文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

緑の指と魔女の糸 舞台版 『巡る季節』

2018-09-24 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ


 第一幕  第1場  紫と凛のアパート
              

 
 真夜中。ハッとして目覚める紫。酷い痣が広がった腕が痛む。
 目が覚めたのはその所為ばかりではない。嫌な予感がした。

 紫  嫌だ…、近づいてくる…、もうすぐそこにいる…。
 命  (眠たげに身を起こしながら)どうしました、紫殿。
 紫  いいえ。何でもない。心配しないで。凜が起きちゃう。

 命がいぶかしげに、紫から目を離さない。

 紫  貴方には隠しようがないわね。云っておくわ。私に何かあったら、
    凜を護って。この子は私を護ろうとするでしょう。でも止めて。
    万が一の時は、高尾山の宝山殿を頼ってね…。
 命  万が一とは…?
 紫  (力なく笑い)…万が一よ…。あのひとは、ここを見つけてしまった…。




 第一幕  第2場  小学校 昼休み

 凛と夏ちゃんが、日課のように続けている、テコンドーの稽古試合。
 その白熱ぶりに、もはや、誰も口も手も出せなくなっている。
 凛は攻めの一手。夏ちゃんは防御で精一杯の様子。

 夏ちゃん  凛! 少し手加減しろ。いくら俺だって、当たれば痛いよ!
 凛     夏川先輩、手加減はなしッス! 本気で攻めて来て下さい!
 友人1   毎日よくやるよ。明らかに凛の方が強くなってるな。
 友人2   凛のやつ、何をむきになってるんだ?

 ふたりの様子を立ち止まって見ているのは、百合亜だ。しかし、声はかけずに行ってしまう。

 百合亜   もうあの子は、私のアンじゃなくなった。

 舞台中に響くふたりの掛けあいの声。
 空気を切る音が、戦闘の激しさを物語っている。




 第一幕 第3場  町の不動産会社



 社員の猫平が、紫に恭しくお茶を淹れている。元気のない彼女が気にかかる様子。
 実際、紫は憔悴しきって、椅子に座っている。

 
 猫平  不審者のことは、警察にも相談しておくべきですよ。
     しかし、警察は事件が起きてからじゃないと中々動かないしなあ。
     ああ、でも、この商店街の交番のお巡りさんは熱血漢で頼りになりますよ。
     僕からも話をしておきますから、そんなに心配しないで下さいよ。

 紫   お願いします。それで、くれぐれも、私たちの居場所を尋ねてくるような人がいて 
     も、教えないで欲しいんです。
     急な用事だとか、親戚の者だとか、そう云っても絶対に。

 猫平  大丈夫ですよ。その時は、すぐ紫さんに連絡しますから。

 紫   ここは、観光スポットでもないし、
     ここに住んでいる人以外の人間が通ればすぐわかりますよね。

 猫平  僕は一目でわかります。その時は注意して、紫さんに知らせますから。
     それで安心するでしょう? 紫さん、心配しすぎですよ。

 何を心配しているのか。誰が彼女を怯えさせているのか、聞くに聞けない猫平。      
 それ程、彼女には深刻な事情がありそうだったのだ。

 紫   何も聞かないんですね。

 猫平  話したくなったら話して下さい。

 ありがとう。そう云って、紫は店を出て行った。
 夕刻。舞台はオレンジ色の光で満たされる。
 紫は、子供たちを迎えに、小学校の方面へ歩き出す。
 その肩を、誰かが叩く。振り返る紫の顔から、血の気が引いてゆく。
 黒い影が、彼女に張りつくように立っていた。
 場内に響く男の声。
 何を怯えているんだい、ユカリ。

 

 暗転。




 第一幕  第4場  草原のリゾート地 ペンション蒼 1989年



 夏の草原。                 
 バイト先のペンションで、客室を掃除する紫。
 見た目は変わらないが、長い髪をお下げに結っている。
 その姿を目で追う、阿久津の姿。


 阿久津  七字さんはよく働くね。
 紫    私、お金を貯めてオーストラリアに行くの。
 阿久津  コアラに会いに?
 紫    ワーキングホリデーよ。パースに行きたいの。
 阿久津  へえ。そんな女の子初めて見たよ。
 紫    家から離れたいんだ。厳しい家だから、息が詰まってしまって…
 阿久津  …俺も、似たようなものだよ。だからここへ逃げてきた。カッコ悪いだろ?
 紫    そんなことないよ。

 ふたり、顔を合わせて笑う。似た者同士なのかな。どちらからともなく云う。
 ふたりの距離が、季節に重なるように、徐々に縮まってゆく。
 夏から秋へ。舞台に赤い紅葉の影が回転する。手を繋いで歩くふたり。
 秋から冬へ。白い光が舞い落ちる。はしゃいで笑い合うふたり。
 冬から春へ。ピンク色の花びらが散ってゆく。
 もうふたりは、立派な恋人同士だった。

 阿久津  お金は溜まった?
 紫    うん。もういつでも旅立てるわ。
 阿久津  じゃあ、これでお別れ?

