2025/01/28 tue
前回の章
最近のルーティン。
夕方六時半の西武新宿線小江戸号へ乗って西武新宿駅へ。
だいたいキャバクラ『ルベス』の出勤三十分前には到着する。
休みは適当でいいらしいので、コロボックル真紀美から飲もうと誘われた日に、休みを取るようにした。
外見だけ目の保養になるような着飾ったキャバ嬢たちの中で働く俺。
『ルベス』は客前と、スタッフたちとで豹変するような子は見当たらない。
逆に客がスタッフに対し横柄な態度をした時、うまい具合にフォローしてくれる子もいた。
女性が主役の場の仕事は初めて。
不慣れな職場ではあるが、どんな状況にあろうとも、一ヶ月もしないでここは終わる。
『ルベス』の男性スタッフ陣は、社長を始め、みんな俺に対しよく接してくれた。
仕事終わりに「岩上さんも、ラーメン一緒に食べに行きませんか?」と声を掛けてもらう。
たまには酒を飲みながら、始発で帰るのも悪くない。
始めは苦手意識があったキャバクラであるが、実際に働いてみると、勉強になる部分も多く面白く感じる自分がいた。
主任を務める阿久津は、髪型をワックスで固めているのか怒髪天を衝くようなハリネズミヘアー。
しかし外見とは裏腹に接客レベルは中々ピシッとしており、目を見張るものがあった。
スタッフ同士の中では口下手なほうだが、それでもちょっとした会話をしてくる。
俺は短期間しかいないので、小説『新宿クレッシェンド』の事や、格闘技の事は伏せておいた。
阿久津は暇な時やたら話し掛けてくるようになり、一応ここで働いてはいるが、その実態は…と、勿体ぶった言い方を絶えずしてくるようになる。
差し障りない程度の会話しなかった俺に業を煮やしたのか、阿久津は自分が実はレーサーだと告白してきた。
元々レース自体に興味は無かったが、それでも凄いですねと褒めておく。
そういえばうちの親父も、俺が生まれる前は道楽でレースを走っていたようだ。
未だ若い頃の写真を自分の部屋に飾っている。
「俺はな、国際B級のレースの免許を持ってんだ」が口癖だった親父。
阿久津がどのレベルのレーサーなのかは分からないが、ここ『ルベス』で働き食い繋がないといけない状況から、レース一本では食べていけないのだろう。
俺自身が思うプロの定義。
それはその職種一本で生活できて、初めてプロと言えるのではないかと思う。
つまり、格闘技でも小説でも食えていない俺は、アマチュアと変わらない。
本を世に出した時にやっと芽が開いたと思ったが、ただの勘違いだった。
俺が芽を出るのはいつになるのだろうか……。
こうなりたい。
ああいう風に生きたい。
いくら理想を求めても、それを叶える力が無い人間は、妥協しながら生きていかなければならない。
俺もそんな妥協をしながら日々を必死に生きる一人だ。
同じ接客業なのに、浅草ビューホテル時代の経歴など何も考慮されない世界のキャバクラ。
時には若い客から大声で怒鳴られたり、キャバ嬢からアゴで使われる事もある。
ここでは悔しいとかムカつくといった負の感情は、何一つ抱えない事が得策だ。
俺は池袋の新店がオープンする時期までここで、何があっても問題を起こさず平穏無事に堪えねばならない。
感情を殺したメイドロボットになれ。
「おい、早くタバコ買って来いよ!」
まだ二十歳そこそこの若僧の客に千円札を投げつけられながら、命令される。
「畏まりました。少々お待ち下さいませ……」
片膝をつきながら、札を拾う。
これも仕事の内。
彼らがここでこうして金を落としていくから、俺たちスタッフの給料がもらえるのだから。
過去俺が客として、キャバクラへ遊びに行っていた時を思い出せ。
キャバ嬢を口説くのに夢中で、男子スタッフへ気を使った事などあったか?
