仏教開祖であるお釈迦様は元々、他人の苦しみを開放する為に仏教を学んだり修行をしてた訳では無く、自らの苦しみから逃れる為に修行をしました。
インドの北部の小さな国の王子として産まれたゴータマ・シッダールタは大切に育てられ、なんの苦労も無い幼少期を過ごしましたが、少年から青年へと育つ過程で、ある事に悩みました。
人々は歳をとり、病にかかり、やがては死んで逝くのならば、今を生きている事に価値は有るのか?生きてる事に意味は有るのか?
と、真剣に悩んだ末に家族が大反対する中、王子と言う身分も捨て、愛する妻や子供も捨てて出家をしてしまいます。状況的に出家と言うより家出に近い感じですよね。(笑)
そんな訳でゴータマシッダールタは
当時の出家修行僧の元で修行を積みますが僅かな期間で教えを全て理解しましたが、ゴータマ・シッダールタには物足りなく感じ、この程度では悟る事は出来ぬと苦行の道へと進みます。
苦行とは、徹底的に身体を傷めつけ精進する事で悟る修行です。
断食と言って食事もとらずに苦行をするのですから、一歩間違えば死においこまれる事になりかねません。
これは苦行をしてた時の姿のゴータマ・シッダールタの仏像です。
この状態での修行中のゴータマシッダールタを見た人は死んでるのでは?
と思った程でした。
苦行では悟りを得る事が出来ないと思った時にスジャータと言う少女から乳粥をもらい、ある程度の栄養を補給した後に坐禅をくみ瞑想をする中でゴータマシッダールタは煩悩を捨てる事により悟りを得る事が出来たのです。ゴータマ仏陀となったお釈迦様は全ての悩みや苦しみから開放されて真の幸せ感を味わっていました。
煩悩とは人が持つ欲望です。人々は誰もが欲しい物も有るし、異性と仲良くなりたい、お金持ちになりたい、手に入った物を失いたく無い、遊びたい、
など衝動に駆られる事の他に、あの人の持ってる物(人)を奪いたい、盗みたい、と悪事を成す事も煩悩です。
人間には沢山の欲望が有ります。その願いをかなえる事こそが幸せなのだと人々は考えている訳なので、その欲望を全て無くす事が幸せなのだとゴータマブッダは説いても人々は理解出来ないと思って説法により他人に理解してもらうのは無駄な事だと思いました。
そこへ、ゴータマブッダ(お釈迦様)の前に梵天様が現れました。梵天様は
貴方は悟りを得て偉大なる仏陀となられたので衆生の民達にその教えを説いて下さい。確かにこの世の民達は煩悩にまみれ欲望のままに生きてる者は沢山居ますがその中には清き心を持つ者もいるのですから、お釈迦様が説かなければ、そのような清き心を持つ者さえも解脱する事が出来ないのです。
貴方は悟りを得て偉大なる仏陀となられたので衆生の民達にその教えを説いて下さい。確かにこの世の民達は煩悩にまみれ欲望のままに生きてる者は沢山居ますがその中には清き心を持つ者もいるのですから、お釈迦様が説かなければ、そのような清き心を持つ者さえも解脱する事が出来ないのです。
こうして、お釈迦様は説法により悟りへの道を説く事にしました。
最初はお釈迦様の教えに共感する弟子5人だけでしたが、説法を繰り返して行くうちに、出家信者が増えて行きました。
それは今から2500〜2600年程前の出来事でした。こうしてインド国内で広まっていった仏教は中国を経由して日本にも仏教が入ったのです。
しかし、現在の日本人は宗教に興味の無い方々が大半ですが
あまり信仰心は無いけど、お正月には
有名なパワースポットと知られる神社やお寺さんに初詣する。
あまり信仰心は無いけど先祖のお墓が有るお寺さんを参拝する。
あまり信仰心は無いけど親戚や知り合いのお葬式に参列して冥福を祈るのです。
この記事を読んでる方々の殆どの方はお墓に行って墓石の前で手を合わせた事が有ると思います。
お墓には、多数の墓石が並んでます。
墓石の後ろに塔婆と言われる文字が書いて有る木製の細長い板が有りますがその墓石は仏教信者のお墓です。
墓石の頭部分がピラミッド型に三角になってたり、お線香では無く蝋燭で
菊の花では無くお榊を祀ってる場合は
神徒さん(神道)の墓石です。
お彼岸やお盆、故人の命日などに参拝した時に周りを確認して頂ければ解りますが、数有る墓石の8割位は仏教徒の墓石だと思います。(神道専門の霊園等は除く)
こうした事から日本人の約8割は本来は仏教徒だと言えるのではないでしょうか?
日本人は世界からみても真面目で礼儀正しく律儀で有ると認識されてますがその殆どの方が仏道や神道を信仰してます。
もし、悩み事や生活に苦しみを感じてる方々は⇩の記事を参考にしてね。
先祖を大切にする気持ち
仏様(如来、菩薩)を敬う気持ち
信仰も無く神社や寺院を単なるパワースポット巡りとするだけでは中々幸福を得る事は出来ません。日頃から先に書いた気持ちを大切にする事で幸福になる確率は上がります。
もし、自分の人生に悩みも無く苦しみも全く無いと言う方は、仏教や神仏に興味無く過ごしても幸せですからご安心下さい。
私は、残念ながら様々な苦しみや悩みをたくさん抱えて生きていますので仏にあやかりたく、仏教を心の支えとして生活しています。
そして、どうせ仏教を学んだり修行をするので有れば楽しく学んで行きたいと言うのが私の本心です。
仏教を学んで行くと色々な発見が有り楽しいです。(この時点で幸せに片方の足を踏み入れたような気分です。)
今後も、仏教ファンからの視点での記事を書いて行きますので、記事が良いと感じたり共感なさって頂けたら
フォロー等して下さると嬉しく思いますので宜しくお願いします。
普迴向
🙏😌願わくばこの功徳を持って
あまねく一切に及ぼし我らと衆生と皆共に仏道に成ぜん
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます