2025/02/02 sun
前回の章
まかない飯は和食だけでなく、時には洋食も作る。
むしろ洋食のほうが俺自身得意なので、千代田青果店でたまたま買った野菜に合わせて気分で毎日作っていた。
しかしちょっとしたジレンマはある。
従業員すべて時間給千円。
一日十二時間働いて、一万二千円にしかならないのだ。
戦力になっていない岩佐と俺が同じ時給というのもいまいち納得できなかった。
まあオープンしてまだ一ヶ月なので、そう不満ばかり言っていられない。
今はとにかく店を流行らせる事。
太客の木村さんや、毎日来て五万円負ける吉田のような客をどんどん入れて、俺は『バラティエ』を流行らせる事が、オーナーである酒井さんに対する恩義だろう。
つまらない事に目を向けると、ロクな事にならない。
家に籠もって執筆していたあの頃を思い出せ。
金も何も無く、ただひたすら小説を書き、ミクシィを更新していただけの虚しい頃を……。
今は金も稼いでいるし、料理を作れば食べてくれる人たちがいる。
十分幸せじゃないか。
今日の売上は三百万円上がった。
せっかく裏稼業をしているのだ。
頑張って店に客を入れ、オーナーをまず太らせる。
俺たち従業員への分配など、そのあとからだ。
岩佐も上がり、客も引く。
朝方になって坂田が声を掛けてきた。
「高星さんのところへ売上持って行く訳なんですが、名義である自分に持ってきてくれと言われているんですね。なので今から事務所へ三百万持って行ってきますね」
番頭がそう言うならしょうがない。
店内俺一人になると、タバコに火をつけた。
オープン前のミーティングで、俺、坂田、高田の立ち位置はみんな平等と、高星は言った。
しかしこれまでの状況を振り返ると、どうも名義を張っている坂田は妙に勘違いしている部分がある。
できれば高星と話し合う場を設け、この店をどのように考えているのか一度聞いてみたいものだ。
やがて坂田が戻ってきて少ししてから、早番の人間が出勤してくる。
着替えを済ませ、帰ろうとすると原田が声を掛けたきた。
「岩上さん…、カレーのストック少ないんで作って下さいよー」
「何だよ、カレーくらい自分で作ればいいだろ」
「前に自分が作ったんですけど、お客さんたちが、岩上さんの作ったカレーがいいとうるさいんですよ」
「…たく……」
俺の料理は多くの人から求められている。
そう、俺の家の人間が異常なだけなのだ。
「あと早番も岩上さんのサンドイッチ食べてみたいです」
「はいはい……」
勤務時間など過ぎて給料も出ないのに、こうしてカレーを作る俺は馬鹿だなあと思う。
でもそれでいい。
少なくとも今は幸せを感じられているのだから……。
店を出ると、時刻は十時を過ぎていた。
そういえば渡辺がインカジの『ゴリラーマン』にいると言っていたっけ。
電話を掛けるとちょうどいいタイミングで、渡辺が出る。
「まだ仕事中?」
「うちは十時切り替えなんでちょうど終わったところですよ」
「良かった。時間あるならご飯でも行くかい?」
「ええ、自分も岩上さんに会いたかったんですよ」
近くのファミリーレストランで待ち合わせ、半年ぶりくらいの再会を果たす。
渡辺が俺に続いて『牙狼GARO』を辞めようとした時、必死に番頭の根間から止められたらしい。
俺と同じ日給プラス千円出すと提示されたが、ハッキリ断ったようだ。
「そのままいれば、ナベリンなら大事にされたんしゃないの?」
「いえいえ、岩上さんをあんな目に遭わせるような店長がいる店ですよ? さすがに自分も限界でしたよ」
もう半年前とはいえ、俺は猪狩の理不尽なクビにより、一日であの店をクビになった。
それを自分の事のように悔しがってくれた渡辺は、俺にとってとても可愛い後輩である。
「それより岩上さん…、時給千円なら、うちの店来ませんか? 岩上さんなら大歓迎されますよ」
「うーん…、金で転びたいところだけど、俺の場合酒井さんからの流れがあるからね。さすがに日給が数千円高いって理由で、酒井さんを裏切る訳にはいかないでしょ」
「そうですよね…。『8エイト』で岩上さんいる時、五百万以上使ったんでしたっけ?」
「正確には二回の来店で五百五十万ね。それで池袋の新店立ち上げるけど、力を貸してもらえないかなんて言われたら、絶対貸すでしょ?」
「まあそうですよね……」
「まあ今の面子で何とか店を流行らせないとね。癖のある従業員多いけど」
