おめでとうみんな。
また会いにおいで。
いつでも両手を開いて迎えてあげます。
またね。
先週は宮城県仙台市を中心に、岩手県にまで足を延ばしていた私。
今週は、島根県松江市で宍道湖を眺めていた。
とはいえ、今回もそんなのんびりした行脚ではなく、
長男の下宿探しに奔走。
忙しい時期ながら、2週連続で親子2人旅と相成った。
自分が若いころには、父親はただ怖い存在であったので、
ましてや2人で旅行など、想像もできなかったが、
うちの長男くん、結構楽しそうにしていたのでまあよしとしよう。
結局、学生スタッフ諸君の献身的なサポートにも助けられ、
4件もの部屋を一気に自転車で回って、無事契約。
これからの4年間、どんなドラマがその部屋で待っているのか、
他人事ながらちょっと胸躍る時間でもあった。
仙台3日目の夕方、高校の卒業式を終えて間もない長男が合流した。
4日目は朝からレンタカーを借り、まずは青葉城址に挨拶。
それから一路、陸前高田市へと向かう。
震災当日、偶然家でTVに写る惨状をリアルタイムで見ていた彼は、
もともと被災地への関心は少なくはなかったようだが、
やはり現実の姿を目の当たりにすると言葉を失い、
無残に残された小学校の姿にただ立ち尽くしていた。
そして場所を気仙沼市に移すと、陸前高田市同様、街ごと更地に。
がれきがかろうじて片づけられていることがせめてもの救いか。
しかし、いまだあちこちに被災の爪痕が。
今回の旅が今の彼に与えた衝撃は小さくはないだろうが、
こちらの思いは少し違う。
これから先、生きていくうえで、どこでどのように思い出すか
わからないが、何年後に思い出すのかわからないが、
いつの日か、何かの道しるべとなってくれることを密かに願う。
自分にできるささやかな卒業祝いだ。
余談だが、陸前高田市に向かう車の中、(今の時代は、
スマホがあればどこからでも確認できる便利な世の中に
なったものだが、)第一志望の大学の合格を確認できたようで、
遠く島根県での一人暮らしがはじまることになった。
復興は確実に進んでいます。
この写真でもわかるように、新しい建物がすごい勢いで建っている。
しかし、整地が進んでいない地域は未だ更地のまま。
塩分を含んでしまっているので、作物も育たない。
これによって、再建のめどが立たない地域の人、それも資金の見通しが立つ人は
次々に内陸側に土地を求めて新居を築く。
したがって、(ここが問題なのだが、)災害を免れた地域は人口が急激に増加し、
自然、スーパーや飲食店等、売り上げが前年度比150%を超える好況を生んでいる。
もっと細かいところでは、同じ町内に住んでいながら、壊滅的打撃を受けた家と
無傷の家が存在するのが現実。
こうした背景による感情的なもつれが復興を遅らせる深刻な問題なのだという。
情報処理学会全国大会で仙台を訪れています。
今回、出席する決め手になったのは、本日に設定されたワークショップ。
今回の全国大会全体のテーマである震災復興の一端を担う象徴的なワークショップに
参加させていただけることになったことが大きい。
私が参加したコースは、岩沼~名取(ゆりあげ地区)~荒浜地区視察と復興に向けた取り組み視察。
この写真、上がゆりあげ地区の震災前。
下が震災後。
数々のマスコミで取り上げられた日和山(ひよりやま)神社。
鎮魂を願う碑には思わず手を合わさざるを得なかった。
背景には、街があったはずの、各家の基礎だけが無残に残る。
復興の遅れには、民間と国のスピードのタイムラグが上げられるが、
実際には被災者同士の複雑な感情があることも大きな要因の一つであるという。
確かに、同じ町内に住んでいながら、被害の程度が異なることにより、
地域の足並みが揃わない事実が後を絶たない。
それにしても、
ここには確かに、港をにぎわす街があったのだ。
仙台市内、中心部は比較的被害が少なかったとのことだが、電気、ガスなどの
ライフラインが途絶えたことには相違ない。
今回案内してくれた方々は、復興に向け、地域の民間主導者として奮迅しておられる。
震災直後のことは、改めて問われると、「いまだに現実とは認識しがたい」。
立ち止まるより、前を向いて走り続けることこそが、彼ら自身が生き残った事実を
否定しない手段。壮絶な現実。
彼らは繰り返して言う。
「助けてもらえるのは確かにありがたいが、助けてもらっているとき、
心から無力感を感じた。施されることに慣れては前に進めない。
自分たち自身が自分たちの力で前に進まなければ。」
そう言う若い流通経営者は、雇用創出によって街ぐるみの復興を夢見る。
高齢者、障がい者の雇用を確保することで、施すこととは違った意味での
福祉政策を含めた復興支援が実現する。
第6次産業という新たな産業の創出を目指す。
「それは、復興という短期的なものではなくて、
次の世代に受け渡していく文化であり、政策なんです。」
何が正しいとかそういうことを言うつもりはない。
目の前にある現実。
それとどう向き合うか。
震災から2年が経とうとしているが、現場での本当の戦いは、まだこれから始まる。