2023年の雪崩情報を終えて
4月中旬を過ぎて全層雪崩も落ち着き、ダケカンバの新芽や水辺のヤチブキが眩しい。この冬ニセコのコース外滑走区域での事故は幸いにもなかった。一方、今年は道内だけではなく全国各地で事故が起こり貴重な命が失われた。スポーツで命を落としてはならない。ニセコ雪崩情報は遊びで命を落としてはならないという思いから始められた。亡くなられた方のご冥福を祈りご家族に哀悼の意を表する。
4月中旬以降ニセコでは行方不明者の捜索が行われている。事故なのかも不明だが、もしそうならニセコルールで定められた立ち入り禁止区域への侵入が常態化した結果と言える。現場は湯の沢立ち入り禁止区域で全層雪崩の頻発地帯だ。パトロールの目を盗み、ロープを越えてこの谷を滑る人は多い。禁止エリアなのでいつも新雪がある。ロープをくぐれば誰かがその跡をたどる。それを繰り返せばやがて誰かが事故に遭う。最初にロープを越えた人は他人が事故を起こしても首をすくめるだけだ。それにしても雪崩が頻発する春の午後遅くに谷を滑る無知に言葉もない。ニセコはまた苦い経験を積み重ねた。
人が増えれば事故も増える。しかし数が増えても用心する人が増えれば事故は減らせる。30年前、ニセコは国内で最も雪崩事故の多い山だった。新雪滑走に目覚めた人たちがリフトを使って安易にスキー場コース外を滑るようになったからだ。スキー場外には素晴らしい雪があった。リフトが山頂直下の1150mまで延長された結果、事故の発生は加速した。捜索を繰り返す私たちは事故防止対策を模索した。ニセコルールはそのような歴史的経緯を経て始められた。
新雪滑走は素晴らしい。その自由は尊重しなければならない。しかし致命的な事故を起こしてはならない。ここでは滑走を禁じるのではなくそれを認めた上でルールを作った。しかし国はこの取り組みを未だに認めていない。曖昧に追認し黙認するだけだ。また当時の雪氷学会とそれを取り巻く権威ある教育者たち、また国に頭の上がらない各地のスキー場もニセコの取り組みに批判的だった。理由は科学的裏付けに乏しく前例がない、必要がない、また信用ならないなどだった。驚くことにこれらの批判は今も続いている。そしてこの迎合と同調の体質が雪崩だけではなく野外活動全ての健全な発展を阻害する要因になっている。国が推進するアドベンチャー・ツーリズムもそうだ。これをビジネスに結び付けようとするのは危険だ。日本にはその下地がない。
雪崩には表層雪崩と全層雪崩とがある。事故は真冬の表層雪崩によるものが圧倒的に多い。ニセコ雪崩情報は毎日、その日の具体的な危険を呼び掛けている。表層雪崩は吹雪の最中とその直後に積雪内部が破断して起こる。一方で全層雪崩は地表上の雪のすべてが破断する。全層雪崩は春に多いが、ニセコのような多雪地帯では真冬でも起こる。そのため季節に関係なく、雪崩走路となる谷底を滑らないよう呼び掛ける。雪崩は自然現象だ。そこに人がいなければ事故は起きない。
日射の影響を受けやすい春の滝や湯の沢、そして水野の沢は急峻なため亀裂の有無、時期と雪崩の種類に関係なく常に危険がある。リフトからのアクセスが容易なこれらの谷は、雪崩コントロールが行われている水野の沢を除き、スキー場という立地条件の中では立ち入り禁止とせざるを得ない。ここはスキー場だ。大多数の安全のためにもスキー場にはルールは必要だ。国土交通省運輸局の外郭団体の日本索道協会の規則では、スキー場外の滑走は禁止されている。だがニセコではスキー場外のルール制定が急務だった。人が死に続けるからだ。
ニセコルールは従来の国の索道規則を補完し、より現状に即したものとして作られたと言える。重要なのは滑り手の意思の尊重だ。それは同時に滑走者の安全への配慮に繋がる。おそらくここがニセコの選択の特異な点かもしれない。それは自己責任の議論につながる。
