知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌㉗

2020-09-09 17:39:54 | 日記

我が友岩本くんたちが夏の遠征を終えた。津軽海峡を渡り松前小島、渡島大島を経て奥尻島まで漕ぎ、再び海峡を越えて青森に戻ったという。この時期の日本海は悪かった。同じ時に私は知床を漕いでいたがオホーツク海は等圧線間隔が広く、拍子抜けするほど穏やかだった。同じ北海道でも海は違うものだ。詳細はそのうち野川編集長のカヤック誌に載るだろう。楽しみだ。チームは岩本和晃、嶋崎亮介、山口将大の3名だ。41才の岩本和晃はアマチュア最強のカヤッカーと言われている。職業は子供たちの憧れ、JR岡山の運転士だ。私は一昨年岩本君に助けられながらウナラスカからニコルスキーまで漕いだ。33才の山口君は昨年私が7回10年かけて漕いだアリューシャンの海を一度で回った人だ。その力と行動力には計り知れないものがある。彼はニコルスキーのスコット・カーからショットグラスを預かり届けてくれた。37才の嶋崎君とは面識がない。きっと他の2人と同じ力量の持ち主なのだろう。彼らはこれからもシーカヤックの新たな冒険を続けることと思う。羨ましく思うとともに今後の計画が楽しみだ。

私は冒険という言葉をあまり使わない。自分が取り組んできた冬山登山やヒマラヤ遠征、そしてシーカヤックも私は敢えてスポーツと捉えている。これらのスポーツの価値はその独創性にある。その点で過去に渡島大島からウォーターフィールド水野さんのコンコルド4人艇で奥尻まで漕いだ柴田くんたちの計画は冒険だった。この世界で2番煎じは2番煎じでしかない。その点で私自身が続けている知床エクスペディションは180番煎じのようなものだ。モチベーションの維持がもう無理だ。しかし参加者の一人でも冒険スポーツの意味に気付いてくれることを願って今年も続けている。このスポーツに安全はない。そして周りには誰もいない。

今年の知床エクスペディションはコロナ禍の中で行われている。私はコロンブスやピサロがヨーロッパの疫病を新大陸に持ち込んだ愚は犯したくない。だから参加者にPCR検査をお願いしている。知床もそうだが地方の人たちは都会からウィルスが入ることを恐れている。検査が陰性なら人々は安心する。様々な意見があるがその視点の多くは都会に住む人のものであり地方に寄り添ったものではない。国は感染防止と経済の両立を目指している。それなら徹底的なPCR検査で陰性確認をして自由にどこへでも行くことができるようにすれば良いのにと思う。しかし何故かそうはならない。現状はマスクパフォーマンスと何が本当かわからない情報で地方だけでなく旅行に行こうとする人たちを混乱させ委縮させている。どうしてなのだろうか。フェースガードに至ってはそれが必要な医者でもないのに滑稽でさえある。

現在PCR検査は行政検査以外有料だ。それもようやく各地で受検できるようになっている。しかしそのハードルは高く何よりも高額だ。そして結果が出るまで時間がかかる。また検査で出される陰性証明書にも高い料金がかかる。これではよほどの必要がなければ人々は受けない。ニューヨーク州ではクオモ知事の指示で無料で何度でも受けられるという。東京から小笠原へ行く人たちもソフトバンク孫さんが無料で検査を受けられる態勢を作った。知床も離島のようなものだ。私は知床エクスペディションを続ける以上、行く先の不安解消に責任がある。だから友人の感染症専門医の指導と協力のもと、知床エクスペディション参加者に限り札幌でPCR検査を行う態勢を作った。彼は「やぢ」という医者だ。やぢ、矢島先生は感染症専門医として北海道のコロナ問題に取り組んでいる。やぢは元アルペンレーサーで昔からの私の友人だ。知床に参加したこともある。私はエキノコックス対策を厳しく行っている。矢島先生はエキノコックス症患者の手術をしたことがある。開いた肝臓は通常の肝臓癌以上に石灰化してドロドロであり手の施しようがなかったという。エキノコックスに罹る確率は低くても生水は飲まないほうが良いというのが彼の見解だ。今回も私はやぢに相談した。かれはPCR検査以外方法はないと断言した。