 紫は、ハッとして阿久津を見る。当然彼もついてきてくれると思っていた。

      私と、来てくれないの?
 阿久津  一緒には行けない。事情があって。親が病気で、仕送りしていたからお金もないし。

 うつむくふたり。紫が、舞台の前方に歩み出る。

 紫    家を捨てて、ひとりでここまで来た。
      もう少しだけ、もう少しだけ、一緒にいたい。
      一緒にいるのが、当たり前になっていた。
      初めて愛したひとだった…。どうしたらいいんだろう。

 阿久津  初めて、真剣に人を好きになった。離れたくないよ。
 紫    私も、初めて。こんなに優しい人に出会えた。離れたくない。
 阿久津  海外に逃げなくても、いいじゃないか。ふたりで何処かで静かに暮らそう。
      家からは、俺が護ってあげる。
      ふたりで、何処かに行こう。
 紫    …うん。

 ふたりは、巡る季節のなかで、抱き合った。

 

 暗転



 第二幕  第1場  小さなアパート

 子供を授かる紫。
 仕事をしている阿久津だが、時折帰りが遅くなる。

 紫    この頃、残業が多いよね。
 阿久津  子供が産まれるんだ。俺が頑張らなきゃ仕方ないだろう。それに、
      親にも金を送らなきゃ。
 紫    赤ちゃんが産まれるんだから、一度ご挨拶に伺いたいわ。
 阿久津  今はまだいい。それより、金がいる。紫、少し貸してくれない?
 紫    え…?
 阿久津  パースに行くのに貯めた金があるだろう? 必ず返すから。

 紫の不安が強くなってゆく。
 真夜中。今夜も、阿久津は帰って来ない。
 電話が鳴る。彼からだ。

 阿久津   急で申し訳ない。親が手術を受ける。数日帰れない。金がいる。
       振り込んでもらえる?
 紫     その話も少しおかしいよ。何故、ご両親に会わせてくれないの?
 阿久津   それはお互い様だろう?

 ふたりの間で、容赦なく時間が流れてゆく。
 雪嵐。吹雪く風の音の中、ひとりでいる紫。
 花嵐。舞い上がる花片のなかで、ひとり大きなお腹を抱えている。
 夏疾風。舞台の後方から、弱々しい赤ん坊の産声が聞こえてくる。
 紫は、ひとりで凜を産んだ。その頃の阿久津は、理由も云わずに戻らない事が
 当たり前になっていた。

 紫 あの人は、何かを隠してる…


暗転



 第二幕  第2場  小さなアパート 一年後


 疲れた様子で帰ってくる阿久津。
 凜は一歳になっている。
 紫は、もう彼の顔を見ようとさえしない。

 阿久津   また、金が必要になった。悪いけど、紫…
 紫     パースに行く為の資金は底を尽いたし、今月の家賃も払えない状態よ。
       貴方は、何をしているの。

 しばらく逡巡した後

 阿久津   借金をしているんだ。ごめん。ずっと、パチンコしていて。
 紫     パチンコ? 仕事は?
 阿久津   仕事するより稼げていたんだ。でも、段々、出なくなって…
 紫     仕事はしていなかったの?
 阿久津   ごめん。
 紫     もしかして、親御さんが病気っていうのも…
 阿久津   嘘なんだ、ごめん。

 紫は、言葉を失った。
 彼に対する全幅の信頼も、パースの夢も、未来の希望も、幸福な瞬間も、
 全てそんな下らないものに奪われてしまっていたのだ…。

 阿久津にはまだ云う事があった。

 阿久津  金がいるんだよ、紫。助けてくれ。
 紫    そんな…、私にはもう…、凛の事はどうするの…
 阿久津  今日中に用意しなければ、殺されるかもしれない。
 紫    何を云っているの? (笑いそうになるが笑えない)
 阿久津  闇金に手を出した。今日中に返さないと、この家に取り立てがくる。
 
 ふたり、押し黙る。
 紫の胸には、久方ぶりに妖の姿が浮かび上がった。
 幸せな毎日が遠ざけていた世界。
 何か危険なモノが近づいてきたら、魔道を開いてでも、この生活を護ってやる。
 しかし、そんなことを、阿久津に教えるわけにはいかない。

 紫    私にできることは、もうないよ。
 阿久津  それが、あるんだ。頼む、三日だけ我慢して、奴らの云う事を聞いて欲しい。
 紫    それは、どういう意味?


 答えはなかった。舞台に響き渡る、ドアの開くバタン! という音。
 舞台袖から、男たちの声が響いてくる。


 男1   阿久津~、用意はできたのか?
 男2   できてないなら、約束通り、奥さんを借りてゆくよ。
 紫    どういうこと!
 阿久津  (手を合わせて) 三日だけだ。頼む。大人しく云う事を聞いててくれ。

 舞台が突然、暗くなる。
 凛の鳴き声。
 男たちの足音。
 紫の悲鳴。

 紫    嫌、助けて! 助けて、タケシ!
 阿久津  ごめん、紫。ごめんね…、必ず、助けに行くから!

 凜が、激しく泣いている。



 第二幕  第3場  人のいない工場跡地。


 薄明りの中で、傷だらけの紫が横臥している。
 一際明るい光の窓が一つある。
 外に、舞い散る花びらの影が見える。
 三日が経っていた。
 紫は、呻き声を上げるだけで、動く事が出来ない。
 この三日間の間に、身の上に起きたことよりも、凛の事が先に思い起こされた。
 阿久津は何をしているんだろう。凜を護っていてくれただろうか。

 私は、何故、魔道を開かなかったんだろう…
 一日でも早く、凛のもとに帰らなければならなかったのに。
 そして、自分がされた事を思い出すと、気が狂いそうになった。
    
 嫌だ…嫌だ…嫌だ…!

 その時、工場の隅の方から、声がした。人ではなく、妖の声だ。

 妖   大丈夫かい、紫。
 紫   誰?
 妖   一度、紫と遊んだこと、ある。
 紫   遊んだ?
 妖   紫の子供、凛と一緒に、草を探す遊び、した。四つの葉っぱがある草。
 紫   四葉の、クローバー…?
 妖   私は、いつも、ひとり。紫、同情してくれた。一緒に、遊んだ。
 紫   あなたは、クサビラ…?
 妖   そう。遊んで、山まで送ってくれた。また会えるかと思って待ってた。
 紫   こんな町中に下りてきちゃダメって云ったでしょう。

 突然、泣きだす紫。奇妙な影が、そっと紫に近づく。


 妖  帰ろう、紫、家に。私も山、帰るから。
 紫  うん。帰る。


 紫は着衣を直して、よろよろと立ち上がった。工場の軋む扉を開けると、
 春ではなく冬だった。花弁に見えたものは、雪だった。
 警察に駆けこむこともせずに、紫は一心に家を目指した。
 クサビラが家路を教えてくれるように、手を引いてくれた。
 舞台には、切ないほど、ハラハラと雪の影が舞っている。



