本所と言えば 時代劇 鬼平の十八番(オハコ)「本所の銕(テツ)」(長谷川平蔵の幼名銕三郎)と、大名屋敷では 忠臣蔵 本所松坂町の「吉良邸」でしょうが、今回スポットを当てるのは本所 松浦(マツラ)家下屋敷「松浦壹岐守邸」です。
◆NHK BS時代劇「妻は くの一」が再放送されています。 主役を食う「松浦静山」役を田中 泯さんが好演しているので興味を惹かれ、文政8年(1825)の松浦家下屋敷を俄調べしましたぁ !!!
◆松浦氏は家系図によると嵯峨源氏渡辺氏の祖の源 綱(渡辺綱)の孫の源 久(渡辺久、松浦久)を祖とするとされ、渡辺綱にはじまる渡辺氏を棟梁とする、摂津国の滝口武者(天皇警護)の一族であり、水軍として瀬戸内を統括した渡辺党の分派であると記されています。
◆文化3年(1806)隠居して「静山」を名乗った「松浦 清」は文武に秀でた殿様で、歴代藩主では一番記録が残っています。 天保12年(1841)、82歳で逝去しましたが、17男16女に恵まれ、その内11女 愛子は公家 中山忠能に嫁いで慶子を産み、此の慶子が孝明天皇の典侍となって宮中に入り、明治天皇を産んでいます。 依って静山は「明治天皇」の曽祖父にあたります。
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文化14年(1817)伊能忠敬図「本所横網町近傍」、蔵前の上屋敷と大川端の蔵屋敷も描かれています。
嘉永5年(1852)江戸切絵図「本所絵図」、隅田川沿いの蔵屋敷が描かれています。
安政2年(1855)江戸切絵図「本所繪圖」、嘉永5年と同じ版の様ですねぇ !!!
明治43年(1910)東京区分地図「本所区之図」、此の時には臨済宗 天祥寺だけが残ったと思われます。
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◆此方は蔵前に在った「松浦家上屋敷」(松浦壹岐守邸)です。
安政4年(1857)江戸切絵図「浅草蔵前絵図」、お江戸は大名・武家屋敷だらけですねぇ !!!
明治17年(1884)東京図測量原図「佐久間町及仲御徒町近傍」、向柳原町二丁目に松浦邸の文字があります。
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◆松浦家下屋敷の現在地は臨済宗 天祥寺(墨田区吾妻橋2-6-5)になっています。
元禄4年(1693)松浦鎮信の開基で下屋敷内に開いた寺です。 茶道鎮信流の祖である天祥院鎮信は、肥前平戸藩4代藩主 松浦鎮信で、法名は「天祥院殿」です。
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