ゲート開閉に反対するスキー場利用者は、自己責任で滑るのだからゲートは常に開けるべきだと言う。一方でスキー場は、場外事故の責任を回避して当事者にその責任を押し付けるために自己責任論を用いる。葵の御紋の印籠のように使われるこの言葉は便利な言葉だ。これは最近亡くなられた索道協会顧問弁護士の坂東先生の十八番だ。先生は裁判長に常にこれを問いかけ、スキー場を勝訴に導いてきた。しかし自己責任は限定された責任だ。登山には使えてもスキー場では使うべきではないと私は考えている。
ニセコは場外滑走の安全のためにゲートを各所に設け、それを開閉する。また雪崩情報等を利用者に提供している。そして利用者が不注意で危険地域に侵入しないよう、立ち入り禁止区域を設けている。しかし禁止区域を滑る人は後を絶たない。雪が良いからだ。実際のところ死ぬほどの雪崩は滅多に出ない。ルール軽視の誤りに気付くのは雪崩に遭った後だ。しかし時すでに遅い。死者は語れない。
私はこの問題に長く取り組んでいる。雪崩事故は防げると思う。雪崩教育が盛んになって30年経つが事故は起こり続けている。人が増えたことだけが事故多発の理由だろうか。また科学は事故防止に役立ってきただろうか。結局のところ、この問題は雪崩という物理的問題ではなく、人間の側の問題のように思う。雪崩講習会は盛況だ。そこで知識を得れば安心する。しかしどんなに雪崩のメカニズムを知り最新の道具に身を固めても、雪崩に遭えば生死は運でしかない。考えること。用心すること。事故を防ぐためにはそれくらいしかないのだ。人々は付け焼刃の知識を経験にすり替える。そして過信する。また経験を軽んじる。経験が役に立たないというのは真理だ。しかしそれを知るには自ら汗をかき経験を積むしかないのだ。そうすれば謙虚になり用心深くなる。
最近の雪崩研究の議論を概説する。まず層序構造から雪崩を予測する従来の手法を再検討する動きがある。雪崩は弱層から起こり、それを事前に知って危険を回避するという、従来広く知られた考え方に対し、積雪内部の構造的脆弱性から雪崩の原因を求めようとする研究だ。防災科学研究所は今年、モイワ見返り尾根に仮小屋を建ててふきだまりの発達の観測を試みた。目的は風雪時のふきだまりの発達過程とその構造の変化の観察だ。この研究は吹雪の日に事故が多い、というニセコ雪崩情報の考えを科学的に証明しようとする試みだ。また降雪結晶やアラレが原因とする説など、近年の地球温暖化と結び付いた研究も進んでいる。また唐突にストーム・スラブという言葉が使われ始めている。しかしいずれもすでに学説として定着している弱層理論に基づく従来の考えの域を出ていない。吹雪の日になぜ雪崩が出やすいのかは、1960年代の北米での研究にもあるように経験的に広く知られている。しかし実際にそれを科学的に検証する研究はこれまで行われてこなかった。主な理由は猛吹雪の中での観測が困難だからだ。防災科研の現地観測は今年で6年目を迎えた。研究にはスイス、オーストリア、ノルウェーの研究者も参加している。
事故防止に必要なのは教育だと思う。大勢が正しい知識を持てば事故は減る。未だに事故が減らないのは、教育そのものに問題があるからではないだろうか。権威体質は同質の者を生む。それを放置すればプーチンのような指導者が現れ、専制独裁の国が生まれる。私たちは何事にも無関心であってはならない。それが民主主義を形骸化させる。ウクライナの惨状に心が痛む。
ロシアでは裕福なロシア人がタイにバカンスに出かけ、ニセコでスキーをする。日本は官民あげて観光立国に浮かれている。ニセコに住み様々な恩恵を受けている私だが、観光を国の基幹政策に据えるのは誤りと思う。観光立国は成熟した主権国家が目指す道ではない。魅力があれば人は集まる。ところでもう私には気力がない。スポーツは若い人のものだ。雪崩情報のこの先が気になる。しかしなるようにしかならない。老い先短い私は束の間の自由を享受しようと思う。体も動かなくなってきた。ニセコ雪崩情報に協力してくれた大勢の人たちに感謝する。最後にジャクソンホール・パトロールのコーキー・ワードが残した言葉を引用してこの稿を終える。 My job is better than your vacation. 私たちには現場のプライドがあった。
