらず、金欠なんだろ?」

「へへ、バイク買いたいから今、無駄遣い出来ないんだよ。」

「ふーん、そうなんだ。でも買っても事故には気を付けろよ。」

「はいはい、気を付けます。兄貴がこの時間に起きてるなんて珍しいね。」

「ゲーム屋の仕事辞めたからな。もう前みたいに羽振り良くないから小遣いねだっても、あげられないからな。そうだ、コーヒー淹れるから飲んでけよ。」

「サンキュー。」

 キリマンジャロとモカを三対二の割り合いにしてコーヒーを淹れる。部屋にコーヒーのいい香りが漂いはじめる。弟の怜二も暇みたいだから、俺が新宿に行くまでの時間、暇潰しの相手になってもらう事にしよう。

 

 ホテルの窓を開けると朝の眩しい日差しが差し込んでくる。ベッドには美紀が全裸で気持ち良さそうに熟睡していた。喉がカラカラだ。ポットの近くにはサービスで置いてあるインスタントコーヒー、紅茶やお茶が定番のように置いてある。俺はその中からインスタントコーヒーを選び作り始める。コーヒーの匂いに反応したのか、美紀が目を覚まして俺の方を見ている。寝惚けているのか焦点が定まってない様子だ。

「おはよう。気持ち良さそうに寝てたな。」

「やだー、私の寝顔ジッと見てたんでしょ?」

「おまえもコーヒー飲むか?」

「うーん…、私、紅茶の方がいい。」

「はいはい、随分わがままなお姫様だ。」

 俺は美紀の分の紅茶を作ってやると、シャワーを浴びに行く。このホテルのシャワーは水圧が高いみたいで、お湯で出が激しく浴びてて気持ち良かった。体を念入りに洗いスッキリして部屋に戻る。

「美紀。シャワー、水の出がよくて気持ちいいぜ。浴びてきたら?」

「うん、そーするー…。」

 美紀はまだ眠いのかダルそうな足取りでシャワー室へ向かう。形のいい乳房が揺れながら俺の横を通り過ぎる。後ろ姿を見ながら、改めてこいつは抜群のプロポーションなんだなと思う。うまくこの女を使えれば相当な金をつかめるかもしれない。携帯を取り出して見てみると四件の着信があった。和美が二回に、ひかると康子が各一回ずつだった。和美は何言っても話しにならないから、放っておけばいい。もしバッタリ会ったら円形脱毛症が進んでいるかもしれない。ひかるは昨日二百万引っ張ったけどOLだし、このぐらいが限界だな。康子はもう少しじらせても大丈夫だろう。美紀がシャワー室から出る音がしたので、俺は慌てて携帯をしまい煙草に火を点けた。体にピンクのバスタオルを巻きつけた美紀は色っぽかった。

「すごいね、ここのシャワー。ボーっとしてたのが吹っ飛んじゃった。いいよね、このホテル。私すごい気に入っちゃった。」

「気に入ったのならまた今度会う時ここに来るか?」

 美紀は俺の顔をジーっと見てくる。

「ねー、光太郎。私の事抱いちゃったから、もういいやとか思ってない?」

「何でそんな事…。」

「だって光太郎の事、気に入っちゃったんだもん。ほんとにまた逢ってくれるよね?」

「当たり前だろ?今更何言ってんだよ。」

「じゃー、約束してくれる?」

「ああ、今度時間作ってまた会おうな。」

 急に美紀は俺に抱きついてくる。今日のとこはこいつを出来る限り俺に夢中にさせとけばいい。そのまま美紀の体を押し返してバスタオルをむしり取った。優しくキスをしてから腕枕をしてやる。

「今度、大きい仕事を頼まれているんだ。だから少しの間、忙しくなるかもしれないけど我慢してくれよ。時間、出来る限り作るようにするから。」

「うん、こう見えても結構私って惚れると相手に尽くしちゃうんだよ。お仕事忙しいのはしょうがないけど、浮気は絶対に駄目だからね。」

「はいはい、じゃーこれから忙しくなる前に、思う存分頑張るとするか。」

 再び俺は美紀の体に覆い被さった。

 