「何か岩上さん、いつも貧乏くじを引いてますよね。前の店だって、岩上さんいなかったら、成り立たなかったのに」
「まあすべては流れのままにってね。自流の流れに沿ってと、自分の中の戒めじゃないけどさ、どう足掻こうと、人生なるようにしかならないから、流れに身を任せたのが、現在の結果な訳でね」
「何だか深いですね」
「一応これでも物書きではあるからね。あ、そうそう。うちの店もさ、ハーフの人間が入ってきてね」
「ひょっとしてそのハーフって、タイ人のハーフじゃないですか?」
「え、何で分かるの?」
「名前…、岩佐とか言いませんか?」
「え、ナベリン知り合いなの?」
「前にうちの店にいた奴なんですよ。あまりにも使えなくてクビになったんです」
「……」
「前にうちの店へ、クビになったあと来たんですよ」
「え、何で?」
「分かりませんが、結構うち暇なんですけど、勝手に席に座ってカップラーメン勝手に作り出して。それでうちの責任者が『それ持ってっていいから二度と来るな』って怒っちゃって」
「……」
先日、太客の木村さんが「よろしくお願いしますよ」と言っていた意味合いが理解できた。
懸念が確信に変わる。
俺は岩佐をよりスパルタ教育で躾けないといけない。
万が一いい方向へ変われるなら、それで良し。
駄目なようなら可哀想だが、最悪辞めてもらう方向も考えなければいけないだろう。
千代田青果店に置いてある安い野菜によってまかないメニューが決まる日々。
ピーマンが大量にある時は、ピーマンの肉詰めデミグラスソース。
タケノコも買って青椒肉絲。
茄子が大量にある時は、麻婆茄子。
茄子の辛味炒め。
こういった毎日を送り、俺の料理の腕はメキメキ上がっていく気がする。
じゃが芋があれば、肉じゃが。
時には酢豚。
キャベツが大量にあるなら回鍋肉。
たまには汁物も作る。
ほぼ毎日のように来店する吉田は、おにぎりセットをいつも食べた。
基本おにぎり二つなのだが、彼はプラスもう一つ頼むので、三つ出している。
岩佐が料理を注文を受け、厨房へ入った。
「おにぎりセットくらいならできるよね?」
「はい、大丈夫です」
銀の皿へおにぎり三つ乗せて、お新香も添える。
岩佐が七卓の吉田へ持っていこうとすると、キャッシャーにいた坂田が呼び止めた。
何やら岩佐へ文句を言っているので内容を聞いてみる。
「メニューではおにぎりセットは二つなのに、勝手に三つ乗せたんじゃ、秩序が保てなくなります」
またこの馬鹿、つまらない事を言い出した。
「あれだけ毎日来て、金を落としてくれる客だから、俺が許可したんだよ。大した問題じゃないだろ」
一度も調理をしないコイツが、偉そうにそんな事を決める権限など無い。
「セットは二つと決まっています」
「じゃあ、吉田さんがおにぎりセットを二つ頼めばいいって言うのかよ?」
「そうです。それならおにぎり四つになりますから」
「それでおにぎり一つ残すくらいなら、はなっから三つでいいじゃねえか!」
「でも、決まりは決まりなので……」
「じゃあ今度からおまえが作れよ!」
「いや、自分は料理が不得意なので……」
「ならいちいち口出しするんじゃねえよ!」
坂田はかなりのボンクラだ。
何もしないくせに、人のミスを常に重箱の隅をつつくように探し、注意して自身の優位性を保とうする変な癖がある。
決まりだ何だ固い事を言うなら、平等に仕事をちゃんとしろ。
それができないなら黙っていろ。
俺なりの持論である。
本当コイツだけ、まかない飯を作るのやめようかなと思う。
同じビルの下の階にいるキャバ嬢のさくらが、客としてよく来るようになった。
最近では山田、根本という二人組のコンビもよく来店する。
この二人は来ると合わせて百万円くらいの勝負をするので、かなりいい太客だ。
売上が今日は四百万上がる。
インターネットカジノは、店で設定をまったくできない。
分かり易く説明すると、競馬や競輪競艇などのノミ行為をするサテライトと同じ。
勝手に中央競馬のレースをたくさんあるモニターで流しながら、賭け金はサテライトで受ける。
もちろん客に利点があるような仕組みで、賭け金の十パーセント戻しをする店が多い。
一万円賭けたとしたら、千円は戻ってくるので、普通に競馬へ賭けるよりも得なのだ。
結果は国の運営する中央競馬の中継通り。
そこに対し、サテライトがレースを妨害できる術など無い。
