パイプの香り

昔のことを思い出しながら、こんな人生もあったのだ、ということを書いてみたい。じじの「自分史」ブログです。

昔、昔、或る所に・・・/その二十五

2007-03-02 10:48:00 | 自分史
 前回、北海道新聞社主催の同人誌優秀作』に入選して、北海道の五人の中に入ったと言う事を話したが、その五人の中に、今を時めく大作家の渡辺淳一氏がいたのだ。彼は当時、札幌医科大学の学生だった。
その後、医大の和田寿郎教授が無許可で心臓移植をし、大問題になったのであった。で、彼はその一件を『ダブルハート』という題で作品にし発表した。それが原因で、詰め腹を切らされた格好で医大を止め、プロの作家として船出をしたのであった。

 話し変わって、他の人のことは調べていないが、私は北海道新聞社の同人誌優秀作に二度入選している。
もう一つの作品は「心の中の儀式」で、これは妹が兄の彼女の事を探偵に調べさせ、その探偵に酔った揚げ句に襲われたり、それを交番に届けに行って、ハンサムな警察官に恋心を抱いたり、というまったく取り止めのない話だが、それでも北海道の五人の中に入れたのは、小説というものを心得ているからだと、その時の批評家の先生が申しておりました。ハイ。

 さて、北一条西三丁目の中通りの南向きに、夜はバー、昼間は喫茶店の『オ・シャレ』という店があった。
初めは喫茶店に寄ってみたのだが、入り口を入ると右手に厚手の一枚もののカウンターがあって、左手にはボックス席が20席程あった。造りが重厚な夜の雰囲気を持っているから、昼間の喫茶店としても結構な感じを味わえた。昼間を喫茶店として借りていたのは、寺島さんと敏子さんで、二人は東京から駆け落ちをしてきた間柄だという噂であった。
彼等はバレエのダンサーという話で、後に札幌市内のバレエ教室の合同発表会に彼は結構な力量を示したのであった。彼のすらりとした均整の取れた体も素晴らしかったが、彼の面貌はこれまた素晴らしく、イブ・モンタンとアラン・ドロンを足して二で割った様ないい男であった。

 後年、彼が東京へ戻って、新宿歌舞伎町で『火の車』という居酒屋をやっていて、そこへH間の社長が尋ねていっていった言葉が『F野さんの知り合いはいい男ばっかりだねえ』と感嘆仕切りであった。で、彼のいうF野さんの知り合いは、『パー峠』のマスター宮崎さんなどなど・・・。で、彼等に共通なのは、皆が渋い二枚目と言う事であって、H間の社長は小さい頃に父親を亡くしていたので、父恋しの心がそういう気持ちにさせたのではないかと推測したのであって・・・。

 で、その『オ・シャレ』の夜の部の事だが、ママはでっぷりと貫禄のある田原摩耶さんで、写真家の、前歯の抜けた小川さんが駄酒落にフランス語を混ぜてバーテンをやっていた。
そこにホステスとして働いていたN子さんは、旦那もすすきのでバーテンをしていて、子供がいなかったから誘われて、手伝っていたのだという。彼女はいわゆるロンパリ(斜視)で それを気にしてるせいか、ちょっと寂しげな風貌があって、それが細身の彼女の魅力のひとつになっていた。彼女と割りない仲になった時、旦那に気付かれて『女房があんたと結婚したいといってるが・・・』と店に乗り込まれたが『嫌、単にホステスと客の関係で・・・』と逃げを打った。

 その後、K子さんという私より背の高い女の子もいたが、その子の家は狸小路の6丁目でストリップ劇場をやっていた。一人っ子で甘やかされて育ったせいで、何度も家出をした末にホステスになったのだという。夜明けのキッスをして唇が痛くなったっけ・・・。


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