ノラネコライフ

いつの間にか我が家で寝食住する
野良猫にゃあさんの日記

3匹の子猫たちのその後

2013年05月07日 11時13分46秒 | その他

去年のGW前に姪っ子が保護した3匹の子猫たち。

そのうち1匹はウチで受け入れを決心したものの、しばらくしてからまさかの「3匹とも飼いたい!」という姪っ子の宣言。まあ、姉妹3匹一緒に暮らせるのならその方が幸せに決まっているし、ミルクだ、シャワーだ、とこまごまお世話をした子猫を人にあげるなんて、姪っ子はじめ、兄家族には辛い状態になってしまっただろうし。

にゃあさんのお友達はまた運命的な出会いがあることを願って、そして1年があっという間に過ぎてしまいました。

見てください!このつややかな毛並み!そしてスラーーーリと伸びた手足に尻尾。立派な大人になりましたなぁーー。ウルウル

3匹全員の3ショットを撮りたいのに、それぞれが駆け回っていて全然フレームにおさまってくれませんっ!!なのでこの子だけ、代表で


届いた!: 加藤則芳氏著「メインの森をめざして」

2011年07月30日 11時18分07秒 | その他

すごーい分厚い!

読み始めたばかりですがワクワクします。

2000マイル、3500キロも歩くとなると、文章にしたらこんなになるのか~。しかも色々な文化・歴史・宗教的背景なども交えて、自然の中での出会いや心や身体との葛藤を表現するのだろうから、心して読まなければ。

加藤さんと過去に仕事でご一緒させてもらったことが、今となるととても嬉しく誇らしい・・・。

ご病気だと聞いてとてもショックを受けていますが、その中でも活動を続けられていることに心から敬意を表したい気持ちでいっぱいです。

詳しくはこちら: 加藤則芳 オフィシャルHP

 


月と地球~ 「かぐや」 が見た「ふるさと」~

2011年03月28日 11時41分28秒 | その他

月と地球~ 「かぐや」 が見た「ふるさと」~

FM Yokohamaをいつものように聴いていたら、おおたか静流(しずる)さんと言う人の歌う「ふるさと」が流れました。

眠くてぐずる娘を抱っこして寝かしつけていた時。この曲で眠りに落ちました。

なんだか涙が出てきちゃった・・・

YouTubeで検索してたら、無かったんだけど、別物を発見。ずいぶん飛ぶけど、映像が綺麗。初めてリンクってのをやってみます。(ジャンルは「猫」ではないと思うが・・・)

うーん、花粉症のせいか、頭がぼーっとするせいか、イカン、情緒が・・・。最近毎朝のように何かから逃げる夢を見ます


気がつけば、春になっていました。

2011年03月26日 14時33分29秒 | その他

大震災から二週間が過ぎています。

これは自分に残す記憶の記録。

***

本当に怖い揺れだった・・・。あの日の前日から、珍しく実家に帰っていた。ショッピングモールの駐車場に着いたばかりの私とムスメ、母の3人は、慌てて停めた車の中に戻り、私はとにかくムスメを抱き締めながら、身を凍えさせた。何か別の乗り物で下からボコボコ突き上げられるような、グワングワンと振り回されるような、永い永い揺れ。一緒にいた母に「ドアを開けて!!もっと大きく!!」と大声を出し、とりあえず降ってくるかもしれないものから身を守り、出口も確保しなければ、と、ドアを全開にしたまま揺れが止まるのを待った。どうしよう、どうしよう、どうする、どうする、どうする・・・「とにかく外に出よう!」と、ベビーカーに荷物をすべて乗せ、娘をエルゴベビーに入れ、いつもよりキュッっと抱きながら、母と階段で駐車場の外へ。その後モール側の指示で、広場へ避難。たぶんお客さんの数より多い従業員たちと、隣接する駅から出てくる乗客がバラバラと集まり、数百人の黒い人だかりができ上がった。

