ハナミズキ便り

日常の何気ない思いや出来事を自由気ままにつづります。

捩花の花言葉に思う

2021年06月16日 | 花の絵日記

初夏の里山は鮮やかな緑で覆われている。

 

草むらの道ばたには

ピンと立った茎にらせん状に幾つもの花が並んでいる野草を

この時期よく見かける。

 

関東も梅雨入りしましたが里山歩きの日は雨降らずのお天気でした。

 

 

淡いピンク色の小さな花。

図鑑で調べると「捩花(ネジバナ)」、ラン科の花と載っている。

 

 

万葉の時代には「根都古草(ねつこぐさ)」と呼ばれていたらしい。

 

芝付の御宇良崎なる根都古草 逢ひ見ずあらば吾恋ひめやも

しばつきのみうらさきなるねつこぐさ あひみずあらばあれこいひめやも

 

三浦半島の芝付に咲くねつこ草のような可愛い貴女に逢うことがなかったら

どうしてこんなに恋い悩むことがあったろうか。(巻十四 3508/よみびと知らず)

 

ねつこ草が翁草であるという説もあります。

翁草はかつては日当たりのよい草地で

普通に見られる植物だったらしいので

その可能性がありますが

小さくて可憐な捩花とする説に一票です。

 

今は神奈川県では絶滅危惧種IA類に指定されているそうです。

 

《翁草》

 

西洋では捩花を Ladys tresses と呼ぶのだそうです。

”レディの巻き毛”とはとてもお洒落だと思います。

 

 

横から見て片仮名の「ミ」に見える巻き方は右巻き。

左巻き、右巻き、ストレート、カラーもピンクにホワイトと捩花の個性が光ります。

 

 

花言葉は「思慕」

思慕とは離れている人をどうしようもなく慕わしくて切ないほどに心ひかれること。

 

万葉の世に、既に、この花言葉があって

この花言葉に託して根都古草の恋歌を詠んだ人の切ない気持ちが

恋人に届き

万葉集の選者の心を響かせたに違いありません。

きっと・・・


茅萱(チガヤ)~ 茅ヶ崎の地名由来の植物 ~

2021年05月27日 | 花の絵日記

茅萱が”茅ヶ崎”の地名の由来だと知ったのは
趣味のテニスのお友達からのお勧めで
茅ヶ崎市民俗資料館(旧藤間家住宅)に昨年の十月に訪れたとき。

来訪者名簿に記入していたら、館長さんからお声をかけて頂き・・・

藤間家は代々柳島村名主の家柄で農業と廻船業を家業としており
藤間家13代目、藤間善五郎(柳庵)は
ペリー来航、大政奉還、明治維新の激動の時代に
見聞したことを「太平年表録」として編纂したこと

