著者は日本思想史が専門、かな? 『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』でも思ったんだけど、著者には歴オタっぽさを感じる。
冒頭は、まず「平成」と名付けたのは誰なのか? その心は? から始まる。
前半部分は、昭和を含めた日本近代史を語る中で平成の特徴を照射しようとする。語り口は分かりやすい。
平成のナショナリズムで日本会議の部分では、日本会議の前身である「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」を結び付けた、作曲家の黛敏郎を取りあげる。この辺は「音楽評論家」でもある著者の面目躍如。
中盤部分の「天皇論」は面白く印象に残った。
男系を明文化したのは明治に入ってから。この理由は、幕府(将軍)に代えて天皇を上に据えるにあたり、当時の日本人の意識として女性は馴染みがなかったから(将軍に女性はいない)。また、ヨーロッパでも参政権を持っていたのは男性だけだった。新しく国民国家を作るにあたり「統治権を総攬」する天皇に女性を就けることはできなかった。
(戦後民主主義、そしてその後の)現代に合った形で女性も天皇になれるようにすると、「そもそも皇室と民主主義は相容れないだろう」という議論にも繋がり、また「旧宮家の皇籍復帰」は日本の伝統に反するので、いずれにしても、「天皇になれる資格があるのは誰なのか?」という議論に繋がる。(戦後の)昭和・平成の天皇は立ち居振る舞いや「お言葉」、人格などの面で国民の敬愛を集めていたが、今後もそうである保証はまったくない。最早「万世一系」は説得力を失っている(「天皇」の条件ではない)。みたいなことが書かれていた。(と思う)
終盤部分のポスト平成では、悲観的な見方が披露される。
AI開発・研究の結果は人間を阻害した資本主義の暴走で、「人間の虐殺」に繋がる。
①勉強の高度化・長期化にも関わらず、「現代」の急速な進歩に対応し得る能力は人間にはない。
②情報社会、あるいはSNSの発達は、流通する情報量の桁違いの増大を招き、人間の処理能力を超えてしまった。
③現代人は最早不可能な情報の幅広い摂取ではなく自分に都合が良い情報にばかり触れるようになっている。
以上、①・②・③により、民主主義はかなりの危機に瀕している。
平成の30年を通して、戦後民主主義的価値観である、平和主義・基本的人権の尊重・国民主権なども変質してしまった。
平成史を総覧するようなものではなく、副題にあるように「天皇・災害・ナショナリズム」を中核として昭和を含めて近代史から平成史を見るような構成になっている。
総じて面白い書物ではあった。
片山杜秀『平成精神史 天皇・災害・ナショナリズム』幻冬舎新書
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます