ハナミズキ便り

日常の何気ない思いや出来事を自由気ままにつづります。

茅萱(チガヤ)~ 茅ヶ崎の地名由来の植物 ~

2021年05月27日 | 花の絵日記

茅萱が”茅ヶ崎”の地名の由来だと知ったのは
趣味のテニスのお友達からのお勧めで
茅ヶ崎市民俗資料館(旧藤間家住宅)に昨年の十月に訪れたとき。

来訪者名簿に記入していたら、館長さんからお声をかけて頂き・・・

藤間家は代々柳島村名主の家柄で農業と廻船業を家業としており
藤間家13代目、藤間善五郎(柳庵)は
ペリー来航、大政奉還、明治維新の激動の時代に
見聞したことを「太平年表録」として編纂したこと

地域に多大な貢献をした功績から
「かながわの百人」に昭和55年に選ばれたこと

などなど

旧藤間家住宅の見どころを分かり易くガイドして頂きました。
 



見学の途中の裏庭で
茅萱が茅ヶ崎の地名の由来に
なっていることも教えて頂き
このとき茅萱に興味を持ちました。



五月になり
海岸の茅萱の花穂が膨らむ季節が到来

茅萱のことが気になっていたこともあり
柳島海岸の茅萱の群落の様子を観にきました。

風にそよぐ様子は
猫の尻尾のようで
風情があって面白いものです。

前置きが長くなり恐縮です・・・

《柳島海岸の茅萱》



生憎東の空や北の空は雲に覆われていましたが
青空は南西の空だけ

雲の動きをよく見ていると
次第に晴れ間が広がってくる気配・・・



大昔は今のJR茅ヶ崎駅あたりまでが海で
柳島辺りは海流と相模川で砂州の岬の様だったのかも知れません。

その砂州に茅萱がいっぱい生えていて
それで誰云うことなくこの一帯を「茅ヶ崎」と呼ぶようになった
という伝承を聞くことがあります。

柳島海岸から江の島辺りまでおおよそ12km
ゆっくり海岸散歩しながら
初夏の潮風を楽しみます。



「ちがさき」が登場する古文書があります。

「那智の滝」で有名な熊野神社(和歌山県)の
御師(おし)が記した米良(めら)文書で

今から550年程前の室町時代の
「相模国壇那注文」(相模国の状況を報告する具申状)に

「・・・、ちかさき、下のまちや、やはた・・・」
の記載が残されています。

軽快に疾走するサイクリング車の疾風に
足元の浜昼顔、茅萱が靡きます。

昔は東海道を行き来する旅人の
旅の慰めになっていたのかも知れません。

《R134の茅萱》



《辻堂海岸の浜エンドウ》


江の島に着くころには青空が広がり気持ち良い。
浜昼顔にお出迎えしてもらいます。



茅萱は全国の至る所で当たり前に見かける植物なので
「ちがさき」の地名が他にあっても不思議ではありません。

横浜市都筑区にも”ちがさき”の地名があります。
横浜は「茅ケ崎」で、湘南は「茅ヶ崎」と書きます。

地名はどちらも”茅萱”が由来かも知れませんね。


湖畔の一本桜と箱根老舗ホテルの尾長鶏のエピソード

2021年05月07日 | 花の絵日記

四月十五日の朝のこと、前日の天気予報では

日の出からお日様マークだけの良いお天気のはずが

早起きして西の空を眺めれば

箱根の上には厚い雲が覆いかぶさっていた。

 

青空と湖と桜のコラボのショットを楽しみにしていたのに・・・

 

ま、そのうち晴れてくれるでしょうと

芦ノ湖の”湖畔の一本桜”までやってきました。

 

夕方のニュースに流すのでしょうか?

某テレビ局のスタッフがカメラを据えて撮影している様子に

遠慮して離れたところから、とりあえず最初の一枚を撮ってみました。

 

 

そして、反対側に回りもう一枚

芦ノ湖も今日の空のよう

 

足元の一本桜の庭に目をやると

「こちらも見てね。」と

春の野草たちが話しかけてくる

 

 

時間が経てば晴れるかも知れないので

太陽が覗くまでお茶にしようと宮ノ下まで移動しました

 

 

ここはむかし

ヘレン・ケラーが宿泊されたことがある

老舗のホテル。

 

ホテルロビーの柱には彼女が愛した尾長鶏が彫られています。

 

 

初来日の彼女が箱根滞在中(昭和12年5月)に

尾長鶏を膝に乗せ笑顔で可愛がっている

寛ぎのひとときの様子が写真に残されています。

 


               (富士屋ホテルHPから拝借)

 

『世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、

それは、心で感じなければならないのです。』

               ヘレン・ケラー

 

彼女が二度目の来日のとき

再び彼女は箱根(昭和23年9月)を訪れました。

ところが、既にこの尾長鶏は天国に召されていましたので

彼女は大変悲しんだそうです。

 

それでホテルは

彼女に再びその様な思いをさせてはいけないと

おもてなしの気持ちで柱に尾長鶏を刻んだのでした。

 

昭和30年6月に3度目の来日となりましたが

彼女はこの尾長鶏に触れる機会は

残念ながらありませんでした。

 

でも、ホテルのおもてなしの心は届いたことでしょう。

 

そんなエピソードがこの柱に刻まれています。

 

そうこうしながらのコーヒーブレイクは終わりましたが

箱根の雲は相変わらずで、この日はこのまま帰路につきました。