そして2回目の揺れ。数日前から宮城の方が揺れていたのは知っていたので、また震源地は宮城か?だとしたら、ここでこれだけ揺れたのならば、大変なことが起きているに違いない!!大変なことが起きた、大変なことになった、と直感した。そしてその大変なことは確実に起こっていた。数時間後にようやく車に乗り込み、恐る恐る建物を出て家に向かう途中、ラジオから聞こえてきた「10mの津波」の言葉・・・。まさか。でも、3時間後に家についた時に流れていたTVの映像には、そのまさかが映っていた。

家に一人で居たかもしれない実家の父が心配で心配で、ドキドキしながらの帰り道。でもゴルフの練習に行く、と言っていたはずだから家の外ならば大丈夫だったに違いない。マンションの一室では何が起きているかその時は想像がつかなかったから、外にいてくれ、外にいてくれ、と祈るばかり。祈りつつも、大丈夫だよと言いつつも、母に「覚悟しておいた方がいいかも」と口走る私。脅かしてかわいそうだったな、と今になって後悔。こういう時は何があるか分からないから、とガソリンをとにかく満タンにしてから、家に着く。車があるのを見て、あ、居る!マンションの4階に上がってドアを開けながら「お父さんいる!!??大丈夫!!??」私が大きい声を出すたびに怖がる母。ごめん・・・・。

父は無事だった。やはり外出していた。そして先に戻って家の中のぐちゃぐちゃを一人で掃除していた。すっかり綺麗に、ほぼ元通りに戻った家の中では、あれだけ心配した食器棚がちゃんと直立していた。硝子戸の中でものが落ち、何枚かのガラスやお皿が互いにぶつかり割れていた。父の大切な骨董品(らしきもの)が粉々になっていた。本棚の本も、硝子戸を中から押し開けて外に飛び出し散乱したらしく、本の前に陳列されていた母のエッグアートや置物が押し出されて床に落ち、上から降って来たハードカバー付きの古書などによって粉々にされていた。ここ1-2年、金継ぎを習得した母は笑って「また金継ぎすればいいよ」とか「仕事増えたね」とか。幸いにも和室のTVは、娘のおむつ替えのために敷きっぱなしにしていた布団の上に落ち、ガラスケースに入ったボンボン時計はソファーの上に倒れ、大きな家財が倒壊することは免れた。

ずっと携帯の繋がらない夫。九十九里浜から4kという距離では、もちろん津波が心配。後で聞けば、「大津波警報」が出ていた。ただ、阪神を知っていて、普段から人より地震や津波に敏感な、生命力の強い夫であれば絶対に逃げてるし大丈夫、という確信を持っていた。AU同士なら繋がるかも!と隣家の友人に電話。繋がった!!「おじちゃん??いるいる、いるよ、あ、まって、今靴をはくから・・・オジちゃーん、待って、電話!」と取り次いでくれた。「大丈夫、無事。一回にゃあと逃げて、今荷物を取りに帰ったところ。また避難しに行くから」とお互いの無事だけを早口に確認して切った。車には(そういえば“ノア”だわ・・・)にゃあのトイレまで積み込み、ケージに入れて、パソコンなどの大事な仕事用具と着替えと、暖がとれるものを積み込んで海岸から真反対の方向=千葉市内の高台にひたすら走ったらしい。一晩停電中の自宅へは帰らず、車で避難。にゃあも一度はドアからワッっと出てしまったそうだが、降り立った場所がいつもと違うので緊張して体が動かず、すぐ捕まえられたと言っていた。その後観念して体にまとわりついて一緒に寝たりして過ごしたそうだ。

大津波警報が解除されて、母にも「一人で心細くてかわいそうよ」と促され、ようやく恐る恐る自宅へ向けて運転し、夫に合流できたのは震災発生から三日後だった。家族がみんな無事でいる。それだけが何よりも、幸せに、幸せに、感じた瞬間だった。本当にありがたいことだ・・・。