インカジも同じで、各サイトが提供しているものを各店でプレーさせているだけなので、店的に設定をいじる術はないのだ。
朝方になり、店に電話が掛かってくる。
番頭の高星から。
当たり前のように坂田が電話に出る。
しかし俺に代わるよう携帯電話を渡してきた。
「おはようございます、岩上です」
「岩上さん、今日の売上の四百万なんですが、事務所まで岩上さんに持ってきてもらいたいんですね」
「ええ、構いませんが…。ただ私は事務所の場所分かりませんよ」
「電話で道順説明しながら話しますので大丈夫ですよ」
俺は三百万円の札束を持って、外へ出た。
駅とは逆方向を道を歩き、事務所へ到着。
オートロックを開けてもらい中へ入る。
「仕事中すみません、岩上さん」
「全然問題ないですよ。今、客は一人だけですし」
テーブルの上に、三百万円を置く。
普段なら名義である坂田の役目なはずなのに、今日に限って何故俺を指定したのか分からない。
「岩上さんのおかげで、お店もかなり好調です。ありがとうございます」
「いえいえ、システムがちゃんとしているので、自分はただ客を入れているだけの話です」
「何かお店で、不明な点や疑問点はありますか?」
動かない坂田よりも、まずは岩佐のほうが問題あるかもしれない。
俺は先日渡辺から聞いた話を高星にしてみた。
「まあうちの店にいる限り、ビシビシスパルタで教育はしていますけどね」
「岩佐の事は岩上さんに任せますので問題ないですよ」
「あくまでもお客さんいてこその店ですからね」
ちょっとした朝の話し合いを終え、店に戻る。
坂田が俺に、高星が何を話してきたか聞いてくる。
「いや、坂田さんに関する事は特に…。岩佐の件で話はちょっとしたけど」
「ああ…、そうですか」
妙な違和感を覚えたが、もうそろそろ仕事も終わりの時間だ。
カレーの残りをチェックする。
五人分はあるから大丈夫だな。
また帰り際お願いしますじゃ、時間を無駄に食うだけだ。
早番が出勤すると、交代で俺は仕事を終え店を出た。
最近よく来るキャバ嬢さくらが、来店する度「岩上さん、今度うちの店に来てよー」とうるさい。
一日一万二千円の日銭でキャバクラなど営業で行っていられるか……。
山田、根本の太客コンビが来て今日も負ける。
「あー、稼いだ金、全部ここで無くなっちゃうよー」
まだ二十代の山田だけで今月の負けは三百五十万円。
結構洒落にならない金額である。
大方悪い事をして稼いだのだろうが、真偽のほどは分からない。
本日も五十万負けなので、次回につく負けサビは五パーセントの二万五千円分ある。
しかしこの日を境に山田たちの足は止まってしまう。
インカジ自体に懲りたのか、遊ぶ金が尽きたのかのどちらか。
こちらから来て下さいと言う訳にもいかず、連絡先を知っている訳でもない。
店はひたすら客の来店を待つしか方法はなかった。
額は五万円だが、毎日のように来店する吉田は逆に大したものだと思う。
よく潰れずにひたすら寡黙に来てくれるものだ。
さくらが吉田の存在に気付き、横の席へ移動する。
元々知り合いだったようで、普段物静かな吉田が明るく話していた。
ホールは岩佐が立ち、俺は厨房で料理を作る。
相変わらずキャッシャーは坂田。
さくらの注文したナポリタンを作り終えた頃、ホールから怒鳴り声が聞こえた。
キャッシャーにいる坂田へ何があったのか尋ねる。
「岩佐が七卓の席に近付き過ぎていたみたいで、吉田さんがもっと離れろと怒ったようですね」
あの人が声を荒げるなんて珍しい。
初めて聞くレベルである。
おにぎり騒動の時も、坂田が原因なのに料理を出しに行った時「何だか私のせいで揉めてしまったようで、すみません」と、逆に謝ってくるほどの人格者であった。
俺は岩佐に一服へ行かせ、代わりにホールへ立つ。
先ほど怒鳴ったのが嘘のように。吉田はさくらと話しながらゲームを楽しんでいる。
キャッシャー側の入口近くに立ち、彼らと距離を保つ。
一服を終えた岩佐が再びホールへ戻り、俺の横へ並ぶ。
「フー…、ハー……」
近くにいないと分からなかったが、岩佐は妙に鼻息が荒い。
確かに女の子と楽しく会話しながら打っているところ、鼻息の荒い従業員が後ろに立っていたら、怒鳴りたくもなるだろう。
「フー…、ハー……」
「……」
呼吸をするなと注意する訳にもいかないしな……。
