先日、中学校の頃の同窓会のような集まりがあった。
自分は残念ながら出席が叶わなかったが、出席者の一部で、
その頃から決して目立つことのなかったはずの私の名前が登場したらしく、
ありがたいことに会場の数人から直接電話をもらった。
そして、一昨日も書いたようにイーグルスの後、
これもほぼ27年ぶりの再会を果たしたのだが、不思議なことに
会った瞬間からまるで昨日まで一緒に生活していたかと錯覚するくらい
打ち解けた。
同時に、まるで27年ぶりに失った記憶をよみがえらせていくような、
軽い眩暈も感じた。
そう、27年というのはさほど短くはないはずだ。
それにしても旧友との心の距離感は、まるで昔育った街を
大人になってから訪ねた時のような(「あれ、こんなに
道幅狭かったっけ」「あ、こんな近くだったんだこの駅」
というような)縮尺を感じた。
一方、身内の話である。
この6月に亡くした実父は、とても厳しく、頑固で、
融通の利かない、しかも言い出したら引くことを
知らないヒトだった。若い頃は、正直疎ましく思ったことも
しばしばだった。実際、勘当された時期もあった。
しかしヒトの心は不思議なもので、6月に亡くしてからは
見事に記憶が昇華されてしまったせいか、悪い思い出が出て来ない。
その父に、戦中戦後を共に苦労して育った兄姉がいて、
今も近くに生活している。自分にとってもかけがいのない
親戚であり、人生の先輩達である。
そんな彼らが数年前、些細な感情のすれ違いからお互い
一切の連絡を絶つに至った。
昔の苦労に立ち会っていない自分には事の仔細を知る由もないが、
生きているからこその諍いではないのか。
悲惨な戦争を体験しつつも命を永らえ、
苦労を重ねつつも子宝に、孫に、曾孫にも恵まれ、
賑やかに暮らせる今を共に感謝し、喜び合う日が訪れることを
心から願ってやまない。
せめて今、生きているというこの事実を、
また、同じ時間と空間をともに共有しているという事実を
素直に感謝できる人間でありたい。
生まれたとき、一番最初に築き上げる人間関係が親子であり、
兄弟であったことも忘れてはならない。
秋の夜長に任せて、生意気なことを書き連ねた。
草葉の陰から怒鳴られそうである。
虫の声にでも紛らしていただきたい。