またもや、ながぁ~いです。ご注意を!
市内にはシンボルの山として眉山が有ります。
その麓の禅寺に我が家のお墓が有ります。
従ってほぼ毎月ぐらいには、そのお寺へお墓参りに車で出掛けます。
今回は、昔住んでいた地域を訪れ、
近所の友達に何十年ぶりかに会う為スカGで行くことにしました。
鳴門までは何時もの海岸線を進み、
途中の「北灘さかな市」で早めの昼食をとり暫く休憩して出発しました。
国道11号線をそのまま進むと結構アップダウンがあり車だと平気だがチャリではシンドイと思って、
鳴門の市街地経由で旧道を通り再度国道に合流するルートを採りました。
市街地までへは以前スカGで来ていますので馴染み深く進みました。
市街地を過ぎて暫く進みますと左側にこの様な標識が出てきました。
これはいいやと思ってそちらへ左折し進みます。
道は交通量も無く川沿いで開放感が有ります。
古そうな案内板まで出てきました。
が、しかし道の先は工事中みたいな感じで繋がっていません。
工事関係者らしきおじさんが停車中の車から出てきて、
この先は工事中で通れませんと言う事です。
道が無いのですから整備中どころではありません。
あの標識は何だったのでしょう。
嘘はいけませんね。
仕方なく元の旧道まで引き返しそこから先へと進みました。
徳島は川の町ですから橋も多いです。
中には、この様に船が行き来出来る様に真ん中付近で信号が有り、
道路が撥ねあがる形式のもあります。
右手にさらに高架の橋が見えます。
通常はこちらを通るのが普通でしょう。
船の往来に関係なく通れるからです。
しかしこの高さですからこちらの道を通って正解でした。
ようやく吉野川にやってまいりました。
この吉野川大橋を渡ると市内に入ります。
前方にはシンボルの眉山もはっきりと見えています。
そこからさらに河口方面を見ますとまた別の橋が見えました。
帰りは出来たらこちらを通ってみたいと思いました。
車では一度しか通った事が有りません。
四国三郎吉野川はこの河口まで来ると、とにかく水量も豊富で広いです。
チャリダーにとっても一度は渡ってみたい気がする事でしょう。
橋も渡って我が住処であった場所周辺に着きました。
何の変哲もない公園です。
昔は、ここに動物園がありました。
その時は何の不思議も感じませんでしたが、
自宅で朝晩ライオンやゾウの鳴き声を聞いたものでした。
その公園は川沿いにありますので助任(すけとう)川の徳住橋を渡ります。
先程の助任川の写真の奥に小さく橋が見えていましたが、その橋が住吉島橋です。
昔はこの川に筏が係留されていてそこから川に飛び込み泳いだりしてました。
住吉島橋から先程の徳住橋を見た景色です。
この住吉島橋の直ぐ近くに木工の家内工業を営んでいる友達のI君の家が有ります。
久し振りに会ったI君はこちらの名前を名乗るまで最初分かりませんでした。
まあ、ヘルメット被ってサングラスしてですからね。
思わぬ珍客に面喰っていましたが、
暫し昔話や近況を話し合って、またハガキでねと分かれました。
今は、実家は有りませんが、その場所だけは確認し、
近所で寄って置きたかったところが有りますのでそちらへ向かいました。
それが、住吉神社です。
昔は大きかった気がしましたが、今見るとこざっぱりと住宅街に囲まれて佇んでいました。
祭りの夜店の薄暗い輝きを思い出します。
そして近くには家は無くとても怖い感じでした。
多分この石もその当時から有ったものだと思います。
時空を遡って来た感じです。
何十年分振りのお参りをして後にしました。
いよいよ帰路に就く訳ですが、やはり河口近くに見えた橋を渡って帰る事にしました。
その近くに実は高校の時のわが母校が有ります。
やはり川沿いに今も有りました。
多分、当時は教室から川ばかり眺めていて、
ハゼがそろそろ釣れそうかなとか思っていたんでしょう、きっと。
こちらの橋は、阿波しらさぎ大橋と言います。
こちらから見る眉山も眉の様に優しいですね。
そして左側に来る時通った吉野川大橋が見えます。
写真の右側にうっすらと見える山並みが大坂峠の有る讃岐山脈です。
振り返って見ますとこの橋はまだ新しい感じがありありとしました。
橋を渡り終え暫く行くと看板が有り、
4~5百メートル先に十郎兵衛屋敷が有ると言うので見に行きました。
何時ものパターンですみません。
外からだけでは何の変哲もない屋敷ですが、
人形浄瑠璃に登場する有名な人物に関係する家と言う事です。
「かかさんの名はおゆみ、して、ととさんの名は、阿波の十郎兵衛ともうしますぅぅぅ」だったかな??