 午後四時半に西武新宿駅へ到着する。北方との約束の時間まで三十分ほど余裕があった。少し早いが電話を掛けてみる。

「おう、早いな。もう来たのか。」

「少しは余裕を持とうかと思いまして。」

 北方は今自分のいる事務所の位置を説明してくれ、これからそこへ向かう事になった。街を歩いていて気付いたのが、初めて歌舞伎町に来た時と比べると、ポン引きも不思議と俺に声を掛けてこなくなった。この街に慣れたせいなのだろうか。確か北方の事務所は東通りと平行する隣りの細い道と言っていた。自分では分かっていたつもりだが、実際探してみると中々見つからないものである。せっかく早めに着いたのに無駄に時間だけが過ぎていく。初めて新宿に来てダークネスに面接行くのに分からず、ひたすら歌舞伎町の中をグルグル歩き回った時の事を思い出す。こういう時は恥とか思わず素直に電話すればいい。

「もしもし、赤崎です。すいません、今、言われた近辺に来ているとは思うのですが、いまいち場所がよく分かりません。」

「何だよ、分からない?今どこにいるんだ。」

「今日は休みみたいですけど、近くに大きなスーパーがあって、その裏側の通りです。」

「ああ、そこは休みじゃなくて、とっくに潰れただよ。そうか、今いる通りの六階建ての黒いビル見えるか?」

 辺りを見渡してみると、目と鼻の先にある。こんな近くだったのか…。

「ええ、そのビルの地下一階に行けばいいんですね?」

「そうだ。」

 言われた黒いビルを改めて見てみるが、ビルと呼ぶには少しお粗末な感じがする寂びれた人気のないビルだった。一階には両サイドに店舗が入ってるが、何の職種かすら分からず、怪しい雰囲気しかしてこない。半年ほどこの街にいるが中でもここ辺りは特に異様な感じがした。俺は恐る恐る階段をゆっくり慎重に降りる事にする。

「おう、案外早かったじゃねーか。」

 突然、北方の声が下から聞こえてくる。声のする方向を見ると、地下一階にある事務所のドアが開いていて、北方が顔を出していた。

「どうも、お疲れ様です。」

「履歴書は持ってきたか?」

「ええ、これです。」

「まー、中に入れ。そこのソファに座ってろ。どれどれ…。」

 北方は俺の履歴書をじっくり見ている。事務所の中に入ると事務机と椅子が各二つずつあり、それ以外には小さなテレビぐらいしか置いてない殺風景な部屋だった。灰皿には煙草の吸殻が山盛りに積まれ、床を見ても埃やゴミがすごい。この人はまったく掃除とかしないのだろうかと疑うほど汚れていた。とりあえず椅子に座る前に灰皿に溜まった吸殻をゴミ箱に捨てる。俺も特別綺麗好きって訳じゃないが、この状態でここで働く事を考えると鳥肌が立ってくる。

「おまえ、まだ歌舞伎町来て半年ちょっとなんだ。どうりで他の奴と違うと思っただよ。何て言うか…、そーだな、まー新宿に染まってないというか…。」

「はい、それに自分はゲーム屋の経験しかありません。」

「色々とやってもらう事はあるから大丈夫だよ。心配するな。」

「よろしくお願いします。」

 煙草のチェリーをポケットから取り出して、北方はうまそうに煙を吐き出す。今どきこんな銘柄の煙草を吸う人も珍しい。

「とりあえず俺のいつもいる場所は、主にここの事務所だな。このビルの上、一階が一円のゲーム屋。ここの隣りのテナントがビデオ屋。ま、歌舞伎町だとこんなもんだな、俺がやってるのは。あとは実質、別にオーナーはいるけど俺が面倒見てるって感じだな。」

「へー、そうなんですか。自分はどうすればいいんですか?」

「そうだな…、せっかくアリーナでもやってたんだから、上のゲーム屋で少し手伝いながらビデオ屋の仕事も覚えてもらうとするか。」

「分かりました。」

「まーいい、ついてきてくれ。」

 北方はいきなり立ち上がって事務所を出て階段を登り出す。結構マイペースな人みたいだ。俺は何も分からないので言われた通り、後ろをついていくだけだった。地下の事務所の隣りはさっき言われたビデオ屋になっていて、中を見ると店員が暇そうにボーっとしていた。階段を登り終わり一度外に出てから北方は一階にある左側のテナントのドアに近付き、北方はピンポンを押している。カチャリと中から鍵の開く音がしてドアが開くと、まだ二十歳半ばの従業員が顔を出す。北方に促がされて俺はゲーム屋の中へ入る。