そんな気遣いなど毛頭も無かった。
自分が逆の立場になったから不満を覚えるのは、都合が良過ぎる。
「ちょっとー、いくら客だからって、そういう言い方しちゃ駄目でしょ! 態度悪過ぎ」
この席に着いていたキャバ嬢のいろはの声が聞こえた。
たくさんいるキャバ嬢の中で、いつも男子スタッフにまで気に掛けてくれる子。
このようなキャバ嬢もいるのだなあと不思議な感覚に陥る。
可愛らしい感じが売りのいろは。
今までキャバクラへ行った場合、綺麗系の子を好んで指名していたが、こういうタイプの子も有りなんだなあと正直に思った。
本意ではないが、キャバクラの内側からキャバ嬢を観察するのも面白いものだ。
帰りの車の中、いつも共に同乗する『ジェントルマンクラブ』で働く谷口。
彼は川越の笠幡に住んでいるので、俺の家よりもさらに奥へ行くようだった。
岩上家を見た谷口は、不思議そうな表情で俺に尋ねてくる。
「岩上さん家、この間降ろした時見ましたけど、凄い大きな家じゃないですか。何で歌舞伎町のキャバクラなんかで、働いているんですか?」
何と答えたらいいやら……。
家の事情を話すには少し違う気がするし、素直に池袋の新店の話をすればいいか。
俺は酒井さんの名前は出さずに、池袋の店がオープンするまでの繋ぎだと説明する。
谷口は、何故歌舞伎町で俺が働いているかよりも、インカジとは何かに食いついてきた。
「谷口さん、バカラって分かりますか?」
「いえ…、ギャンブルやった事が無いので」
俺はバカラを始め、ルーレットやブラックジャック、ポーカーなど様々な賭博の種類を説明する。
「それがパソコン一台でできるもんなんですか?」
インターネットカジノをまったく知らない人間からすれば、いくら口で説明したところで分からないだろう。
「今度送りの車じゃなくなるけど、一度インカジへ一緒に行ってみますか? 帰りは電車で、俺の家まで来れば、家の車で谷口さんを笠幡まで送って行きますよ」
「へー、じゃあ岩上さんと休みが被った前日の仕事終わりにお願いしますね」
「じゃあ今度同じ休みの日を取るようにしましょうよ。俺もあと『ルベス』にはあと数週間しかいないし、こうやって一緒に帰れるのも、それまでだし」
俺たちは同じ日に休みを入れる約束をして、その日は別れた。
悪いところだけ探して嫌な気分になるくらいなら、発想の転換でいくらでも面白くなるようにできる。
まさか同じ方向の帰り道の車で、彼とこんな風な流れになるとは思わなかった。
すべては自流の流れに沿って……。
休みの日はコロボックル真紀美と飲む約束をしていたので、夕方になると約束した店へ向かう。
川越祭りの町内の組織、俺が所属する連々会と真紀美が所属する雀會。
彼女はこの輪を広げたいと希望していたので、今日は俺と真紀美だけでなく、それぞれ一人ずつ誰かを連れてくる約束をした。
クレアモール商店街にあるKスクエアービルに入っている焼肉の満太郎。
このビルは作られた当初、ゲームショップ『シータ』や地下にはセガのゲームセンターが入っていたが、ヤクザ者に所有権を乗っ取られたらしく、閑散としている。
俺が予約した満太郎以外に、店舗はイタリアンの店だけしか入っていない。
「岩ヤーン」
中学時代の同級生である飯野君が手を降っている。
連々会の中でプライベートで飲むような仲のいい人間は、そういなかったので、今回彼を誘ったわけだった。
少し遅れて真紀美は、同じ雀會の山田直子を連れてくる。
歯医者をしている山田直子は、牛乳瓶の底のようなメガネを掛けている。
一度メガネを外した顔を見た事あるが、中々の美人で最初誰か分からなかったほどだ。
「あー、直子さん、またメガネ掛けてる。掛けないほうがいいと言ってるのに」
「私、コンタクトが苦手なのよー」
昔はスナック女で松永さんの元婚約者知子と常に一緒にいた真紀美だが、ここ最近では直子とコンビを組み出したようである。