今回の目ぼしい観光もほぼ終わり後は来た道をひたすら帰るだけです。
往く時は標識が見えなかった気がしますが、
旧とは言え一級河川ですからやはり広いです。
鳴門市街地へ入って道沿いの岩上神社と言うところで休憩しました。
神社の前には道を挟んで何やら美味そうな看板が見えましたが、
ただ見てるだけで、喉のお手入れに水を含み、
して帰って来ました。
我が家近くに来て、少し距離が大台に届かなかったのでちょっと通り過ぎ、
森権平神社に無事帰還の御礼をして帰って参りました。
初の100kmロングライドに成功しました。
スカGお疲れ燦でした。
106km トータル1609km
市内にはシンボルの山として眉山が有ります。
その麓の禅寺に我が家のお墓が有ります。
従ってほぼ毎月ぐらいには、そのお寺へお墓参りに車で出掛けます。
今回は、昔住んでいた地域を訪れ、
近所の友達に何十年ぶりかに会う為スカGで行くことにしました。
鳴門までは何時もの海岸線を進み、
途中の「北灘さかな市」で早めの昼食をとり暫く休憩して出発しました。
国道11号線をそのまま進むと結構アップダウンがあり車だと平気だがチャリではシンドイと思って、
鳴門の市街地経由で旧道を通り再度国道に合流するルートを採りました。
市街地までへは以前スカGで来ていますので馴染み深く進みました。
市街地を過ぎて暫く進みますと左側にこの様な標識が出てきました。
これはいいやと思ってそちらへ左折し進みます。
道は交通量も無く川沿いで開放感が有ります。
古そうな案内板まで出てきました。
が、しかし道の先は工事中みたいな感じで繋がっていません。
工事関係者らしきおじさんが停車中の車から出てきて、
この先は工事中で通れませんと言う事です。
道が無いのですから整備中どころではありません。
あの標識は何だったのでしょう。
嘘はいけませんね。
仕方なく元の旧道まで引き返しそこから先へと進みました。
徳島は川の町ですから橋も多いです。
中には、この様に船が行き来出来る様に真ん中付近で信号が有り、
道路が撥ねあがる形式のもあります。
右手にさらに高架の橋が見えます。
通常はこちらを通るのが普通でしょう。
船の往来に関係なく通れるからです。
しかしこの高さですからこちらの道を通って正解でした。
ようやく吉野川にやってまいりました。
この吉野川大橋を渡ると市内に入ります。
前方にはシンボルの眉山もはっきりと見えています。
そこからさらに河口方面を見ますとまた別の橋が見えました。
帰りは出来たらこちらを通ってみたいと思いました。
車では一度しか通った事が有りません。
四国三郎吉野川はこの河口まで来ると、とにかく水量も豊富で広いです。
チャリダーにとっても一度は渡ってみたい気がする事でしょう。
橋も渡って我が住処であった場所周辺に着きました。
何の変哲もない公園です。
昔は、ここに動物園がありました。
その時は何の不思議も感じませんでしたが、
自宅で朝晩ライオンやゾウの鳴き声を聞いたものでした。
その公園は川沿いにありますので助任(すけとう)川の徳住橋を渡ります。
先程の助任川の写真の奥に小さく橋が見えていましたが、その橋が住吉島橋です。
昔はこの川に筏が係留されていてそこから川に飛び込み泳いだりしてました。
住吉島橋から先程の徳住橋を見た景色です。
この住吉島橋の直ぐ近くに木工の家内工業を営んでいる友達のI君の家が有ります。
久し振りに会ったI君はこちらの名前を名乗るまで最初分かりませんでした。
まあ、ヘルメット被ってサングラスしてですからね。
思わぬ珍客に面喰っていましたが、
暫し昔話や近況を話し合って、またハガキでねと分かれました。
今は、実家は有りませんが、その場所だけは確認し、
近所で寄って置きたかったところが有りますのでそちらへ向かいました。
それが、住吉神社です。
昔は大きかった気がしましたが、今見るとこざっぱりと住宅街に囲まれて佇んでいました。
祭りの夜店の薄暗い輝きを思い出します。
そして近くには家は無くとても怖い感じでした。
多分この石もその当時から有ったものだと思います。
時空を遡って来た感じです。
何十年分振りのお参りをして後にしました。
いよいよ帰路に就く訳ですが、やはり河口近くに見えた橋を渡って帰る事にしました。
その近くに実は高校の時のわが母校が有ります。
やはり川沿いに今も有りました。
多分、当時は教室から川ばかり眺めていて、
ハゼがそろそろ釣れそうかなとか思っていたんでしょう、きっと。
こちらの橋は、阿波しらさぎ大橋と言います。
こちらから見る眉山も眉の様に優しいですね。
そして左側に来る時通った吉野川大橋が見えます。
写真の右側にうっすらと見える山並みが大坂峠の有る讃岐山脈です。
振り返って見ますとこの橋はまだ新しい感じがありありとしました。
橋を渡り終え暫く行くと看板が有り、
4~5百メートル先に十郎兵衛屋敷が有ると言うので見に行きました。
何時ものパターンですみません。
外からだけでは何の変哲もない屋敷ですが、
人形浄瑠璃に登場する有名な人物に関係する家と言う事です。
「かかさんの名はおゆみ、して、ととさんの名は、阿波の十郎兵衛ともうしますぅぅぅ」だったかな??
