写真は2008年のにゃあ。
一週間前に書いては閉じ、書いては閉じていた投稿。
明日で2週間が過ぎます。 書いた時より、今、自分が元気になっています!
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昨日でにゃあさんが亡くなってから一週間が経ちました。
あまりにも、何もする気になれません。
家にこもりがちだったせいか、同じようなお天気で、同じ感じの光が家の中に入ってきて、時が止まっているような気分になります。
にゃあを毎日のように通院させていた時は、それが大変という感覚は全然なくて、むしろ日々にハリがあり、やってあげられることがあるだけよかった、と、今は思ます。
なにをしていても、楽しくない…
いかん、これ、完全に「ロス」状態ですね…。
この先は、私が忘れたくないための、そして書く事で頭を整理するための、にゃあの最期の時の記録です。
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亡くなる前の土曜日の朝、医局長先生に診てもらうのは最後でした。
翌日の日曜日、月曜日と先生はお休みだったので、お互いに「これが最後かな」という予感がしていて、先生も「もう無理に通院させなくていいですよ、お父さんお母さんの判断で点滴やめてもいいですよ」と言っていました。
にゃあの目が曇ってしまっていたので、目薬とかないですか?と聞くと、今この場でできますよ、待っててくださいね。と、薬というよりは目の汚れを洗い流すだけの点眼をしてくれました。
今から薬を処方しても、という気持ちだったでしょうが、医局長先生の性格からして、そんなことははっきりおっしゃらなかった。 いつも通り「ではお大事に」とあいさつする時、先生の目は涙ぐんでいました。最後かな、という気持ちが感じられました。
翌日日曜日、亡くなる前日は、いつもなら午前中に点滴に行くところ、あまりにも気持ちよさそうに陽だまりで日向ぼっこをするにゃあの姿を見て、「もう、いいか」と、諦めとは違う、ゆっくりさせてあげたいという気持ちになりました。
陽だまりでゆっくりと、ひざに載せたりして一緒に太陽を浴びてのんびり過ごしました。
午後になって、もう一度、外に連れて行ってあげよう。と、うちの前の公園をお散歩。
公園を抱っこしながらゆっくり一周。
抱き上げても、手足に力が入らないぐらいだったので、歩き回ることはできなかったと思うけど・・・思うけど。
でもやっぱり、最後に一度、芝生の上を歩かせて(寝そべらせて)あげればよかったな・・・。とても後悔しています。
あまり変わったことをして心臓に負担をかけるとよくないかも、と余計なことを考えてしまいました。
その後、夕方になって病院へ。
やはり点滴をしてもらったのですが、今度は女医先生。女医先生も、なんとなくもうお会いするのがこれで最後かなとお互いに感じました。
前日のように目薬で目を洗ってもらおうとお願いすると、はっきりとものをいう女医先生は、「今から処方しても、はっきり言ってもう長くないですから(薬代がもったいないですよ)」と。
処方しなくて良いです、今この場で点眼してもらえれば、とお願いしました。
たぶん、もうこの先生にもお会いすることはなくなるだろう、と、頭の中で思っていました。
病院を出て駐車場から空を見上げると、一番星がキラキラと光っていました。
帰宅し、日曜日の夜は、やっぱり布団の中に入れ、添い寝しながらにゃあの手足を温めました。
体が熱くなったらまた自力で外に出たがった(といってもフラフラと)ので、支えながらベッドから下してあげるというのを2回繰り返しました。
ベッドの下にはいつも寝そべっているクッションを敷いていたのて、その上に移動させて様子を見る。すると、もっと冷たい床を求めてフラフラしながら移動していく。 スチールラックの下の狭いスペースに隠れるように寝そべり、しばらくじっとしていました。
あんまり体が冷えたらいけないんじゃないか、と、またクッションの上に戻してあげて、見守っているつもりがこちらもウトウト。
ゴトン!
音がしてびっくりしてにゃあの居場所を除くと、クッションから落ちたらしく、前のめりになって床に倒れている。
落ちたといっても、ほんの5~6㎝程度の高低差。
慌てて抱き上げてクッションに寝かせた時には、息がハァハァと早くなっている。
過呼吸。
以前から先生が「息が荒くなることはありませんか?」と聞かれていた状態だ。
息が荒くなったらどうなの⁉︎どうすればいいの⁉︎肝心なことを先生に聞いておくのを忘れた。
この時、月曜、朝の6時頃。
1階のいつもの和室に移動させ、様子を見ながら過ごす。
もちろん、もう病院に行くどころではなくなった。 ずっと視線の先ににゃあが入るように過ごす。
お昼頃までに、だんだんと息使いが落ち着いてきた。でも、気のせいか呼吸が浅い。
夕方まで小康状態。
容体が急変しないうちに、と、さっさと娘をお迎えに行き、さっさと夕食を食べる。
19時頃、また少し呼吸が速い。 速いけど…浅い…。
前脚を突っ張るように、何かをひっかくように、何度かガリガリするしぐさを見せる。
頭の下に私が腕を入れて腕枕の様にすると、その腕を引っ掻く。どうした?動きたいの?苦しいの?