ブゥー……。
その時だった。
ホールにいた岩佐は、誰もが聞こえるような屁をした。
驚いて振り向くが、岩佐はしれっとして立っている。
さくらが迷惑そうな表情で振り向き「ごめんなさい…、もう食べられない……」とナポリタンを残した皿を出してきた。
「大変申し訳ありません」
俺は急いで皿を受け取り、シンクへ持って行く。
食事中、後ろで屁をこかれたら、誰でも食欲無くすよな……。
「だから後ろに近付くなって、さっきから言っているだろ!」
吉田の怒鳴り声。
慌てて振り返ると、岩佐はまた吉田たちの席の近くに立っていた。
「大変申し訳ありませんでした」
厨房の奥に岩佐を引っ込める。
そろそろコイツを使うのは、限界かもしれない。
大事な客を岩佐の行動一つで失いかねない。
「ちょっとホール見てて」
俺はベランダへ岩佐を呼び、注意をした。
「あのさ…、客前でいきなり屁をこくなんて、どういうつもりだよ?」
「じ、自分…、屁なんてこいてません!」
「嘘つくなよ。俺だって隣にいて聞こえたんだから。お願いだから、嘘つくのはやめろ。それと毎日来てくれる大切なお客さんに、もっと気を使え。何でさっき怒鳴られているのに、また近付いているんだよ?」
「自分、近付いていません」
「不必要に近付いていたから、吉田さんが怒ったんだろ?」
「……」
不満気な表情の岩佐。
「いいか? おまえの機嫌取る為に、この店をやっている訳じゃねえんだよ! 勘違いするなよな」
「……」
「何だよ? 返事もできないのか?」
「こ、この店は……」
「この店は何だよ?」
「この店は自分と合わない」
「…んだと、このガキ……。だったらとっとと辞めろ!」
「今辞めるとお金無いから、あと一ヶ月働きます」
「おまえの事情なんて知らねえよ! 今すぐ消えろ!」
俺の怒鳴り声を聞き、坂田がベランダへ顔を出す。
「岩上さん、どうしたんですか?」
俺は岩佐とのやり取りを説明し、ここで雇うのは無理だと伝える。
「自分はあと一ヶ月だけ働きます」
「だから何でそれをおまえが決めてんだよ!」
「岩上さん、落ち着いて下さい」
「……」
「とりあえず高星さんに連絡しますから。ちょっと待ってて下さい」
岩佐一人をベランダへ残し、俺はホールへ出た。
外の声が聞こえていなかったのか、吉田とさくらは変わらずゲームを楽しんでいる。
これ以上刺激しないようにしないと……。
坂田が電話を終え、本来給料のプール分は月末だが、あと一週間あるけど、岩佐には特別残り分を払い、今日付けでクビにしようとなった。
渡辺から岩佐の愚行を聞いていたから、もっと早く対処すればよかった。
ベランダへ行くと、岩佐はタバコを吸っている。
「岩佐! 今日でもう仕事上がっていいよ」
「いや、あと一ヶ月だけ働きますから」
「悪いけどいらない。月末になって払う残りの給料は、今すべて払うから上がって」
「でも、自分は金が……」
「悪いけど、うちじゃ無理。他の店へ行ってくれ」
高星が計算した岩佐の残り分の給料を店の回銭で立て替えて渡す。
自己都合で十二時間やらなければならないシフトは八時間だけ。
店内が混み出すと、すぐ休憩に行きたがる。
何度注意しても漫画喫茶で一時間キッチリ過ごして帰ってくるから、休憩時間は一時間以上。
普段大人しい客を怒らせてしまう。
何もいいところが無いのだ。
七月末まであと一週間というところで、俺は岩佐をクビにした。
面接の時から使えないのを分かっていながら、最初に来たという理由だけで採用した坂田にも問題がある。
俺はすぐ遅番に新人が入るよう求人広告を出した。
しばらく新人が入るまで、遅番は俺と坂田の二人だけで回すようだ。
岩佐をクビにした時で、それは当然覚悟の上だった。
思えば伊達の店のオープン準備の為、休みを取った一日しか休んでいない。
一ヶ月以上ほとんど働きっ放しである。
本音を言えば休みが欲しかった。
三日後に面接の予定が入る。
佐久川という三十七歳の男。
ほぼ同世代か。
まともな人間が来る事を祈りつつ、今日も池袋へ向かう。
今日の客の面子は、谷口、佐藤あみ、吉田にさくら、真澄。
深夜になれば一階の『萌』の従業員も数名来る。
いつもならキャッシャーからどかない坂田が、珍しく俺に誘導してくる。
インターホンが鳴った。
新宿の『牙狼GARO』の名義社長の青柳と前田の顔が映る。
「二名、俺の知り合い」
