スロー・フォトはおいしい。

2006年05月01日 | 写真
写真評論家の飯沢耕太郎さんの講義を受ける機会がありました。
写真評論家から見る、写真の現状についての解説は非常に興味深いものがありましたので書いてみます。(ちょっと固いお話ですが。)

「写真のデジタル化への早さは、想像していたより早く、またメーカーの撤退など業界にとって暗いニュースが続いている。170年の写真の歴史を支えていた銀塩の技術がなくなってしまうと、写真家たちが残してきた遺産との接続する回路が失われてしまうのではないか。また、デジタル化での弊害としてカメラマンの姿勢の変化がある。カメラ本体のスペックが向上し、誰でも上手く撮れてしまう。撮った後、すぐその場で確認できる。少々の事なら、パソコンを使って修正できる。こういう事がカメラマンの緊張感を奪い、締まりのない画面になっているのではとの指摘もある。ブレッソンのような『決定的瞬間』を撮った写真なくなり、カメラマンにもその偶然や瞬間を呼び込む力がなくなってきた。ただ、悪いことだけではなく、デジタルの表現力を生かした『デジグラファー』なる新たな作家も現れている。」

確かに、デジタルの手軽さに写真の希薄さを私自身も感じている。何枚も同じカットを取り直し、気に入らなければ簡単に消去する。撮った写真の保存してもすぐどこかに行ってしまう。自分がネガから現像した写真との扱いは大違いだ。時間を掛け、丁寧にやった仕事とはやっぱり違う気がする。また、アナログとデジタルとの違いを面白く例えられていた。

「デジタルイメージはファースト・フードのようなもの。便利でいつでも、どこでも食べられる、味もまあまあ。でも1週間もすれば飽きるでしょ。それに対して、アナログはスロー・フード。ゆっくりいい素材で味を作る。おいしいものを食べたあとの幸福感は長続きする。」

手間は掛かるが愛着も湧く。まさにその通りだと思った。飯沢さんはアナログ写真を『スロー・フォト』称しておられた。

「『スロー・フォト』はちょっと贅沢でカッコいいし、すごくおいしい。」

現在、デジカメや携帯の普及により写真を撮る人の数が最も多いのではないかと思う。そういう人たちが『ファースト・フォト』に飽きて、『スロー・フォト』が食べたいと思うきっかけも増えるのではないかと期待する。『スロー・フォト』派の私としても、なんとか銀塩写真のシステム継続を願ってやまない話です。(shimo)