 第二幕  第4場  小さなアパート



 紫が戻ると、凛がひとりで泣いていた。阿久津の姿はない。


 紫   凛! お腹が空いているの?
 凛   ママ…ママ…
 紫   ごめんね、ごめんね、凛…、ごめんね…。

 凜を抱きしめる紫。
 そこへ、戻ってくる阿久津。

 紫     タケシ! 一体今まで…
 阿久津   ああ、紫。ごめん。本当に、ごめん。俺、また失敗した…
 紫     私を売って得たお金で何をしたの?
 阿久津   今度こそ大儲けして、全額返そうと思って、…
 紫     また、同じことを繰り返したのね。
 阿久津   ごめん、紫、俺、この先どうしたらいいんだろう。

 紫の怒りに火がついた。
 
 紫     もう貴方とは終わりよ。
 阿久津   そんなこと云わないでくれよ。家族が大事なんだ。
       この幸せを壊したくないんだ!
 紫     …地獄に堕ちろ。…私がどんな想いをしたか、判っているでしょう。
       こうなる事を承知で、私を売ったんでしょう?

 
 悲鳴に近い紫の声。


 紫    信じていたのに! 信じていたのに! 心から!
 阿久津  もう一度、俺を信じてくれよ。
 紫    大っ嫌い! 貴方なんか、消えてしまえばいい!


 紫は、化粧台の引き出しから取り出した黄金色の石を投げつけた。

 紫    石に眠る蟲よ、眠りに抗え! 我の盾となれ!

 琥珀が光を放って割れ、閉じこめられていた蜂が羽根を開いた。
 それが阿久津に向かって襲いかかる。
 小さな防御だった。
 阿久津が「痛い!」と声を上げる。
 紫は、そのすきに凜を抱えて外に飛び出す。


 舞台。再び、吹雪の影と音。
 紫の、悲痛な声が響き渡る。


 帰る場所が欲しい…! この子と、ふたりで!



 第二幕  第5場  人のいない工場跡地 2002年


 紫は、阿久津と向かい合って立ちすくんでいた。
 数年ぶりの阿久津は、全く変わっていない。
 悪びれた様子もなく、紫に笑いかけてくる。

 阿久津   探したよ、紫。
 紫     何故、私に執着するの。もう何処へ行ってよ。
 阿久津   だって、今でも君を愛しているから。
 紫     こっちは、殺したいくらい憎んでいるわ。
 阿久津   哀しいことを云うなよ。凜は大きくなっただろうな。
       なあ、もう一度やり直さないか。家族に戻ろう。
 紫     よくも、ぬけぬけと云えたものだわ。
 阿久津   君は、何処か好戦的になったね。


 あの頃の私と今は違う。紫は自分自身に言い聞かせる。
 大丈夫。もう、いいなりにはならない。
 時刻は夕刻。凜が家路につく時刻だ。
 舞台は、オレンジ色の光で溢れている。


 紫    痛い目に遭いたいの?
 阿久津  俺に怖いものなんてもうないんだよ。
      あの頃の奴らとは、今は友好的に付き合っているしね。
 紫    まだ、あいつらと付き合っているの? なんて愚かしいの?
 阿久津  今は、アニキなんて呼ばれてるんだぜ。
 紫    馬鹿にされているのが判らないのね。可愛そうに。
 阿久津  可哀想なのは、嫁さんと娘と暮らせないことだよ。
 紫    知るもんですか。


 そこへ、数人の男たちが現れる。
 あの日、紫を陵辱した男の姿もあった。
 それを見た紫が、ガタガタと震え出した。あの日の恐怖が蘇ってきた。
 舞台前方に、紫が歩み寄る。

 紫   どうする? 魔道を開く? こいつら全員の心臓を潰してやろうか?
     でも、閻魔は云った。
     人を殺めてはならないと。
     そんな危機が近づいたのなら、その場から逃げ出せと。
     でも、私ひとりでは、とてもたちうちはできない…!

 命。
 私の声が聞こえる?
 凜は今どうしてる?
 夏ちゃんと、家に向かってる? 家はもう危険かも知れない。
 家に帰らないで。
 命、お願いよ、凜を護って…!


 舞台を照らすオレンジが、次第に深い紅に染まってゆく。


 私は、魔道を開く。
 全員、ここで潰してやる。阿久津も一緒に。


 紫は、自分の両手を見た。そして、落ちていた木の枝で、陣を描き始めた。


 阿久津  紫、何をしているんだ?

 紫    ……。


 我は汝を求める。
 世紀末の天空(そら)のように、紅い御神よ、賢明で気高く、 献身的な御神 ...
 至高なる神の力に抗いて、我は汝に命じる、
 我の名は、紫。


 紫の目から泪が流れ落ちた。


 阿久津  紫…? おまえ、何をして…


 紫は、枝をまるで、魔法使いの杖のようにして、阿久津に向けた。


 我は反逆罪の椅子に座し、願い乞う。
 そして、全知全能の神に抗い、汝を呼び出す呪文によって、
 我は汝を召喚する。
 地獄の大御神、我心臓の血を此処へ喰らわす。


 舞台、過去、ふたりが駆け抜けた四季が、色彩を伴いながら移ろいでゆく。
 夏、秋、冬、春…夏…秋…冬…春…


 EME… RALD… ELUSIA…
 常に猛々しい三兄弟よ、最も強大かつ強力な神の名、
 汝、直ちに、我が場所、この円の前へと現れよ、


 紫の手が、ぶるぶると震えていた。
 この門扉を開くのは初めてだ。
 高尾山で召喚した妖とは格が違う。
 本物の悪魔だ。その代償を考えるのも恐ろしかった。


 そして…口にすべからず名、
 TE…TRAGRA…MMATON …IEHOVAH… によって、
 我は…汝に強く…命じ…る…


 もはや、声にならない

 その…た…四大元素…は…打ち倒され


 そこへ、飛びこんできたものがある。
 白い狐だ。
 狐は、紫の陣の中へ降り立つと、人間(ヒトガタ)となった。


 紫  命…!

