世田谷の豪徳寺 !!!

2019-11-20 06:48:19 | ⑥東国巡り

先日は世田谷の松陰神社まで、東京香蘭会 寒蘭展を見に行きましたぁ !!! 
遥か昔、世田谷区民会館に紀州寒蘭展を見に来た事がありますが、此の界隈は初めての事でもあり、近くに在ると聞いている豪徳寺まで足を延ばしましたぁ !!!

鎌倉時代、吉良氏の居城だった世田谷城址です。

豪徳寺の参道、松陰神社からは、ぶらぶら歩いて25分でした。

江戸時代は世田谷が彦根藩井伊家の所領地だったそうで、大きな香炉が寄進されています。

境内はかなり広く、参拝者が多いと言う程でも無いのですが、外国人がいたのには驚きましたぁ !!!

招き猫が有名だそうで、海外の観光客も此れが目当てだったのかも知れませんねぇ !!!

帰りは、沿線の足 ライトレール(LRT)型の世田谷線で三軒茶屋まで。

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◆渋谷に近くて生活には便利な街ですねぇ !!!
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2019 逗子海岸 花火大会 !!!

2019-09-28 14:53:42 | ⑦鎌倉逗子便り

9/27(金)の逗子海岸花火大会です。 緯度経度は(35.29,139.57)、海上から7000発が打ち上げられました。
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◆バルコニーから海抜92.4mの被露山越しに見える大きな花火の一部です。
今回は三脚とレリーズを使わずに、Nikon D5500を手持ちで撮影しましたぁ !!! レンズは標準玉、使用説明書を見ながら、シーンモードの夜景に設定、ズームは55mm側にして、19:15の開始を待ちました。    問題は殆どのシーンでシャッターが長く、手振れで半分の画像は捨てました。 プログラムの関係でしょう、花火が続いて打ち上げられると、空が明るくなるので、シャッターが短くなります。 偶然撮れた花火の色味の違いをご覧ください。
◆既に鎌倉、葉山の花火大会は終わったので、今年は逗子海岸が最後になりました。
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2019 鎌倉花火大会 !!!

2019-07-11 08:23:18 | ⑦鎌倉逗子便り

昨日は鎌倉の花火大会でしたぁ !!!






◆撮ったのは材木座海岸の南端、逗子マリーナの北端、小坪飯島公園の処です。
目前の海中には鎌倉時代の港跡「和賀江島」の大きな玉石が在り、汐が引いた時には洲が出来ます。
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◆因みに今年の逗子海岸花火大会は9月27日(金)となりました。
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ロートルにはきつい 泉涌寺道 !!!

2019-05-11 07:50:32 | ⑤西国巡り

先日、伏見稲荷から東福寺、泉涌寺と巡りましたが、泉涌寺道をショートカットする路地を究める事が出来ませんでしたぁ !!! 稲荷から東福寺までは平坦ですが、東福寺から東大路通へ一旦下り、泉涌寺道をダラダラ上って泉涌寺へ行く様になります。 地図を見ると東福寺と泉涌寺は背中合わせ、抜け道が有りそうなのですが、行き止まりで戻る事を考えると、つい案内図通りを辿ってしまいます。
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伏見稲荷は稲荷祭でしたぁ !!!

藤森祭は5日です。

中国人が多かったですねぇ !!!




目に青葉ですが、秋の紅葉は見事で、橋の上はラッシュ状態になります。


泉涌寺道の上り口です。




日吉ケ丘高校から月輪中学校へ抜けられそうですねぇ !!!

次回、巡る時は此の地図を手に歩こうかと思います。

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百舌鳥古墳群 !!!

2019-05-10 05:27:01 | ⑤西国巡り

百舌鳥古墳群の内、「仁徳天皇陵」と「履中天皇陵」に拝礼して来ましたぁ !!!



お隣の大仙公園の中にも小古墳が点在しているそうですが、散策路が弧を描いているので、方向が分からなくなり、次の「履中天皇陵」へ行くのに手間取り右往左往しチャイましたぁ !!!



京の天皇陵は小さいですが、百舌鳥の天皇陵は大きいですねぇ !!!



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◆此の1月に逝った、蘭友m’s ranさんのお住まいは堺市です。 堺は訪れた事が無かったので、Oさんを偲んで来チャイましたぁ !!!
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姫路城 !!!

2019-05-09 05:56:52 | ⑤西国巡り

駅を出ると真っ直ぐ先に望める「姫路城」、此の光景を眺めるのは大阪万博以来なので49年ぶりになります。


当時は此の門が無かった様に思います。


当時、此の辺りに茶店が在って、手荷物を預けてから、お城へ向かった様に覚えています。









◆思いついて姫路城に来てしまいましたが、長期連休の真っ只中、お城へ入るのに30分待ちの行列、それから天守閣へは2時間待ちと聞いて、本丸の廻りを撮影しながら一巡りして帰って来ましたぁ !!!
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◆家内の友人に姫路出身の方がおり、帰省の度にお土産を頂きます。 箱には伊勢屋本店の文字が、其処の塩味饅頭が美味しいので、土産に買って帰ろうと駅で探しましたが、直ぐには見つからず、上り新快速の時間が迫って来たので買えませんでしたぁ !!! 売店を調べとけば良かった残念です。
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2019 上御霊神社「御霊祭」 !!!

2019-05-08 07:30:45 | ④京のお祭り

令和天皇ご即位奉祝と後水尾帝御寄進四百年を祝し、1日の神幸祭では御所朔平門前で拝礼しましたぁ !!!