一人で割れた皿などを片付けて、普段きっとやらないだろう掃除機がけなどをしていた父がなんだかちょっと弱弱しく見えたり、あっけらかんと笑う母も内心ドキドキが止まらなかっただろうと思ったりして、家具や食器の多いマンションの一室に父母を余震が続く中残して行くのがものすごく気がかりだったが、帰る前に食器棚の場所だけ移動しよう!という私に、「もうお母さんたちはいっぱい生きたからいいのよぅ、あんたはアンタたちのことだけ考えなさい」と言われた。

***

今、大切な友人(と呼ばせてもらうね、大先輩だけど・・・)が故郷の女川の町を「父の何かを探して」歩いています。彼は、連絡の取れない、安否確認のできないお父様を思って思って、私たちなんかよりよっぽど眠れない日々を過ごして来たでしょう。けど、きっときっと、お父様の方も、息子たち、家族のみんなの無事を祈って心配して心配して時を過ごされたと思います。親が子を思う心の方が、きっと上なんだろうな、と悔しくも認めざるを得ません。父を探すのではなく、『父の何か』を探しに行くとは・・・。どんなに辛いお気持ちでしょう。何もしてあげられない自分ですが、今私にできること・・・それは自分の子供を責任を持って守ってやる、それしかないと感じています。

大好きな海よ。

こんなむごい仕打ちは無しだよ。

(在りし日の九十九里)


ゲゲゲの鬼太郎列車

2011年02月16日 17時13分20秒 | その他

うーん。

島根旅行を日記に残そうと思っていたのに、そんな時間がないっ。

ゆっくりブログする時間なんてないー。うぇ~~~ん、うぅぅ。

ムスメが寝てくれたら、あれもしたい、これもしたい、などと思うのですが。一日があっちゅーまに終わります。ダンナが一緒で交代じゃないと海にも行けず、二人どころか3人がセット状態だし、一人でフラフラと波乗りしていた日々が懐かしい・・・。

と、また関係ない愚痴をこぼしてしまった。(ちなみに、今ムスメもにゃあさんもセットで寝ています)

これはぜひアップしておきたかった「ゲゲゲの鬼太郎列車」。 (←見てね、イケメンNoboケル)

水木しげるさんの故郷の境港から米子をつなぐローカル線、JR境線です。

JR境線では全国で唯一、全駅に妖怪の愛称駅名が付き、各駅に妖怪イラスト入りの駅名板も設置。鬼太郎、、目玉おやじ、ねずみ男、ねこ娘のイラスト入りの列車も走っています。←以上、JR西日本「山陰旅図巻別冊」パンフレットより。

そうだったんだ~知らなかった。でも知らずにホームにいて、鬼太郎が走って来たから、超ビビリましたわ。


生まれました!

2010年04月17日 21時09分20秒 | その他
にゃあパパです。

管理人の妻が出産のため、代わって更新しております。

本日無事女の子を出産いたしました。

もともと予定日が4/12で大潮が13~15あたりでしたので、そのタイミングで何か動きがあるのでは?とひそかに期待しておりました(にゃあさんも大潮で生みましたし)そして、4/15の明け方に陣痛があったので一旦入院しかけたのですが、しばらくすると弱まったため帰宅することに。4/16(昨日)の検診でも兆しが見られず、先生に「歩いたほうがいいですよ」と言われましたのでそのまま散歩に行くことにしました。終日冷たい雨だったので、大型ショッピングモールを二人で俳諧することにしました。

ここ最近子供がいる方達から「生まれるとゆっくりと外食もできなくなる!」とアドバイスいただいていおり、普段あまり食べないような外食を続けて行っておりまして、この日も「自然派ランチのバイキング」なるものをたらふく食べてしまいました。デザートもフルコースでたっぷりいただきまして・・・