地域に多大な貢献をした功績から
「かながわの百人」に昭和55年に選ばれたこと

などなど

旧藤間家住宅の見どころを分かり易くガイドして頂きました。
 



見学の途中の裏庭で
茅萱が茅ヶ崎の地名の由来に
なっていることも教えて頂き
このとき茅萱に興味を持ちました。



五月になり
海岸の茅萱の花穂が膨らむ季節が到来

茅萱のことが気になっていたこともあり
柳島海岸の茅萱の群落の様子を観にきました。

風にそよぐ様子は
猫の尻尾のようで
風情があって面白いものです。

前置きが長くなり恐縮です・・・

《柳島海岸の茅萱》



生憎東の空や北の空は雲に覆われていましたが
青空は南西の空だけ

雲の動きをよく見ていると
次第に晴れ間が広がってくる気配・・・



大昔は今のJR茅ヶ崎駅あたりまでが海で
柳島辺りは海流と相模川で砂州の岬の様だったのかも知れません。

その砂州に茅萱がいっぱい生えていて
それで誰云うことなくこの一帯を「茅ヶ崎」と呼ぶようになった
という伝承を聞くことがあります。

柳島海岸から江の島辺りまでおおよそ12km
ゆっくり海岸散歩しながら
初夏の潮風を楽しみます。



「ちがさき」が登場する古文書があります。

「那智の滝」で有名な熊野神社(和歌山県)の
御師(おし)が記した米良(めら)文書で

今から550年程前の室町時代の
「相模国壇那注文」(相模国の状況を報告する具申状)に

「・・・、ちかさき、下のまちや、やはた・・・」
の記載が残されています。

軽快に疾走するサイクリング車の疾風に
足元の浜昼顔、茅萱が靡きます。

昔は東海道を行き来する旅人の
旅の慰めになっていたのかも知れません。

《R134の茅萱》



《辻堂海岸の浜エンドウ》


江の島に着くころには青空が広がり気持ち良い。
浜昼顔にお出迎えしてもらいます。



茅萱は全国の至る所で当たり前に見かける植物なので
「ちがさき」の地名が他にあっても不思議ではありません。

横浜市都筑区にも”ちがさき”の地名があります。
横浜は「茅ケ崎」で、湘南は「茅ヶ崎」と書きます。

地名はどちらも”茅萱”が由来かも知れませんね。


湖畔の一本桜と箱根老舗ホテルの尾長鶏のエピソード

2021年05月07日 | 花の絵日記

四月十五日の朝のこと、前日の天気予報では

日の出からお日様マークだけの良いお天気のはずが

早起きして西の空を眺めれば

箱根の上には厚い雲が覆いかぶさっていた。

 

青空と湖と桜のコラボのショットを楽しみにしていたのに・・・

 

ま、そのうち晴れてくれるでしょうと

芦ノ湖の”湖畔の一本桜”までやってきました。

 

夕方のニュースに流すのでしょうか?

某テレビ局のスタッフがカメラを据えて撮影している様子に

遠慮して離れたところから、とりあえず最初の一枚を撮ってみました。

 

 

そして、反対側に回りもう一枚

芦ノ湖も今日の空のよう

 

足元の一本桜の庭に目をやると

「こちらも見てね。」と

春の野草たちが話しかけてくる

 

 

時間が経てば晴れるかも知れないので

太陽が覗くまでお茶にしようと宮ノ下まで移動しました

 

 

ここはむかし

ヘレン・ケラーが宿泊されたことがある

老舗のホテル。

 

ホテルロビーの柱には彼女が愛した尾長鶏が彫られています。

 

 

初来日の彼女が箱根滞在中(昭和12年5月)に

尾長鶏を膝に乗せ笑顔で可愛がっている

寛ぎのひとときの様子が写真に残されています。

 


               (富士屋ホテルHPから拝借)

 

『世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、

それは、心で感じなければならないのです。』

               ヘレン・ケラー

 

彼女が二度目の来日のとき

再び彼女は箱根(昭和23年9月)を訪れました。

ところが、既にこの尾長鶏は天国に召されていましたので

彼女は大変悲しんだそうです。

 

それでホテルは

彼女に再びその様な思いをさせてはいけないと

おもてなしの気持ちで柱に尾長鶏を刻んだのでした。

 

昭和30年6月に3度目の来日となりましたが

彼女はこの尾長鶏に触れる機会は

残念ながらありませんでした。

 

でも、ホテルのおもてなしの心は届いたことでしょう。

 

そんなエピソードがこの柱に刻まれています。

 

そうこうしながらのコーヒーブレイクは終わりましたが

箱根の雲は相変わらずで、この日はこのまま帰路につきました。


ネモフィラの願い

2021年04月22日 | 花の絵日記

松田町西平畑公園のネモフィラが見ごろに

 

淡いブルーの小さなお椀のような花が暖かい日差しを浴びて

テニスコート3面程の広さの斜面にてんこ盛り

 

ネモフィラのお花畑には富士山や酒匂川流れる松田町の絶景が

望めるところにベンチが設けられ

花と景色のコラボの最高のハーモニーが心ゆくまで味わえます

 

 

可憐、清々しい心などの花言葉を持つネモフィラは

『 Baby Blue eyes 』の別名があります

 

和名は瑠璃唐草(るりからくさ)、とても可愛い名前です

どの名も言葉のイメージや響きから

これほどぴったりの名前は無いでしょう

 

 

