文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

秘密の花園 番外編 『Trap  騙し合い』

2019-05-03 | 秘密の花園 別章
【歴史の歪み】
       
            
 目立たない人物ほど危険だ。
 クラウンベリーおじさんは、そういう人間だった。
 彼は、《総管理局》に在籍していたが、そこに集うエリートたちは、誰も彼のことを「知らなかった」。
 彼が、実に二百年という長い月日のなかを、次々と名前を変えては他の人物になりすまし、
 この世界でひっそりと生き抜いてきたことも。
 ある意味では同属のカルパントラだけは、彼の動向に眼を光らせていた。
 周りの人間は、明らかに記憶を操られている。だから彼の不自然な経歴に、疑問すら抱かない。
 彼はやり手だ。影の催眠術師。その卓越なる手腕を、歴史の歪みに利用した。
 この世界を破壊するため。
 自分を倖せにしてくれないこの国に、彼は怨恨を抱いていた。

           
 事実が明らかになると、《中央》は、最高機密である『催眠システム』の見直しを余儀なくされた。
 彼が仕組んだ『罠』がどこにあるか判らない。
 管理されている暗示呪文が、そもそも誰の手によって作り出されたものなのかも定かではない、混乱した現状だ。
 彼は、全ての機関に潜入可能な立場にあった。
《研究院》の端末の前で煙草をくゆらせていたとしても、彼は「ずっとここにいた人物」になりきることができるのだ。
『箱庭壊滅』のプログラムを組んだのも、彼かも知れない。
 彼は、ついになにも語ろうとはしなかったが、カルパントラには確信があった。
 どうしても聞いておきたかったことだが、彼は答えてくれなかった。
 ただ、またいつものように、あの物憂げな表情で微笑しただけだ。
 彼の一番重要な罪名は、確定しないままだった。
 彼が国中にばらまいていた薬剤が、極めて悪質なものだったということが、唯一の理由になった。
 実際、死者が出ていたし、彼は処刑を免れなかった。
     
           
 こうして彼は(おそらくは望み通りに)、「なかなか死ねない」自分のシナリオのエンドタイトルを手に入れた。 
 この世界を破壊するのに、何故彼は、ひとの恋心や愛情を利用手段に選んだのだろう…。

 その疑問は、果てしなく空しくて、哀しい。

 クラウンベリーおじさんがしょっ引かれたことを聞いた『薔薇の庭園』の住人は、それぞれの想いに沈んだ。
「親切な方だったのにね」

 ローズはヴィオラに、寂しそうに笑いかけた。

「あのひとは、レイの眼の健康を考えて、ブルーベリーのキャンディーをくれた」
           
 ヴィオラはそう云って、心配そうに少年を振り返った。
          
「ぼくだったら大丈夫だよ」

 彼はうつろに笑った。「全然、余裕」
 あまり余裕があるようには見えなかった。

          
 数日後。

《総管理局》は新しい物売りを送りこんできた。
 こちらは完璧なおじさんだ。昨日まで、倉庫で力仕事に勤しんでいたような人物だった。
 彼もまた、心を躍らせるような品物の数々を用意してきた。
 ローズとヴィオラは、それらの品物に釘付けになっている。レイはその後ろで、ひっそりと待っていた。

「坊ちゃんもいかがですか。この薬、効きますよ」
           
 このひとは配慮という言葉を知らないらしい。
          
「それから、できれば30フラワーセント程、まとめ買いをお願いしたいんですがね」
           
 それでは、ローズが受けている支給額の三分の一が消えてなくなることになる。
          
「冗談はほどほどに」
           
 レイが暗い声を出したので、おじさんは黙った。
 これ以上、《中央》に財産を回収させてなるものか。
          
「これは次回の注文書です。ぼくには余計なものを用意しなくて結構。欠品のないようにお願いします」
           
 あくまでも事務的に云ってやった。
 傲慢でとりつくしまのない管理者になってやる。

           