コイツ…、まだ俺に一万円の借金を返していない状態なのに……。
今日に限ってキャッシャーなのは皮肉なものだ。
「あー、どうもお久しぶりです。岩上さん」
打ちに来る余裕あるなら、金返せ、ボケが……。
「岩上さん、おかげさまで続いています」
「高田が前田は凄い仕事できますって、言ってたよ。あれから頑張ったんだね」
「はい、おかげさまで!」
深夜一時を回り、『萌』の従業員が三名来店。
十席しかない『バラティエ』はこれで満席となった。
『萌』チームから食事の注文。
焼肉プレート、ホットサンド、カレーライス。
前田が「たまには岩上さんの料理食べたいす」とナポリタンを注文。
佐藤あみもカルボナーラを注文。
吉田はおにぎりセット。
さくらはオムライス。
全部バラバラじゃねえか……。
普段ならホールをやりながら、俺が調理もこなす。
今日は坂田がホールだから、全部やらせるか。
いや、料理をやろうともしない奴には無理な量だろう。
俺はキャッシャーをやりながら、調理をして、シンクに溜まっていく洗い物をどんどん洗っていく。
もちろんドリンクも、俺が担当する。
普段動かない坂田に、本来のキャッシャーの動きを見せつける意味合いもあった。
嵐のような忙しさの中、必死に業務をこなす。
パスタの麺を二人前茹でる。
片方の鍋でカルボナーラ用のソースを作る。
「八卓さんマイクロ五百ドル」
一旦キャッシャーへ戻り、八卓へ五百ドル送る。
五万円を受け取り、財布へ入れた。
客の収支表へ、八卓の欄へ『М五百』と記入。
再び厨房へ。
パスタなどに使う玉ねぎを切り刻む。
冷蔵庫から卵を三つ取り出しておく。
「二卓さん、コーラ」
「はい、コーラ」
「九卓さん、クルーズ百」
「はい、九卓様、クルーズ百ドル入ります」
最優先は客のINとOUT。
収支表に書き忘れると客の計算がすべて狂うので、絶対にすぐ記入する。
一万円を受け取る。
パスタの茹で時間のタイマーが鳴る。
ザルに麺を写す。
「一卓さん、ホットサンド」
「はい、ホットサンド了解」
まだホットサンドは手をつけてないから、全部で二つ。
ナポリタン、カルボナーラを各フライパンで仕上げる。
「はい、ナポリタン、カルボナーラお待ち」
熱い内にフライパンを洗う。
次は客の質を考え、吉田のおにぎりセット優先で作るか……。
早く新人入って欲しいなあ。
一通りのオーダーを作り終え、キャッシャーにいながらタバコを吸う。
坂田が近付いてくる。
「岩上さん……」
「はい、何でしょう?」
「実は今日…、別れた女房と休憩時間に会って話す予定だったんですが、この状態じゃないですか……」
まだ誰も帰らず満席状況。
ただ坂田にとっては元女房を待たしているようだ。
料理はほとんど出たし、一時間くらいなら俺一人で何とか頑張れるかな……。
深夜二時。
「いいっすよ。休憩行って。とりあえず一人で頑張りますますよ」
「すみません、岩上さん……」
「すみませーん」
「はい、只今!」
俺が四卓のINを受け取る間に、坂田の姿は消えていた。
ホール、キャッシャー、ドリンク作り、洗い物。
一人になり、てんてこ舞いで必死に店を回す。
ディスペンサーのコーラが切れる。
さすがにこの状況で、替えている暇はなかった。
「すみません、吉田さん…。コーラが切れてしまいまして……」
「じゃあ、アイスコーヒーのブラックお願いできますか?」
「畏まりました」
これでグラスも洗わないと最後。
大急ぎで溜まったグラスを洗う。
「すみませーん」
「はい!」
シンクの水を出しっ放しのまま、ホールへ向かう。
「はい、五卓様、マイクロ二十ドル……」
キャッシャーへ戻り、INを入れる。
数字を記入する。
洗い場へ戻り、グラスを洗う。
「すみません、炒飯お願いします」
「は、はい、炒飯!」
目の回るような忙しさ……。
チラッと時計を盗み見る。
三時まで、あと十分。
それだけ頑張れば坂田が戻ってくる。
炒飯を作り始める。
「すみませーん」
「はーい!」
火を止めてホールへ。
「烏龍茶いいですか?」
「あ、バナナジュース下さい」
「はい!」
ドリンクを先に作る。
バナナジュースのミキサー掃除は後回し。
炒飯を再開する。
「すみませーん」
「少々お待ち下さーい!」
やっぱり一人じゃ限界がある。
せめて料理がなきゃな……。
愚痴をこぼすなって。
酒井さんの恩義に報いるんだろ?