「あ、マキさん。こちら俺の中学時代の同級生の飯野君。連々って訳じゃないんだけど、毎年祝い金包んでくれててね」
「へー、偉いねー。今日はよろしくお願いします」
「マキさんは今日腹パンパンになるまで肉を詰め込まなきゃね」
「何でよー」
「じゃないと、いつまで経っても背が伸びないから」
「もう! 蹴るよ?」
「フン、チビっ子に蹴られたところで、この鋼鉄の肉体は傷一つつかぬわ」
「もうー!」
真紀美は短い手足をブンブン振り回す。
飯野君と直子はそれを見て大笑いしていた。
新宿歌舞伎町で働く俺が、唯一普通の一般人としていられる空間。
俺にとってかけがえのない人間たち。
今日は肉を食べながら英気を養い、また明日から新宿での生活が始まる。
基本的なウェイターの業務をこなす日々。
「岩上さん、すみません。ガラスクリーナーを買ってきてもらってもいいですか」
「はい、了解しました」
金を受け取り店を出た。
道路を渡れば目の前にはテンドラックの薬屋がある。
以前は風林会館内にある喫茶店『パリジェンヌ』だったが、銃撃事件以降客入りが悪くなったのか規模を半分ほどに縮小し、新しくできたのがテンドラックだった。
ここは薬以外にもちょっとした食料品やドリンク、日用品なども売っている。
ガラスクリーナーを買い、道路を渡ってビルへ入ろうとすると、背後から声を掛けられた。
振り向くとゲーム屋『チャンプ』時代の客の内藤だった。
俺が二十代半ばの頃だから、十数年ぶりの再会。
それにしてもよくもまあこれだけの年月が経ったのに、俺を認識できたものだ。
「久しぶりだねー、まさかあの当時のゲーム屋の従業員と会うなんて思わなかったよ」
「自分もまさか内藤さんとこんなところで会うなんて、想像もしなかったですよ。十五年ぶりくらいじゃないですか?」
「そんなにあれから経つのかー。今岩上ちゃん何の仕事してるの?」
「池袋でインカジがオープンするまでの間だけ、このビルにある『ルベス』にお世話になっているんですよ」
「ゲーム屋?」
「もう歌舞伎町にゲーム屋なんて無いと思いますよ。キャバクラです」
「え、キャバ? 安くしてくれるなら顔出そうかなー」
「んー、ちょっと店長に昔からの知り合いなんでと交渉してみましょうか?」
「おお! 嬉しいねー」
そういえば買い物の途中だったっけ。
俺は内藤と共にビルへ入ろうとすると、背後から「あれ、岩上さん?」と声を掛けられた。
振り向くと酒井さんが一人の男性を連れて立っている。
たまたま買い物を頼まれ買い出しに行った帰り道に、内藤、酒井さんとバッタリ会う。
もの凄い偶然だ。
「岩上さん、こんなところでどうしたんですか? ホール仕事ではなく早速外で客引き任されているんですか?」
「いえいえ、買い物の帰りにゲーム屋時代のお客さんと偶然バッタリってだけなんですよ。酒井さんはどうしたんですか?」
「ちょっと岩上さんの仕事ぶりをと思いましてね。あ、こっちが今度の新店で番頭をする高星です」
「高星です。岩上さんの噂はかねがね聞いております。池袋でもよろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしくお願いします」
俺たちは、四人でエレベーターへ乗り込んだ。
キャバクラで派手に使う客の場合、百万円超えもいる。
そういう客は大抵ビップルームに入り、キャバ嬢へガンガン酒を飲ませ、シャンパンを何本も開ける。
社長や店長なども同じ席に着いて酒を飲み、中には飲み過ぎでホールを歩きながらその場で倒れるキャバ嬢もいた。
中にはAV女優兼キャバ嬢をする子もいる。
顔だけで選ぶとしたら、純奈というキャバ嬢が一番可愛かった。
きっと整形もしてるのだろうが、こんな綺麗な女が実在するかと思うほどである。
しかし男子スタッフには妙にツンツンし、プライドの高さが伺えた。