「あれ、何で山田がこの時間にまだいるんだ?」

「さ、さっき小阪さんから連絡有りまして少し用事で遅れるみたいです。」

「小阪はまた遅刻か?」

「何か大事な用らしいですよ。」

「まーいいや…。今、須田が長期休暇とってんだろ?いつ頃あいつ帰ってくるんだ?」

「一ヶ月後です。まー、ご覧の通り早番は暇なんで自分一人でも大丈夫ですけど。」

「おい赤崎、早番責任者の山田だ。」

「あ、はじめまして…、赤崎隼人と申します。よろしくお願いします。」

「山田です。よろしくお願いします。」

「赤崎は明日から一ヶ月間、人が足りないからこっちを手伝ってやってくれ。」

「はい、分かりました。」

 今日いきなり面接のつもりが、早速明日から働く事になってしまった。こんな簡単に物事を決めてしまっていいのだろうか。少しばかり不安になる。

「赤崎は山田とここの仕事の事ちょっと話したら、もう今日は帰っていいぞ。」

「あ、あのー…、自分は明日から何時に出勤すればいいんですか?」

「おまえは早番手伝うから、朝の七時にここに来い。」

 随分と半端な時間だ。今まで早番といったら朝の十時が普通なのに…。俺は狭山だから七時に新宿じゃ、家を五時半ぐらいに出ないといけなくなる。しかし今の現状で文句を言っても仕方がなかった。金を一刻も稼いで泉をもっと楽にさせてやりたい。

「分かりました。明日から頑張ります。」

「じゃー、俺は行くぞ。」

 北方が店を出て行くと、山田がすかさず話し掛けてくる。

「赤崎さんですよね?」

「ええ、明日から急にこうなりましたけど、よろしくお願いしますね。」

「いえいえ、こちらこそ。赤崎さんはゲーム屋の経験あるんですか?」

「有りますよ。ここと同じ一円のゲーム屋でした。」

 ダークネスにアリーナ…。二つの店で半年ちょっとの期間働いたが、果たして俺にとって何かプラスになったのだろうか。金に対して汚くなり、歌舞伎町に染まったような感じしかしなかった。

「北方さんも自分のいた店に、客として遊びに来てたんですよ。」

「そうだったんですか。最近はここグランドに北方さん入り浸りですけどね。」

 山田の口調には北方に対する嫌悪感が、少し含まれているような気がした。

「このお店、グランドって名前なんですか?外を見ても何の看板も無いから全然解りませんでした。」

「いやー、派手にやってると、実際、警察とか怖いじゃないですか。だからうちは看板とか外に出さないで、こっそり地味にやるんですよ。」

「そういえば、早番って七時から何時まで仕事やるんですか?」

「うちは三交代制なんで、三時までですよ。中番が三時から十一時です。遅番が十一時から朝の七時までです。誰か休みの場合、各番が四時間ずつ残業するっていった感じですね。一日通常だと八時間で、日払い一万。残業込みの十二時間で一万五千円です。」

 俺が今まで働いてきた店は二十四時間中、昼と夜の二交代制だったので、三交代制に対して少し違和感があった。これから一ヶ月間は朝、最低でも五時起きになるのが辛い。

「分かりました。では明日からよろしくお願いしますね。では失礼します。」

 何を考えたってなるようにしかならない。今はとにかく自分で動くしかないのだ。与えられた条件の中でどれだけ自分の評価を上げられるか。まずそこら辺を重点的にいこう。

 

 少し遅めのランチを美紀ととってから別れる事にした。たった一夜を共にしただけで、美紀はすっかり彼女気取りだった。

「ねぇ、光太郎。また近い内、時間作ってくれる?」

「もちろん。おまえこそ忙しいとか言うなよな。」

「もー、そんな事言う訳ないじゃない。絶対に絶対だからね。」

 俺は美紀の額に軽くキスをしてやる。

「近い内、ほんとに時間作るよ。ほんとは今だって別れるの嫌なぐらいなんだぜ。」

「嬉しい…、私、今日お店休んじゃおうかなー…。光太郎と一緒に居たい…。」

 このぐらいまで気持ちを高めておけば、今後も問題ないだろう。

「美紀はこれから帰って化粧したり、店に行く準備とか色々あるだろ。今日はこの辺で別れとこうよ。また逢えばいいじゃん。」

「うーん…、そ、そうだね。私、頑張るよ。」

美紀は不満そうな顔をしてはいたが、俺の言ってる台詞も正論なので大人しく従ったみたいだ。しかし頑張るよとは言うが、おさわりパブで一体何を頑張ると言うのだろうか。本来つっ込みたいところだが、ここはあえて抑えておく事にする。

