日次記

ダラ主婦の徒然

あの日に零れそうだった涙はまだ先に

2011-02-07 23:05:49 | 徒然
月曜日は日曜の不調が嘘のように毎週だいたい調子よく。
それでもいつもよりはイラ度が高かったかな。
なんでだか忙しいんだよねー…。

もう、ここしばらくは私生活がいっぱいいっぱいで。
気分が落ち気味。

以下は後で自分が読み返すために書くようなものなので、
さらっと読み飛ばしてくださいませ。
思いついたことつらつら書くので、読みにくいだろうし。


そう。先週の月曜から一週間たちました。
きっとあの日を私は忘れない。

先週の月曜日。今年90歳になる祖母が心筋梗塞をおこしました。
前日、とても調子がよさそうだったから、その分余計にショックで。
今晩逝ってしまうかもしれない、と医者には告げられたそうです。

そのことももちろんショックだったんですが、
父の涙を見てしまったことがよりショックで。

私と父は、特に険悪というわけでもないですが、
必要なことも時に喋らないくらいお互い腫れものみたいな存在で。
私が極度な人見知りの為と思われますが。
…たぶん人格形成期に必要な接触を持たなかった為だろうね。
あの人はホント仕事人間だったから。
(だから友人たちに意外と父親っ子が多いのを知って羨ましく思ってた)

そんな空気みたいな父ですが、やっぱり涙を見てしまったらショックで。
ああ、父もやっぱり人の子だったか、なんて思ってしまったりもして。

そこからまた私は取り乱した心で、静かな部屋で色んな事を考え始めたり。

現在母方の祖父母は既に亡くなり、父方の祖父もとうに鬼籍の人で。
今回倒れたのが唯一の「おばあちゃん」
もしも彼女が亡くなってしまったら、次は順当にいけば私たちが親を送る番なんだなあ、と。
そんなことを考えだしたらもう、悲しくて悲しくて。

親孝行ってなにさ、とか考えたり。
やっぱり孫を見せてやることなのかしら?とかも思ったり。

そう、祖母に、ひ孫をみせてやれてないってのは申し訳ないな、とここ数年思っている。
せっかく長生きしてくれているのに、子孫の広がりをみせてやれないってのは、
とっても不孝なことなんじゃないか、と。

私自身は子供はいてもいなくてもいいと思ってるんだけども、
孫とか子供としての立場だと、申し訳ないなーとここ数年思ってる。

それに。
これから親が亡くなって、その記憶を誰かと共有できないのは悲しいかもしれない、とも思う。
例えば祖母が亡くなったとしても、両親と私とで祖母の記憶は共有できる。
あの時はああだったね、なんて話すこともできる。
ただ、私に子が無ければ、それができない。
加えて、私のことを覚えていてくれる人もいないわけで。
…それは少し悲しい、かな。

ただ、まあ、こればっかりは縁だからなあ。
欲しい!と思ってできるわけでもなし。

という具合に、だ。
ホント、生と死にまつわる色んなことを一週間ばかりぐるぐると考えこんでました。

あ。祖母は今は落ち着いています。
とはいえ、歳が歳だけに、いつ何時何があってもおかしくはないとは思いますが。
電話が鳴るたびにビクっとする日々です。

今はもうただ願うばかり。
一日でも長く明日を迎えられますように。
てゆーか、あと10年くらい生きてくれればひ孫が見られるかもよ!(弟か妹の)






それはそうと。
暴言を吐かれて傷ついてるのはこっちなのに、
なんで責められてる感じになってるのかがちっともさっぱり解せない今日この頃です。


思い悩むことが多すぎる。
思春期を過ぎた身には重すぎる…。