この後歩き始めたのですが、再び微弱な陣痛が始まりまして、途中で休み休みしながら約3時間ほどたっぷり歩き回りました。

そのまま帰宅しても陣痛は終わることなく徐々に強くなり、夜中になって我慢できなくなったため、明け方に病院へ連絡して行くことに。今回は2度目になるので本人はかなり引っ張ったようですが、結局診察では「まだ子宮口の大きさが前と変わっていないし、固いですねー」とのこと。そのまま様子を見ることになりました。

朝になり先生も来られて、「いろんなリスクを考慮した場合、帝王切開がいいのではないかと思いますが・・・ご相談して決めてください」との説明を受け二人で話し合った結果、胎児の安全を第一に考えて今回は帝王切開で出産することに決めました。当然何もなければ自然に分娩したい、という思いは二人ともあったのですが・・・。

先生方は午前中に一般の患者さんの診察もあり、手術は13時ころに行うことになりました。しかし、妻の陣痛はその後だんだんと激しさを増していきまして、12時頃には3~4分間隔くらいでかなりつらそうな状況に。看護師さんも「だいぶいい感じで来てますし、ここにきて子宮口も開いて来ました」とのこと。ただ、陣痛の度に胎児の脈が落ちることがあるため、酸素マスクを装着することに。大丈夫か・・・?


「もしかするとこのまま胎児が降りてくれば通常の出産になるかもしれない」と言われつつ、13時を15分くらい回ったところで先生が登場。結局帝王切開で出産することとなり30分ほどで無事元気な女の子が生まれました。



今のところ、かなり妻似です。

術後に先生から説明がありまして、「へその緒が首に巻きついていました」とのこと。ただそれ自体はよくあることだそうですが、「今回は2重に巻きついていましたので、赤ちゃんが回旋して降りてくることは厳しかったようです」とのことでした。もし通常の分娩を行っていたとすれば、かなりの難産になるか、または胎児の酸素不足がひどくなれば、結局途中で帝王切開に切り替えることになったそうです。(最悪の場合だと酸素不足で仮死状態になって出てくることもあるそうだ) 確かに最後の方の激しい陣痛がある度に、モニターに出される胎児の脈(数字)が弱くなることがありましたので酸素マスクをつけましたが、へその緒が絡まったまま回旋して降りようとして、首が締め付けられていたことが考えられます。

その後健康そうに泣き叫んでいる我が子を眺めていると、この選択は結果的に良かったんだと納得しました。


近くに他の赤ん坊もいるのですが、我が子は帝王切開で生まれたためか頭の形がゆがんでいないように見えます。(通常は産道を通る時に頭が小さくなるため。周りの赤ん坊は少し尖ったような形をしており、大きさも小さい)

妻は麻酔が切れてきたためかなり痛そうですが、とにかく二人とも無事でなによりです。結局丸1日以上陣痛に耐えていたことになりますので、妻も赤ちゃんも本当にご苦労さんでした。

しかし、子供が出来てしまうと、最初はお腹の中でちゃんと育つかどうか心配して、次に無事生まれるかどうか心配して、これからも無事に育つかどうか心配して・・・結局次の孫が生まれるまでまた心配したりと、人生ずっと心配し続けるのかな~なんて考えたりしました。(妻のご両親も来てくれましたが、ずっと心配していましたし)

長くなってしまいましたが、とにかく生命の誕生は感動的です。にゃあさんが生んだ時も感動しましたが、自分の子供だとなおさらです。

今日は4月としては雪が降ったりして記録的にめずらしい日だったのですが、僕自身にとっても忘れられない1日となりました。(後6日遅ければにゃあさんと同じだった!)

にゃあさんも奥さんも、子供を生む女性ってすごい!




カウントダウン

2010年04月02日 20時36分49秒 | その他
4月に入ってしまいました!
最近はPCを開くのが億劫で携帯からです。
予定日(私の出産の方です~)まであと10日
いつの間にか日が近づいて参りました~ひ~~~~!