初夏、鮮やかな新芽で覆われた上御霊神社の杜、此処から眺めるロケーションが一番好きです。





上御霊神社の空堀に群生するのは「鳶尾(イチハツ)」ですが、上賀茂神社の境外摂社「大田神社」には平安時代から「杜若(カキツバタ)」が群生しており、国の天然記念物に指定されています。


1日の午後、朔平門前です。




仙洞御所正門前では下御霊神社の大宮神輿が150年ぶりに拝礼しました。




◆「御霊祭」の本番は18日の還幸祭です。
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◆京の神輿好きには堪らない季節の到来です。 4月から5月にかけて、各社で祭礼が斎行されますが、中でも代表的な神輿渡御は、松尾大社の「神幸祭(おいで)・還幸祭(おかえり)今年は4/21と5/12」、上御霊神社の「御霊祭(5/18)」で、他には伏見稲荷の「稲荷祭5/3」、藤森神社の「藤森祭(5/5)」、今宮神社の「今宮祭5/5」、地主神社の「地主祭り5/5」、野宮神社の「嵯峨祭5/26」等が斎行されます。
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明治初めの江戸・横浜・鎌倉 !!!

2019-02-13 15:51:29 | ⑥東国巡り

ガラス原板ネガを高精細カメラでデジタル化し、ズームアップした写真ですが、当時のコロジオン原板に記録された膨大な情報量に圧倒されます。 銀塩写真が150年間も情報を記録し保存している訳で、現在のデジタル情報が150年後に果たして再現出来るかが問われる様な細密写真です。
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愛宕山から築地方面を望んだ写真。

江戸城大手門と二重橋。

江戸城二の丸巽櫓と桜田門。

赤坂門内、旧出雲松江藩松平家上屋敷跡の東京鎮台営。

横浜伊勢山から撮影した横浜港。

ズームアップすると精細な情報量に驚かされます。


浦賀奉行所と江戸に入る船の改め所。

鎌倉鶴岡八幡宮の段葛、境内の石段下には神仏分離で破却された大塔(多宝塔)が写っています。


鶴岡八幡宮若宮と材木座 光明寺山門です。

長谷の大仏


右は頼朝の墓です。

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◆ハンガリー帝国の使節に随行した写真家のガラス原板がオーストリアの博物館で大量に見つかり、それを調査した東京大学史料編纂所が写真集を出版した事を昨秋新聞紙上で知りました。

◆助手として随伴し1人だけ東京に居残った弱冠16歳のミヒャエル・モーザー少年に興味を覚え、図書館から借りて来ましたぁ !!!
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鎌倉・長勝寺「大国祷会(成満祭)」 !!!

2019-02-11 14:36:20 | ⑦鎌倉逗子便り

今日は立春から7日、鎌倉の風物詩、名越の長勝寺では「国祷会(コクトウエ)」が行われました。
灰色の空からは白いものがちらつく朝、此の処 頓(トミ)に軟弱となった身には、寒さの中をウォッチして来ようと言う気になりません。 其処で昔の写真ですが勘弁して下さい。
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◆2011年2月11日、此の日も雪が舞う寒い「国祷会」となりました。


鐘の音を合図に南無妙法蓮華経のお題目を唱えながら修行僧が参ります。

吟々と良く通る声で「水行肝文」を朗詠します。





南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経 !!!

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【国祷会(コクトウエ)】
鎌倉の風物詩「長勝寺の水行」は、「立正安国国祷会」の「大荒行僧・成満祭」の中で行われます。 国祷会は、法華経の流布と世界平和、檀信徒一般大衆の抜苦与楽(苦しみを除き、真の安楽を与える)を祈念する行事です。 成満祭は、千葉県市川市の「中山法華経寺」で100日間の厳しい荒行が満了した僧による仕上げの「水行」です。 修行僧が出身の寺に帰る帰山式であり、日蓮上人ゆかりの地で最後の水行が行われます。
◆場所は神奈川県鎌倉市材木座2-12-17、地元では名越の「長勝寺」で通っています。 鎌倉時代は此の地を「松葉ヶ谷」と言っていました。 鎌倉と逗子の境にある「名越トンネル」の手前になります。
◆鎌倉駅から「鎌31・緑ヶ丘入口行」(三菱東京UFJ銀行前)のバスに乗り、「長勝寺」バス停で降りると、道路向こうに「長勝寺」の入口が見えます。
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【鎌倉「長勝寺」と京都「本圀寺」の関係】
「長勝寺」は鎌倉時代の「本国寺」跡地であると云われています。 土地の領主「石井三郎長勝」が「日蓮上人」に帰依し、邸内に小庵を建てて寄進したもので、後に「本国寺」が京都に移され、1345年(貞和元年)に「日静上人」が復興し、「石井長勝」の名に因んで「石井山・長勝寺」と名付けたそうです。
◆京都へ移った「本国寺」は、現在の「松原通」、「大宮通」、「花屋町通」、「堀川通」に囲まれた広大な寺域を有する大寺院でしたが、1971年(昭和46年)京都市山科区御陵大岩6の地へ再び移転しました。
◆現在は中央を新「五条通」が通り、「堀川警察署」、「京都東急ホテル」、「本願寺聞法会館」等になっていますが、「本圀寺」の塔中も幾つか残っています。 尚、「本国寺」は1685年(貞享2年)「徳川光圀」から「圀」の一字を賜り、「本圀寺」となりました。
◆広大な寺域を有する「本国寺」は、戦国時代「織田信長」、「足利義昭」、「上杉景勝」、「直江兼続」が宿舎としたので有名です。 当時は周囲に堀が廻らされ、「洛中洛外図屏風上杉本」にも描かれています。
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