ニセコ雪崩調査所 新谷暁生
4月中旬を過ぎて全層雪崩も落ち着き、ダケカンバの新芽や水辺のヤチブキが眩しい。この冬ニセコのコース外滑走区域での事故は幸いにもなかった。一方、今年は道内だけではなく全国各地で事故が起こり貴重な命が失われた。スポーツで命を落としてはならない。ニセコ雪崩情報は遊びで命を落としてはならないという思いから始められた。亡くなられた方のご冥福を祈りご家族に哀悼の意を表する。
4月中旬以降ニセコでは行方不明者の捜索が行われている。事故なのかも不明だが、もしそうならニセコルールで定められた立ち入り禁止区域への侵入が常態化した結果と言える。現場は湯の沢立ち入り禁止区域で全層雪崩の頻発地帯だ。パトロールの目を盗み、ロープを越えてこの谷を滑る人は多い。禁止エリアなのでいつも新雪がある。ロープをくぐれば誰かがその跡をたどる。それを繰り返せばやがて誰かが事故に遭う。最初にロープを越えた人は他人が事故を起こしても首をすくめるだけだ。それにしても雪崩が頻発する春の午後遅くに谷を滑る無知に言葉もない。ニセコはまた苦い経験を積み重ねた。
人が増えれば事故も増える。しかし数が増えても用心する人が増えれば事故は減らせる。30年前、ニセコは国内で最も雪崩事故の多い山だった。新雪滑走に目覚めた人たちがリフトを使って安易にスキー場コース外を滑るようになったからだ。スキー場外には素晴らしい雪があった。リフトが山頂直下の1150mまで延長された結果、事故の発生は加速した。捜索を繰り返す私たちは事故防止対策を模索した。ニセコルールはそのような歴史的経緯を経て始められた。
新雪滑走は素晴らしい。その自由は尊重しなければならない。しかし致命的な事故を起こしてはならない。ここでは滑走を禁じるのではなくそれを認めた上でルールを作った。しかし国はこの取り組みを未だに認めていない。曖昧に追認し黙認するだけだ。また当時の雪氷学会とそれを取り巻く権威ある教育者たち、また国に頭の上がらない各地のスキー場もニセコの取り組みに批判的だった。理由は科学的裏付けに乏しく前例がない、必要がない、また信用ならないなどだった。驚くことにこれらの批判は今も続いている。そしてこの迎合と同調の体質が雪崩だけではなく野外活動全ての健全な発展を阻害する要因になっている。国が推進するアドベンチャー・ツーリズムもそうだ。これをビジネスに結び付けようとするのは危険だ。日本にはその下地がない。
雪崩には表層雪崩と全層雪崩とがある。事故は真冬の表層雪崩によるものが圧倒的に多い。ニセコ雪崩情報は毎日、その日の具体的な危険を呼び掛けている。表層雪崩は吹雪の最中とその直後に積雪内部が破断して起こる。一方で全層雪崩は地表上の雪のすべてが破断する。全層雪崩は春に多いが、ニセコのような多雪地帯では真冬でも起こる。そのため季節に関係なく、雪崩走路となる谷底を滑らないよう呼び掛ける。雪崩は自然現象だ。そこに人がいなければ事故は起きない。
日射の影響を受けやすい春の滝や湯の沢、そして水野の沢は急峻なため亀裂の有無、時期と雪崩の種類に関係なく常に危険がある。リフトからのアクセスが容易なこれらの谷は、雪崩コントロールが行われている水野の沢を除き、スキー場という立地条件の中では立ち入り禁止とせざるを得ない。ここはスキー場だ。大多数の安全のためにもスキー場にはルールは必要だ。国土交通省運輸局の外郭団体の日本索道協会の規則では、スキー場外の滑走は禁止されている。だがニセコではスキー場外のルール制定が急務だった。人が死に続けるからだ。
ニセコルールは従来の国の索道規則を補完し、より現状に即したものとして作られたと言える。重要なのは滑り手の意思の尊重だ。それは同時に滑走者の安全への配慮に繋がる。おそらくここがニセコの選択の特異な点かもしれない。それは自己責任の議論につながる。