1日一時間の散歩を心がけていますが(というよりパパ氏に強要されている)
雨やら嵐やら悪天候が多く思うように出れません。
赤ちゃん用品のお洗濯もしたいのになかなか進まず。
ちょっとイライラしますが、入院準備だけはなんとか揃った感じです。

お腹の子が超暴れん坊で!!!!
毎日痛くて苦しくて、かないません~
夜は眠れず。
食べると苦しく。
中から蹴られ通し。

つわりと言うつわりもなく、結構ラクチンな妊婦生活だと思っていたら、第四コーナーを回って直線に入った途端、胸ぐらいの高さのハードルがドトっと並んでる!

骨盤レントゲン写真では、尾骶骨が内巻き気味らしく、普通分娩が難しかったら帝王切開の可能性アリと。
しかも当日現場判断だと言うんから…ゴールラインは遠のくばかりか~!

にゃあさんを見習って、チュルンチュルンチュルンと産みたいよ~!!
にゃあちん、ひとりでちゃんと出産してエラかったねェ…

寅さん

2010年01月20日 20時12分19秒 | その他


溜まっていた写真データをようやくPCに取り込むことができました~

こちらは今年の干支の寅さん。
しのチャンの吹きガラスです。
どうもにゃあさんのように見えてしまって、余計に愛着が!
ご本人いわく「難しいんだよ~~ぅ」って。

テーブルの上に置いているので、にゃあさん時々またいだりしています

ねずみ対策

2009年12月31日 10時12分09秒 | その他
久々登場、にゃあパパです。
大晦日の大掃除っていうほど大したことはやってないのですが、今回は我が家のもう一つのペットである、ねずみ君について。

数年前から秋~冬にかけて、天井裏を「かさかさかさーっ」と駆け回るねずみ君が住み着いています。夏場は屋根裏の温度が熱すぎるためか、秋から冬にかけて寝ぐらにしているようです。

動き回る時間が大体決まっていて、毎朝明け方ころに「たたたたたたたー」「かさかさかさかさかさ」と天井裏から線を引いたような音が連なって聞こえてきます。

幸い、家の中に侵入してきたことは1回だけしかありません。(にゃあさんが来る前)今はさすがににゃあさんが居るためか、家の中まで侵入してくることはありません。しかし、天井裏まで家猫の効果はなく、毎年決まって住み着いてしまっているようです。

これから冬にかけて食料をたくさん備蓄して、春にかけて出産したりするのでしょうが、天井裏が大変なことになってしまうのも困ります。(糞だらけだったり!) そこでなんとかしようと考えたのですが、殺虫剤のようなものを使用して天井裏でお陀仏になられるのも困ります。そこで、我が家の行き着けホームセンター「カインズホーム」で探してみると、ありました!

ネズミ忌避スプレー


成分は天然のハッカ油であり、ねずみを追い出すことが目的のため、天井裏でお陀仏ということがないそうです。

最初は音がうるさい天井裏に小さな穴を開けて噴射しようかと思いましたが、穴をあけるのも大変です。借家ですし。そこで屋外の通気孔から噴射することにしました。高いはしごが必要なため、2mの脚立を購入


ALINCO製で\5,980。前から庭木を切るために買おうと思っていたので、今回を機会に購入しました。

さて、まずは天井裏への噴射から。このような通気孔が家の左右に2箇所あります。


ここへ脚立をはしご状に立てかけて、少々危険ですが登って噴射します。通気孔の中は幸い(?)空洞になっており、スプレーは広範囲で行き渡りそうです。噴射して間もなく、ハッカの匂いがただよってきました。

次に軒下の通気孔です。


にゃあさんは相変わらず外に出たそう…

1缶は天井裏へ、もう1缶を軒下へ噴射しました。

隙間が多い家なので、家中がハッカの匂いで満たされています。

はたして、効果はあるのかどうか…?