それでいて社長や店長には笑顔で猫なで声を出すのだから、裏表が激しい性格なのだろう。
外見を綺麗に着飾る事だけに特化した女たちが、金持ちと結婚して子を設ける。
世の中、馬鹿なガキがどんどんこうして増えていくのだなと思う。
目の前にいる女たちは、一般で働く一線を越えて金だけを追い求める集団。
金と美貌のみしか興味がない。
めぐみというキャバ嬢はドレスを着ているが、客席へ向かう途中自分でドレスの裾を踏み前のめりに派手に倒れた。
運動神経ゼロなのか思い切り顔面を床に打ち、鼻血を出して泣いている。
あまりにも滑稽過ぎて、俺はトイレへ駆け込み一人で吹き出して笑った。
明日休みなので、仕事終わり送りの車はキャンセルし、谷口と合流する。
インターネットカジノは完全な初心者の谷口。
バカラをやってみたいと言うので古巣の『牙狼GARO』へ連れて行く。
酒井さんと俺の関係性を知らされているのか、猪狩は普通に俺と谷口を出迎えた。
渡辺はこの店を辞めたようだ。
今度久しぶりに連絡してみるか。
五卓に谷口を座らせ、俺は補助椅子をもらい隣でバカラの説明をする。
「本線って言うのは、プレイヤーかバンカーのどっちに張るんですね」
「そうですそうです。引き分けはタイ。もし本線に張ってタイだったら、賭け金はすべて戻ってきます。あとのペアとかボーナスは、やりながら説明していきますね」
「分かりました。じゃあプレイヤーに千円張りますね」
モニターに映るディーラーがカードを並べ、札をひっくり返す。
プレイヤーがキングと八。
バンカーがジャックと六。
九に近い数字のほうが勝ちなので、プレイヤーの勝ち。
谷口は千円張っていたので、倍の二千円になって戻ってくる。
「勝ちました! バカラって面白いですね」
バンカーで勝った場合のみ、バンカーコミッションが発生し、賭け金の五パーセントをとられた金額になる。
つまりバンカーへ千円張って当たると、五パーセントを引かれた千九百五十円が戻ってくるわけだ。
谷口は俺が過去に作ったフードメニューを見ている。
「これ、全部無料なんですか?」
「ええ、もちろんです」
「インカジって凄いんですね!」
「まあこの店が特別ってのもありますけどね」
耳元で小声で囁くようにに伝えた。
「ホットサンド頼んでみようかな……」
俺は従業員の前田に食事を頼む。
谷口はギャンブルセンスがあり、一万円の金を六万まで増やしていた。
「中々谷口さん、筋がいいですね」
「面白いですよ、バカラ」
そりゃあ勝っているのだから、楽しいだろう。
ギャンブルなんてそんなものだ。
「はい、ホットサンドお待たせしました」
谷田川が二皿持ってくる。
「え、俺の分なんて頼んでいないのに」
「せっかくなんで、どうぞ」
変な気遣いの谷田川。
俺が酒井さんの新店の責任者で行く事を聞いているせいか、コイツなりに気を遣っているつもりなのだろう。
だが俺が辞める時に、谷田川の本性は知っている。
「お疲れ様でした」の挨拶一言すらなく無視した男。
俺は社交辞令で「どうも」とだけ、お礼を言っておく。
始発が出る時間になると、谷口を促して西武新宿駅へ向かう。
川越に到着し、家まで向かい車で彼を送り届けた。
三万円勝ちの谷口は、家に帰るまで終始笑顔だった。
車で家へ戻ると、すぐ横になる。
今日は休みで夕方から真紀美と飲みに行く約束をしてあった。
クレアモール商店街の湯遊ランド向かいの安田ビル地下一階に、良さげなバーを発見したので、彼女をそこへ連れて行く。
様々な酒に対するウンチクを話しながら、真紀美へカクテルを勧める。
「智君て前は浅草ビューホテルでバーテンダーだったんだもんね。そりゃあ、お酒詳しいわけだわ」
俺はいつものグレンリベット十二年をストレートで飲み、チェイサー代わりにジントニックを注文。
酒があまり強くない真紀美には、アルコール度数低めのバレンシアを勧めた。
