鎌倉・長勝寺「大国祷会(成満祭)」 !!!

2019-02-11 14:36:20 | ⑦鎌倉逗子便り

今日は立春から7日、鎌倉の風物詩、名越の長勝寺では「国祷会(コクトウエ)」が行われました。
灰色の空からは白いものがちらつく朝、此の処 頓(トミ)に軟弱となった身には、寒さの中をウォッチして来ようと言う気になりません。 其処で昔の写真ですが勘弁して下さい。
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◆2011年2月11日、此の日も雪が舞う寒い「国祷会」となりました。


鐘の音を合図に南無妙法蓮華経のお題目を唱えながら修行僧が参ります。

吟々と良く通る声で「水行肝文」を朗詠します。





南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経 !!!

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【国祷会(コクトウエ)】
鎌倉の風物詩「長勝寺の水行」は、「立正安国国祷会」の「大荒行僧・成満祭」の中で行われます。 国祷会は、法華経の流布と世界平和、檀信徒一般大衆の抜苦与楽(苦しみを除き、真の安楽を与える)を祈念する行事です。 成満祭は、千葉県市川市の「中山法華経寺」で100日間の厳しい荒行が満了した僧による仕上げの「水行」です。 修行僧が出身の寺に帰る帰山式であり、日蓮上人ゆかりの地で最後の水行が行われます。
◆場所は神奈川県鎌倉市材木座2-12-17、地元では名越の「長勝寺」で通っています。 鎌倉時代は此の地を「松葉ヶ谷」と言っていました。 鎌倉と逗子の境にある「名越トンネル」の手前になります。
◆鎌倉駅から「鎌31・緑ヶ丘入口行」(三菱東京UFJ銀行前)のバスに乗り、「長勝寺」バス停で降りると、道路向こうに「長勝寺」の入口が見えます。
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【鎌倉「長勝寺」と京都「本圀寺」の関係】
「長勝寺」は鎌倉時代の「本国寺」跡地であると云われています。 土地の領主「石井三郎長勝」が「日蓮上人」に帰依し、邸内に小庵を建てて寄進したもので、後に「本国寺」が京都に移され、1345年(貞和元年)に「日静上人」が復興し、「石井長勝」の名に因んで「石井山・長勝寺」と名付けたそうです。
◆京都へ移った「本国寺」は、現在の「松原通」、「大宮通」、「花屋町通」、「堀川通」に囲まれた広大な寺域を有する大寺院でしたが、1971年(昭和46年)京都市山科区御陵大岩6の地へ再び移転しました。
◆現在は中央を新「五条通」が通り、「堀川警察署」、「京都東急ホテル」、「本願寺聞法会館」等になっていますが、「本圀寺」の塔中も幾つか残っています。 尚、「本国寺」は1685年(貞享2年)「徳川光圀」から「圀」の一字を賜り、「本圀寺」となりました。
◆広大な寺域を有する「本国寺」は、戦国時代「織田信長」、「足利義昭」、「上杉景勝」、「直江兼続」が宿舎としたので有名です。 当時は周囲に堀が廻らされ、「洛中洛外図屏風上杉本」にも描かれています。
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