こんなに気持ち良いお天気の日は

花に集まるミツバチさえも

蜜を集めるお仕事を忘れ

居眠りしているのか

花のベンチで寛いでいます。

 

 

働きづめはたいへんだから

たまにはゆっくりするのもいいはず

そんなミツバチの独り言が聞こえてきそうな昼下がり

 

 

若葉の鮮やかな緑がまぶしい松田の山並みを背景に

鯉のぼりが雲一つない空を泳ぎます

 

 

もはや初夏と云っても間違いではないような陽気

晴れ渡る大空に気持ちよさそうに泳ぐ鯉のぼり

 

それなのに

コロナ感染者がうなぎ上りで増える今の状況では

心の底から喜ぶことはできません

 

毎日、毎日、テレビ報道で知らされますが

これまでの経験を踏まえて先を見越した予防策を

どうして執らなかったのでしょう

 

ようやく緊急事態宣言が発令されるようです

ネモフィラの花言葉にポジティブなものもあります

”どこでも成功”

 

今回の緊急事態宣言に伴う措置が功を奏し

感染拡大の波が静まりますようにと

願うばかりです

 


春うららの小出川

2021年04月11日 | 花の絵日記

川辺の土手を黄色の花が染めている

細身のすらりとした茎に小さな花を美しくまとい

暖かい風が通るたびに嫋やかに揺らめいています

 

まばゆく輝く春の色

命の輝きの色

訳もなく気持ちが躍ります

 

 

この黄色の花の名は西洋芥子菜

よく似た西洋油菜は茎に巻き込む形で葉がつきますが

この花は茎から離れて葉がついています

 

 

大群落もあれば小群落もあります

花言葉は「小さな幸せ」

ふんわりとした春に相応しい花言葉に思えます

 

 

黄色の花の周りは

うららかな四月の陽気に誘われた蝶たちの

恋の舞踏会場

 

つかず離れずひらひらと舞う二匹の蝶

果たしてこの初恋のなりゆきは

どうなるのでしょうか

 

 

やがて、恋人たちは風に乗り

川辺の芥子菜の彼方に飛んでいきました

 

 

芥子菜の小径は染井吉野、寒桜、大島桜の桜並木に続きます

あでやかに、零れるように、小径を花で覆います

春に歩けば桜に心癒され

蝶や水鳥たちの仕草に和む花の小径

 

 

この道は「花の小径」

この町の人から親しまれている散歩道

四季折々の花たちが自然の周期に合わせ

時が来れば

美しい花を咲かせてくれます

 

 

日めくりを捲るように

桜の花びらがひらひらと舞い落ちて

春の日が通り過ぎていきます

 

 

時は過ぎて行こうとも

この豊かな自然は未来の子供たちへの遺産

大事にする気持ちは、いつまでも、いつまでも、変わることはありません

 

 

 