 陣は踏みにじられ、一瞬青白い炎を放って消えた。
 命が、紫を背に、阿久津らと対峙する。
 すると今度は、工場の扉を蹴破って、小さな影がふたつ踊りこんできた。凛と夏ちゃんだった。
 夏ちゃんが、一番近くにいた男にためらいもなく、前回し蹴りを食らわせた。
 凜も、続いて隣の男に後ろ回し蹴りを決める。
 あっという間のことで、誰ひとりとして動く事すらできなかった。
 テコンドー攻撃技が次々、功を奏して、残るは阿久津ひとりになった。
 その阿久津に、凛が近づいてゆく。


 紫    凛、その人は…
 凛    知ってる。父さんでしょう。でも、わたしはこの人を赦せない。
 阿久津  何を云ってる、凛…
 紫    止めなさい、凛! それだけは、ダメ!
 凛    母さんだって、魔道を開こうとしたくせに!
 紫    私はいいのよ、でも、貴女がそうすることはとてつもなく不幸な事なの!


 凜は唇を噛んで、止まった。
 舞台袖から、パトカーの音が近づいてくる。
 どうやら、猫平さんが通報してくれたらしい。
 場所を特定したのは、命だ。紫の声は、ちゃんと届いていたのだ。

 紫  命、ありがとう…

 紫はその場に崩れ落ちる。



 第三幕  第1場  神社のある小山


 凛     クサビラ、いる~?
 夏ちゃん  俺にも見えるかな、クサビラ~。
 凛     クサビラ~。


 カサコソと音を立てて、草が揺れた。


 クサビラ  呼んだ? 凛、遊びに、来た?
 凛     うん。久しぶり。ずっとこれなくてごめんね。
 クサビラ  人間、毎日、忙しい。
 凛     うん。忙しかったんだ。
 夏ちゃん  俺にもみえるぞ、クサビラ。
 クサビラ  ふたりとも、妖力、強い。紫と同じ。
 凛     今日は三人で遊ぼう。
 クサビラ  四葉の草、探す?
 凛     うん。それが欲しくてさ。
 クサビラ  来て。あるところ、知ってる。


 三人は山の中を移動する。


 クサビラ  いつか教えたくて、内緒の場所にした。


 凛と夏ちゃんは、一面のクローバー畑を見た。


 ふたり   凄い…。
 クサビラ  四葉、沢山ある。探して、遊ぼう。


 三人は、夕方までに沢山の四葉のクローバーを見つけだした。
 それを命から借りてきた辞書に丁寧に挟む。
 命は、あの事件以来、体調を崩して寝こんでいた。
 命にも、ひとつ、しおりを作ってあげなきゃならない。
 クサビラ  こんなに沢山、どうするの。
 凛     お世話になった人にあげるのよ。
 夏ちゃん  手伝ってくれてありがとうな、クサビラ。
 クサビラ  もう少しだけ…


 何か云いたそうなクサビラ。


      もう少しだけ、一緒に遊んでいたい。
 凛    (愛しいものを見るような目をして) また、遊ぼうね。
 夏ちゃん 絶対な。



 第三幕  第2場  紫と凛のアパート



 凛と紫は、沢山のしおりを作り上げた。

 凛   誰にあげるの?
 紫   猫平さん、テコンドーの先生、夏ちゃん、クサビラ…
 凛   そう、クサビラ!
 紫   それから、宝山殿、命、百合亜ちゃん。
 凛   百合亜ちゃん…


 複雑な表情の凛。


 紫   それから、これから出会うひとたち。
     それと、もうひとり。秘密のひと。
 凛   誰よ。
 紫   内緒。


 凜はそれでもいいと思った。母さんが元気なら、それでいい。

 凜が寝入ってから、紫はある人物に手紙を書いた。
 その人物が何処にいるかは判らない。
 でも、確かな愛のあった、あの場所に立つ、あの人へ。

 夏。強い日差しのなかで、見失うのが怖かった。
 秋。涼やかな風のなかで、手を繋いだ。
 冬。凍える空気も寒くなかった。
 春。穏やかに、その恋は成就した。


 楽しかったよ。
 倖せだった。
 そして、凜をありがとう。

 さようなら、永遠に。



 第三幕  第3場  ポスト


 その手紙は、その夜、そっと投函された。
 穏やかで優しい、呪文を纏って。


 紫 (穏やかな表情で)