 さて、ひとつだけ疑問が残っていたわけだが、それについてヴィオラは次のように述べている。

 「でも、おじさんは、わたしたちには悪意がなかったんだよね」

 そう解釈できる心の寛大さは、尊敬に値する。
 あれはまさしく、ただのブルーベリーキャンディーだった。(レイが酔ったのは、ブランデーの所為だ) 
 毒物でなかったことは評価すべきことだったにしろ、騙されたことを同列に考えてはならない。
 少年は、著しく自尊心(それが存在すればの話だが)を傷つけられた気分でいる。
 なにが、「究極の快楽」だ。これでは、騙された方がまるでバカみたいではないか。
          
 「多分、本当におじさんは貴方の眼の健康を考えてくれたんだと思うの」
 「嘘までついて」
           
 ヴィオラは主張を曲げなかった。
          
 「ちょっとからかいたくなったのよ。だって、貴方ってすぐに騙されちゃうんですもの。かわいいよね。
 わたし、彼の気持ちがよく判るわ」

 かわいいと云われるのは複雑な心境だったが、でも本当は、一番哀しく思うのは、もう二度と逢えない、ということなのだ。
         
「それってきっと、好きってことだと思うのよ」

 本当に、好きになれそうなひとだったから…。


   

「さて、そろそろ食事の支度をしなくちゃ」
 本を読んでいたヴィオラが、憂鬱そうな声を上げて起きあがった。
          
「今夜は何にしようかな」
           
 相変わらず、彼女は負け続けていた。
 そしていまだに、その不自然な事態に疑問すら抱かない様子だ。
 純粋すぎるのか、愚かなのか、どっちかだろう。
 ローズは薄々と感づいているらしく、時折肩をすくめて嘆息する。哀れな娘だ。
         
「今夜はロールキャベツにしよう」
           
 料理の本を手に流しに向かったヴィオラに、レイが云った。
     
「手伝うよ。一緒に作ろう」
「どうして」
「もうゲームで決めるのはやめにしないか。一緒にやった方が楽しいよ」
           
 良心の呵責に耐えられなくなったらしい。
          
「よかった。わたしもその方がいいなって、ずっと思っていたの」
           
 ヴィオラがにっこりする。ローズは満足げに微笑して、キッチンを出て行った。
          
 
「ふたりで頑張ろうね」

 料理が楽しいと思える、その日まで…。



 完

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秘密の花園 番外編 『TRAP 騙し合い』

2019-05-02 | 秘密の花園 別章
【キャンディーの秘密】



 久しぶりに、ローズにこってりとしぼられた午後だった。

            
 身体は疲労困憊の状態にあったが、どうにか自分の個人財産の最低の権限だけは死守した。
 最近、少年の無駄遣いに気をもんでいたらしいローズは、大人になるまで、それを管理してやろうと云いだしたのだ。
《中央》から毎月振りこまれる「手当て」は、他の誰でもないレイ自身の財産だ。
 いくら子供だからって他人に管理されるなんてまっぴらだった。
 ただ、ローズが主張したいことはもっともだったので、めにあまる無駄遣いは自重する約束をした。

 ぐったりしながらランドリールームへ入っていったレイは、そこにいたヴィオラを見て再び頭のなかが真っ白になった。
 少女は、今まさに、あの『ブルーベリーキャンディー』を口にふくむ瞬間だったのだ。

「やめろ、ヴィオラ」
           
 思わず頭をスパーンとやってしまった。
 お陰でキャンディーは口には入らなかったが、ヴィオラは放心状態だ。

「どこで、これを」
「ここに落ちていたのよ。なんで怒るの」
「怒ってはいない。ただ、これは、絶対に食べたらダメだ」
          
 だってもうひとつしか残っていない。もう一回、今度はしくじらないで試すつもりだった。
           
「…クラウンベリーおじさんからもらったんでしょう」
           
 ヴィオラは勘の鋭いところがあった。「秘密のキャンディー」
            
 レイはぎくりとして、床に落ちた碧い石を拾おうとした。
 ヴィオラの方が素早かった。
    
 「返せよ、ヴィオラ」
 「ダメ。秘密を共有しましょう」
 「なんだって」
 「でないと、ママに告げ口するわよ。それとも《中央》にタレこんじゃおうかな」
 「そういう口のきき方はやめなさい」
 「偉そうに」