ゲート開閉に反対するスキー場利用者は、自己責任で滑るのだからゲートは常に開けるべきだと言う。一方でスキー場は、場外事故の責任を回避して当事者にその責任を押し付けるために自己責任論を用いる。葵の御紋の印籠のように使われるこの言葉は便利な言葉だ。これは最近亡くなられた索道協会顧問弁護士の坂東先生の十八番だ。先生は裁判長に常にこれを問いかけ、スキー場を勝訴に導いてきた。しかし自己責任は限定された責任だ。登山には使えてもスキー場では使うべきではないと私は考えている。
ニセコは場外滑走の安全のためにゲートを各所に設け、それを開閉する。また雪崩情報等を利用者に提供している。そして利用者が不注意で危険地域に侵入しないよう、立ち入り禁止区域を設けている。しかし禁止区域を滑る人は後を絶たない。雪が良いからだ。実際のところ死ぬほどの雪崩は滅多に出ない。ルール軽視の誤りに気付くのは雪崩に遭った後だ。しかし時すでに遅い。死者は語れない。
私はこの問題に長く取り組んでいる。雪崩事故は防げると思う。雪崩教育が盛んになって30年経つが事故は起こり続けている。人が増えたことだけが事故多発の理由だろうか。また科学は事故防止に役立ってきただろうか。結局のところ、この問題は雪崩という物理的問題ではなく、人間の側の問題のように思う。雪崩講習会は盛況だ。そこで知識を得れば安心する。しかしどんなに雪崩のメカニズムを知り最新の道具に身を固めても、雪崩に遭えば生死は運でしかない。考えること。用心すること。事故を防ぐためにはそれくらいしかないのだ。人々は付け焼刃の知識を経験にすり替える。そして過信する。また経験を軽んじる。経験が役に立たないというのは真理だ。しかしそれを知るには自ら汗をかき経験を積むしかないのだ。そうすれば謙虚になり用心深くなる。
最近の雪崩研究の議論を概説する。まず層序構造から雪崩を予測する従来の手法を再検討する動きがある。雪崩は弱層から起こり、それを事前に知って危険を回避するという、従来広く知られた考え方に対し、積雪内部の構造的脆弱性から雪崩の原因を求めようとする研究だ。防災科学研究所は今年、モイワ見返り尾根に仮小屋を建ててふきだまりの発達の観測を試みた。目的は風雪時のふきだまりの発達過程とその構造の変化の観察だ。この研究は吹雪の日に事故が多い、というニセコ雪崩情報の考えを科学的に証明しようとする試みだ。また降雪結晶やアラレが原因とする説など、近年の地球温暖化と結び付いた研究も進んでいる。また唐突にストーム・スラブという言葉が使われ始めている。しかしいずれもすでに学説として定着している弱層理論に基づく従来の考えの域を出ていない。吹雪の日になぜ雪崩が出やすいのかは、1960年代の北米での研究にもあるように経験的に広く知られている。しかし実際にそれを科学的に検証する研究はこれまで行われてこなかった。主な理由は猛吹雪の中での観測が困難だからだ。防災科研の現地観測は今年で6年目を迎えた。研究にはスイス、オーストリア、ノルウェーの研究者も参加している。
事故防止に必要なのは教育だと思う。大勢が正しい知識を持てば事故は減る。未だに事故が減らないのは、教育そのものに問題があるからではないだろうか。権威体質は同質の者を生む。それを放置すればプーチンのような指導者が現れ、専制独裁の国が生まれる。私たちは何事にも無関心であってはならない。それが民主主義を形骸化させる。ウクライナの惨状に心が痛む。
ロシアでは裕福なロシア人がタイにバカンスに出かけ、ニセコでスキーをする。日本は官民あげて観光立国に浮かれている。ニセコに住み様々な恩恵を受けている私だが、観光を国の基幹政策に据えるのは誤りと思う。観光立国は成熟した主権国家が目指す道ではない。魅力があれば人は集まる。ところでもう私には気力がない。スポーツは若い人のものだ。雪崩情報のこの先が気になる。しかしなるようにしかならない。老い先短い私は束の間の自由を享受しようと思う。体も動かなくなってきた。ニセコ雪崩情報に協力してくれた大勢の人たちに感謝する。最後にジャクソンホール・パトロールのコーキー・ワードが残した言葉を引用してこの稿を終える。 My job is better than your vacation. 私たちには現場のプライドがあった。
ニセコ雪崩調査所 新谷暁生