今日は「相馬野馬追」ですってぇ !!!

2024-05-25 10:21:34 | ⑥東国巡り

今日は「相馬野馬追」ですってぇ !!!
今朝の読売新聞に“動物使う行事「虐待」批判 三重「上げ馬神事」形式変更…愛護か伝統か 揺れる議論”の記事があり、桑名市 多度大社の「上げ馬神事」は動物虐待の批判を受けて、2mの土壁を撤去して人馬の安全対策を優先した事は聞いていましたが、福島県の「相馬野馬追」が今年から5月に変更された事は知りませんでしたぁ !!!  
例年7月終りの土日に開催されていましたが、去年の猛暑で馬2頭が死んだことを受けて変更したそうです。
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☆2024年「相馬野馬追」の日程
5月24日(金)安全祈願祭 相馬中村神社、総大将出陣祝いの宴
5月25日(土)御発輦祭 中村神社境内で道中安全祈願神事と出陣式が、境内から市内へ繰り出し、
     総大将お迎え 南相馬市鹿島区、宵乗競馬が雲雀ヶ原祭場で
5月26日(日)9:30野馬追通りを騎馬行列が雲雀ヶ原祭場へ、祭場では甲冑競馬と神旗争奪戦が
     お上がり行列 成田地内から騎馬武者が凱旋、相馬中村神社に鳳輦を納める
5月27日(月)野馬懸 小高神社(南相馬市小高区)で騎馬武者が裸馬を神社境内に追い込み、
     白衣装の人が矢来の中の裸馬を追い、素手で荒駒を捕らえ、神前に献納する。

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◆「相馬野馬追」は3.11前の2005年と2007年にウォッチしました。 見所は日曜の9:30小川橋から雲雀ヶ原祭場まで野馬追通りを行進する「お行列」と、祭場での12:00「相馬流れ山踊り」、13:00「甲冑競馬」と「神旗争奪戦」です。 見所満載ですが、日程はタイトでハード、宿は祇園祭以上に予約するのが難しく、深夜に車で出発し4:00原ノ町に入って駐車場を確保しました。 長距離運転がままならない今では息子にお願いするしかなく、再び行けるか分からないので、昔のブログへ掲載した写真を一挙再掲載したいと思います。
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香取神宮 参拝 !!!

2024-05-20 14:47:53 | ⑥東国巡り

香取神宮 参拝 !!!
時代劇では道場の場面に欠かせない「香取大明神」と「鹿島大明神」の掛軸ですが、今回は日本神話の国譲りに登場する経津主神(フツヌシ)を祭神とすることで知られる、下総国一宮の「香取神宮」を参拝して来ましたぁ !!! 香取神宮は、千葉県香取市香取にある式内社で、最寄り駅はJR成田線の香取駅ですが、無人駅で香取神宮まで2.1㎞を歩くので、手前の佐原駅からバスを利用するのが便利です。
※香取市HPにあった休日周遊コミュニティバスの時刻表を最後に転載します。
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◆今回 鹿島神宮も廻る予定でしたが、佐原駅に戻った時に乗換えと待ち時間が多いのにうんざりしてしまい、日にちを改める事にして、内房線の五井駅の方へ変更しチャイましたぁ !!!
◆香取駅から分岐して利根川を渡る鹿島線は、土日は ほぼ1時間に1本、しかも11時、13時、15時台は旅客列車がありません。 此れが曲者で、ホリデー切符に拘って予定表を何回も作りましたが、ロスタイムが多すぎるので、諦めチャイましたぁ !!!
◆地元の人は潮来インターが出来たので車利用が多く、サッカーファンやビジネスマンは東京駅から高速バスが頻繁に出ているので電車が間引かれてるみたいですが、成田空港や東京方面への貨物列車があるので鉄道としては重要な路線ですねぇ !!!
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市原市の国分二寺(僧寺・尼寺)遺跡 !!!

2024-05-19 16:23:46 | ⑥東国巡り

市原市の国分二寺(僧寺・尼寺)遺跡 !!!
藤原氏の氏神を祀る春日大社が勧進した鹿島神宮と香取神宮を参拝しようと、ホリデー切符で早朝出掛けたものの、鉄道とコミュニティバスの連絡が悪く、香取神宮を参拝して佐原駅へ戻ると早や昼時、此処で挫けてしまい、鹿島神宮は次の機会にと変更し、市原市の「上総 国分二寺(僧寺・尼寺)遺跡」へと、内房線の五井駅へ方向転換しチャイましたぁ !!!
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◆小林工芸やウッディジョーの木製建築模型に興味があって、祇園祭の長刀鉾や船鉾の模型、興福寺五重塔や醍醐寺五重塔の模型を作りましたぁ !!! 木組みが学べる鈴木嘉吉著「古代の寺院を復元する」の天平の寺院復元の章に「上総国分尼寺」の解説があり、千葉県市川市の史跡なので一度は見学に行って見ようと考えていたので急遽変更した訳ですが、時間的には鹿島神宮と変わらなかったと思っています。
◆場所はうろ覚えで聞けば分かると安直に考えていましたが、地元の人でも首を傾げ、バスの運転手さんに聞いても分からず、市役所の近くなら市役所で聞いて下さいと言われる有様でしたぁ !!!
◆天平時代の遺跡「国分尼寺」は全国的にも珍しく、昭和の発見・整備から時を経て、行政や住民の熱意が薄れている様なので、大切に次の世代へ継承して貰いたいもんですねぇ !!!
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香炉峰の雪いかならむ !!!

