鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復1
鬱病原因と僕の生い立ち、そして回復2
◆鬱病の解決へ
今まで書いてきたように、神経症(うつ病)克服プログラム(脳覚醒プログラム)の岩波英和先生のもとでルーツ整理をしてわかったことは、鬱病になってしまったのも当たり前だったんだなということでした。
僕が鬱病や神経症にはまる方程式が確かに自分の人生の中にふんだんにありました。
今ではこれではならないほうがおかしいくらいだなと思えています。
僕以外の人間が同じ人生を辿ったとしても、必ずうつ病にどこかでなっていたであろうと。
主な原因は、いじめ経験や親から自分を殺して生きるように育てられてきたこと(愛情なのはわかってます、はい)、いくらいい成績を取っても親から褒められないで自分の価値がわからなかったことなどです。
抑うつ状態で過ごさざるを得なかったのも当然のことでした。
それに会社のストレスや人間関係のプレッシャーが加わるとなったら、心がやられないわけはないと。
神経伝達物質もそりゃあ乱れて、セロトニンが出なくなるわな、って。
この「当然のこと」という考えに至ったことは、僕の鬱病克服対策の中でも大きな柱になりました。
鬱病になる方程式がはじめてわかって、どうしたらそこから抜け出せるかヒントがあったからです。
鬱病になる方程式は何も永続的ではありません。
いくらでもこれから変えられます。
ちゃんと原因を分析してわかれば修正は可能だし、鬱病から脱する糸口が見えてきました。
方程式を変えることは、岩波英和先生の指導の元、トラウマへのこだわりをなくしていくということや、暗示を入れ込んでいって、マイナスの思考を打ち破るということでできました。
抗うつ剤はあくまで一時しのぎで、無意識〔深層心理〕から、鬱病が起こる病巣を解決していくことが、根本療法になります。
鬱病が改善していったのはそういうことをしていったからです。
抑うつ状態になった方程式がわかったのは、今まで書いてきたように、またのちにも述べますが「ルーツ分析&整理作業」をしたからです。
それをしたからこそ、体験記をWEB上に載せようと思いましたし、みなさまの鬱病解決への何らかのヒントになると思ったからです。
分析の助けにしてください。
鬱病にならざるを得なかった自分はこれからでも変えられます!
◆鬱病回復して
今は抑うつ状態から解放されています。ぶり返すこともありません。すっごく楽です。
今までがよっぽど歪んでいたという裏返しですが、これから先を楽しみたいです。
頭がすっかり晴れた感じの心地よさはすばらしいものです。
抑うつ状態の時は想像できない状態です。
僕の過去からマイナスの悪循環の流れから解放されました。
過去のトラウマや心の傷を無意識に押し込むことなく、客観的出来事として処理できているので、そいつらが悪さを働くことはないです。
割り切りもついてきたし、何かあって落ち込んだとしても、すぐ気持ちを切り替えられるようになりました。
自分への信頼感もついてきたと思います。
前はスカスカな心の脆さを持っていたんですが、今はちょっとしたたくましさを感じることができます。
はまりこんでしまう人生を送らざるを得なかった人も、答えはまだ決まっていません。
今は最悪な答えを出してしまったかも、と思っても、それは幻想です。最終的な答えではありません。
ノイローゼにはまる式に一生つきあっていく必要はないのです。
あくまで与えられた式ではなく、自分で作り上げていくものです。
落ち込むのも理由があるし、落ち込まないようにしていくのも理由がちゃんとありました。
しっかりを過去を見つめること、焦りの感情、不安の感情への対処法を身につけること、心の抑圧を取り除いていくこと、最終的に覚悟をもって、怪我をしてもいいぐらいの気持で動いていくこと、割り切りを身につける訓練などをしていくことが肝要でした。
◆鬱病になった原因を分析することの重要性
僕が運良く通うことができ、こうしてルーツ分析をし、鬱病が解決した岩波英和先生のところでも、やっぱり、パソコンの仕事(SEなど)の人がたくさん通ってきていました。
なぜその仕事に就くのか、それ以前の学生時代や子供時代のルーツの積み重ねの流れがあって起きていると、はっきり知ることが出来ました。
ルーツ分析と整理作業をしてからです。
だからこうやってサイトに自分の悩みに行く流れを書くことができるのですが、悩んでいると、それすら面倒くさくなったり、あえて目を背けてしまうのです。
僕も昔はそうでした。
惰性という気持ちは神経症を治すことも阻んでしまうのです。
過去の流れを断ち切るためには、いずれは立ち向かっていかなくてはいけません。