里の春を探して ~2021 春~

2021年03月21日 | 花の絵日記

わたくしごとですが・・・
二、三日前に愛用していたパソコンが
ようやく修理が終えて戻ってきました。

使えなくなってから、かれこれひと月。
心配していたデーターやアプリも復元できた。

今の気持ちは?、と聞かれたら
「春が来たみたい。」
と答えます。

暖かい日が続き茅ヶ崎の里山は春の先駈けの花たちが一斉に顔をだす。
こぶし、つくし、ほしのひとみ、タンポポ、ホトケノザ、菜の花なども
里山のあちこちで見かけます。

《茅ヶ崎里山公園のコブシ》

昔はコブシの開花を農作業の準備の目安に使っていたので
田打ち桜、種まき桜、田植え桜、芋植え花などと呼んでいたらしい。

コブシがたくさん咲いた年は
豊作になるという。
こんなにいっぱい咲くのだから、今年は豊作間違いないでしょう。

《春の野の賑わい》



河津桜の下に彩りで植えられた菜の花に
ヒヨドリが啄んだ花なのか
かんざしの様に一つ載っていました。

《河津桜》

淡いピンクが春らしいのです。
ピンクに似合う差し色のハナニラや、スノードロップも・・・春。

《小出川の春の賑わい》

土に眠っていたれんげ草
ここにだけ
思い出したように目を覚ましています。



里山や里を流れる川のほとりから
春の息吹きの
「プリマヴェーラ!!」が聞こえてくる。

ソメイヨシノは未だ蕾なのに早咲きの桜も花開き出しました。

プリマヴェーラと言えばボッティチェッリ名作の「春」

絵の解釈には諸説がありますが私が好きなお話は・・・

むかしむかし、冬が過ぎ去ったギリシャの森に

西風の神ゼフィロス(右端)が現れ、
土の中に眠っていた妖精クロリス(右から二番目)と結婚しました。
やがてクロリスは春の花を生み
春の女神フローラ(右から三番目)に変身しました。

美しい花々に囲まれた森に愛の女神ヴィーナスが現れ、
その傍らで三美神が舞い踊っています。

ゼフュロスが暖かな愛の風を吹かし、
神の世界に春をもたらします。

神の使いのマーキュリー(左端)は
人間界にも春の訪れを告げるのです。

三美神の真ん中の女神はじっとマーキュリーを見つめ
その女神を目隠しのキューピットが弓で狙っている。
今まさに二人が恋に落ちる瞬間
金の矢で射られた者は恋に落ちると言われています。

さて、二人の恋は叶うのでしょうか・・・

《 春(プリマヴェーラ) 》


春の話題から話はボッティチェッリの名作のお話しへと
脱線しましたが、今も昔も「春はあげぼの」。

春は神々が運んでくれる贈り物
とても有り難く思えます。

 


二年ぶりの節分草

2021年02月09日 | 花の絵日記

鎌倉の稲荷山浄妙寺は臨済宗建長寺派の古刹である。
創建は文治4年(1188年)、当初は極楽寺と称し密教系の寺院であったが
その後、正嘉年間に禅刹に改め寺名も浄妙寺とした。ご本尊は釈迦如来さま。
(パンフレットより抜粋)


鎌倉の街から少し離れた所にあるからでしょうか
拝観に訪れる人は普段から少ない方かも知れません。

このお寺には他のお寺さんとは違う二つの顔があります。
一つは英国式庭園の洋館レストラン、
もう一つは節分草咲く「花のお寺」の顔もあるのです。

昨年は来れなかったので
可愛い孫の顔を二年ぶりに見るような
嬉しい期待に気がはやります。

《稲荷山浄妙寺》


《もうすぐ見頃の白梅と紅梅》



《サンシュの花芽も綻ぶ境内》



本堂で左に折れ、木立の中の薄日さす細い道に入ると
何か恥じらったような初々しさで
節分草が出迎えてくれる。

新緑が混じる枯れた下草の地面から
春の妖精が目を覚ましていました。

《節分草 -1-》


《節分草 -2-》



木をよ~く見ていると
節分草を優しく見守る木の精の様に見えるから不思議です。
ここは節分草のワンダーランド・・・、かもしれません。

《節分草と木の精(?)》


いつの頃から節分草がこの場所にやって来たのでしょうか。
私が出会ってから、もうかれこれ八年近く経った気がします。

二年ぶりでしたが元気な姿を見て嬉しくなりました。
大切に育てられているから
こうして元気でいるのでしょう。

《帰り道で》

まんまるおめめのメジロちゃんは喜々として
体操選手の様に枝から枝へと飛び移っては
梅の蜜を啄むことに夢中です。

また一段と春めいて参りました。

 


茅ヶ崎の富士見百景と私の好きな風景

2021年02月04日 | 私の好きな風景


関東1都8県内の富士山の佳い眺めの場所が「関東の富士見百景」として選ばれています。
その数、233地点、2005年に選ばれました。

そして、わが町茅ヶ崎市には次の4地点があります。

                        ①南湖の左富士
                        ②旧南湖院
                        ③茅ヶ崎海岸・ヘッドランドとその周辺
                        ④県立茅ヶ崎里山公園内・柳谷

一つめの「南湖の左富士」は歌川広重が
『五十三次名所図会 藤沢南湖の松原 左り不二』で
東海道の風光明美な場所として紹介した所です。

《五十三次名所図会 藤沢南湖の松原 左り不二》


現在の南湖の左富士の眺め(国道1号線鳥井戸橋にて)
千の川両岸には工場の建物、
奥の川を横断している構造物は新湘南バイパス。
東海道の松原は今は昔、富士の姿は変わらなく美しい。

