■2月27日(日曜日)ウォーキング 7km 1h45m Ave102bpm(51%) 500kcal Elevation100m
日曜日の午後は、電車で京都市内へ。先週の京都新聞(デジタル版)で、大丸京都店のファミリー食堂が2月末で閉店する記事を目にして、これは行かねばと即行動。大学生だった30年前、そこで3年間アルバイトさせてもらった思い出の地。今でも数年に一度は、重たい酢豚定食を2つ持って手が震える夢を見る。というわけで、ZWFITグループライドと昼食、洗濯を終えて13時半に出発。
近鉄京都線と地下鉄を乗り継いで四条烏丸の大丸店へ。少なくとも10年ぶりに来たけど、大丸自体の雰囲気は当時とほとんど変わってない。大阪の百貨店はどこも大きく変わったが、京都店もエレベーターガールこそいなくなったものの、エスカレーターから見る店内は昔のまんまに見えた。せまいトイレも健在。そして8階のレストランフロアへ。ファミリー食堂前は中高年な人だらけ。整理券配布していて、受け取ったら330番。「ただいま130番までの方をお呼びしておりまして、2時間半の待ち時間です」と。さすが、昭和・平成・令和と三時代続いた老舗だけあって、思い出を持つ人が多い。8階にあるほかの飲食店は30年前とすべて変わっていて、行列もできていない。ファミリー食堂の存在感を改めて思い知った。私がアルバイトしてた頃も、昼食時は行列できていて、相席が当たり前だったもんなぁ。
8階のペット用品店、園芸店、屋上をぐるっと懐かしんで14時半過ぎに店外へ。2時間半散歩することにして、錦市場から四条通を歩いて、八坂神社へ。11月に長女の合格祈願したので、そのお礼参り。11月と同じく、ねねの道から高台寺を経由し、Takagi氏の結婚式できたSodoを通り、清水道から東山七条へ歩く。高校の入試説明会の時に寄った喫茶店に行ってみたが、日曜日は閉店だった。30年前にアルバイトの追いコン(死語)で来た、女坂ふもとの洋食屋さんも15時で閉店。自販機でジュース飲んで、智積院の境内を散策。真言宗の総本山らしく、お寺の大きさに圧倒。モダンな建物があって、京女の校舎かと思ったら、お寺の本部と宿泊施設だった。なんかすごいところだった。
京阪七条駅まで坂を下ったところで、足が相当疲れたので電車で四条駅まで北上。四条大橋を渡って、少し南にさがって四条通を避けて、仏光寺通りを高倉通まで西へ歩く。昔、寺町通りはは電気屋さん街だったなぁとか、四条河原町といえば阪急前でよく飲み会の待ち合わせしたなぁ、と昔の記憶がよみがえってきた。
ファミリー食堂でアルバイトを始めたのは、時給1000円と当時としては高額な時給につられて応募。その前は飲料メーカーの配送助手のアルバイトを夏休み・春休みにしていたから、あのヤンキー職場の肉体労働に比べたら、天国のような職場だった。社員さんはみんな女性で、トップでやさしい人おばあさんだった。マネジャーさんは厳しい人、リーダーさんは自ら配膳する働き者、チーフは気さくなおばちゃん、平社員は厳しいシングルマザーだった。1フロアを4エリアに分けて最大12名が働いてて、アルバイトは京都市内のいろんな大学・専門学校から来ていた。男女とも仲良くて、女子はあか抜けたかわいい子が多くて、男子は活発で明るい人が多かった。それに比べたら、当時の立命は自分も含めてイモ(死語)だったな。地方出身が多かったからか。それなりに忙しい仕事をともに経験したので、みんな仲良くなって、よく一緒に遊んだ。卒業後も結婚式に呼ばれたことがある。大学の思い出ベスト3に入る経験だったと言える。
そんな思い出いっぱいのファミリー食堂に再び戻り、サンプルのディスプレイ見ながら食券売り場に並ぶ。店内は30年前のまんま。配膳の制服、白いイスとテーブルのレイアウト、柱とお水を置くカウンター。客席からちらりと見える厨房も昔のまんま。エモいという若者言葉は、こういうときに使うのか。そんな中、一番人気の揚げそばをいただく。ラストオーダー後、あまった料理を厨房で少しずついただくのが、一人暮らしのアルバイト学生の楽しみだった。そんな中で一番人気はこの揚げそばだった。当時の舌の記憶がよみがえった。店員さんに、ごちそうさまでした、ありがとうございました、と告げてお店を後にした。あそこで働いた3年間は一生忘れない。
大阪で勤めていると、変化に対応し続けることが良しという風潮があるが、京都には同じであり続けることが美徳とするところがあるな、と思った。長女が春から通う高校もいわゆる伝統校らしく、入学手続きとか古いなぁと思うことがあったが、何となく納得。大阪と京都、それぞれのいいところを学んで、仕事に活かしていこう。