2021-10-21 06:25:32 | ⑥東国巡り

「香炉峰の雪いかならむ」と問われても 学の無い私には分かりません、興味があれば 直にWebで検索すれば 大凡の意味が分かる便利な時代となりました。 しかし、意外にも即興で解説する博識なタレントさんを見ました。 
BS日テレ10/19放送「ぶらぶら美術・博物館」のMC山田五郎さんです。


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◆展覧会監修 山下裕二先生が「香炉峰は中国の名峰。戦争画として戦闘機を大きく描きながら、同時に雄大な中国の自然も描こうという龍子ならではの突飛な発想です。」との解説に、番組レギュラーMCの山田五郎さんが「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」とも掛かっているのでは?との発言です。
◆早速「香炉峰の雪は」を検索した処、「白居易」が左遷され、景勝地「香炉峰」の麓に新居を構え、詠んだ詩句を、
清少納言が「枕草子」第280段「雪のいと高う降りたるを」で、中宮定子が「少納言よ 香炉峰の雪はどんなであろう」と仰せになるので、女官に御格子を上げさせて、御簾を高く巻き上げたところ、お笑いあそばす。 
「簾を上げる」が正解だったのです。
 川端龍子画伯は戦前の人、白居易の詩、清少納言「枕草子」の一節を掛けたのではと、現代人には考えつかぬ博識を山田五郎さんは説かれましたぁ !!!
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本所の大名屋敷 !!!

2020-06-01 14:03:22 | ⑥東国巡り

本所と言えば 時代劇 鬼平の十八番(オハコ)「本所の銕(テツ)」(長谷川平蔵の幼名銕三郎)と、大名屋敷では 忠臣蔵 本所松坂町の「吉良邸」でしょうが、今回スポットを当てるのは本所 松浦(マツラ)家下屋敷「松浦壹岐守邸」です。
◆NHK BS時代劇「妻は くの一」が再放送されています。 主役を食う「松浦静山」役を田中 泯さんが好演しているので興味を惹かれ、文政8年(1825)の松浦家下屋敷を俄調べしましたぁ !!!
◆松浦氏は家系図によると嵯峨源氏渡辺氏の祖の源 綱(渡辺綱)の孫の源 久(渡辺久、松浦久)を祖とするとされ、渡辺綱にはじまる渡辺氏を棟梁とする、摂津国の滝口武者(天皇警護)の一族であり、水軍として瀬戸内を統括した渡辺党の分派であると記されています。
◆文化3年(1806)隠居して「静山」を名乗った「松浦 清」は文武に秀でた殿様で、歴代藩主では一番記録が残っています。 天保12年(1841)、82歳で逝去しましたが、17男16女に恵まれ、その内11女 愛子は公家 中山忠能に嫁いで慶子を産み、此の慶子が孝明天皇の典侍となって宮中に入り、明治天皇を産んでいます。 依って静山は「明治天皇」の曽祖父にあたります。
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文化14年(1817)伊能忠敬図「本所横網町近傍」、蔵前の上屋敷と大川端の蔵屋敷も描かれています。

嘉永5年(1852)江戸切絵図「本所絵図」、隅田川沿いの蔵屋敷が描かれています。

安政2年(1855)江戸切絵図「本所繪圖」、嘉永5年と同じ版の様ですねぇ !!!

明治43年(1910)東京区分地図「本所区之図」、此の時には臨済宗 天祥寺だけが残ったと思われます。

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◆此方は蔵前に在った「松浦家上屋敷」(松浦壹岐守邸)です。
安政4年(1857)江戸切絵図「浅草蔵前絵図」、お江戸は大名・武家屋敷だらけですねぇ !!!

明治17年(1884)東京図測量原図「佐久間町及仲御徒町近傍」、向柳原町二丁目に松浦邸の文字があります。

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◆松浦家下屋敷の現在地は臨済宗 天祥寺(墨田区吾妻橋2-6-5)になっています。
元禄4年(1693)松浦鎮信の開基で下屋敷内に開いた寺です。 茶道鎮信流の祖である天祥院鎮信は、肥前平戸藩4代藩主 松浦鎮信で、法名は「天祥院殿」です。
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