  汝は白き手の処女。
  我が消息となり、主(あるじ)の元に還れ。




                    幕
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お詫び。

2018-06-11 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ
魔女の話も、宇宙の話も、

なかなか進まなくて申し訳ありません。

こんな文庫でも、見に来てくれるひとがいるのは、

本当に嬉しいです。

ありがとうございます。


      麦原 祥 
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緑の指と魔女の糸 『遠のく景色』

2018-03-26 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ



  あの男は、私の居所を察知する能力に長けている。

  そして、迷いない足取りで素早く、音もなく、私の前に現れる。





 「アマメは、危険を察知すると、瞬間的にIQが340を超えるらしいですよ」

 「きゃあああああ!!!!」

  私と凛は、可能な限りの距離を取りながら叫んだ。

  命は、いたぶられて死にかけたそれから、まだ暴虐の手を緩めない。

  頭を潰して、楽しそうに嗤っている。

 「脳が頭と腹部にあるから、ほら、頭だけじゃ死にません」

 「命、もう止めて。殺生罪で等活地獄に落ちちゃうよう!」

  凛が半泣きで叫んだ。

  アマメとは、九州一部地域での虫の呼称。

  母音をとると、ガクブルとなるアレである。

 「我は 怪異を狩る者」

  命は、最近中二病が酷いことになっている。

 「怪異は、貴方よ、命」

  私は、目を眇めて云った。

 「私は、神の一部だから、どちらかと云うと、神です。

  でも、神より狩人の方がカッコイイ」

 「そうね。キツネさんだしね」

 「とにかく、命? それを外に捨てて来て。

  そして二人共、早くおやすみなさい」

  明日は、午前6時東京発の新幹線に乗る。

  はじめての新幹線である。

  気が昂ぶって、中々眠れずにいる子供たちを見ていたら、

  こちらまで眠れなくなってしまった。

  後頭部をバーナーで炙られるような緊張と不安が、薬を飲んでも収まらない。

  遠くに出かける時は、いつもそう。

  平静でいられた試しがない。

  墨を練りあげたような闇の中で、不安は更に深まる。

  嗚呼、皓月の下で、明日歩く道が待っている。

怖くても、今は、ここに居たくない。

行先は、松原。岩手県。

遠野物語をわざわざ買いに行って、旅行鞄に入れた。

東京を出たら、目的地に到着するまでの暇つぶしだ。


    例えば出発の朝、靴紐結ぶ手が震えても、信じられる私でいよう。

  
  柄の間の 就眠だった。





  早朝の空気に、冬の気配を感じた。

  ふたりの子供に、マフラーを用意しておいて正解だった。

  岩手はもっと寒いだろう。

  結界を解いて、安寧の小さな町を出てゆく。

  電車を乗り継いで、東京駅へ向かう。
  
  途中、早朝からオープンしていたカフェで、簡単な朝食を済ませることにした。

  ヒトガタで実体化した命は、凛との初めての遠出にはしゃいでいる。

 「何処に行くの? 」

 「何処かなあ? 」

  旅路の果てで、きっと何かが待っている。

  そんな気がした。行くなら今だと思った。

  東京から新幹線で、一ノ関ヘ。盛岡行のJRで気仙沼ヘ。

  子供たちは、ずっと車窓に映る風景を眺めていた。ずっと。

  私は、少しうたた寝をしていた。



  葉末に宿る透明な朝露

  私は 胸いっぱいに空気を吸って 

  心は七字家の支配から 自由になった喜びに満ちていた

  出逢いは 夏の高原

  住みこみでバイトをしていた

  手紙をくれた彼は 優しい人だった

  世界中の花たちが歌った 白昼夢   

  静謐な水の流れ 透明な大気が いくらでも躰に流れこんで

  きっと目が眩んだのだ 

  彼は何故 あんな幻を見せたの?

  欲しがったモノは 私ではなかったくせに



  突然、大きな声に飛び起きた。

  やあやあ、帰なさったか。よう帰なさったなあ!