「俺も仕事忙しいけど、お互い頑張ろうな。」

「うん、電話でもメールでも暇あったら必ずちょうだいね。」

 美紀の後ろ姿を見守りながら、どうやって金をむしり取るか考える。頭悪そうだから、仕事の関係で難しい言葉を並べて適当に言えば、すぐにむしり取れそうだな。色々考えをめぐらせていると、思わず顔がニヤけてくる。美紀が遠くで一度俺の方へ振り返り、大きく手を振っている。俺はワザと大袈裟に手を振り返してやった。

 特にこれといった予定もないので、歌舞伎町をグルグル歩き回る。東通りに差し掛かり喫茶店のルノアールでコーヒーを飲んで一息入れる事にした。店内の雑誌を適当に読み、しばらく時間を無駄に過ごす。無用の要という言葉があるとか誰か昔、言ってたっけ…。確か無駄な事のように見えても、実はそれが大事なものだとかって意味だったような。そうそう俺のおじさんがよく言ってた言葉だ。今の俺の状況もそうだ。一見無駄に過ごしているように見えて、実はそれが精神的にリラックス出来ている。ゆとりを持つ為の一つの過ごし方だろう。今度、美紀にこの言葉を使ってみるか。時計を見ると、もう五時半になっていた。そろそろ家に帰るとするか。

会計を済まして再び東通りに出る。T字路を曲がりコマ劇場の方向へ向かうと、小さい十字路の右手から、急に黒いスーツを着た短髪の男が出てきて俺の肩と肩がぶつかった。その男は俺を軽くひと睨みすると、さっさと歩き出していく。普段はそんなに喧嘩っ早くない俺もそいつの対応に思わずカチンときた。

「おい、何だテメーは?勝手にぶつかっといて何なんだよ。」

 俺が怒鳴りつけると、黒いスーツの男は立ち止まりこっちを振り返る。俺だって喧嘩の腕に多少なりの自信は持っている。

「ぶつかったのはお互い様だろ?何か文句でもあんのか?」

「あるからワザワザ言ってんだろうが。」

 近くで対峙すると、明らかに体格で俺の方が劣っているが自分で売った喧嘩だ。ここで引く訳にはいかない。こいつも俺と喧嘩をやる気満々らしい。

「ここじゃ目立つから後について来いよ。」

「うるせんだよ。」

 カッときて殴りかかるが、簡単にかわされてしまった。

「ここじゃ目立つとさっきから言ってるだろう。大人しくついて来いよ。」

 かなり、この野郎こういう場慣れしてやがる…。最初の勢いが徐々に自分の中で消えていくのが分かる。黒いスーツの男は、さっきまで俺が美紀と一緒にいたホテル街の方向に歩いていく。どこで喧嘩をおっぱじめるつもりだ、この野郎…。

 

 ついさっきまでゲーム屋のグランドで山田さんと話し話してたのが、気がつけばいきなり変な奴に肩がぶつかったとかで絡まれてる。どう見ても俺より若僧だ。そんなガキにまで舐められて堪るか。それにしてもこいつ男のくせに、なんて整った中性的な顔立ちをしてるんだ。女装したら女に確実に間違われるだろう。

「ぶつかったのはお互い様だろ?何か文句でもあんのか?」

「あるからワザワザ言ってんだろうが。」

 このガキのどこからその自信が出てくるのだろう。線の細い粋がっただけのクソガキ相手にビビるほど、落ちぶれてはいない。人生の厳しさ分からせてやるか。だがこんな人通りの多い所でやる訳にはいかない。明日から世話になるグランドも近い。昨日俺が神威に一発でやられて気を失ったあの大久保公園…、あそこが一番いいだろう。

「ここじゃ目立つから後からついて来いよ。」

「うるせんだよ。」

 ガキはいきなり殴りかかってくる。本当に只の粋がったガキだった。軽くパンチをかわし、相手の懐に潜り込むと、もう一度静かに忠告してやる。

「ここじゃ目立つとさっきから言ってるだろう。大人しくついて来いよ。」

 俺は大久保公園に向かって歩き始めた。クソガキはイライラしながら俺の後ろをついて来る。あの公園に行くまでに、ホテル街を通らないといけないのがネックだった。周りにホモ同士なんて絶対に見られたくないという心理からか、俺は足早に歩くようにした。