自身を叱咤激励し、身体に鞭を入れた。
一旦火を止めてと……。
「はい!」
「五百ドルOUTで」
「はい、七卓様、クルーズ五百ドルOUT」
キャッシャーへ戻り、五百ドルを抜く。
紙に書く。
財布から五万円取り出す。
吉田へ手渡す。
炒飯、最後の仕上げ。
佐藤あみが帰る。
真澄も帰る。
台の清掃はとりあえず後回し。
炒飯を作り上げ持って行く。
インターホンが鳴る。
やっと坂田が戻ってきたか……。
一時間でかなりヘトヘトだ。
モニターを見る。
「……」
映ったのは、ガシリ屋ヤスだった。
時計を見る。
真夜中の四時半。
坂田…、あの野郎、何をやってんだ?
電話を掛ける時間すら無い。
二時半も経つ。
一時間じゃねえのかよ?
何やってんだ、アイツ……。
殺してやる……。
いや、それよりピザトーストと、サンドイッチ作らなきゃ……。
あ、それより前にアイスコーヒー有り有り。
えーと…、八卓が二百ドルINで、三卓が三百ドルOUT。
一つ一つを間違いなく正確にこなす。
『萌』軍団帰り。
清掃は後回し。
吉田さんがIN三百ドル。
さくら帰る。
「あ、岩上さん」
「はい」
「『ボヤッキー』のところのキャッチ軍団いるじゃないですか?」
「ごめん、今ほんと忙しいから後にして」
ヤス、邪魔だから早く帰らないかな……。
溜まった皿、グラスなどを一気に洗う。
帰った卓の清掃しなきゃ……。
「岩上さん、岩上さん」
またヤスが話し掛けてくる。
「はい……」
「それでキャッチ軍団がですね……」
「ごめん! ほんと後にして……」
整理しろ。
七卓、吉田。
青柳、前田は帰り……。
十に谷口。
二卓ヤス……。
あと三名だけじゃん。
落ち着こう……。
ディスペンサーの空になったコーラを変える。
「岩上さん、冷茶を」
「はい、ヤス茶……」
お茶出して、グラス洗って……。
えーと、次は何だっけ……。
一旦一服しよう。
後片付けとか全部後回し。
まずは肺にニコチンを入れないと。
あー、セブンスター旨い!
よし、えーと、シンクをまず綺麗にしよう。
食事は全部出しているよな?
コーラを変えなきゃ…、あ、さっき変えたか……。
時計を見る。
朝六時……。
坂田…、あの野郎、一体何をやってんだよ……。
疲労困憊とはこの事だろう。
自身を追い込むトレーニング以外で、こんなにヘトヘトになったのはおそらく人生で初。
吉田、谷口と立て続けに帰り、残りはヤスのみ。
早く帰らないかな、このゴミは……。
一日の〆作業をする。
本日の上がり二百万。
番頭の高星から電話が掛かってくる。
今日のトータルINやOUT、入客数、売上を伝える。
「何か変わった事はありますか?」
まさか坂田の事を言う訳にもいかない。
言った時点で、クビになるだろう。
この忙しさを今後俺一人では、さすがに無理だ。
「と、特には無いです」
「じゃあ岩上さんが、事務所へ売上持ってきてもらえますか?」
「あ、高星さん! さっきまでずっと満席でして、少し前に坂田を休憩に入れたばかりで今自分一人なんですよ。坂田戻ってきたらでも、よろしいですか?」
「あ、忙しかったんですね。お疲れ様でした。分かりました、出る時連絡下さい」
「畏まりました」
電話を切る。
何で俺は、こんな状況にいながら坂田の馬鹿を庇ったんだ?
頭がうまく回転していない。
早くヤス帰れよ……。
八時半になり、ようやく坂田が戻ってきた。
怒鳴りつけようとしたが、ヤスが盛りのついた犬のように坂田へ話し出す。
「す、すみません、岩上さん……」
俺は崩れるように椅子へ座る。
「何をやってんだよ!」
「すみません…、つい寝てしまいまして……」
あんな満席状態を抜け出して、しかも六時間半も寝ていただと?