今回の目ぼしい観光もほぼ終わり後は来た道をひたすら帰るだけです。
往く時は標識が見えなかった気がしますが、
旧とは言え一級河川ですからやはり広いです。
鳴門市街地へ入って道沿いの岩上神社と言うところで休憩しました。
神社の前には道を挟んで何やら美味そうな看板が見えましたが、
ただ見てるだけで、喉のお手入れに水を含み、
して帰って来ました。
我が家近くに来て、少し距離が大台に届かなかったのでちょっと通り過ぎ、
森権平神社に無事帰還の御礼をして帰って参りました。
初の100kmロングライドに成功しました。
スカGお疲れ燦でした。
106km トータル1609km
良い天気だったようで、心地よい疲労感ではなかったでしょうか。
子供目線で見ていたものが、大人になって久し振りに見てみると、ずいぶん小さく見えることがありますね。
環境も大分変わっていますから余計に感じられました。
車では感じられない空気を感じる事が出来ました。
元気がなによりですから、いいね!です。
実のところ、四国にどんな4県があるのかはっきり認識できたのは
燦さんのおかげかもしれません。(笑)
それがなかったら、島根あたりを四国に加えていたかも(爆)
このように写真で景色も身近に感じられて、遠~~い親戚になったような気分です。
人形浄瑠璃「ととさんの名は・・・」いじらしい少女巡礼のお鶴でしたっけ。を思い出します。
故郷訪ねての長旅、スカGとの二人連れ、エンジョイされましたね。でも今回も長距離、凄いですね。
思い出しておりました。私が行った徳島は
三好市のあたり、大歩危・小歩危、かつら橋ビビッてしまい、笑われました。でも、ほんと怖かった。高所にはめちゃ弱いんです。金毘羅、吉野川出船遊覧。岩つつじでしたか、可愛い花が咲いていましたっけ。
そんなことを、思い出しました。徳島と言っても
広いですねえ。
車でスーッと通り過ぎる旅と違って周囲の風景がじっくりと眺められるのが面白いですね。
ごく普通の景色がおやと思われるのが、いいね。
その普段着の四国の風景が伝えられたら、いいね、と思います。
西側の人は東側の事を良く知りませんからお相子ですね。
人類皆兄弟、何時でも親戚ですよ。
ととさん、かかさん、と呼ぶ時代はどうだったんでしょうか。
歌舞伎も浄瑠璃も今や古典ですからね。
現役の時の観方はさぞ違っていた事でしょうね。
今年はかずら橋山草園という穴場を見つけてきました。徳島も奥が深いですよ。
岩つつじが見られる時期は限られていますのでいいタイミングで遊覧船に乗られたんですね。
住吉神社の近くに住まれていたようですね。
私は小学生時代まで近所に住んでいました。
30年前にもありましたよ。
「百度石」と「千度石」。
ふらっと訪ねてみたくなりました。
懐かしくて、コメントさせていただきました。
ありがとうございました。
住吉神社もその内の一つでした。
まだ動物園も川向こうに有って朝な夕なにゾウやライオンの声を不思議と思わず聞いていました。
今はすっかり住宅が密集してちょっと息が詰まりそうな状態です。
しかし昔遊んだところなどは思い出深いですから、ちょっと覗いて見たくなりますよね。
オイラの時代はもうちょっと古いと思うけど、神社の南側の竹林で夜、竹藪に白い布のスクリーンを掲げ映画を上映してたのを覚えています。内容は忘れましたが、映像が微妙に揺れて、超ォーーーーー怖かった思い出が有ります。
そちら様も多分この神社で遊んだことが有るんでしょうね。
時空を超えた思い出が共有できてこちらこそありがとうございました。