知床を終えるたびに色々と考える。漕いでいる時はその時々のことしか考えない。家に帰ってから久しぶりに探検について考えてみた。古くて新しいテーマだ。探検とはいったい何だろうか。多くの探検家は新たな領土と富を求めて未知の世界へと旅立った。その後の南極や北極、ヒマラヤなど第3の極地への冒険的探検にも国の威信や権威が見え隠れしていた。探検家の多くはそのような人たちだった。それは日本も例外ではない。しかしそうでない人もいた。知床日誌を遺した松浦武四郎やキャプテン・ジェ-ムス・クックがそうだった。
松浦武四郎やクックは探検家として異質だった。多くの探検家や宣教師が行く先の「非文明」を劣ったものとして征服し教化しようとする一方で、武四郎やクックはその「遅れた」文化を尊重した。異なる文化が互いを認め合うことは難しい。部族の長や王様は常に自分が世界で一番偉いと信じている。銃を持つ人が優越感を抱くように石器人も自分の武器が一番強いと思っている。しかし異文化に接する交易の民は初対面の知恵を時間をかけて習得した。直接の接触を避ける沈黙交易や、目を合わさない初対面の挨拶も、異文化接触の知恵なのだろう。武四郎やクックはその知恵を自然に身に着けていた。彼らは人一倍人間性に富んでいたのだろうか。他人は自分とは違う。他者に配慮することが自分を守る。それが無用な争いを避ける。松浦武四郎もキャプテン・クックも自分と他者という人間の本質を理解した人だったのだろう。
武四郎は滅びゆく蝦夷地先住民の生き方と生活圏を尊重し、明治政府の方針に異議を唱えた。そしてここがアイヌ民族の土地であることを記憶に残すために北のカイの国、ホッカイドウと名付けて伊勢に去った。カイは大陸を支配した元の記録によれば、13世紀元朝モンゴルと戦ったアイヌ民族と蝦夷地先住民を指す言葉だ。元はそれを骨鬼と記してクイと呼んだ。クックは18世紀、世界航海史に偉大な業績を残した。キャプテン・ジェームス・クックはロシアに征服されたアリューシャンのアリュート民族の悲惨な運命、ロシアコサックの残虐な殺戮、そしてその優れた海洋狩猟文化と知性豊かなアリュートの姿を後世に伝えた。クックはその後ハワイ諸島で不慮の死をとげた。ちなみにピーターパンのフック船長はジェームス・クックとは何の関係もない。
探検についてはこれくらいにして知床エクスペディションについて書こう。探検史については伊勢の柴田丈広がものすごく詳しい。時間がないのでここでは焚火と飯炊き、雨具について書く。その前にしつこいようだが書き足すことがある。帝国主義は自国民にも害を及ぼす。全体主義に移行するからだ。市民がその兆候を知って黙認し放置すれば暗黒の時代はすぐに来る。来てからでは遅い。全体主義は個人の意思と自由を認めない。ヒトラーがそうだったようにプーチンも確実にその道をたどっている。プーチン史観は一見真理を含んでいるように見える。しかし民族の優劣思想を根底に隠し持つ邪悪な歴史観だ。プーチンはピョートル大帝にはなれない。この5か月、ウラルや極東、モンゴル国境などロシア辺境の若者がウクライナで大勢死んでいる。ハンバーガーを食べて浮かれているモスクワの若者たちは、いつそれに気づくだろうか。世界は再び凡庸の悪がはびこる時代になるのだろうか。
まず焚火だが、木なら何でも燃える。雨に濡れても水に漬かっていても生木でも燃える。石は燃えない。だから石でかまどを作ってはならない。火は燃える条件を作らないと燃えない。少し太めの木を2本風に平行に並べ、その間で焚き付けの細木に火をつける。そして徐々に大きくする。空気の流れを一方向にして、並べた2本の木の間に火を閉じ込める。そうすればやがて両側に燃え移る。対流が起きれば火力が上がる。火事で階段に火が走るのと同じ理屈だ。火は閉じ込めると空気を求める。そして空気の流れに沿って高速で走る。結果を想像できない無知が招いた京都の悲惨な事故もこの条件下で起きた。これは雨の多い土地の焚火法だ。この方法は人類の拡散に合わせて東ネパールのアルン川流域から東南アジアの山岳地帯を経て日本にまで伝わった。しかしすでに日本にこの文化はない。これらの土地では木自体をかまどにする。石を3つ置いて木を燃やす方法は、砂漠などの乾燥地帯の方法だ。また井桁に組むのは荼毘やキャンプフアィヤーの焚火法だ。実用的ではない。
薄いアルミ鍋でも米は炊ける。この方法を知っていれば災害時でもおにぎりが食べられる。鍋はどこにでもあるし米もどこかにある。水も濁っているかもしれないが必ずある。燃やすものは倒壊した家屋の廃材だ。洪水で流木もたくさん引っかかっているかもしれない。東日本大震災後に流行った「レスキューキッチン」がなくても米は炊ける。レスキューキッチンは灯油と発電機を回すガソリンが要るが、焚火ができれば誰でも米が炊ける。それにレスキューキッチンは高すぎる。具体的な米炊き法だがまず米に水を入れて直火にかける。そして時々ふたを開けて沸騰前から混ぜる。それを繰り返して米粒の固まりを常に崩す。やがてさらに米が煮えて本格的沸騰が始まる。さらに混ぜる。やがて鍋の中が地獄の窯状態になる。そこで直火からおろし熾火(おきび)を作ってその上に鍋を乗せる。13秒に一度鍋を回す。熾の熱が均等ではないからだ。5-6分それを繰り返す。この時ふたは開けない。そして蒸らす。そうすれば米は炊ける。赤子泣いてもふたとるなというのは料理下手な主婦の俗説だ。直火から良い「おき」を作るにはきゅうりサイズの雑木(広葉樹)の皮なしの枝が15本要る。飯炊きは重労働だ。
知床で生活する上で漁師合羽を越える雨具はない。使ってみればわかる。雨具に求められる機能は防水性や通気性ではない。防寒性だ。軽いナイロン雨具はそれがゴアテックスであっても冷たい雨の中で体に張り付き体温を奪う。知床ではウレタン素材の漁師合羽を強く勧める。ゴム系より2割軽い。サイズは大きめが良い。これがあれば雨の中で地面に座って酒が飲める。そしてどんな嵐にも耐えられる。漁師ガッパは無敵だ。今回も海岸には目立った痕跡や漂流物はなかった。それにしても保安庁や警察は半島ウトロ側の陸上捜索をやるべきと思う。現状では海岸を見ているのはこの3か月私たちだけだ。統一教会と勝共連合が巷をにぎわしている。何を今さらと思う。これが宗教と言うなら一つくらい心に響く言葉を語ってほしいものだ。他人をとやかくは言えないが、恥ずかしい限りだ。私は目の前の仕事を続けるだけだ。次の知床がすぐに始まる。
追記 もう一人優れた探検家を思い出した。ウラジミール・アルセーニエフだ。デルスウ・ウザーラを書いた人だ。
これからも楽しみにしています。