「テメ…、……っ!」
携帯電話が鳴る。
高星から。
「あれ、坂田まだ戻らないですか?」
「あ、すみません。本当に今戻ったところなので、今から向かいます」
電話を切り、坂田を睨みつける。
「す、すみません…、岩上さん」
「高星さんところ金届けてくるから」
「は、はい」
事務所へ行きながら坂田の件をどうするか考えた。
二人しかいないのに、あり得ない行為。
仕事時間の半分以上いないなんて、前代未聞だ。
正直に伝えるか……。
いや、さっき俺は高星に電話で誤魔化してしまっている。
今さら坂田が実はと言ったところで、では何故さっきの電話の時言わないのかと問い詰められるだろう。
正確はさっきの電話の時に坂田は帰って来なかったのだから、正直にありのままを伝えれば良かったのだ。
いくらヘトヘトで頭が回転してなかったとはいえ、俺の判断はおかしい。
結局高星へ売上を渡しても、俺は何も言えなかった。
仕事に穴を開けるあんなクソのような奴と、俺は今後一緒にやっていかなければならないのだ。
店に帰り早番が来ると、俺は今すぐにでも横になりたい疲労感に襲われ、近くのホテルへ泊まった。
遅番に新人の佐久川が入る。
坊主頭でメガネ、但し背は小さい。
百六十センチも無いのではないだろうか。
彼の姿を見ていると最近連載が始まり人気のある『進撃の巨人』に出てくる小さな巨人を連想した。
インカジ未経験なので、俺が仕組みを一から教えた。
料理のほうは卒なくこなしてくれるので、ちょっとした戦力だ。
坂田が休みを取りたいと言ったので許可を出す。
彼もオープンしてから一日も休んでいないので、たまにはのんびりしたいだろう。
俺がキャッシャーをやりつつ、佐久川の動きをフォローすれば何とかなる。
谷口は毎日のようにうちの店へ来ているが、キャバクラは辞めたのだろうか?
佐藤あみは一人で『バラティエ』に来る。
相棒の池田由香も連れて来て欲しいところだが、変な勘ぐりをされても嫌なので普通に接客した。
吉田はいつもの七卓へ座り、当たり前のように五万円を負けていく。
月で見ると、百万円以上は負けているのでよく金が続くなと感心する。
伊達が店に来た。
「あれ、伊達さん、今日は休み?」
「いや、それがですね…、小沢さんっていたじゃないですか」
「ええ」
「あの人がスロットの設定をミスっちゃって、従業員二人も雇えないと俺が抜ける形になっちゃったんですよ」
「は? 何ですか、それは?」
元々は伊達が任されていた店だったはず。
「オーナーが代わったと言ったじゃないですか。その時オーナーサイドで用意された人間が小沢さんだったんですよ」
「設定間違えて、余裕ないから伊達さんをクビって、ちょっと酷くないですか?」
「まあ、そうなんですけどね…。あと小沢さんが、岩上さんにまだ店のもの少し作ってもらいたいみたいで……」
「いや、伊達さん抜けたし、俺はあの日仕事を休んでまで作業したんですよ。それでニーハオでご馳走になっておしまいだったじゃないですか。だからもう俺は手を貸したくないですよ」
「あ、やっぱり小沢さん、岩上さんへ謝礼も何もしなかったんですね」
「わざわざ仕事休んでまでやる事じゃ、ないじゃないですか。あの時は伊達さんの顔を立てる意味合いで動いたまでで。俺とは関係ない店ですからね」
「何か本当にすみません…。今日ここで遊んで仕事終わったら飲みに行きましょうよ。奢りますよ」
「いやいや、伊達さん無職になったばかりじゃないですか。あ…、待てよ……」
「ん、どうしたんですか?」
今日明日と俺の地元川越では提灯祭りだったよな。
明日は二十九日の日曜だし、伊達を川越に連れて行くのも面白いかもしれない。
「伊達さん、俺は川越から来ているじゃないですか」
「ええ」
「今日明日と祭りなんですね。川越祭りほど規模は大きくありませんが。良かったら俺の仕事明け、一緒に川越に来ます?」
「面白そうですね! 行きます行きます」
だとしたら、明日休みが欲しいな……。
店の携帯電話に着信が入る。
坂田からだ。
ちょうどいい。
「あ、坂田さん。急で悪いんですけど、俺明日休みもらってもいい?」
「いいですよ」
「良かったあ」
「それでですね、岩上さん」
「ん、何でしょう?」
「朝には戻すんで、店の回銭から二十万貸してほしいんですよ」
「はあ?」
「朝にはちゃんと戻しますんで」
