広島の乱読ジジイ

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天野彰 氏

2006年11月29日 | 住まい造りの話し
ネット内には「良い住宅をどうやって建てるのか?」と言うテーマで沢山のHPが落ちています。
殆どの場合、HM、工務店、設計事務所、コンサルタント、或いはそれぞれの個人がセールスをするための物です。
同業他社の誹謗中傷と言える記事も多く、自分たちが思いこんでいるとしても、一般ユーザーを混乱させるようなHPが多いのも事実です。

その中で、私がいつも読んでいるのは「asahi.com」のHPに掲載されている「天野彰」さんの記述です。
「天野彰の、良い家、良い家族」
http://www.asahi.com/housing/amano/TKY200611260088.html

家づくりに対して、営業的な事を優先するのではなく、天野氏の経験から来る話題はとても為になると感じています。
「天野氏のHP]
http://www.amanoakira.com/

営業というのは難しい

2006年11月19日 | 人間
営業マンというのは 会社を代表して 折衝に当たるのが仕事です。

会社の代表と言うと「社長」じゃないかと思う人もいるでしょうが、個人経営の事業ではないから、実際にお客様と折衝をするのは、1営業マンです。

お客様の意向を聞き、希望に則した計画を構築する、デザイン、材料、金額等のいろいろな提案をするんです。

でも結局は人間、合う合わない、、人間同士の周波数、信頼感、期待に応える誠実さが有るのか?
お互いの感性が合わないと、話はこじれてしまうこともしばしばです。

では、合わないときにはどうするのか?
業者側からすると、契約をさせていただくのが最終目的な訳です。
どんなに自信が有っても、契約が出来なければ、空論に過ぎません。
そこで、選手交代!! ならぬ営業担当の交代をすることもあります。

交渉途中、どう考えてもお客様の意向を聞き出せないまま進んでいる、そう言うことが分かると、決断しなければいけません。

先日、新築祝いをされたお客様の場合の場合、そのケースでした。
ベテランだけど、信頼感がない?
本意を聞けていないのでは無いか?
そう思い、思い切って中間どころの営業に変えてみました。

その相性は、結果的にぴったりとはまり、他社で契約すると言われて居た物をひっくり返してくれました。

結果、すばらしい建物が完成し、施主様も大喜びしてもらうことが出来、お祝いの席も大盛りあがりだったそうです。

人間とは不思議な物です。
営業は、悲しくもおもしろい物です。

シンプルなダイニング、キッチン

2006年11月19日 | 住まいの提案
白を基調とした、シンプルなLDKのキッチンスペースです。

床は大理石風の木質フロアー(最近結構増えてきました)壁天井は白いクロス
流し台もその空間にポンと置いただけのシンプルさが綺麗です。

ソファーやテーブルもシンプルな物を選び、ビビッとなクッションや小物を配置すれば、都会的な空間に仕上がります。
住む人の感性を十分に表現できるLDKに仕上がりました。

玄関から和室につながるアプローチ

2006年11月18日 | 住まいの提案
この写真先日竣工した注文住宅の内部です。

洋風の玄関から、檜の格子戸を開けると和風の空間が広がります。
洗い出しの土間に、御影石の平板を配置し奥には石灯籠もあります。
右側には大きな掃き出し窓があり、お客様を迎える明るい雰囲気が素敵です。

料亭か展示場ではないかと思われるでしょうが、個人住宅でもこのくらい凝った造りも有るんです。

室内に埋め込んだデザインガラス

2006年11月14日 | 住まいの提案
リビングと廊下を隔てる壁等にデザインガラスと埋め込む

ちょっとしたことで ただの壁におしゃれ感を演出できます。
大きすぎないのが、良いですよ。
写真の例は 150ミリ角くらい 壁は塗り壁で出来ています。

家って 陰影 光の取り方で表情が出るんです。

間取りが決まったら、こんなアイデアを考えてみましょう。

坪庭を見る地窓

2006年11月14日 | 住まいの提案
和室の床より、高さ約45センチの横長の窓です。

外には小さな和風の庭(坪庭)を造っていて、和室内から見るとおしゃれで落ち着いた空間を演出します。

外部を見せることで、空間の広がり間も演出しています。
 ほんの一部分しか見せなくて済むので大がかりな庭を造る必要もなく、隣家からの目線も消しやすいのが特徴です。

「リビング」や「玄関ホール」にも応用できます。

自分の親父について

2006年11月01日 | 人間
[ 親不孝 ](自分の父親について)

オヤジが亡くなってから もうすぐ17年になる
死んでしまっても当分の間、実感はなく乗っていた水色の軽トラックを見ると
「こんな所で何やっているんだろう」と思ったものです

先日、現場で昔の知り合い、屋根職人さんに合いました、ホント偶然でオヤジが死んでからも1度も会ったことは無く、凄く懐かしかった。
その職人さんが「あんた所のオヤジさんには世話になったよな~」
「いい人だったで、な~」と言われました。
そうか、オヤジを覚えてくれている人がいるんだ、嬉しいな、懐かしいな。
昼ご飯を食べるために敷いた、ブルーシートに座り込み、その頃の話しをして。
元気で何よりだと笑い会ってコンビニで買ったむすびを食べたんです。

オヤジは外面がいい人で、いっぱい仲の良い職人さんたちが居たなと思いだした。
(家族は放っておかれたような気がする)
オヤジは仮にも「大工の棟梁」で、下請けの仕事はしたことがない。
言ってみれば、請け負った仕事については1番の責任者であり、腹をくくって命がけの仕事をしていたと言っても決して言い過ぎじゃないと、今さら感じる。

私はサラリーマンであり、社員だから会社の責任者ではない、重さが違うのかも知れない、でも、自分が契約した建物の1番の責任は、自分にあると感じる。
心意気だけはサラリーマンでは居られない。
オヤジが教えてくれたことは、今でも生き続けている。

「自分は何でも出来るよ」とオヤジに言って事があるんですが、なんと無意味な言葉だったんだろうかと、今更思い出してしまう。
本当に親不孝な人間です。

自分が死んでしまって、この世に欠片さえ無くなった時に、家を建ててくれた人、家造りに関わった人に少しでも自分の事を、覚えていてもらえるだろうか?
仕事としての家造り、決して職業と言うことでは無く、数十年経った後で思い出してもらえるだろうか、、

オヤジが生きていたら、自慢したい家も有るし、見せてやりたい現場もある、でも、オヤジが亡くなって、こんなに年月が経って自分が歳を取っても「まだ越えられない」と思う。

天気と時計

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