定山渓天狗岳
2022年なだれ講演メモ
はじめに
以下は2022年秋の講演資料として書いたものだ。お題は「森の中の雪は良い」。
資料 雪崩事故の概説
日高山脈札内川10の沢 美瑛岳ポンピエイ沢 旭岳盤の沢 白井川林道 ムイネ山 定山渓天狗岳 ニセコ鉱山の沢 ニセコ大沢 ニセコ水野の沢 ニセコ春の滝
チセヌプリ ニトヌプリ イワオヌプリ ニセコ鉱山の沢 尻別岳 羊蹄山 キロロ周辺
エベレストベースキャンプ ランタン谷 ラカポシ ウルタル ワスカランなど
ニセコ雪崩情報とニセコルールの理念
1960年代から90年代前半まで、ニセコは国内でもっとも雪崩事故の多い山だった。スキー場のすぐ外側の沢では毎年のように事故が起こり、死者の数は周辺の山を含めて12名に達した。事故は日高山脈や十勝連峰などの山岳地帯でも起こっていたがニセコは際立って事故の多い山だった。その理由はスキーに適した山だったとしか考えられない。
ニセコはリフトを使って容易に素晴らしい新雪を滑ることができる。スキーブームの中でリフトを使って簡単に新雪滑走ができるニセコで事故が多発したのは、その時代を考えれば当然のことだったのかもしれない。70年代にニセコに移住した私は事故のたびに捜索を手伝ったが、やがて事故防止に取り組むようになった。ニセコルールや雪崩情報はそのような経緯を経て作られた。
私は滑る立場に立って雪崩情報を作った。危険程度を示す国際基準があることも知っている。情報に批判的意見があることもよく知っている。しかし私はこのかたちを続けた。読むことで考える。それは頭のどこかに必ず残る。私は用心がもっとも有効な事故防止対策だと確信している。消防と同じく大切なのは予防なのだ。それは自分で危険を予測することだ。私はニセコ雪崩情報がその参考になることを目指した。
「午前5時南西10m/s、森の中の雪は良く板が走る。降雪推移、各データの検討から全体の雪崩リスクは低い。弱い風雪で時々視界不良。ゲートは開けられる。パトロールの意見を聞き準備してコース外に出ること。標高1200m以上の風はやや強い。常に慎重な行動を。ロープをくぐってはならない。凍傷、亀裂転落、立ち木衝突に注意。木には勝てない。沢への転落に注意。水は冷たい。良い一日を。」
「5時標高800m西寄り12m/s、森の中の雪は重いが悪くない。1100m以上で北西18m/sの風雪が続きふきだまりが発達、風は落ち始めるが風下側では午後まで滑走刺激による雪崩の危険か続く。ノールを不用意に刺激してはならない。沢底にとどまってはならない。雪崩は上から来る。ゲートは午前10時に開けられる予定、パトロールの指示に従うこと。安全な一日を。」
この情報は3名の翻訳者により交代で毎日英語に訳されて公開されている。また4名の調査員が機器の保守点検、情報収集と監視にあたっている。
ゲート開閉について
ニセコには様々な人が訪れる。ルールの目的はゲレンデに隣接するスキー場外での事故防止であり、人種国籍経験装備技術等で差別せず公平性に留意している。主な対策は立ち入り禁止区域の設定、ゲートの設置とその開閉であり、開閉は各スキー場パトロールが行う。また「ロープをくぐってはならない」というのがニセコルールの公式の標語になっている。
ニセコアンヌプリ地区雪崩事故防止対策協議会
ニセコルールはニセコ倶知安両町とモイワ、アンヌプリ、ヒラフ、ニセコビレッジおよび花園スキー場の五つが共同して運用している。協議会はルール変更の議論や雪崩ミーティングの開催、ポスターや啓蒙チラシ、雪崩情報報告の制作をおこなっている。この協議会の会長は現在ニセコ町長片山健也があたっている。事務局は倶知安ニセコ両町持ち回りとなっている。ニセコ雪崩調査所は協議会の外にある。雪崩情報は協議会の委託を受けて調査所がだす。その費用は両町と前記スキー場が負担している。北海道は後志遭対協補助金がそれに充てられている。
雪崩調査とその方法
朝4時からの観測と夜半から朝までの降雪推移の検討、6時の各スキー場パトロールの観察と意見によりゲート開閉が行われる。雪崩情報は午前8時までに出される。ニセコでは当日の危険を降雪推移から予測している。これは過去の事故が風雪時に多く発生していることによる。私はふきだまりの急激な発達と事故には因果関係があると考えている。
観測はニセコモイワスキー場のゲレンデ圧雪車で行う。関係者に感謝したい。調査時間は約1時間半で圧雪車のブレードによる衝撃試験と断面観察、ふきだまりの発達観察等を行う。参考データは気象庁各種気象データ、海上保安庁弁慶岬および神威岬風向風力波高データ、山系6か所の気象測器データ、2か所の赤外線カメラデータ、滑り手からの情報や意見などだ。
ニセコの考え
弱層理論は世界の結論だ。冬の雪崩の多くを占める面発生乾雪表層雪崩は吹雪や強風時に起こりやすい。従来その原因は当然ながら弱層に求められてきた。しかしニセコでは弱層とともにふきだまりの構造的脆弱性、つまりもろさに注目した。風雪時のふきだまりは短時間で急激に厚さを増す。私は雪崩は弱層ではなくふきだまり自体が破壊することで起こると仮定した。ガラスが衝撃で割れるようなものだ。発達中のふきだまりは砂時計の砂のように平均的に堆積するのではない。吹雪の強弱による降雪量の変化、その時の結晶の硬さ、湿度と温度やサイズの違いで不均一に量と厚みを増す。その時強い衝撃を加えれば瞬時に破断して雪崩を起こす。衝撃とは雪庇崩壊や滑走刺激などだ。何もなければ吹雪の収束とともに締まり雪として圧密し、均一化して安定する。
ニセコでは構造的に不安定な、発達中のふきだまりが雪崩の原因と考えている。もしふきだまりの中に弱層があるならそれは弱線とでも呼ぶべき三次元の層であり、層序構造の層ではない。いずれにせよ吹雪が収まりふきだまりが安定すれば雪崩は起きない。もし起きても死ぬほどの雪崩は起こらない。ゲート開閉はその考えに沿って行われる。
この考えは過去の議論である1次発生型雪崩と2次発生型雪崩の議論に関係するかもしれない。今はほとんど話されないが、ニセコの取り組みは事故の多くを占める悪天候時の雪崩、つまり1次発生型雪崩(ファースト・アクション・アバランチ)の事故防止のために行われていると言える。だから弱層が原因する2次発生型雪崩、つまり現代雪崩学の常識である弱層理論を否定するかのように受け取られ、批判されてきたのかもしれない。
新雪滑走は素晴らしい。その自由は尊重されなければならない。私たちはそのために毎朝ゲート開閉を議論する。ここはスキー場であり大勢が集まる。スキー場ではまだ危険が残る斜面にリフトを使って容易に行くことが出来る。だからルールが必要だしそれを守ってほしいと頼む。安易にロープをくぐる1本のトレースが、結果的に事故の引き金になるのだ。
雪崩講習会の功罪
雪を掘れば多くの層がある。事故後に原因として特定される「弱層」にはコシモザラメと呼ばれる層が多い。雪崩発生面には必ずそれらしきものがある。それなら講習で学んだ通り事前にそれがわかれば事故は避けられたのではないのか。コシモザラメは便利な言葉だ。ピットチェックはパフォーマンスではない。
講習会の雪崩教育では先ず吹雪など悪天候時の危険を強調し、用心することを第一に教えるべきだ。専門知識を伝えるよりも先ず事故に遭わない方法を教えるべきだ。そうすれば事故は減る。雪崩講習会は大勢に雪と雪崩への関心を持たせてきた。しかしその一方で冬山遭難者の多くが雪崩講習を受講した人たちだ。その意味は重い。雪崩教育が知識と資格を得るだけのものにならないことを願っている。