 ヴィオラはどうしても返してくれそうになかった。レイは潔く負けを認めることにした。

「判ったよ、キャンディーの秘密を教えてあげる」

 ふたりはランドリールームに鍵をかけ、床に座って向かい合った。
 ローズはお昼寝の時間だ。今回は邪魔が入ることもないだろう。

「いいか、ヴィオラ」
            
 レイは改まった口調で切り出した。

「この世には、子供のぼくたちが知らない快楽があるらしい」
 
            
 ヴィオラは真面目にうなづいている。
           
 「大人になれば運のいいひとは、そういう体験を通じて知ることは可能なようだ」
 「そういう体験って」
 「それについては、後日、日をあらためて説明するとして」
            
 うまい具合にごまかすものだ。

 「とにかく、このキャンディーを食べると、厄介な手順を踏むことなしに簡単にその快楽を体験できるらしいんだ」
           
 「カイラクってなに」
 「いい気分になるってことだよ」

 ヴィオラにはもったいないな、とレイは思った。
 味覚がイカレテイル人間に、高級な菓子を与えるようなものだ。
 だけど、女の子がこれを使ったら、どうなるんだろう…
 しかも、ふたりで同時に使ったら?
 ますます予想がつかなくなる。

「ヴィオラ、どうしても、知りたい?」
「もちろん」
「やめるなら今のうち」
「やめない」

 急に弱気になったレイを、ヴィオラは笑った。

「なんなのよ。別に死ぬわけじゃないんでしょ」 (誰に似てこんなに大雑把なんだろう)
「お互いひどい醜態をさらすことになるかも知れないぜ」
「貴方の醜態なんて、見慣れているわ」 
「…ヴィオラが泡を吹いて白目をむいたら、写真におさめてやろう」
 
 レイはペンナイフでキャンディーをふたつに割った。ほぼ平等だ。
 今回はアルコールはやめにしよう。
 大体、半分ずつでは、どれだけ効果を期待できるか判らない。
 ヴィオラは不思議そうに、キャンディーを手の上に転がしてながめた。
           

「覚悟はいいか」
「いいよ」
           
 せーの、でタイミングを合わせて、ふたりは同時にキャンディーを口に含んだ。

 ブルーベリーの味がする。
 ふたりは無言だった。
 家の中は静まり返っている。小鳥が庭で啼き交わしていた。

 レイはふと、クラウンベリーおじさんに想いを馳せた。
 端正な顔立ちの、声も頭もいいエリート職員。
 彼の魅力に気づいているのは、自分だけだろうか。
《総管理局》は、正真正銘のエリート集団である。
 現実主義の、地面にしっかりと足のついた生き方をするあの人種は、この国では絶滅の危機に瀕している。
 云わせてもらうなら、《研究院》なんて、バカと気狂いの巣窟だ。
 こちらの人種は逆に、いくら排除しても自然増殖して、いっこうに減らない。
 国の将来を憂慮するひとも少なくない。
(ちなみに《医務局》はまったく雲の上の存在だし、《軍部》なんて、論外中の論外)
 
 彼はいつも憂いをこめた眸でぼくを見る。
 頭はよくても、基本的に彼は弱い立場の人間なんだろう。
 保護の対象になるような霊力も持っていない。
 管理能力だけが問われ、使えなくなれば国は簡単に彼を地面に埋めるだろう。
 殺しても死なないような、ラベンダーとは違うんだ。
 ぼくが護ってやれないものだろうか。あの見目麗しい、お兄様を…。

 つらつらと甘い妄想に浸っていたレイの前で、ヴィオラはゆっくりと上体を傾けた。
 そのまま冷たい床に仰臥する。
 あまりの静けさに、すぐには何が起こったのか理解できなかった。

「…ヴィオラ」
            
 少女の呼吸は停止していた。

「どうしたんだ、ヴィオラ」
     
 いつかカルパントラが云っていた。
 敵はどこにいるか判らない、と。
 なにを基準に、味方を探せと云うのだろう。
 眼がきれいだったから。それでは理由としてはあまりにもおそまつだ。
 とても、哀しそうな眼をしていたから…? それも赦されないことだろうか。

「…ヴィオラ!」
           
 この時になって、はじめて少年の頭を支配した恐怖と疑問。
《中央》は、刺客を送りこんだのか?