  その胴間声を張りあげたのは、切符を確認に来た車掌だったろうか。

  いや、まさか。

  あの声、覚えがある。幼い私がここを出てゆく時に、

  出てゆけ出てゆけ! と愉快そうに笑った大きな妖がいたのを思い出す。

  着いた。とうとう、来てしまった。

  ここは、岩手、陸前高田市。七字の先祖の生家がある。

  白婆様も、母もここで産まれた。家を護ったのは男たちで、

  女は幼いうちにここを出て、全員、修行者となった。

  女だけが、異様な神通力を持って産まれた所為だ。苦衷の極みだった。

  誰でもいい。行くなと云って止めてくれる者がいたら、

  七字家の歴史も変わっていたろう。良くも悪くも。

  男たちも、その孤独に堕することなく生きた。

  今はもう朽ち果てた家屋。呪われた一族が暮らす家は、気味悪がれ、

  人が絶えても、取り壊されずにすんだ。



  私たちは、とりあえず地魚で寿司を出す店に入った。

  嗚呼、記憶が甦る。

  私を連れて生家に戻った母は、一族の誹りを受け、

  間もなくして亡き人となった。

  結界の張られた霊山に護られないと、力が暴走して、

  柔らかな人の肉は、もろくも崩れ落ちる。

  つまり、霊山に籠もっているのは修行の為だけではなく、

  己の命を護る意味もあるのだ。

  私のこの肉体も、いつ変調をきたすか知れない。

  いや、白婆様の呪詛の所為ばかりではなく、最近はどうも調子が悪い。

  寄ってくる妖を祓う度に、止まらぬ血のように力が流れだし、

  付加されることがない。

  神通力というものとは、違う。

  似たようなものだが、私が使っているのは、俗に云う魔力で、

  森羅万象のエレメントから使った分だけ補充しないと、
  
  いつかは尽きてしまうもの。

緑の指など持っている筈もなく、周囲の者を落胆させた。

  白婆様は、私を異端者と呼んだ。

  お前は、神の代弁者ではなく、闇に堕ちた魔女だ、と。

  お寿司が運ばれて来た。

  私は、地酒を飲む。すっきりと甘い。

  子供たちは、美味しいと云いあいながら食べていた。良かった。

 「この天ぷらも美味しいわよ。お食べ」

  食べている子供の姿って、何故こんなにも愛くるしいんだろうか。

  疲れと酔いで、私は、一瞬気が飛んだようだ。

  またあの高原ヘ戻ってしまう。

  眩い星の夜、初めて男の人の手に触れた。

  ただ、それだけのことに、戸惑う自分がいた…


 「母さん!」

  凛の声にハッとなった

 「眠いの? 寝ていたよ? 」

  テーブルの上は、きれいに片づけられていた。

 「嗚呼、よく食べたねふたりとも。どうしてかな。

  思い出したくもない昔のことが、やけにしつこくよみがえってくる」

 「早く行こうよ、母さんが産まれた家を見に」

 「うん、…行こうか」

  命が、いぶかし気な表情で、私を見ていた。



  生家は、墓石のように、無言で立っていた。

  不気味なほど、無感情な様相だ。

  白い蝶が飛んで来たから、歓迎は受けているようだ。

  ご先祖だろうか。

  強い結界はそのままで、どんな妖もここには入ることはできない。

  命でさえも。

  古い護符が貼ってある、囲炉裏のある部屋。護符はまだ生きている。

  完璧にこの家は護られていたが、ぬくもりだけは、

  私を待ってくれてはいなかった。

  鍵は開けてあるのに、誰も入った形跡がない。

  それ程、不気味な雰囲気があった。

  母とここへ戻ったのは、幾つの時だっただろうか。

  部屋数だけはあるこの家の一室で、忍び寄る驚異に怯えながらの生活。

  母はすぐに心身共に病んだ。

  母が亡くなってからは、父と一緒にこの家を出た。

  それからは、普通の子供の様に、普通の生活を送っていたが、

  幸い、躰がおかしくなる事はなかった。

  父が亡くなってからは、独りで生き、あの高原に住み着いたのだ。

  そして、阿久津と出会った。

  出会ってしまった。



 「寂しい家だね」と凛が云った。

 「そうね。住んでいた頃は、白い蛇がいたのよ」

 「きゃあ、怖い」

 「アマネより怖い? 家を護っている神様よ。

  怖くない、怖くない」

  しばらく色んなところを見て回り、長い廊下の行き止まりに目が止まった。

  何故か、こんな場所で、母に抱かれて震えた記憶がある。

 『大丈夫だよ、大丈夫』

  母の柔らかな声が蘇る。

  白い蝶が、また飛んでいた。


 「凛、忘れないでね、この家を訪ねた今日のことを。

  私は、ここから出発したの」

 「うん、大丈夫。わたしは、覚えてるよ」








  それから、私たちは、観光スポットに向かうことにした。

  箱根山に登り、リアス式の海岸線を見る。

  高田松原。白い海岸と松の美しい景色。

 「きれいな場所。まるで天国みたい」

  凛が感極まったように呟いた。

  砂浜にも出てみた。

  命は、初めて海水に触れて悲鳴をあげた。

 「冷たい…! 」

  クロマツとアカマツからなる7万本もの松林。

  ここは、仙台藩・岩手県を代表する防潮林の、景勝の一つだ。

  その白砂青松の風景は、ずっと記憶に残っていた。

  白い砂浜で、私たちはしばらく遊んだ。

 


  その時、突然、視界がおかしくなった。

  視界が歪む。

  巨大な歪み。

  視界に広がる景色が、一変していた。

  白い砂浜も、青い松もない、剥き出しの大地。

  此処は、どこ? 海はどこ?

  この地鳴りのような音はなに?

 「母さんどうしたの? 顔が真っ白だよ」

  樹がない。地平線まで、何もない。

 「母さん? 」

  此処は、どこ? 

  何故、あの美しい松がないの?

  いや、あった。1本。たった1本の松。少し離れた場所に。

  銀色の砂粒が、松の木を彩っている。

  まるで、敬虔な祈りのような言葉が聞こえる。

  怖い…

  哀しい…

  …お願い…帰ってきて

  …どうか…返して…

  そんな人の感情に似たもの、或いは確かに人の感情かもしれないものが、

  大地いっぱいにあふれている。

  その圧倒的な迫力に負けて、恐ろしくて、

  思わず顔を覆った。怖い。

  誰かが誰かを探して彷徨い歩く。

  誰かが何かを見つけて、叫び声を上げる。

  酷く寂しい。心が壊れそうな程、痛みを伴う哀しみ。恐怖。

  此処は、地獄?

  閻魔? 此処にいるの? 此処は 地獄なの?


 「母さん!」

  私は、溢れ出る何者かの悲鳴や慟哭に、耳を塞いだ。

  凛の声は、遠くで私を呼んでいたけれど、

  子供たちの気遣いをする程の余裕もなくなっていた。

  それだけ巨大な何かが、動いたのだ。

 「醒覚せよ、紫様。我は命。いざよ持ちされ、清き海風」

  命が、そっと私の頭に手をかざしていた。 

  腕が酷く痛む。呪詛をかけられた腕が、

  骨を削られるように痛い。

  その痛みで我に返る事ができた。

  ハッとして顔を上げると、あの美しい風景は変わらずにそこにあった。

 白昼夢だろうか。

 「不思議…、一瞬、あの松が見えなくなったの」

 「どういうこと? 」

 「判らない。判らないけど、とても怖かった」

 「母さん、大丈夫?」

 「うん。もう、大丈夫よ。命、貴方は、何も感じなかった? 」

  命が、ビクッと肩を震わせ、視線を逸らした。

 「私は、何も…」

  何かを見たな。嘘をつくのが下手な子。

  命は、眩しい海岸線を目を細めて見た。

  哀しみや怒りを殺すような、表情だった。



  凛。

  絶対に此処を忘れないでいてね。

  此処が、私たちの原点なの。

  この美しい、高田松原が。

  この日、私が見たあの幻の景色の謎は、

  遂には判らなかったけれど、子供たちは知ることとなる。

  未来の松原に何が起こったのか。

  風の音のなかに、地鳴りと海鳴りが混じり合い、

  その恐ろしい音が、海岸線の鳥を、山ヘと呼んだ。

  ネズミは姿を消し、その日、犬は散歩を拒んだという。





  ねえ、ユカリ。

  俺を助けてくれよ。

  このままじゃ、殺されちゃうよ。

  この俺を、お前は見捨てたりしないよな?