《南湖の左富士》


次は旧南湖(なんこ)院。
南湖院は1899年に内科医・高田畊安(たかたこうあん)が
開設した東洋一と言われたサナトリウム。

現在の「老人ホーム太陽の郷」敷地内の
旧南湖院を遺す一画を「南湖院記念太陽の郷庭園」
として一般公開されています。
写真の手前の白い建物が
当時の面影を残す旧南湖院第一病舎です。

《1月12日夜の雪で裾野まで雪化粧した富士山と旧南湖院》


三つめは、今年のお正月に海岸散歩している時に眺めた富士山。
北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」風に撮ってみました。
いつもよりなぜか雪が少なくて物足りないのです。

《茅ヶ崎海岸の富士》


そしてヘッドランドの渚の夕景も心癒される風景です。



四つめは里山公園・柳谷。

このポイントは日本武尊が東征のおり立ち寄った腰掛神社近くにあります。
きっと、日本武尊、弟橘媛命もこの富士を眺め旅の疲れを癒したことでしょう。
因みに日本武尊が腰を掛け休んだと伝わる大きな石が境内に祀られています。

《県立茅ヶ崎里山公園・柳谷の富士》


以下は関東富士見百景では無いのですが
私が好きな茅ヶ崎の富士見風景を
番外編としてご紹介いたします。

《茅ヶ崎ゴルフ倶楽部の富士》

《R134号線・茅ヶ崎野球場前跨道橋上からの富士》


小出川の自然の中から垣間見る暮らしのひとコマ。
その中には、ある時は遠く、ある時は近くに、富士の姿がある。

日本のインフラの象徴とも言える
高速道路(圏央道)と電力の鉄塔は
富士の風景に溶け込んでいる。

《小出川遊歩道の富士 ーそのⅠー 》


小春日和の小出川遊歩道の
のどかなひと時
暖かな時間が流れている。

《小出川遊歩道の富士 ーそのⅡー 》


雪が残る大山・丹沢山塊も優しく親子を見守っているようです。

《小出川の昼下がり》

川岸の景色を映す水面は水鳥の波紋に揺れて
時々、そこから煌めく光が届き眩いのです。

《小出川と水鳥と》


それは印象派の画家たちがキャンバスに描こうとした
水面や空の雲の色の煌きではなかろうか、と思うほどです。

ファインダーを覗きながらそんな想像をしていました。

《カルガモ》

《オオバン》


立春が過ぎ、今日は春一番が吹いたようです。

葦の茂みのウグイスは春を告げる準備を始めたのでしょうか?

《ウグイス》


私の好きな冬の茅ヶ崎の景色を
ご紹介させて頂きました。

もうすぐ湘南も春ですね。


菜の花便り ♪♪ ~ 2021 丑年 初投稿 ~

2021年01月14日 | 花の絵日記

2021丑年が動き出しました。
年末年始はお家で静かなお正月を過ごしておりました。
皆さまはいかがお過ごしでしたでしょうか・・・

初詣はピークが過ぎた頃を見計らい近くの寒川神社へ
本年も健康で暮らせますように、と願掛けいたしました。
もちろん、皆さまもお健やかに、とご祈念いたしました。

遅くなりましたが、本年もよろしくお願い致します。





1月12日の夜に降った雪で富士山の裾野まで
少し雪化粧しました。

翌13日の日の出の少し過ぎたころ
二宮町吾妻山公園の
菜の花畑で富士山を眺めていました。



シンボルツリーの榎は葉っぱを落としていますが
冬芽はいっぱいついています。



陽がすこしずつ昇ってくると菜の花たちも目覚めます。
レンズ越しに見える菜の花・・・、幸せな気分
至福のひととき。



まぁ~るい朝露の花びらが
おはよう、と小さな声で
声を掛けてくれるような気のする菜の花畑



水仙の花も葉も朝のまばゆい光を浴びて
元気いっぱい、きらきら輝いています。



ほのかに漂よう水仙のかおりと
爽やかな優しいメロディーが
聞こえてくるような・・・

気持ちを癒してくれる。


斑鳩の里の秋 ~倭は国のまほろば~

2020年12月03日 | 旅の絵日記

奈良斑鳩の里の法隆寺夢殿の秘仏

救世観音さまにお会いしてきました。

そして、法隆寺のもう一人(?)の観音さま

百済観音さまにもお会いしました。

 

