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12月15日(火)のつぶやき

2015年12月16日 02時47分49秒 | diary

ハトヤマユキオさんも20億円献金問題時はっきりどっちでもいいことで排撃されていたが、くだらないガキの<ロジックを擬した屁理屈>の動機づけが同様のところにあった、と理解できなかった連中が未だに多いのは確かのようだ。


親族・家族或は周囲の関係性を引っ張り出して何かを言わんとする感覚のバカバカしさが集約されている。

立て籠もりに対し「お母さんも泣いているぞ」と周囲からスピーカーでがなり立てる感覚に未熟な個人に起因する<上が上が>の心性がそこに顕著にうかがえる。


未熟な個人感覚をファクターとしてリレーションを構成してもあんなもんだ→face book


<無用に>人が死んでゆく→エジプト内乱≒未成年における人工妊娠中絶率増加傾向≒スポーツフィッシングが食文化との無関係な位置にある現実≒静かな山中でのバカ騒ぎを伴うキャンプファアー≒5兆円の寄付に至るプロセスの中での無用な死


googleならまだしもface bookなるものがなんも作ることなく(特に製品なし)何兆円だったか覚えてないが株時価総額うんたらかんたらと報じられていた段階で大概気づきそうなものだろうが、あの体はそのだいぶ以前からそういったねずみ講の性質が強いことは分かっていたはず。


ねずみ講がどういうものか多少なりとも知っていれば、それが未熟な個人感覚をベースとして詐欺を展開していることは簡単に理解できる。


投機と物の関係性においてはリーマンで破裂。ギリシャも吸い上げを食らい、既にそこは共通認識となっているようだが、それが<現状>くらいのものだろうか。


ADBだのAIIBだの東京都の銀行だの、係る類についても物とマネーの関係性ではなく、そこが存在論と認識論の関係性にあるがごとく、何が本質かがまずは感覚されないことには何も始まらない。


なぜそうなっていったか、の考察が決定的に重要だくらいにはなっていて欲しいものだ。