私は長い間この状況を見続けた。現場は何事にも頑なになりがちだ。他人の意見を聞かず自説にこだわる。私もそうかもしれない。知識は必要だ。それは講習会で学べる。しかし経験は教えられない。それは汗をかき自分で会得しなければならない。「この時代は経験や修練というものが軽んじられ意味をなさなくなった時代だ。」これは1912年の南極スコット隊に参加したチェリーガラードの言葉だ。おそらく状況は100年前も今も変わっていないのかもしれない。
自然はそれほど優しくない。そこでは知識とともに知恵が試される。雪崩教育が果たす役割は大きい。生死に関わることだからだ。どうか受講者が事故に遭わないよう、親身になって正しい知識を伝えてくれることを願っている。
防災科学研究所の取り組み
ニセコでは防災科学研究所によりふきだまりと雪崩との関係についての研究が続けられている。この研究は従来の理論をあらためて検討し、ニセコの方法を学問的に明らかにしようとする試みだ。研究は現日本雪氷学会会長の西村浩一氏の構想ではじめられ、スイス、オーストリアなど海外の研究者もこれに参加している。
ふきだまりはその発達が止まるまで構造的に不安定な状態が続く。しかし構造的不安定とは何を指すのか、安定とはなんなのか。暴論だがひょっとして弱層と呼ばれるものは積雪安定の結果生ずる単なる層なのかもしれない。もしそうならふきだまりが原因する冬の表層雪崩を従来の手法で予測することは出来なくなる。
雪崩研究者と私はこんな議論を肴に酒を飲んでいる。問題は調査の困難さにある。天候回復を待って調査しても雪はすでに安定している。ふきだまりの脆弱性を見るには日夜、天候に関係なく調査を続けなければならない。今年はイグルーか仮設小屋を作り、そこで寝泊まりしながら調査を行う予定だ。ニセコは調査のすべてに協力している。防災科学研究所の研究が現場で役に立つ日が来ることを願っている。
古い本の紹介
以下は1974年に日本で出版された「アメリカ林野局著.雪崩 橋本誠二 清水弘訳」の冒頭の記載だ。「雪崩発生は雪量ばかりでなく、降り方にも問題がある。」「人名の奪われた雪崩の8割までは吹雪の間か直後に起こっている。」
この本は70年代に学園紛争で講義ができなかった地質学者、北大山岳部OBの橋本誠二先生が翻訳したものだ。この時代は荒れていた。大切な日高の岩石標本を投石の石に使われ、怒ってノルウェーの極地研究所の所長になった太田先生という人もいた。
おわりに
20世紀に社会進化論が否定されても、この国の欧米崇拝と権威への盲信は変わらず根強い。またプーチンに代表される優生思想の信奉者が再び台頭する時代になりつつある。多様性が叫ばれる一方で世界は自由に生きるのが困難な時代になっている。この30年、ニセコの取り組みは異端視され続けてきた。出る杭は打たれる。幸いにも打たれ強い私はそれに耐えてニセコルールを作り上げた。しかし未だに国はこのルールを公式には認めていない。その一方でニセコの成功を勘違いして官民あげての観光政策を推し進めている。
雪崩に興味を持つ人は増えた。山に行く人も多い。しかし世界には旅行など無縁な人も大勢いる。自由のない人も無数にいる。私はいつかバチが当たるのではないかと心配している。
私はこの土地に住む者の責任としてこの問題に関わった。ある人物は「ニセコの取り組みは科学ではなく、科学でないものは必ず滅びる」と言ったが、それを教えてくれたのは当時の倶知安警察署長だった。
しかし私はこの問題に科学的態度で臨んできた。過信せず調子に乗らないこと、命を大切にすること、他者に配慮することをあらためて自分に問いかけ、自戒したい。最後に、安全な冒険はなく冒険とビジネスを結びつけるのは危ういことを、意見として述べておきたいと思う。