寝ている体制を変えてあげようかと、一度抱き上げると、前脚が両方ともピーンと突っ張ってしまった。硬くなり曲がらない…。
終わりの始まりの予感がした。
身体を反転させ、寝かせてあげる。手の突っ張りは解けず、首筋もが突っ張っているらしい。さっき右を下にして左を向いていた顔が、反転させても動かないので、左を下にして右に向けたいのに、床に顔が向いてしまう。
なんとかほぐす様に口が下を向かない様に横向きに寝かせる。
テーブルをどかして、リビングの真ん中ににゃあの寝ているベッド(子どもが赤ちゃんの時に使っていた平らになるハイチェア、便利だった)を移動させて、家族3人で囲んで見守る体制を作る。
息はしていても、目は見開いたまま、瞬きももうずっと出来ていないので、その視線の先の我々が見えているのかいないのかわからない。
このまま、呼吸が止まり、静かに息を引き取っていくものとばかり思っていました。
その最期の時を見守るんだ、と、思っていました。
もう一度、
もう一度、 抱っこしよう。
抱っこしてあげる。
おいで。
そう思って、ベッドから抱き上げ、自分の両腕に抱えました。
たぶん、横になっていた身体が、縦になり、気道が変わったせいか、体制が変わったせいか。抱き上げることがきっかけになり、容態が急変しました。
私の目を見ながら(の様に見えた)にぁあの両目が一瞬大きくなって、息が止まる。
え!っと思った時にずっと閉じたままだった口を開き、舌を出しながら ン、パーーーッ! っと息を吸う。
また息が止まり、 ン、パーーーッ! 発作の様な異常な状態。
見たことのないにゃあの表情にもうろたえながら、その場を離れていた旦那を呼びに娘を行かせる。
おとうちゃん! にゃあが口あけた、べろがでてる!
娘も事態の異様さに気が付いているみたい。
ドドドドという音を立てながら二階にいた旦那が降りてくる。
ン、パーーーッ!を3、4回繰り返していたにゃあのその様子を見て、「もう逝く、もう逝くよ!」と言う。
2人でにゃあを抱え、ベッドに横に戻す。
その時、身体を包んでいたトイレシートが濡れているのに気が付いた。 おしっこが身体から流れ出たんだ。 もう、最期なんだ、そう瞬時に理解する。
「おしっこ、我慢しなくてよかったのに!」と、思うと同時に、いじらしくて、けなげで、涙が滝のように出てくる。
旦那に言われてトイレシートの予備を探しに行く。頭がパニックして、どこにあるか思い出せない。あ、そうだここだ!と廊下の目の前の足元から袋ごと持って、またリビングへ。
流れ出てしまったおしっこが、包んでいたシートから溢れるのを防ぐことに私は一生懸命になっていた。
身体の、お尻の辺りの下にシートを急いで何枚か敷いてあげていた。 それと同時に5、6回目の発作。 その後動きが止まったみたいだ。
旦那がにゃあの胸に耳を当てる。 止まった、と言う。 にゃあ、死んじゃった!と、言う。
その後は、3人が三様に、 泣いて、泣いて、泣いた。
後から分かったのは、おしっこは我慢していたのではなくて、きっと出したくても出せなかったのだ、ということ。 土曜日の夜も、日曜日の夜も、フラフラのはずなのに、自力でトイレまで歩いて移動していた。私と娘がお風呂に入っている時、その横の脱衣場・洗面所にある猫砂の上までたどり着き、寝そべっていたのです。
たぶん、脚に力が入らないせいで、踏ん張ることができず、出したくても出せなかったみたいです。 コップ一杯ぐらいはあったので、さぞかし苦しかっただろう、と思います。 頑張って、トイレまでちゃんと来て、いじらしくてたまらない。
うずくまっていた時の足跡が、実はまだ猫砂の上に残っています。その砂が処分できず、まだ動かさずに置いてあります。しばらくは、まだにゃあの魂がおトイレに来るかもしれないしね。
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にゃあが亡くなった翌朝、病院の医局長先生に報告とお世話になったお礼の電話をしました。
先生曰く、最後の発作は身体が反射的に反応してしまった結果とのこと。わずか、4〜5分の最後の発作ならば、病状、状況から考えて、全然苦しまなかった方だということでした。
先生方が最初から言っていたのは、「できる事をやってあげる」こと。
その、「できること」のレベルは人によってそれぞれ。 ヒトも、動物も一緒。
今回、たくさんお金も時間もかかったけど、自分なりに、「やれることの全てをやってあげられた」と思えることが一つの救いです。
もちろん、原因を考えたらきりがなく、逆にそもそもを責めたくなります。が。もし早く見つけて、腫瘍を摘出出来ていても、血液の癌ならば特に、すぐに転移していたかも知れないし、「どんな場合でも、絶対に後悔は残る」と親友や先輩が言ってくれました。
形あるものは、いつか壊れる。
生きているものは、いつか必ず死ぬ。
慣れる訳じゃないけど、まだまだこれからたくさんの死を目にしなくちゃならないだろうから、ひとつずつ向かっていかなくちゃ。
怪我して身体に残った傷痕も、歳をとって変わっていく顔も体も、大事にして付き合っていくしかないね。これが自分なんだから。亡くなったにゃあちんより、今の私の方が若いみたいだしね!