数年前、大きな声を出してみたくなりました。今まで、大きな声を出した事がありません。勤務していた頃は大学の医学部勤務でしたし、子供もいないし、カラオケをする家庭環境でもなかったし、稽古事も静かなもの…。ストレス発散がしたかったのかもしれません。合唱?長唄?…散々考えて、謡を習えば声が出せるのではと思いましたが、近隣に師匠はいなそうです。思いついた流派が観世流でしたので、ホームページを見てみると、事務局に電話して師匠の方から連絡がくる…というシステムのようでした。事務局に電話して、「個人稽古がいいか、グループがいいか、カルチャー稽古がいいか」尋ねられましたが、謡で稽古そのものがわからないので事務局に任せて、電話を待ちました。一向に電話がないので再度事務局に電話して、待ちましたが、連絡がありませんでした。諦めて、『確か、三越のカルチャーに謡があったなあ…』と思い、三越は春宮の遊び場みたいな所でしたので、カルチャー稽古にはじめて行ってみる事にしました。師匠がどのような方かも知りませんでしたが、三越ですから、それなりの方かな…と思って、初級クラスに入りました。
師匠は、宗家の身内の方でした。初級本を求め、流派の扇子を求め、白足袋着用でしたが春宮は着物生活していますからクリアです。コロナ前でしたので、十数人、初級クラスに在籍していました。8畳の茶室を二つ使って稽古場にしていました。緊張して初稽古に伺いましたが、師匠が謡われる後をなぞって謡うだけです😓自分が、どんな声を出しているやら…😖扇子の扱い方も、謡本の見方も教えて貰えませんでした。謡本なぞ『候』などという古語ですから、文字を追うのが精一杯でした。
十数人の内、数人は男性でしたが、女性は稽古が終わると『お茶』、誘われたので、お仲間に入れていただきました。『これが、知人達から聞いていたカルチャー稽古の後のお茶ですね』という感じでした。
コロナが流行して、ロックダウン後に再開された初級クラスは男性二人と春宮だけでした。何ヵ月も師匠が謡われるのを聴くだけでした。素晴らしい謡を聴けるのですから、逆に至福の時でした。その後、マスクをしたまま、又、師匠の後をなぞる稽古がはじまりました。そのうち、初級本をはなれてレベルの高い謡本を使うようになりました。
舞台公演が可能になるにつれて師匠は忙しくなり、代稽古の先生の日が多くなりました。カルチャー稽古は、三ヵ月に一曲仕上げていくのが決まりのようで、段々、難しい謡になりました(師匠の好みで決めるのかと思うくらい…)。代稽古の先生方は、不思議そうな顔でした。
ずっと、三人の稽古でしたが、コロナが下火になった頃、女性が入ってみえました。
人様の事を言えた義理ではありませんが、男性の片方の方は、声が大きく音痴です。新しい女性は、キンキン声で、謡を多少はご存知のようで、声の大きい男性の上をいってやろうとする負けず嫌いな性格らしくて、大きな声の音痴とキンキン声で、春宮の頭はどうにかなりそうでした。いろいろな方がいるのがカルチャー稽古と承知はしていても…。三ヵ月に1回くらいみえる師匠は何も注意なさいません。代稽古の先生に「前のめりにならないで、ゆったり謡って下さい…」と何回か注意されてもお二方とも自分の事とは思ってもいないようで、とても疲れました。
代稽古の先生は、芸大の邦楽科を出て修業なさった方です。たまに、師匠がみえると、「芸大はダメダメ!」と、おっしゃっていました。芸大はダメ…と言われても、代稽古にたてている訳でしょう…医学部だって当直を変わって貰えば「ありがとう」です。伝統芸能の宗家身内って、そんなにお偉いの…代稽古をたて忘れてカルチャー稽古をポカなさったり…春宮、何か消化不良状態が続きました。
師匠のお素人会にカルチャーも出るとか出ないという事になった時、何の練習もしていないのに…男性二人は、はじめから出る気無し、春宮は足が悪いので切り戸口の出入りは無理なので参加費だけ御祝いかわりにお出しして不参加にしました(コロナ前もそうしていたので…)。キンキン声の女性に「先生に失礼です」と、凄く怖い目で睨みつけられました。その後、春宮と口もききません。『何なの?』と思いましたが、カルチャー担当の方と、「お素人会の舞台、要するに能楽堂の舞台にたちたかったんだ」と意見が一致しました。いい度胸というか、根性というか…あたられる春宮は、へばりました。ストレス発散ではなくて、重いストレスを頂戴してしまいました。
昨年クリスマスイブ、東大・東大OB観世会のお素人会を能楽堂まで、観に参りました。大学2年生が立派にシテ・ワキをつとめ、地謡から鳴り物まで、しっかりなさるのを観たら、『これが、お稽古の成果』と実感し、年度末でカルチャーをやめる決心をしました。
「辞めます」というと、師匠の後援会の幹事というか婆やのような方から「直弟子になりなさい!」と。キンキン声の方も直弟子になったとか…。御免被ります😖直弟子になっても、代稽古をたてるのすら忘れる忙しさでは、師匠にまともに稽古をつけていただけるとは、考えられません。婆やのキャンキャン言う事も聞き流し、辞める方向で動きました。
師匠にご挨拶出来るとは思えないので、カルチャー稽古をやめる事と後援会の退会届を手紙でお送りしました。
三月のカルチャー稽古最後の日も、代稽古の芸大出の先生でした。ずっと、こちらの先生でしたので、ご挨拶して、春宮のカルチャー稽古は終わりました。
カルチャー担当の方は、陰日向なく、良くして下さいました。
最後の稽古日、稽古の録音は、声の大きい男性の声ばかり入るので、とうに録音はやめていましたが、記念に録音しました。どうせ男性の大きい声とキンキン声の女性の謡だろうと思っていましたが、帰宅して、春宮夫に録音を聴かせたら、「何じゃ、こりゃ~!!!」と叫んでいました。
キンキン声が入ってからの一年間、春宮、耐えました。芸大出の先生も耐えていらしたのでしょうね😓
こんな事以外にも、いろいろあったカルチャー稽古でした。でも、『謡』は嫌いではありません😊
長くなり、ごめんなさい。一気に書かないと混乱しそうで…🙇
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