2月6日曇りのち晴れ。昼間はパーっと暑いが、朝・晩は寒い。
午前中に楽器を屋上の部屋に運び、昼前にダカールの中心街に出る。
楽器を運び終えるとジビィが迎えに来てくれた。
今日は彼の車でザールの娘たちが住むメディナという街まで行き、お家でお昼を食べるとの事。
メディナはダカールの下町で、ユッスー・ンドゥールの出身地でもある。
お家にお邪魔するとザールの娘のバヤン、その子供たち、お手伝いさんなどなど
みんなでお昼の支度をしてくれた。
出された料理は「魚のヤッサ」塩コショウで味付けし表面をカリっと揚げた魚をごはんの上に乗せ、そこにレモン玉ねぎソースをたっぷりとかけたものだ。
セネガル料理は基本、大皿をみんなで囲み、右手の素手かスプーンを使って食べる。これがまた絶品なのだ。
バヤンにお礼を言うと「いつでもご飯食べに来てね!」と言ってくれた。ありがたや、ありがたや。
バヤン宅を後にし、ザールの出身地ヨフに連れて行ってもらう。
ヨフに向かう道中に変な銅像を発見。
セネガル独立50周年を記念して作られてたアフリカルネッサンスのモニュメントだ。
調べると実は北朝鮮の国営建設会社が工事を請け負ったんだとか。
なるほど、言われてみれば共産主義国の首都にありそうなデザインだ。セネガルでみた他のオブジェとは明らかに趣が違う。
ヨフに着く。ちいさな漁村でみんな知り合いの様だ。5メートル歩く毎に誰かしらザールに話かけてくる。こうなると紹介されてももうだれか誰だか分からない。
風景の写真を撮ろうとすると子供が寄ってきて、自分の写真を撮ってくれという。
カメラの前で、ポーズを取る子供の写真を撮っていると僕も、私も。と子供たちが集まって来た。
といっても、撮られた写真をどうこうしたい訳ではなさそうだ。
ただ、ポーズをとって写真を撮られているのが嬉しいのだ。
そして、ザールの実家に行き、お母さんやお姉さんを紹介してもらう。
ここで、ザールが私にセネガルネームを付けてくれた。
「アラム。これを秀子のセネガルネームにしよう!これは僕のお母さんの名前だよ。気に入った?」
「もちろん、気に入ったよ。ありがとう。」と答えると、隣に居るザールのお母様、アラムさんも私を見て微笑んでいた。
ザールの従兄弟が「ここは君の家だよ。いつでもおいで。」と言ってくれ、
ザールのお姉さんも「今度来るときは料理を作って待っているね」と言ってくれた。みんな本当に優しい。
今日は、ヨフのお祭り「TUURU MAME NDLARE」の日で、タマプレーヤーのジビィも参加するから連れて行って貰う。
この祭りは村でも大きな祭りの様で、おしゃれをした村人たちとパーカッションプレイヤー、ダンサーたちで溢れていた。
←祭りに向かう人々。
←パーカッションたちが馬車で運ばれる
←おしゃれに着飾る客席の人々
ジビィの計らいでミュージシャンセクションの真横に座らせてもらった。
そこで、ザールの従兄弟でオーストラリア在住のパプさんと知り合う。彼は英語が上手く、祭りの事やここに居るミュージシャンについて分かりやすく解説してくれた。
←サバールとタマプレーヤーたち
祭りが始まるとリズムと熱気に圧倒され涙が溢れてきた。うまく説明できないが、感激してしまったのだ。
それを見たパプがハグをしてくれ「どうして泣いているの?」と聞いてきた。
「感動して涙が止まらないんだよ」と言うと
「ハッピーなら良かった。この祭りは何百年も続いている、この村の誇りなんだよ」と教えてくれた。
そして、私とカズをダンサーエリアに呼び、「踊ろう!」という。
サバールダンスがほどんど分からない我々はただパプさんの踊りを見よう見真似で踊った。
↑中央でミュージシャンを仕切るパプさん
席に戻ると笑顔とサムズアップで迎えてくれる人々。もう、どんだけ優しいのよ。
祭りが終わると近くにいた子供がカズにトゥングネ(という太鼓)を叩いてみなよ渡す。
アジア人が珍しいのか、カズが叩くとタマやサバールを持った子供たちが集まってセッション。
太鼓を叩けば皆友達って訳だ。
祭りの後は、ザールの盟友であり、キーボーディストのダボーさんの家に楽器を借りに行く。
そこでダボーさんとセッションをした。ザールはダボーの家にあるピーナッツを勝手にボリボリ食べまくっていた。
相当仲良しなのだろう。ダボーもまた、とても親切な人。
ダボーの家を後にし、ザール宅で夕食を頂くと時差ボケでヘロヘロだったせいか、ベッドに撃沈する。
続く。
