ニセコ雪崩情報も役割を終えようとしている。私自身はそう危機感を持っていないが関係者は私の年齢から情報の存続を危惧する。北海道新聞にも「高齢の」と書かれた。確かにそうだが失礼な話だ。私はまだ生きている。そもそもこの情報は事故の多発でニセコ町とともにやむを得ず始めたものだ。雪崩事故は吹雪の中で起こる。そんな日にはスキー場から外へ出なければ良い。アメリカ、ユタ州の雪崩センターが1970年代に出版した「雪崩」という本には「雪崩事故の8割以上が吹雪やその直後に起きている」と書かれている。また黒部の雪崩災害も吉村昭の「高熱隧道」にあるように猛吹雪の中で起きた。雪崩は吹雪の中で起こる。これは昔からの常識なのだ。私はこれをもとに事故防止に取り組んだ。そして成果を上げた。しかしそれが議論を呼んだ。理由は科学的エビデンスの無さだという。つまり科学者でもない私がこのような問題に取り組んだことが、批判の主な理由だった。私が修めたのは台湾の李登輝総統と同じく農業経済学だ。エビデンスが根拠という意味であることさえ最近まで知らなかった。
この国は権威主義への抵抗力に乏しい。特に役所とメディアにそれが顕著だ。知識人は学者の言うこと以外はその成果に関わらず尊重しない。人々は漠然とニセコ雪崩情報は属人的(?つまり私の)経験則によるもので科学的根拠に乏しく、だから検証して科学的に普遍化しなければならない。そう考えているようだ。私のしていることは占いや八卦の類と言うことなのだろう。しかし私は勘や経験で雪崩予測をしているわけではない。そもそも経験は役に立たないことを知っているだろうか。専門の学者でもない私の仕事は科学的ではなく信用できないというのは、それこそ非科学的な態度ではないだろうか。私は素人だが常に科学的態度でこの問題に臨んできた。
ヘルメットはともかく、ビーコンを常識にしようという流れは雪崩学の普及とともに広まった。学問的権威を後ろ盾とする講習会では変な話だがビーコンの使用法を雪氷学の講義と同じ比重で教える。そこではビーコン、プローブ、ショベルの三つが事故防止の三種の神器とされる。しかしこれらは道具に過ぎない。私は長くビーコンの義務化に反対してきた。特にこれを山スキーだけでなく登山の常識とする考えには反対した。理由は個人の意思の封殺につながるからだ。アルピニズムは本来、自由意思の究極の表現だ。そしてそこには厳しい修練が要る。山岳スキーも同じだ。
現在の雪崩学の誤りは知識を教えれば事故を無くせると考えたことだ。しかし知識が間違っていればどうなるだろう。また正しくても誤解されたらどうなるだろうか。何はともあれ知識を持つ人は増えた。しかし事故は減らない。それどころか講習会受講者が事故を起こしている。彼らは何を学んだのだろう。講習を三度受ければ講師の資格を得られるというのも凄い話だ。初めは耳を疑った。だが実際に講師になった若者と話して気の毒になった。こんなことで前途ある若者の将来を奪って良いのだろうか。知識は知識でしかない。経験には置き換えられない。何事にも地道な修練の積み重ねが要るのだ。
しかし時間が環境を変えた。人々は議論し経験を積む中で謙虚さを知り始めた。今では吹雪に用心する人が確実に増えている。しかし事故は相変わらず起こる。理由は商業的アウトドア文化が世相を煽る中で、登山やスキー愛好者が急増したためだ。分母が大きくなれば事故も増える。それはヨーロッパも同じだ。知識を過信する人は相変わらず多い。それ以上に厄介なのは人種的偏見や差別意識だ。一部の白人は日本人のルールなど守ることはないと広言する。中国人や韓国人の中にもそんな人はいる。そんな中でニセコルールは続けられてきた。ニセコではルールが人種や国籍を問わず誰に対しても公平、平等なものだということを訴え続けている。
ニセコの取り組みは他のモデルとなり得る。過度な商業主義に呑み込まれなければ将来はそう暗くはない。私は少しずつ他の方法に移行する道を探っている。具体的には現場のパトロールとの作業の共有だ。しかし国がニセコのコース外滑走を公けに認めていないことが障害になる。国の指導者が「いいね」といっても地方官庁は慣行に従う。スキー場企業の今以上の情報やコース外滑走への関与は、従来黙認されてきた問題を白日に晒す。そして新たな火種を生む。ニセコルールを批判する人たちの根拠はまさにここにある。ルールの立ち位置は相変わらず脆弱なままだ。林野庁はスキー場からのコース外滑走を未だ公けには認めていない。
ビーコンとヘルメットの装着は来シーズンから義務化される。国の機関である防災科研がニセコに協力するのだから、従来ルールを批判しその「エビデンス」を問題視してきた人たちの批判も少しは弱まるだろう。昨シーズンのビーコン装着率はモイワ6番ゲートで50パーセントを越えている。私たちはこれからもこれらの道具が飾りでないこと、自身と仲間の命を守る道具であることを訴えなければならない。また同時にコース外は管理されていないこと、そこは自然の山岳地帯であること、自分の身は自分で守らなければならないことを利用者に伝え続けなければならない。利用者に寄り添って彼らの安全に配慮し、雪崩情報やゲート開閉、パトロールの仕組みを維持することが、結局は地域の健全な豊かさを持続させる唯一の道だ。未明から調査に協力してくれたモイワスキー場圧雪車オペレーターの大場、大道、渡邉と、休まず英語翻訳をつづけてくれたジョンとドミに感謝する。
ニセコ雪崩調査所 新谷暁生
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