一番やってはいけないパターン。
店の金に手をつける。
それを坂田は堂々と言ってきていた。
「いやいや、駄目でしょ。どうしてもと言うなら、番頭の高星さんに許可を得てからにして」
「そこを何とかお願いします」
「いや、絶対に無理。現時点で店の金は俺が管理しているし、何かあったら俺の責任問題になるからね」
「朝には戻しますって」
「だから、それなら高星さんに今から連絡するよ」
「分かりました。じゃあいいです」
電話が切れた。
考えてみれば俺や高田、それ以下の従業員は時給千円で仕事をしている。
坂田だけ名義料として毎月三十万円の金をもらっているのだ。
俺たちと坂田の収入は、倍くらい違う。
それでいて金にだらしない性格。
『餓狼GARO』の名義青柳もかなりどうしょうもなかったが、坂田も酷い。
そういえば青柳の野郎、俺が貸した金をまだ返さずしれっとあの時帰りやがった。
今度新宿の番頭の根間に連絡してやるか。
深夜二時頃になり、このビル一階のお触りパブ『萌』の従業員がそろそろ来る時間だ。
インターホンが鳴った。
『萌』の従業員である小坂の顔がモニタに映る。
「佐久川さん、お客さん」
「はい」
佐久川がドアを開けると小坂のあとに、何故か坂田も一緒に入ってきた。
結構酔いが回っているようだ。
「今日はね…、小坂さん…。絶対に勝たへまっから」
小坂が九卓へ座り、坂田も隣の十卓へ腰掛けた。
他の客がいるのに何をやってんだ、コイツ?
「ほらほら、小坂はん。こりを使って」
坂田は呂律が回ってない状況で、現金三万円を小坂へ手渡している。
大方一階の『萌』で酒を飲んで酔っ払い、最近負けの続いていた小坂をうちの店に誘ってきたのだろう。
「すいませんねー、坂田さん。じゃあこれを」
「九卓様マイクロ三百ドル、サビ込みで三百三十ドルお願いします」
「はい、九卓様マイクロ三百三十送りました」
小坂のINが終わると、坂田は財布から十万円を取り出し佐久川へ渡している。
戸惑う佐久川を見ながら「早く入れて、クルーズね」と言い出す。
俺はキャッシャーから飛び出し、十卓の坂田の元へ向かう。
「何やってんだよ? 従業員が打っていいわけないだろ?」
「あ、岩上ひゃんじゃないれすか…。先ほどの二十万は、もう大丈夫れすから。とりあえずこれを」
「これをじゃねえって! 何考えているんだよ!」
休みとはいえ俺と坂田はこの店の従業員同士。
他の客が打つのを止めて、俺たちのほうを見ていた。
コイツ、せっかく店の調子が良くなってきたのを壊すつもりかよ……。
インターホンが鳴る。
他の客まで入店してきた。
一気に忙しくなったので、仕方なく坂田のINも受ける。
客席は八卓ほど埋まり、食事の注文も入り、ちょっとしたパニック状態。
まだ一人でなく、佐久川がいるから助かっている部分もある。
調理とドリンク、キャッシャーは俺が引き受け、佐久川にホールを担当させた。
「いいかい? 焦らずちゃんとお金を数えてから間違いなくコールしてね」
「分かりました」
こんなクソ忙しい状況の中、何故従業員である坂田の馬鹿は、平気で客に混じって打っていうのだ?
調理をしながらキャッシャー。
ドリンクを作りながら、溜まった洗い物をしていく。
あまりの多忙さに坂田へ文句を言いにいく暇さえ無い。
「えー、十卓様クルーズOUTお願いします」
佐久川のコールが聞こえた。
俺はキャッシャーのモニターで確認する。
「……」
クレジット三千ドル。
コイツ、店から二十万円も勝ちやがって……。
OUTはOUTなので、仕方なく現金三十万円を渡す。
「もう一軒行きまひょう、小坂はん」
坂田が小坂を促し立ち上がる。
「今日従業員二名れすね? これ、祝儀れす」
そう言いながら坂田は二万円を渡してきた。
「いらないって、そんなの!」
坂田はキャッシャーのテーブルへ二万円を置くと、そのまま店を出ていく。
「本当にあのクソ野郎が……」
「どうすんですか、この二万」
「まあいいよ、二人で一万円ずつ分けよう」
名義社長という立場を坂田は明らかに勘違いしている。
俺が仕事へ穴を開けた時に、高星から庇ってしまった事からすべては始まった。
いや、仕事中もキャッシャーのみで動こうとしないから、はなっから性格が腐っているのだ。
今日仕事が終われば、伊達を連れて川越の提灯祭りへ行く。
明後日出勤して、坂田の行動を見てから色々考えるか……。