午前中に楽器を屋上の部屋に運び、昼前にダカールの中心街に出る。
楽器を運び終えるとジビィが迎えに来てくれた。
今日は彼の車でザールの娘たちが住むメディナという街まで行き、お家でお昼を食べるとの事。
メディナはダカールの下町で、ユッスー・ンドゥールの出身地でもある。
お家にお邪魔するとザールの娘のバヤン、その子供たち、お手伝いさんなどなど
みんなでお昼の支度をしてくれた。
出された料理は「魚のヤッサ」塩コショウで味付けし表面をカリっと揚げた魚をごはんの上に乗せ、そこにレモン玉ねぎソースをたっぷりとかけたものだ。
セネガル料理は基本、大皿をみんなで囲み、右手の素手かスプーンを使って食べる。これがまた絶品なのだ。
バヤンにお礼を言うと「いつでもご飯食べに来てね!」と言ってくれた。ありがたや、ありがたや。
バヤン宅を後にし、ザールの出身地ヨフに連れて行ってもらう。
ヨフに向かう道中に変な銅像を発見。
セネガル独立50周年を記念して作られてたアフリカルネッサンスのモニュメントだ。
調べると実は北朝鮮の国営建設会社が工事を請け負ったんだとか。
なるほど、言われてみれば共産主義国の首都にありそうなデザインだ。セネガルでみた他のオブジェとは明らかに趣が違う。
ヨフに着く。ちいさな漁村でみんな知り合いの様だ。5メートル歩く毎に誰かしらザールに話かけてくる。こうなると紹介されてももうだれか誰だか分からない。
風景の写真を撮ろうとすると子供が寄ってきて、自分の写真を撮ってくれという。
カメラの前で、ポーズを取る子供の写真を撮っていると僕も、私も。と子供たちが集まって来た。
といっても、撮られた写真をどうこうしたい訳ではなさそうだ。
ただ、ポーズをとって写真を撮られているのが嬉しいのだ。
そして、ザールの実家に行き、お母さんやお姉さんを紹介してもらう。
ここで、ザールが私にセネガルネームを付けてくれた。
「アラム。これを秀子のセネガルネームにしよう!これは僕のお母さんの名前だよ。気に入った?」
「もちろん、気に入ったよ。ありがとう。」と答えると、隣に居るザールのお母様、アラムさんも私を見て微笑んでいた。
ザールの従兄弟が「ここは君の家だよ。いつでもおいで。」と言ってくれ、
ザールのお姉さんも「今度来るときは料理を作って待っているね」と言ってくれた。みんな本当に優しい。
今日は、ヨフのお祭り「TUURU MAME NDLARE」の日で、タマプレーヤーのジビィも参加するから連れて行って貰う。
この祭りは村でも大きな祭りの様で、おしゃれをした村人たちとパーカッションプレイヤー、ダンサーたちで溢れていた。
←祭りに向かう人々。
←パーカッションたちが馬車で運ばれる
←おしゃれに着飾る客席の人々
ジビィの計らいでミュージシャンセクションの真横に座らせてもらった。
そこで、ザールの従兄弟でオーストラリア在住のパプさんと知り合う。彼は英語が上手く、祭りの事やここに居るミュージシャンについて分かりやすく解説してくれた。
←サバールとタマプレーヤーたち
祭りが始まるとリズムと熱気に圧倒され涙が溢れてきた。うまく説明できないが、感激してしまったのだ。
それを見たパプがハグをしてくれ「どうして泣いているの?」と聞いてきた。
「感動して涙が止まらないんだよ」と言うと
「ハッピーなら良かった。この祭りは何百年も続いている、この村の誇りなんだよ」と教えてくれた。
そして、私とカズをダンサーエリアに呼び、「踊ろう!」という。
サバールダンスがほどんど分からない我々はただパプさんの踊りを見よう見真似で踊った。
↑中央でミュージシャンを仕切るパプさん
席に戻ると笑顔とサムズアップで迎えてくれる人々。もう、どんだけ優しいのよ。
祭りが終わると近くにいた子供がカズにトゥングネ(という太鼓)を叩いてみなよ渡す。
アジア人が珍しいのか、カズが叩くとタマやサバールを持った子供たちが集まってセッション。
太鼓を叩けば皆友達って訳だ。
祭りの後は、ザールの盟友であり、キーボーディストのダボーさんの家に楽器を借りに行く。
そこでダボーさんとセッションをした。ザールはダボーの家にあるピーナッツを勝手にボリボリ食べまくっていた。
相当仲良しなのだろう。ダボーもまた、とても親切な人。
ダボーの家を後にし、ザール宅で夕食を頂くと時差ボケでヘロヘロだったせいか、ベッドに撃沈する。
続く。
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