 しかし、ヴィオラの脈は元気いっぱいに律動していた。
 呆然としているレイに、少女はこらえきれなくなって吹きだした。
           
「迫真の演技だった?」
           
 もう声も出ない。
           
「貴方って、すぐに騙されるのね」
      
 ヴィオラは身をよじって笑っている。そして止めの一言を云い放った。
           
「これ、ただのブルーベリーキャンディーだよね」
            
 レイはうっすらと泪を浮かべている。
 ヴィオラはどこかうっとりとしながら云った。

「おいしい」
「騙された」
       
 少年は、がっくりと肩を落とした。



【歴史の歪み】に続く




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秘密の花園 番外編 『TRAP 騙し合い』

2019-04-29 | 秘密の花園 別章

【クラウンベリーおじさんの憂鬱】
       
 週に一度巡回してくる、物売りのクラウンベリーおじさんは、《総管理局》の回し者である。
《中央》は(善人面をして)国の利益を、国民に等しく(?)還元しておきながら、
その一方ではこのような人間を使って、個人の財産を回収しようとしている。
そしておそらくは、抜け目なく個人の生活を監視しているに違いなかった。
しかしながら、その回し者の口車にまんまと乗せられてしまう人間を、
「騙される方が悪い」などと、容易に否定しないで戴きたい。
とりわけ『箱庭生活』というものは、想像以上に退屈で過酷なものであったからだ。
今日もまた、クラウンベリーおじさんがやってきた。
彼はいつも生け垣の向こう側で、カウベルを振って合図する。
子供たちの反応は敏感だ。
先に外へ飛び出すのは決まってヴィオラ。
その後にそそくさと庭の主であるローズが続く。
一番敏速なはずの剣士のレイが出遅れるのは、注文書を用意する手間に足をひっぱられる所為だ。


       
              

「おはようございます、ローズ様」
クラウンベリーおじさんは礼儀正しい紳士だ。
年齢不詳だと噂されるのは、そのダサいスタイルの所為。
くたびれて色落ちした作業服に、帽子を目深くかぶっている。
時折ちらりと素顔がのぞくが、そんなに「おじさん」ではないかも知れなかった。
この国特有の孔雀石の眸はきれいだし、一応長い髪も手入れは行き届いている。
もっときちんとすればいいのに。そう思う者も少なくない。
「今日も余計なものを色々持ってまいりました」
それはおじさんの常套句。これから商談をはじめる合図となった。
おじさんが用意している品物は、不思議と買い手の嗜好や趣味を心得ていて、
ついつい予定外のものを買うはめに陥ることになっている。まさに相手の思う壺。
美しい更紗布。虹色の刺繍糸。銀細工の指ぬき。ドライフラワーに、花の精油。
ターゲットにされたローズは、手芸に興じる予定はなかったのに、手作りリースキットから目が離せなくなった。
玄関先を模様替えしようかな、なんて思いはじめる。
間違いなく配給の対象外になるであろうお菓子も、籠いっぱいに用意されている。
(このあたりは絶対に計画的。やりかたが汚すぎる) ヴィオラはお菓子しか見ていない。
ローズの服を引っぱってせがんだものは、毒々しい色のラムネ菓子だった。
ふたりが品物を物色している間、レイは辛抱強く後ろに立って待っている。
彼がクラウンベリーおじさんとこっそりアイコンタクトをとったのに、女性ふたりは気づかない。
「いつもご利用いただいているお礼です」
今日は、おじさんがヴィオラになにかをサービスした。
小さな紙袋に入っていたので、中身は不明だ。
「どうもありがとう」
少女は大喜びで家のなかへ戻っていった。
ローズは袋の中身を確認する必要に駆られ、娘の後を追っていった。
「ご苦労様です」
レイは、今週の注文書と引き換えに、頼んでおいた生活備品を受け取った。
「それで、例のものは」
 声を潜めると、おじさんは心得たもので、無言で笑ってそれを手渡す。
 錠剤の入った小瓶だ。
「こんなものが役に立ちますか」
「気分が腐ったときはこれに限ります」
 レイはどこかうっとりとして錠剤をながめた。
 それは合法スレスレで認可されている、云わば公認ドラッグ。
《中央》が行った調査によると、この国の殆どの者が、慢性的になんらかのフラストレーションに悩まされている現状が明らかになった。
そこで《医務局》は、軽度の鎮静剤を解放。
それを《研究院》が、「いつでも手軽に使えるドラッグ」に作り変えて販売した。
特徴は一粒でスカッとできること。しかも短時間でケリがつく。中毒症状は皆無。
絶対安心のドラッグだ。                
しかし、公認はされていても、そんなドラッグに手を出していることなど、なるべく人には知られない方がいいに決まっている。
知ればローズだって気を病むだろう。
例え、少年が抱えこむ「モヤモヤ」や「イライラ」が、思春期にありがちな、ごく自然な症状だと判っていてもだ。

