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2005年の8月に書き始めた夢日記🤞

第二の故郷、中野へ。

2007年06月11日 03時04分03秒 | Weblog
6月10日。

俺は高校を出てから、何を勘違いしたか、1人で東京の街に行くことに決めて、右も左も上も下もわからない状態の中、ガムシャラんなって勤労学生として過ごした街。

それが中野。

風呂なし4畳半の部屋、最初はホームシックになりもした。

でも過酷な生活。
深夜3時に起きて新聞配達をして、朝ごはんを食べて全日制の学校に通い、夕方3時には帰ってきて夕刊配達。
ごはん食べて集金して夜9時10時、銭湯に入ったらもう眠らなくちゃいけない。

淋しさとは意味さえわからなかった。

それでもクラスの代表者やってたり、隠れてバイトもしたりして、若さってのは無敵だったと思う。

怒涛の2年間だった。


親のありがたさに気付く18、9歳。


あの頃あれほどキツくも楽しく、充実し、お金を持っている(使う暇がなかった)ヤツはクラスの中できっと俺だけだったと思う。

あの2年間があるから、大人になって苦労なんて苦労にも思わなくなっていた。



あれから10年。


そんなたくさんの数え切れない思い出がある街をバンドメンバーらとライブの宣伝などしながら歩き回ったんだ。



商店街や中野ブロードウェイを配達していた華の地区を回る。

完璧に配達ルートを覚えている。

そしてたくさんの知っている顔があって、あの頃のまんまの感じで
「どうもどうも~」
と言えば、みんな覚えていてくれた!

配達先で居眠りをよくしていたり、人の心の中に許可なく簡単に入ってはグチャグチャにして帰って行くという、タメ口で馴れ馴れしさ満点のインポクトボーイ島田は10年経ってもみんなの笑顔に会えた。

嬉しかった。

涙モノだった。


みんな応援してくれた。

バカみたいに信じてくれた。チラシも張ってくれたり。


何十人に会えたかわからない。
街中でも偶然友達に会ったり。

よくしてくれたおばあちゃんのうちでは、92歳になっての変わらず元気で三味線を弾いてくれた。
自分らは「桜」を何度も歌わされた(笑)
業界じゃ超有名な人なのね。

焼き鳥屋とか、古着屋とか、漢方薬屋とかラーメン屋とかetc…。
あんま変わってなかった。

ほとんど写真撮るの忘れてた。

ちなみにトップの写真は当時住んでたとこの大家さんとだ。

自分が夕刊配達中に夕立が来たりすると、部屋に入って洗濯物など勝手にしまってくれてた大家さんだ。

俺の第二の父親みたいなもんだ。


前住んでた部屋には今、女の子の勤労学生が住んでるらしい!
中見たかったぞコノヤロウ!!(笑)

ビックリしたのは、共同トイレも扉も変わっていなかったのと、当時俺が共同の流しに設置した「ホースとジョーロの先っちょを繋げた島田的発明品のシャワー」がそのままだった事だった!(笑)


とにかく今回の小旅で、待っていてくれてる人がたくさんいた事を感じた♪

次は、出来たCDを一軒一軒プレゼントしに行くことにする♪



淡い恋的な思い出もあって。

でもあんまり思い出せなかった。

アパートを出てから一緒に住んだマンションの前も歩いた。
何号室だったかも忘れてしまった。


忘れたくはないのだけど、記憶ってものは曖昧だね。

あんなに好きだったのに。


もうちょい俺が世に出てさ、友達やみんなが自慢したくなるような人間になったら、あの頃を懐かしむように、当時の記憶を鮮明に思い出して、昔話に花を咲かせては泣いたり笑ったりしたいと思うよ。


まだまだ振り返ってばかりいてはダメだ。


なんだかがんばれる気がした。


中野を愛しています♪