「何、偉そうにトロトロ歩いてんだよ。オラッ。」

 バッティングセンター辺りで、ガキに後ろから不意打ちで蹴りを喰らう。痛みというよりは屈辱感の方が大きかったが、かなり頭に来た。俺はガキの髪の毛を強引につかんで、公園まで引っ張り込む。

「痛ぇーなー、離しやがれ。」

「礼儀をもっとわきまえろ、ボケ。」

 顔面にパンチを打ち込もうとして、一瞬躊躇してしまう。これだけムカついているのに何故か顔を殴ってはいけないような気がした。仕方なく腹にパンチをぶち込むとクソガキはその場に倒れ、地面をのたうち回っている。所詮、いくら粋がっていてもこんなもんだ。これで少しはスッとしたはずなのに、変な違和感があった。

「待ちやがれよ、おいっ。」

 ガキはしつこく俺の左足にしがみついてきた。右足で顔面を蹴飛ばしてやれば終わる。でも何故か顔に手をつけてはいけないような気がする。喧嘩の最中なのに不思議な感覚に包まれていた。ムカつくクソガキなのに顔を見ていると何か分からないが、俺と似た匂いのようなものを感じる。闘争心が次第に醒めていく。

「もういい。とりあえず離せ。おいっ。」

「ふざけんじゃねぇ。都合いい事言ってんじゃねぇよ。」

「分かった、分かったからとりあえず足から離れろよ。もう何もしないから。」

 向こうも少しは落ち着いてきたのか、素直に離れお互い距離をあけた。

「おい、以前どこかで俺と会った事あるか?」

 ガキは肩で息をしながら黙って俺を睨みつけている。どこかで見たような感じのある目だった。

「質問に答えろよ。」

「知らねえよ、テメーなんか…。」

「ならいい…、もう俺は行くからな。」

「待てよ、まだ喧嘩は終わっちゃいねーんだよ。」

 俺は無視してその場を後にしようとすると、後ろから大声でガキが何やら喚いていた。

「待てよ、コンチキショーッ!」

 こんな訳分からない喧嘩をしたのは、生まれて初めてだった。

 

 どんどん黒いスーツの男の姿が遠ざかっていく。腹を殴られて、呼吸が満足に出来なかった。あの野郎…、最後に訳分かんねえ事抜かしやがって。ようやく体を起こして立ち上がると、何人かの見物人が俺を見ていた。

「見世物じゃねぇんだよ。何、見てんだ、オラッ。」

 体中全身が悔しさでいっぱいだった。頭に思いっきり血が登っている。やり場の無いこの怒りは一体どうすればいいんだ…。

 

 泉の元に帰ったら、仕事の事を何て説明すればいいのだろう。帰りの電車に乗ってる間、ちゃんと言うかどうか非常に迷った。あいつはゲーム屋の仕事を毛嫌いしている。いや、それよりも歌舞伎町で俺が働く事自体を嫌がっていた。考えながら景色を眺めていると、電車の窓に反射して自分の顔が映っている。自分の顔を見てて、さっきのガキの目つきを思い浮かべる。不思議なガキだった。何故あんなガキがこんなに気になるのだろうか…。

「次はー、狭山市―。次はー、狭山市―。」

 考え事をしていると時間が経つのは、相変わらず早かった。

 

 ピーンポーン…。俺は康子のマンションの番号を打ち込み、康子の部屋のインターホンを鳴らす。オートロックのマンションでセキュリティーはとてもしっかりしていた。

「はい…、どちら様ですか?」

 不審そうな声で康子がインターホンに出る。

「俺だ…。」

「えっ?」

「何だ…、もう俺の声を忘れたのか?」

 俺が話している最中、オートロックのドアが開く。

「光ちゃん…。光ちゃんでしょ?今、開けたから入って。」

 急に康子の声が弾み出す。

「うん、すぐ行くよ。」

 このマンションに来る度、康子の奴結構稼いでやがんなぁと感じる。オートロックの入り口から中に入ると、高級感溢れる造りで綺麗に設備の整った玄関ロビー。このマンションの住民の利用者はあまりいないみたいだが、いつも俺はエレベータを待つ間、フカフカのソファに座ってとりあえず一服する。ここでゆっくりと煙草を吸っていると不思議とリラックスしてくる。さっきまで怒ってたのが嘘みたいだ。エレベータが着たので煙草を消して乗り込み、十階のボタンを押す。あいつ、ここの家賃いくらって言ってたっけな…。