      
               
「ところで、あのゲームの調子はいかがですか」           

クラウンベリーおじさんは、話題を転じた。先週購入した、駒を使う簡単な陣取りゲームの件だ。
 二重商称でもある、俗称「cheat」の名のごとく、対戦相手を最初から欺いて絶対に勝たせない、イカサマゲームだった。
 その門外不出のカラクリは最大企業秘密であるため、買い手にも明かされないが、
マニュアル通りに駒を進めれば、何故か不思議と勝てるのである。
 先攻後攻問わず、相手の機略も及ばず。ただし、理屈が判らないのでマニュアルを丸ごと頭に叩きこむ必要が生じる。
 面白半分でゲームを購入した少年は、このイカサマをうまい具合に日常面で活用した。

 最近、ローズは子供たちに食事の支度をさせるようになった。
 ヴィオラも年頃の娘になったし、レイだって、一応は守人としての立場がある以上、身の回りのことをこなさなくてはならない。
 しかし子供たちにしてみれば、それは悲劇の発端でしかなかった。
 毎日続くと本当に気が滅入ってくる。
 そこでふたりは交代で食事当番をすることにした。
 そしていつからかそこにゲーム的要素を加えては、ささやかなスリルを味わうようになっていたのだ。
 簡単なゲームで勝敗を決め、負けたものが一日の食事当番を担うというルール。
 できるなら、その手の面倒は避けて通りたいのが人情というもの。
 ましてや、男の自分が料理の腕を上げるよりも、ヴィオラの将来を考えて、当番を「譲ってあげる」方が、親切というものだろう。
 少年はもっともらしい理由をでっちあげて、このゲームを使った。
 今のところ、連敗するヴィオラはその真意に気づいていない。
 負ける方に落ち度があると思い、自分を呪い続ける日々が続いている。
「お陰さまで、楽をさせて戴いています」
 レイは真面目くさった表情で告げた。クラウンベリーおじさんは心得顔でうなづいた。
     
