明神池の耀き、この場にいることに感謝(撮影:2005年12月)
<明神池の歴史>
江戸期初期までは、小さな沼地でした。1650年からの小諸藩による蓼科山西側山麓から約55キロメートルに及ぶ堰(用水路)を開削することにより八重原新田開発が行われ、引続いての明神池が構築されました(1662年完成)。現在の明神池は昭和59年拡大工事完成によるものであり、数量14万トンを貯水出来る陽水方式(温まった水を供給する方式)のため池です。また水田への供給の役割にプラスして地域の消防役務(ヘリコプターによる消火作業への水提供)も果たしています。私的ですが、先人達は1590年の城明け渡によりこの地に移り、明神沼からの僅かに流れ来る水を飲み、稲作を営み、水車を回して生活をしていたようです。(古開の人達と呼ばれています。)