「十階に到着致しました。」

 エレベータに備え付けの機械音がアナウンスでワザワザ知らせてくれる。ドアが開くと康子が目の前に立っていた。康子は可愛い物が大好きだった。俺に対しても可愛い弟みたいな感じで接してくる。だから俺は康子の思い通り、地と正反対のキャラをうまく演じる。そうすれば康子は上機嫌になり、金を沢山吐き出す。

「光ちゃん…。あのね、さっき話してから来るのが少し遅かったから心配だったの。」

 俺は右腕で康子の首に手を掛けて抱き寄せる。空いてる左手で内側のポケットからここに来る前、取っておいたユーホーキャッチャーの豚のぬいぐるみををソッと取り出す。

「光ちゃんに中々逢えなくて寂しかったよー。」

「うん、僕もすごい寂しかった。」

「また、うまいなー。」

「はい、これ。」

 言葉と同時に豚のぬいぐるみを差し出す。康子の目元がどんどん下に垂れ下がる。初めての試みだが、効果はあったみたいだ。

「豚さんだー。可愛いー…。普通の男にこんな事やられたら、馬鹿にされてるのかなってムカつくだけなのに、何故か光ちゃんがやると自然なのよね。もー…、本当に光ちゃんたら可愛いー…。」

 エレベータから部屋までの短い距離でも、康子はベッタリくっついていた。こいつぐらい金持ってれば、もっといくらだっていい男寄ってくるだろうに…。

「あんまりベタベタしないでよ。くすぐったいよ。」

「だっていつも私が電話したって、光ちゃんは全然出てくれないんだもん。たまにこうやって逢える時ぐらいベタベタしたいじゃん。」

「ごめんね。仕事が忙しいんだ。でもちゃんと大事に考えてるから、こうやってちゃんと時間作って会いに来てるでしょ?」

「うん、光ちゃんたら、もー…。本当に可愛くて仕方がないわ。」

 康子…、二十三歳現役バリバリのキャバクラ嬢。新宿歌舞伎町にあるルシアンという店のナンバー一。一度だけ店に行った事があるが、凄まじかったの一言だった。圧倒的な指名数で沢山の男を虜にさせていた。確かに顔も体も喋りも超が付くと言っていいぐらい一流の女だった。さぞかし他の男連中から金や物を貢がせているのだろう。

「ねえ、ちょっと顔が疲れているよ。ちゃんと休んでるの?」

「最近、ウザイ客が増えちゃってね…。ストーカーとかしてる奴も腐るほどいるしね。これじゃ精神状態もおかしくなっちゃいそうよ。でも光ちゃんの顔見てると本当に落ち着くわー。何でだろーね?」

「それはねー…、多分世の中が病んでるからじゃないかな。」

「光ちゃんの話って、たまによく理解出来ないとこある。何で世の中が病んでるのと、光ちゃんの顔を見てると落ち着くのが関係あるの?」

「何でだろうね…、僕も自分で言っててよく分からないや。僕はとりあえず康子ちゃんと逢った時、僕で癒せるのならいくらだって癒すつもりだし、常に逢ってない時だって康子ちゃんのことはいつも考えてるんだよ。」

「ありがとう、嬉しいな。今の世の中そんな男なんかいなくなってんじゃん。光ちゃんぐらいだよ、そんな事言って女の子喜ばせられるのは…。顔も格好いいのに性格も可愛くて気遣いもちゃんとしてくれる。でもそれって私だけにでしょ?」

「そんなの当たり前じゃないかよー。」

「うん、可愛いー…。」

 呑気なもんだ。もうじき夏だから脳味噌が溶けかかってんじゃねぇか。康子は会う度、いつも俺に金をくれた。毎回十万ずつぐらいの金額だった。

「はい、光ちゃん。これ…。」

 康子はそう言って一万円札の札束を十枚差し出してくる。

「いいよー、毎回毎回悪いよ。康子ちゃんの金なんだからもっと大事にしなよ。」

「私は大丈夫。光ちゃんが妹さんの入院費とかで、色々大変なのは理解してるつもりだから。少しでも力になりたいんだ。」

「でもさー…。」

「受けとってよ。ね?」

 お決まりのいつもの展開だ。俺は申し訳なさそうに金を受け取り、すぐに康子を抱き寄せる。いい加減、妹が入院してるだなんて俺の嘘に気付いてもよさそうなもんだが、世の中馬鹿な女ばっかりだ。それにしてもワザと可愛い子ぶるのは本当に大変だ。

 

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