前回で、パングリッシュの話をしたが、父が大丸で納品を通じて占領軍と接触したように、真駒内や千歳の米軍キャンプに出入りしている生徒もいて、スラングのような手近で身近な英語が流行った。小さな子供が『バカ』などの言葉を早く覚えるのに似て・・・。
ガッデム(またはゴッデム=God-damned=こん畜生!)、サナバベッチ(Son of a bitch=野良の雌犬の子=このくそ野郎!てな意味ですか)、デンゲデンゲ(ぐでんぐでんに酔った)、ハバハバレッツゴー(早くしろ)など・・・。
で、占領軍(時の政府は進駐軍と呼称した。これは占領軍が日本人に敵対感情を持たせないように配慮した結果かもしれない)のキャンプに出入りしていたクラスメイトの中に、『ショウリ』と呼ばれていた生徒がいた。I田稔くんである。
彼は背丈が小さかった。私と同じくらいだと思うが、GIの連中の中に入れば『チビ』だったから『ショウティ』と呼ばれたのだろう。それがI田のショウリとなったわけだ。
彼は現在、名寄市でT陶器店を経営している。つまり婿養子になったというこ
と。(因みに、私の家内・慶子の親友のI田啓子さんの旦那はショウリの兄に当たるという)
少し話は戻るが、敗戦間際の小六の時、余りに私の成績が悪かった?からか、父は私と次男の芳男に家庭教師をつけてくれた。それは芳男の担任教師のM留先生で、我々が先生の自宅へ出向く形であった。
丁度、雪の季節で、太った奥さんがおやつがわりに餅を焼いて勧めてくれた。話の序に『お父さんは甘党・辛党どっち?』と聞かれて、父が晩酌に唐辛子の焼いたのを肴にしていたのを見ていたので『辛党です』と言うと、それって違うと笑われた。芳男は知っていたらしい。ニャロメ、差をつけられた!因みに父は晩酌をしていたが、大していける口では無く、直ぐに赤くなった。
父は大丸の基地の司令部への納品の時にガムやチョコレートを貰ってきて子供達にくれたが、自分は貰った葉巻を吸ったのは良いが、吹かすだけでなく吸い込んだので、真っ青な顔になって具合が悪いと寝てしまった。
中学に入ってからは、北大生のI井さんとか、M井さんとかが私を指導してくれたが、I井さんは大柄で眼鏡を掛けていた。M井さんは若禿げで額が広かった。I井さんは学校を卒業して暫くしてから胸を病んで亡くなったと言う。I井さんの実家が留萌とかで、海産物を年末にたくさん頂いたものだった。
北海中学から帰ってくると、予習復習などはせず、遊んでばかりいたが、成績がそれ程落ちる訳でもなく、ワシは天才か?などとは全然思わなかったヨン!
で、遊ぶのに忙しくて、五男勝裕の下にできた子供をおろした(堕胎した)事など知らなかった。(上二人の姉は知っていたらしい)
どうしてそれが分かったかと言うと、今から20年前、真言密教の修行を始めたからであった。接心修行と言って、霊能者と対座して正座し、臍下丹田に力を入れて祈っていると、霊能者が私の魂を霊界の鏡に写して、その状態を観察する。そして、正しい生き方、正しい考えを見仏に比見するのだが、それを示してから『母親の水子さんが私を頼ってきています』と言う。
母親の水子と言う事は、私の兄弟か姉妹と言う事だ。それで直ぐに姉(長女)に電話して、その事実が分かったのである。私がみ仏の弟子として修行しているので成仏したくて頼ってきたのがその真相であった。
ガッデム(またはゴッデム=God-damned=こん畜生!)、サナバベッチ(Son of a bitch=野良の雌犬の子=このくそ野郎!てな意味ですか)、デンゲデンゲ(ぐでんぐでんに酔った)、ハバハバレッツゴー(早くしろ)など・・・。
で、占領軍(時の政府は進駐軍と呼称した。これは占領軍が日本人に敵対感情を持たせないように配慮した結果かもしれない)のキャンプに出入りしていたクラスメイトの中に、『ショウリ』と呼ばれていた生徒がいた。I田稔くんである。
彼は背丈が小さかった。私と同じくらいだと思うが、GIの連中の中に入れば『チビ』だったから『ショウティ』と呼ばれたのだろう。それがI田のショウリとなったわけだ。
彼は現在、名寄市でT陶器店を経営している。つまり婿養子になったというこ
と。(因みに、私の家内・慶子の親友のI田啓子さんの旦那はショウリの兄に当たるという)
少し話は戻るが、敗戦間際の小六の時、余りに私の成績が悪かった?からか、父は私と次男の芳男に家庭教師をつけてくれた。それは芳男の担任教師のM留先生で、我々が先生の自宅へ出向く形であった。
丁度、雪の季節で、太った奥さんがおやつがわりに餅を焼いて勧めてくれた。話の序に『お父さんは甘党・辛党どっち?』と聞かれて、父が晩酌に唐辛子の焼いたのを肴にしていたのを見ていたので『辛党です』と言うと、それって違うと笑われた。芳男は知っていたらしい。ニャロメ、差をつけられた!因みに父は晩酌をしていたが、大していける口では無く、直ぐに赤くなった。
父は大丸の基地の司令部への納品の時にガムやチョコレートを貰ってきて子供達にくれたが、自分は貰った葉巻を吸ったのは良いが、吹かすだけでなく吸い込んだので、真っ青な顔になって具合が悪いと寝てしまった。
中学に入ってからは、北大生のI井さんとか、M井さんとかが私を指導してくれたが、I井さんは大柄で眼鏡を掛けていた。M井さんは若禿げで額が広かった。I井さんは学校を卒業して暫くしてから胸を病んで亡くなったと言う。I井さんの実家が留萌とかで、海産物を年末にたくさん頂いたものだった。
北海中学から帰ってくると、予習復習などはせず、遊んでばかりいたが、成績がそれ程落ちる訳でもなく、ワシは天才か?などとは全然思わなかったヨン!
で、遊ぶのに忙しくて、五男勝裕の下にできた子供をおろした(堕胎した)事など知らなかった。(上二人の姉は知っていたらしい)
どうしてそれが分かったかと言うと、今から20年前、真言密教の修行を始めたからであった。接心修行と言って、霊能者と対座して正座し、臍下丹田に力を入れて祈っていると、霊能者が私の魂を霊界の鏡に写して、その状態を観察する。そして、正しい生き方、正しい考えを見仏に比見するのだが、それを示してから『母親の水子さんが私を頼ってきています』と言う。
母親の水子と言う事は、私の兄弟か姉妹と言う事だ。それで直ぐに姉(長女)に電話して、その事実が分かったのである。私がみ仏の弟子として修行しているので成仏したくて頼ってきたのがその真相であった。