  完




高田松原へ。
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緑の指と魔女の糸 「からくれない」

2017-03-29 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ
ある昼下がり。

私は気持ちよく、午睡を愉しんでいた。

夢を見た。

紫色の石や、水晶の砂でできた砂丘の夢を。

砂は、柔らかく、素足に埋もれる。

遥か遠くに、光の柱が立っていた。

その横に、誰かがいる。

後光を放ち、私を見ている。

沢山の布をまとい、…なんだろう、包帯のような細い布が、

花びらのように、風になびいていて。

優しく強い眼差し。ここへ、おいで、と、呟くの。

知っている、本当に理解している、私の大切な人のように感じた。

無限に拡がる紫の砂丘。暖かな風。

私は、呼ぶ声に応えるように、歩こうとしたけど、

その人のいる場所は、あまりに遠かった…。


そんな夢を、何度も見た。

私が、小学校に入学して、今は3年生。

ふと、眼を覚ますと、当然のように母が隣で眠っていた。

お姫様の部屋のような、きれいな部屋で、眠りの魔法をかけられた、オーロラのように。

母の腕には、包帯が巻かれている。

腕の痣の傷には、毎晩、母は悩まされていた。

白婆ちゃんが放った、最期の呪詛だ。

夜ごと母に苦痛を与え、眠らせない。

あれから、母は次第に憔悴していった。

傷みが常に、母を支配していた。

痣は、次第に大きくなり、母はそれを人目から隠した。

でも、母は我慢強く、弱音を吐かない。

いつも笑顔を絶やさなかった。

白婆ちゃんの命を奪ったことで、私には何の変化もない。

緑の指の力は、逆に、強くなってゆく …

… 何故?


私は、どうしたら、いいの、母さん。

判らない。私には、決められない。判らない…

教えてよ、母さん。私は、どうしたらいい?


緑の指の力が、次第に強くなっていくと同時に、

普通は見えない妖の姿も、見えるようになってゆく。

あろうことか、いつも一緒にいる夏ちゃんまで、影響を受けるようになった。

好奇心の強い彼は、妖を見つけると、珍しがってはしゃいだけれど…

「命が毛を逆立てるような妖は、危険。決して眼を合わさないで」

私は、それらの存在に、注意を払うようになった。

… 妖は、私の緑の指を狙っていたのだ。



その日の放課後もそうだった。

樹木よりも大きな目玉を持った妖に追われた。

『う、まそうだ… 旨そうな、指、喰いたい』

こんな時は、神社だ。母さんに教わった。

私と一緒にいた夏ちゃんも、神社を探し走った。

「確かにあったよね、神社」

「普段は、意識してないからな、こういう時は困る」

「夏ちゃんは、別の方角に逃げて。狙われているのは、私の指だから」

「そんなこと、できるか!」

ランドセルを揺らしながら、私達は逃げた。

神社の結界に入ったら、母さんが作ってくれた護符が効く。

「あった! 凛、もう少しだ!」

「うん…、夏ちゃん …!」

怖い。夏ちゃんは怖くないのかしら。男の子だから?