「智君の勧めるカクテル、全部美味しいね」
「まあマキさんの飲みたい酒の好み聞きながら、そのイメージに合うカクテルをチョイスしてますからね」
年齢も一つしか変わらないので、真紀美との会話はとても合う。
近所だけあって、俺の家の内情にも詳しい。
これほど話しやすい異性も、そういないだろう。
皮肉な事にあれほど俺と揉めた親父が雀會会長の時に、囃子連へ入った真紀美。
以前俺が執筆した『鬼畜道 〜天使の羽を持つ子〜』を読んで初めて家の内情を知り、衝撃を受けたらしい。
真紀美も最初俺と知り合った頃は、親父の事を良く褒めていた。
「昨日ね、智君のお父さんからご馳走になっちゃってね。格好いいしお洒落だし、明るくて面白くて本当にいいお父さんだよね。羨ましい」
真紀美が親父の事で、初めて話してきた時の台詞。
これは何も真紀美だけではない。
雀會メンバーの特に女性会員は、声を揃えて同じ事を言う。
決まって不機嫌になる俺。
人を見る目が無さ過ぎると、いくらムキになったところで、俺の家の中の苦悩など分かるはずも無かった。
まだパソコンのパの字も無い二十代前半の頃の話。
俺が小説を書くようになり、やがて自身の半生を描いた『鬼畜道 〜天使の羽を持つ子〜』の執筆に取り掛かる。
当時ミクシィで文学について切磋琢磨したしほさんに読ませる意味合いで、俺は執筆中の作品をインターネット上にアップするようになった。
ミクシィでもマイミクだった真紀美は、そんな俺の作品に興味を持つようになり、親父の過去しでかした暴威を知る。
町内では一番の人気者で通った親父の本性を知った時は、さすがに衝撃だっただろう。
そして作品を通じて俺に興味を持った真紀美は、プライベートで飲みに行くような流れとなった。
地元川越に住みながら、新宿歌舞伎町へ仕事に行く俺。
周りから見てもかなり異質な生き方であり、生活だろう。
色々してみて結局歌舞伎町で生計を立てるしかなかった。
それもあと十日もせずに、舞台は池袋へ移る。
こうして休みの度に酒を付き合ってくれる真紀美には、感謝をしていた。
会計時、当然俺がすべて払う。
それでもお金を出そうとする彼女。
「俺は男だから金払うのは当たり前なんです」
「毎回毎回じゃ悪いよー。これだけでも受け取って」
「いりませんって! マキさんの子供たちに何かお菓子でも玩具でも買ってやればいいですよ」
「いつもいつもじゃ悪いって!」
中々引き下がらない彼女。
もちろん一円だって受け取る気はないが、こうまで頑なに金を出そうとする真紀美のこのような姿勢は、とても気に入っていた。
実質働く日は、残すところ一週間くらい。
池袋へ移る日が徐々に近付いている。
キャバクラで働く生活は本意ではないが、人間関係はとても円滑なので、少し淋しい気持ちもあった。
あと少しで池袋。
これまで仕事の場所をほとんど新宿で過ごしてきた俺。
SFCGや岩上整体時代は川越だが、それでもすべて合わせて二年程度。
二十半ばから考えると十数年この歌舞伎町にいる事になる。
もうかなりの古参だ。
旅行をしない俺は、川越と新宿以外ほとんどの土地を知らない。
自衛隊で北海道の倶知安に住み、浅草ビューホテルで浅草。
まあこの辺も多少は詳しいか。
八景島シーパラダイスで横浜の金沢八景にいたのも数ヶ月だし、裏ビデオで秋葉原もあれは山下を行かせていただけで、俺はほぼ新宿にいただけ。
そう考えると、大阪などの関西方面でも、一度くらい旅行へ行ってみたい気がする。
それより南は……。
九州は過去のストーカー女系の怖さを思い知ったので、あれから随分経つが苦手意識があった。
沖縄…、妹代わりに可愛がったミサキが住む場所。
気付けばお互い連絡を取らなくなってしまったな。
今度たまにはメールでもしてみるか。
「岩上さん、どうしたんですか? ボーっとして」