「今日はもうひとつ、とっておきのモノをご用意しました」
 合法ドラッグの決して安くはない料金を受け取りながら、彼は云った。
「そんな安っぽい快感よりも、もっとすごい体験ができる」
 彼が差しだしたのは、明らかに「ヤバイ」雰囲気を醸しだしている、碧い錠剤だった。
 自分が手に入れたものとは、雰囲気からして違う。
「こいつを噛み砕かずに、ゆっくりと口の中で溶かすんです。アノ感覚が味わえますよ」
 クラウンベリーおじさんの孔雀石のような眸が、少年を探るようにきらめいた。
「アノ感覚?」
「そう、アレです。判るでしょう」
 思い当たったらしいレイは赤面して眼をそらした。
「ああ、アレね。…でも、ぼくは」
 思わず後退した。「まだ、こんな年齢なので」
「庭を管理しているからって、将来の伴侶が得られる可能性まで保証されたわけではないのですよ。
貴方だって、もしかしたら一生、それを経験することなく死んでゆく運命かも知れない。知りたいと思ったことはないですか」
 ないわけがないではないか。しかし、はっきりあるとは云えない。
 クラウンベリーおじさんはやや砕けた感じになって、懐から煙草を取りだした。
 いつも通り少年にも気前よく分けてくれる。
「…《軍部》のキャンプの惨状には眼も当てられません」
 彼は暗澹たる気分で云った。《軍部》に籍を置きながらも、レイはあまりキャンプには出向かない。
あそこはどうも陰険で、男くさくて嫌なところだ。
薔薇の香りとお菓子の甘いにおいに飼いならされた者には、生理的な拒絶反応が出るような場所だった。
 しかし興味はある。少年はクラウンベリーおじさんが時折入手する《軍部》情報を聞くのがたのしみだった。
「狂気に陥った男社会というものはむごいものだ」
 おじさんは嘆息する。「私はその現状を目の当りにしてきました、貴方の所属する
《軍部》はその最たるもので、行き場をなくした欲望をもてあます若者は、同性の仕事仲間に慰めを求めて徘徊する…」
「マジですか」
 レイは真っ青になった。
 あの《軍部》の荒くれ者たちが? 
 なんて気色の悪い話だろうか。
「軍のキャンプなんてもはや無法地帯のようなものです。
 クラウンベリーおじさんは、自らの体験を物語っているかのように、物憂げな表情だった。
「貴方ももうじき十三の節目を迎える。国が貴方を大人として扱うようになれば、連中の視線も変わってきますよ。
くれぐれも警戒を怠らぬように、ということですな」
 レイは最悪の状況に追いこまれている自分を想像して身慄いした。
 おじさんは少年の反応を見て笑う。
「貴方のように無菌状態で育った子供は、闇に囚われる傾向が強いといいます。知りたいと思うことは悪いことではない。
むしろ無知であることの方が罪です」
 クラウンベリーおじさんは、いつも饒舌だ。そこには不思議な説得力があった。
「これを貴方に差しあげましょう」
 彼は、ふたつの錠剤をパラフィン紙に包んで手渡した。キャンディーのように見えなくもない。
「サービスです。ただし、絶対秘密にしておいてください。こいつは違法行為になります」
「受け取れません」
「それでは捨ててしまってけっこう。これくらいの量では中毒にはならないし、後々料金を請求するつもりもないことだけは云っておきます」
「貴方を疑っているわけではないんです」
「判っています。君は、いい子だ」
 突然、おじさんの口調が変わった。「他の庭の管理者ときたら、傲慢でとりつくしまのない連中ばかりでね。
この庭は唯一、心が和む場所だ。私は君に逢えるのがたのしみなんだよ」
 口調が砕けてくると、身近な兄のような感じがしてくる。
 白状してしまうと、本当は、レイは少しこのおじさんに惹かれていた。
 時折見せる素顔は端整でなんと云っても頭がいい。彼の深いバリトンは、聞いていると気持ちがよくなってくる。
それに、時折垣間見せるあの物憂げな表情。
それは露骨に心臓を突いてくる。            
「陶酔」とか「心酔」とかいう言葉を、少年が知らないのは不幸な事実だった。
おじさんの持つ独特な波動に、すっかり毒気を抜かれていた。
 少年がここまで警戒を解くのは珍しいことでもあった。        
 周りの女性たちはみんな文句なしにやさしい存在だったが、やはり時には、同性の力に頼りたくなることもある。
(もっとも、カルパントラばあちゃんなんかは、オールマイティーで頼りがいがあるのだけども)
 レイは、心のどこかで兄のような存在を求めていた。
 クラウンベリーおじさんは、それにぴったりの人材だった。

「私は君に、ちょっとしたプレゼントをしたかっただけだから」
「貴方は、これを使用したことがあるんですか」
 おずおずと少年が聞いた。
「ありますよ。ただ、私は重大な過失を犯した。場所と時間を選ばなかった。おかげで、大衆の面前で大恥をかきました」
「それって、一体どういう…」
 そこへローズがやってきたので、ふたりはすばやく「商談中」の顔を作った。
「クラウンベリーさん、娘が戴いたものはなんでしょうか」
 何故かヴィオラは、それを秘密にしておきたいらしい。自分の部屋に入るなり鍵をかけてしまった。
「ラズベリーのバスキューブです」
 おじさんはにっこりと笑って答えた。



 『Bad Trip』へ続く 



           
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