私たちは遂に神社に辿り着いた。

私は、ポケットに忍ばせていた和紙を取り出した。

「汝(なんじ)は、天の配剤、呼び起こせ、真理の希求、此処ぞは出口、折り柄に花ぞ散る」

妖に 札を投げ打つ。「我わが友、いかなるところに生を変えりとも、我、願う。汝は善也り」

目玉のお化けは、光を放って消えた。

投げつけた護符は、散り散りになり、まるで花が散ったように宙から落ちてきた。

「すげーな、おばちゃんの護符!」

夏ちゃんが興奮して、云う。

だけど。私は、心細かった。

「夏ちゃんは、怖くないの?」

「別に。俺には、テコンドーがあるしな。絶対、凛と母ちゃん、護ってやるぜ」

妖に、テコンドーが効く訳ないでしょ。でも、

夏ちゃんが怖くないって云うのなら、心強い。

「高尾山で、白婆ちゃんが死んでも、緑の指の力は弱らないし消えない」

「ああ。一体どうなっているんだろうな」

「命を10年間生かすことって、母さんは云っていた。…命の生命と引き換えってこと?」

「…凛」

「…嫌。あの子は家族だよ。失いたくない」

命の成長は、人とは違った。

あんな小さな男の子が、今は中学生くらい大きくなった。

私達が、無言のまま座っていると、そこへ、息を切らした命が現れた。

「お姉さま、兄さま…、走るの、速すぎる…」

命は私の身を案じて、いつも学校にまでついてくる。

そうだ。目玉の妖が現れるまで一緒だったんだ。

キツネの妖のくせに、この子は足が遅かった。ううん。足が、弱いのだ。

そして、気の毒なほど虚弱体質だった。

命が、白いキツネの姿から、人形になった。

顔が真っ青だった。

「命、ごめんね。自分のことで私、必死だった」

「おまえ、用心棒のつもりだろ。全然役にたってない」

夏ちゃんの言葉は厳しかった。私は、命を座らせ、抱き寄せた。

「いいの、夏ちゃん。この子の気持ちが嬉しいの」

「命は妖力は使えねーの?」

「私の、妖力は … 」

命はぐったり眼を閉じたまま応えた。「ただ一度だけの為に、使えません」

それは。

時が来て、私の指から力を消すこと。きっと、そういうことなんだ。

命が突然、激しく咳きこみ、夏ちゃんが、溜め息と一緒に立ちあがった。

「待ってろ。水を汲んでくる。凛、そいつの汗を拭いてやれ。風邪を引くぞ」

とやかく云っても、彼は命の身体を気遣ってくれる。

まるで、幻のような生命。いつか消えてしまう夢のような命。

私達は、幻を愛しているみたい。

「お姉さまのまじないの言葉が聞こえました」

「耳はいいのね。母さんが教えてくれた呪文だよ」

「離れていても聞こえました。強く、迷いがなく、とてつもなく愛に満ちたまじない」

「消えた妖は、死んだのかな」

「あのまじないは、遠くへ追いやるだけです。此処ぞは出口、折り柄に花ぞ散る…汝は、善也。

死んだりしません。逆に、それが不思議なのです。

娘を襲う妖を、殺してしまわない」

「必要がないんだよ。護符もある。神社もある。私がいけないの。

見てはいけないものを、見てしまうから。

持ってはいけない指を持っているから。弱いくせに」

「お姉さまは、お優しい…」

「優しいのは、母さん。そして、命」

「…愛しております、お姉さま」

命の細い指が近づいてきて、頬に触れた。

いつの間にか、私は泣いていた。

災厄は、この私。夕焼けが,眼に沁みた。渡り鳥が、鳴いていた。

しばらくして、母さんが迎えにきた。

護符が散った時に、私達の身に起きたことを感じたらしい。

「頑張ったね、みんな」

母さんは笑うと、命をキツネに戻し抱き上げた。

「さあ、帰ろう。」

「母さん」

私は、慌てて母さんのスカートを引いた。

「私、もっと、強くなる」

「俺も、強くなるぞ」

夏ちゃんが、シシシ、と笑った。

「頼もしいわね。期待してる」

季節が移りゆこうとしていた。

これは、私達にはありきたりの、日常。

夏の終わりの、物語り。
















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緑の指と魔女の糸『高尾山事変4』

2017-03-27 | 小説 緑の指と魔女の糸 シ
母さんの体力が回復し、山を下る事になった。

私たちは、お借りしていた宝山殿の家の掃除を、丁寧に行った。

母曰く、これは最低限の礼儀なのだそうだ。

男所帯ながらも、きれいだった家も、

障子紙を張り替えたり、浴室のカビ取り、庭の草取りをしたら、

見違えるように綺麗になった。

「今年の大掃除は、しなくてもいいようだな」

 宝山殿は、きれいになった家を見まわしてご満悦だ。

「長らくお世話になりました」

 母さんが深く、頭を垂れる。

「いつでも、帰っておいで。凜殿も、いつだって遊びにきていいのだぞ」

 破顔一笑する宝山殿に、私は抱きついた。

「せっかく、お山のワンちゃん達ともお友達になったのに、寂しいよ」

「大丈夫だ。あの子たちは、ずっと、凛殿のことを忘れたりしない。待っているよ」

 宝山殿は、優しく頭を撫ぜてくれた。



 荷物をまとめ、彼と別れる時、彼は母さんに云った。

「くれぐれも、独りで抱えこまずにいておくれ。紫殿は、決して独りではない。

 娘を護ってやるのだろう? 独りでは解決できないこともある」

 母さんは、そんな彼の顔を、食い入るように見ていて、やがて、云った。

「いつか、凛が人生に迷って、ここへ来るかも知れない。その時は、頼みます」

 私の胸が、不安に慄いた。

 母さんは、白ばあちゃんから、厳しい試練を受けている。 

 この先、何が起こるのか、私には判らない。

 母さんが、この先どうなってしまうのかも判らない。

 それを想像すると、心臓が壊れそうになる。不安で仕方なくなる。でも、私は、涙を耐えていた。

 


 奥深い霊山を抜け、リフトに乗って山を下ると、そこはまるで別の世界に見えた。

 私たちが、生きる世界。もうここには、宝山殿も、山犬もいない。はしゃぐ観光客。

 私たちは、境界を越えたのだ。

「…凛」

 母さんが、そっと髪に触れてきた。

「帰ってきたよ。もう、全て忘れて、楽しく生きよう」

「…母さん」

「ねえ、命が人に変化出来るようになったのよ」

「ええ?」

 私は、抱いている命を見つめた。

 命は、私達以外の人には見えない。妖の姿も、小さな男の子に変化した姿も。

 命は、白いパーカーにジーンズの姿で立っていた。

 丁度、私くらいの年齢の男の子。

 薄い茶髪に、グレーの眸。綺麗な、男の子だった。

「お姉さま」

 なんて云って、私に抱きついて来て、どぎまぎさせる。

 とんでもなく、イケメンな男の子。

「夏ちゃんに、お土産頼まれているんでしょ?」

 母さんが笑っている。

「うん。木刀。あるかな」

「探そう! それから、おいしい、天ぷら蕎麦を食べようよ」

 私たちは、手をつないでお土産屋さんに入った」

「木刀、あるね。でも、夏ちゃんが云っていた『洞爺湖』って書いてあるのがないなあ」

「それは、北海道に行かなきゃないよ」

「そうなの? えー、どうしよう。それに思ったより、木刀って高いんだね。

私も同じもの欲しかったのに」

「いいよ、母さんが買ってあげる」

 母さんは楽しそうに、木刀を2本手に取った。

「文字は自分で書けばいいじゃない?」

「うん。それもそうだね」

 母さんは、猫さんや夏ちゃんのお母さんにあげる『天狗黒豆まんじゅう』も買っていた。

 それから、お蕎麦屋さんに寄って天ぷらのせいろを食べる。母さんはビールも飲んだ。

 命もキツネ蕎麦を、美味しそうに食べていた。

 私は、話すなら今しかないと思い、ずっと胸に秘めていたことを話した。

「私、夏ちゃんと一緒に、テコンドーを習いたいの」

「テコンドー?」

 母さんは、ぼんやりとして応える。

「空手、みたいなもの。私、強くなりたいの」

「なんで?」

 母さんは、面白そうに笑う。

「私、母さんを護りたい、塾のお金とか大変?」

「それほどでも」

「じゃあ、習わせて」

 この時母さんは、フッと笑って私の頭を撫ぜてけど、



 これが、とんでもない事件に関わってくる事なんて

この時は、まだ、誰も知らなかった。

 
 母さんと命と、高尾山に行った。

 宝山殿と、山犬達と友達になった。

 命が、自分の意志で人に変化できるようになった。

 母さんが、独りじゃないと知って、安心した。

 私も。

 ここにいつでも帰ってきていいのだと、知った。

 …でも。

 白婆ちゃんの死が、まるで当たり前であるかのように消され、

 日常は、続く。
 
 母さんが恐れていたものを、この時の私は知らない。

 強い妖力、神通力を持つ母が、

 悪霊や魔物より、はるかに恐れていたものが、近づいていた。




 人間が。


 「高尾山事変」  了    
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