知床では羅臼最奥の昆布漁師の村田の父さんでさえ汚いマスクを顎にかけている。今、羅臼のみなさんは私たちが陰性だと聞いて喜び、安心して話しかけ酒に誘ってくれる。今年羅臼では町出身者の帰省自粛を呼びかけた。その代わりに魚介類を都会の羅臼出身者に送ったという。陰性確認ができればみんな自由に帰省するのにと思う。国の考えはわからない。きっとそこには我々下々の者にはわからない何か高邁な理由があるのだろう。PCR検査をビジネスにしなければ結果は3時間以内に出る。儲けようとするから尤もらしく法外な費用を示す。手をこまねいて嵐が過ぎるのを待つより、国がもっと検査を行うべきだと思う。そうすれば地方の経済も潤う。

新谷暁生


知床日誌㉖

2020-09-01 20:39:13 | 日記





盆を過ぎると知床の海は変わる。水温は20度近くまで上がるが日照時間が減り行動が制約される。また西風が続きオホーツクの海況が悪化する。この時期の知床は油断ならない。しかし岸近くの浅瀬をカラフトマスが走り母熊が子供に狩りを教えるのを見るのもこの時期だ。秋の知床は春と同様に厳しく素晴らしい。そんな海を私は漕ぎ続けてきた。電波のない知床で手に入る情報は少ない。多くは気圧計と観天望気で行動する。NHK第二放送の気象通報はそんな中で唯一手に入る外部情報だ。気圧配置がわかれば変化が読める。この情報は以前は1日3回流されていたが、今は夕方4時の一度だけだ。一度だけでは流れが読めない。しかしNHKにも都合があるのだろうからやむを得ない。あるだけましだ。私は無い知恵を絞って天気を読み行動を決める。

この海を漕ぐようになって30年、私は天気図を引き続けている。しかし描いても天気が良くなるわけではない。漕ぐのは結局自分だ。海では判断の誤りが命取りになる。まだ行けると思ってもその時はもう遅いかもしれない。海は判断5秒の世界だ。逃げるのを躊躇すれば漕ぎ続けるしかなくなる。そして痛い目に遭う。臆病な私はフクロウのように首を回して周りを伺いながら漕ぐ。考えるのは安全な上陸地だ。なにしろ知床エクスペディションはコマーシャルツアーなのだ。参加者の安全を一番に考えなければならない。そんな時、私の口の中はカラカラになる。雷が落ち始めれば最悪だ。数珠を出して天を仰ぐしかない。

7月に入り大陸中国の情報から天気が消えた。気象通報は各地の風向風速天気気圧を知らせるが、なぜか大陸の天気が放送されなくなった。理由はわからないが大気汚染が進んで天気表示が無意味になったのか、それとも天気を知られたくない理由が他に何かあるのかもしれない。いずれにせよインターネットでどこでも天気予測が出来る時代、気象通報の役割は終わろうとしている。今では実用で天気図を取っているのは私くらいのものかもしれない。長く続いたNHKの気象通報も私と同じように役割を終えようとしている。

私はGPSも衛星携帯も使わず海を漕いできた。不自由と不安が冒険の理由であり価値と思うからだ。大事なものはそう多くない。雨風をしのぎ床が平らで食べ物があれば良い。それに酒と煙草があれば幸せというものだ。
楽な漕ぎはない。そして海はその苦労に報いてくれるところだ。私は海や山から多くを得た。しかし同時に多くを失った。その中には悔やんでも悔やみきれないものもある。もっと違う人生があったろうにと思うこともある。しかし後悔しても始まらない。結局のところ今の場所で与えられた役割を果たす他に道はないのだろう。それにしても73才で知床のガイドをするのはあまりにも無茶だ。両手が悪いせいもあるが最近は艇の乗り降りに手間取るようになった。そろそろ年寄らしく孫の子守や盆栽などをして余生を送りたいものだと思う。しかし鮫やマグロのように動き続けることが私にとっての生きるということなのだろう。

新谷暁生