斑鳩の里は聖徳太子ゆかりの地。

 

やまとは くにのまほろば

たたなづくあをがき やまごもれる

やまとし うるはし・・・

小雨の朝、中門の前に佇む。

 

《中門》

 

やがて、雲の合間から青空が現れて

陽ざしが届く穏やかな日和になりました。

 

境内の玉砂利を踏むたびに”しゃっ、しゃっ”と音がする。

 

聖徳太子がこの地にお寺をお造りになったのは推古天皇の15年の頃

その頃、歩かれた時と同じ音、なのでしょうか?

 

1400年の時の流れのひとコマ、ひとコマの

昔々の記憶を呼び戻す ”音” ・・・

 

《 金堂(左)・五重塔(右)》

 

金堂には本尊釈迦三尊像が安置され

その四方を12面の荘厳な壁画で飾られている。

中でも西大壁を飾る”阿弥陀浄土”は最高傑作と云われています。

 

《再現壁画6号壁 阿弥陀浄土》

《勢至菩薩》
         《阿弥陀如来》         《観音菩薩》 

《西院伽藍回廊の連子窓》

 

東大門をくぐり抜けると

夢殿の宝珠が石畳の道の奥に輝いて見える。

 

回廊に囲まれた夢殿の境内は思いのほか狭い。

この堂は観音の化身と伝える聖徳太子を

供養するための殿堂

粛然とした雰囲気が漂っています。

 

「夢殿」

 

この名前がとても素晴らしい。

このお堂には奈良の時代からの

”希望・理想・未来”や極楽浄土への

万人の願いや祈りも詰まっている。

 

夢殿の救世観音にまつわる話を読んだことがありますが

この観音さまへ託す祈りの気持ちには無縁のもの。

このお顔の穏やかさ、優しさ、微笑みの口元に拝すると

煩悩に囚われたわが身から余計なものが洗い流されたような

とても清々しい心持ちになります。

 

《夢殿》

 

優美で慈悲深い表情のすらりとした姿の百済観音

『以和為貴』を祈念された聖徳太子等身の救世観音。

百済観音は大宝蔵院百済観音堂、救世観音は夢殿に安置されている。

共に飛鳥時代の作と云われています。

 

《 百済観音(左)》           《 救世観音(右)》

                               《写真集法隆寺より》

 

中宮寺は聖徳太子の

御母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后崩御の後、

その住いを太子が寺院にされたと伝わります。

 

中宮寺ご本尊の如意輪観世音菩薩さまは

本堂修復工事の間、他所にご出陳のため留守になっていました。

この間、瓜二つの大正生まれと平成生まれの

お二人(?)の御身代わりご本尊さまが

お位牌堂で特別公開でご出座されていました。

 

《中宮寺》

 

 

なんと言い表していいのでしょうか。

言葉にならない・・・

ただ、静かに合掌するのみでした。

 

《如意輪観世音菩薩》

                            《絵葉書より》

 

このご本尊礼讃の言葉は

和辻哲郎氏著の『古寺巡礼』に委ねることとして

陽が西に傾くころ、今日の宿のある奈良市内にもどりました。

 

チェックインまでしばらく時間があったので

春日大社から若草山、二月堂、東大寺へと奈良公園を

紅葉を楽しみながらぐるり歩きました。

 

《奈良公園》

《春日大社伏鹿手水所》

《水谷(みずや)茶屋》

《若草山》

《猫段の紅葉》

《東大寺南大門阿形・吽形像》


若草山に向かう途中の水谷茶屋の風情は昔と変わりなく

日本の原風景の趣きを醸していました。

久し振りの古都奈良

倭は国のまほろば

優しく迎えてくれました。