十九歳コンビの岡部と小林が声を掛けてくる。
「いや、昔を懐かしんでいただけ」
もう少しでキャバクラの営業時間が終わる。
「今日吉本さんが、終わったらラーメン屋行かないかって聞いてましたよ」
「俺たちは行きますけど、岩上さんはどうします?」
「よし、俺も行くよ」
従業員の吉本は、俺が入った頃からよく気遣いをしてくれる。
高校時代サッカー部にいた同級生の清川に似ている吉本。
すぐいなくなる俺にまで、いつもこうして誘ってくれるのは嬉しかった。
帰りの送迎の車をキャンセルして、吉本らとラーメン屋へ向かう。
他愛ない世間話をしながら酒を飲み、ラーメンを啜る。
吉本が会計をすべて払おうとするので、せめて俺と割り勘で提案した。
ラーメン屋の前で解散し吉本と別れるが、まだ時間は深夜三時半。
始発が出るまであと一時間ちょっと。
俺のあとを岡部と小林が付いてくる。
「岩上さん、うちらも送りの車断っちゃったから、行くところ無いです」
「串カツでも食うか。ご馳走するよ」
さくら通りと元コマ劇場前通りが交差するところに、串カツ屋があったので入る。
適当に串カツを注文し、再び乾杯。
「あのー、ここはせめてボクタチも出しますよ」
「馬鹿野郎! 二十も年の離れた人間とプライベートで飲んで、割り勘なんて、絶対そんなのは駄目だ。素直に奢られろ」
「でも、さっきのラーメン屋でも出してもらったし……」
「いいんだよ、それで。まだ十九歳だろ? おまえたちが俺くらいの年齢になった時は、無理してでも下の人間にご馳走してやんな。俺も先輩たちから、そう言われて若い頃はご馳走になってきたんだ」
「はあ…、そういうもんなんですね」
「だから下に奢れる金が無い時は、酒なんか付き合わず、真っ直ぐ帰ればいい」
「へー、何だか格好いいですね」
「たまに年下だろうが、立場が下の人間だろうが、構わずたかる駄目な奴いるけどね。そういうのは本当の屑だから、相手しちゃいけない」
「そういう人もいるんですね」
「実際に存在するのは確かだよ。俺も過去に何人かそういうの食らったから」
まずスリーエスカンパニーの平子。
変な教材売りの仕事の時の大和。
二十歳前後の俺から金を毟り取った屑たち。
『新宿クレッシェンド』で賞を取った日の夜、強引に寿司屋へ連れて行かれ金をたかった水野と日野もそうだ。
額はそうでもないが、花園新社のメガネも酷かったな。
佐藤って名前だったっけ?
こう考えると、表社会の人間のほうが、金に関して屑が多い気がする。
串カツ屋を出てもまだ始発が出る時間じゃないので、俺は伊達のいる裏スロ屋へ行く。
「どうしたんですか、岩上さん。若いの二人も連れちゃって」
伊達が笑いながら出迎える。
店内に誰もいないのを確認して、俺たちは中へ入った。
岡部は興味津々で裏スロを物珍しそうに眺めている。
「自分、こういうとこ初めてなんすよ。ここに千円入れればできるんですか?」
「できるけど、ハマるとキャバクラの給料じゃ追いつかないぞ」
伊達に今はキャバクラの『ルベス』で働き、もう少しで酒井さんの池袋のインカジへ行く流れを話す。
「そういえば村上いるじゃないですか」
「ええ、あいつが何か?」
「何かやらかしたみたいで、歌舞伎町から飛んだみたいですよ」
俺に名義の話を持ってきた村上について、伊達は情報をつかんだらしく教えてくれる。
あの時予想した通りだった。
名義を引き受けてからじゃなく、まだ事前の段階なだけマシだったのだ。
小林が横で見ている中、岡部はムキになってスロットを回している。
「おい、岡部。あんまりムキになるなって言ったろ」
「そうなんすけど、もう五千円も入れちゃったんすよ!」
「それ溶けたら店出るぞ。伊達さんにあんま面倒掛けるな」
「うー…、はい」
項垂れた岡部と小林を店の外へ連れ出す。
「二人とも、今日は絶対に遅刻するなよな」
「はーい」
俺は電車に乗って川越へ帰った。