中央区の大通り西一丁目に北向きで建っている北光教会、現在の建物は20年くらい前に建て直したものであるが、私が幼児洗礼を受けた教会は木造二階建てで、二階の後方に聖歌隊の場所があって、礼拝の時には、頭上から信徒さんたちの上に天井に反響した讃美歌が舞い降りてくるといった趣があった。
日曜礼拝には中学生の時から行っていたが、高校に入ってからは礼拝の後の英語によるバイブルクラスに参加した。なぜなら、そこには女子校生も来ていたから・・・。
で、私一人で独占?するのは気が引けたので?同級生の星野君と隣のクラスの和夫さんをさそった。北星女子校から三人参加していた。教会を出てから、彼女たちの後を付いて歩きながら、三人で品定め?をしていた。結局、その日は初日と言う事もあって、北星高校に(南3西17)入られたので、オシマイ。
翌週のバイブルクラスに少し遅れて行き、玄関の靴入れに並んでいる女の子の靴の中から、多分コレ、と狙いをつけた靴にラブレターを入れたものだ。所が、三年生のF原さんでなく、二年生のO田さんに手紙が渡ってしまった。で、彼女からきた返事には(お付き合いはできません)と・・・。そこで一計を案じて、彼女に手紙を出した『また、バイブルクラスで勉強しましょう』。それも、住所が分からないので、学校気付けで出したものだ。
彼女から一週間後に手紙が来た。『あの手紙を校長先生の前で、読まされました』が、内容が不純では無かったので、バイブルクラスへの出席を厳禁されただけで、許してくれたと言う事であった。
で、もちろん、彼女とはそれきり会えなくなったのだが、これには後日談があって、高校を出てから、或る初夏の日曜日に独りでスケッチブックを抱えて、オイラン淵(今の十五島島公園)へ出かけた時、会社の同僚と一緒に遊びにきていた彼女とばったりと遭ったのであった。バレーボールが転ってきたので拾って返したのが、彼女であった。まあ、何と言う偶然でしょう、と彼女は興奮気味に言った。(その会社の同僚の中に、父の会社で不始末を起こして辞めさせられたUさんがいた)
で、社会人となった二人の交際が始まった。でも、映画を見たり喫茶店に入ってお茶を飲んだりしたが、手を握ったことも、もちろんキッスもしなかった。非常にご清潔なお付き合いではありましたです。
だが、彼女の家には、何か事情があったのか、私に結婚する意思があるかと聞かれた。わずか22か23の男が結婚に踏み切るには何かとてつもない事情が無ければならない。が、私にはそんなものは無かった。
彼女の祖母が急がせたようだった。彼女は帯広の文房具店に嫁いでいった。
最後の日、彼女はドーナッツ判の45回転のレコード『花のワルツ』を私にくれた。札幌駅でクラスメイトや元の担任の教師などに見送られて涙ながらに旅立っていった。私には悲しいとか、悔しいとかいった感情はなかった。あれは恋とか、愛とかいうものではなかったのかもしれない。
アメリカからの中古衣料の特売会に星野君とアルバイトをした。
どこかのお寺の本堂を借りて行われたが、我々の仕事はお客さんが掻き回した衣料品を畳んだり整理することであったが、それ程忙しくなかったので、自分に着れそうなものを窓の外に落として、それを拾ってかえったことがあった。若気の至りで深く心の底から反省しております。スンマセン。
日曜礼拝には中学生の時から行っていたが、高校に入ってからは礼拝の後の英語によるバイブルクラスに参加した。なぜなら、そこには女子校生も来ていたから・・・。
で、私一人で独占?するのは気が引けたので?同級生の星野君と隣のクラスの和夫さんをさそった。北星女子校から三人参加していた。教会を出てから、彼女たちの後を付いて歩きながら、三人で品定め?をしていた。結局、その日は初日と言う事もあって、北星高校に(南3西17)入られたので、オシマイ。
翌週のバイブルクラスに少し遅れて行き、玄関の靴入れに並んでいる女の子の靴の中から、多分コレ、と狙いをつけた靴にラブレターを入れたものだ。所が、三年生のF原さんでなく、二年生のO田さんに手紙が渡ってしまった。で、彼女からきた返事には(お付き合いはできません)と・・・。そこで一計を案じて、彼女に手紙を出した『また、バイブルクラスで勉強しましょう』。それも、住所が分からないので、学校気付けで出したものだ。
彼女から一週間後に手紙が来た。『あの手紙を校長先生の前で、読まされました』が、内容が不純では無かったので、バイブルクラスへの出席を厳禁されただけで、許してくれたと言う事であった。
で、もちろん、彼女とはそれきり会えなくなったのだが、これには後日談があって、高校を出てから、或る初夏の日曜日に独りでスケッチブックを抱えて、オイラン淵(今の十五島島公園)へ出かけた時、会社の同僚と一緒に遊びにきていた彼女とばったりと遭ったのであった。バレーボールが転ってきたので拾って返したのが、彼女であった。まあ、何と言う偶然でしょう、と彼女は興奮気味に言った。(その会社の同僚の中に、父の会社で不始末を起こして辞めさせられたUさんがいた)
で、社会人となった二人の交際が始まった。でも、映画を見たり喫茶店に入ってお茶を飲んだりしたが、手を握ったことも、もちろんキッスもしなかった。非常にご清潔なお付き合いではありましたです。
だが、彼女の家には、何か事情があったのか、私に結婚する意思があるかと聞かれた。わずか22か23の男が結婚に踏み切るには何かとてつもない事情が無ければならない。が、私にはそんなものは無かった。
彼女の祖母が急がせたようだった。彼女は帯広の文房具店に嫁いでいった。
最後の日、彼女はドーナッツ判の45回転のレコード『花のワルツ』を私にくれた。札幌駅でクラスメイトや元の担任の教師などに見送られて涙ながらに旅立っていった。私には悲しいとか、悔しいとかいった感情はなかった。あれは恋とか、愛とかいうものではなかったのかもしれない。
アメリカからの中古衣料の特売会に星野君とアルバイトをした。
どこかのお寺の本堂を借りて行われたが、我々の仕事はお客さんが掻き回した衣料品を畳んだり整理することであったが、それ程忙しくなかったので、自分に着れそうなものを窓の外に落として、それを拾ってかえったことがあった。若気の至りで深く心の底から反省しております。スンマセン。