自分の内面と対峙しなくてはいけない時があります。
抗うつ薬SSRIなどで逃避するのもいいでしょう。
でもいつか抗うつ薬では限界が来るかもしれません。
薬はだんだん効いてこなくなります(医者も認めています)。
その間に問題解決できるのが理想ですが、対症療法である薬物療法が全盛の世の中において、そえはなかなか大変なようです。
そうなるとずるずると服用していた抗うつ薬の副作用の苦しみが上乗せされます。
薬害とまでは言いませんが、たしかに抗うつ薬には負の側面もあります。
人によってその副作用は大きく違ってくるので、一般論としては書けませんが、抗うつ薬が合わない人が服用し続けると、副作用の苦しさで、症状は更に重くなってしまいます。
だから、抗うつ薬に心も体も依存してしまう前に根本的に鬱病に対処すべきだと思います。
◆SEを選ぶ人の特徴
書いてきたように僕は鬱病にはまってしまうただ一本の道を歩んでいただけでした。
現状の困難や未来の不安から逃げに逃げて、コンプレックスを抱え続け、それを打破したり、別のことで補償しないまま、ついに神経症になってしまいました。
そんな人が多く僕と同じ仕事(SE)を選んでいました。
誤解がないように言っておきますが、パソコンとずっと向かいあっている人すべてが、心の悩みにはまっているわけではないです。
ただ、確率が多いだけであって、悩みが生活に支障を来さずに生きられる人も多いです。
貶めるわけでもありませんし、僕がそうだったから書いているだけです。
気分を悪くしてしまったら申し訳ありません。
当たり前ですが楽しめないから鬱病になると言えます。
ただし、一人でいることが好きな人は、決して「一人でも平気な人間」というわけじゃありません。
知らず知らず人との接触を避けて、一番楽な生き方が一人で生きることなだけだから、そんな人は悩みやすく外部の刺激にすぐ傷つきます。
コミュニケーション能力にも長けていないため、劣等感を感じやすいのです。
同時にプラスに積み上げていく機会がないのは確かだと思います。
だから、ネットゲームやテレビゲームにはまって、ずっとゲームをやり続けてしまう人は、未来があまりないと思います。
ゲームやっとに依存している時は楽しいけれど、それが人生のすべてじゃないし、ほんのちょっとのささいな楽しみにすぎません。
いくら熱中しようともです。
人生のうち5%それで楽しさの埋め合わせが出来ても、他の95%はつまらなかったら、だれだって鬱病に陥ります。
まぁ、何にも楽しみがない人、楽しめない人に比べたら、ゲームに熱中出来ただけでもましかな、という程度だと思います。
どっちにしたって、自分が好きになる、少なくとも嫌いじゃない自分にならないと、鬱病になりやすいと思います。
◆無意識の深さと恐ろしさ
鬱病も神経症も一気に悩みにはまるわけではなくて、ちゃんと理由があってなっている。
それはいま勤めている会社や業種を選んだ理由だって、消極的理由だったら、神経症的理由があって、それを選んでいる。
だから、僕と同じ仕事の人が多く悩んでしまっている。
人を避け続けても、結局はどこにいっても人は存在するし、もう避けようがない。
だから、どんなに逃げても結局ははまりこんでしまうでしょう。
逃げても逃げても、避けても避けても、それができなくなったときなんか、すごく焦ったり落ち込んだりすると思います。
自分の無意識から逃げることは絶対無理だし、蓋も出来ない。
押さえつけようとした分だけ、のちのち無意識が意識を圧倒するくらいに暴れ回るのです。
それは落ち込んだり、敏感になったり、病的な感情を抱くようになったり、怖すぎることだと思います。
コンピュータとかネットとか、そういったものは、その無意識に潜む心の問題の氷山の一角の事象にしか過ぎないものです。
僕は自分の経験から氷山の一角を分析しました。
この考察を含めて、いかに無意識に潜む問題が、人間の行動の多くを制限してしまうのか、あらためて考えさせられました。
◆ 根本から鬱病になる原因を解決していこう
生きるって厄介です。
でも厄介なりに生きて行かなくてはいけないことも確かです。
うまく自分の心の問題を解決できて、楽しい人生を歩めることを切望しています。
そのためには僕がお世話になった心理と脳内の専門家の先生に相談するのも一つの道ですし、他にも方法はあるかもしれません。
でも、一生抗うつ薬に頼り続けるのはのちのち悲惨なことになると思います。
僕は分析をすることを是非オススメします。どうやってやればいいのかは、僕のサイトに書かれてあるようなことをやればいいと思います。それが鬱病とか対人緊張・対人恐怖症にどう結びついているのか知ることが大事だと思います。
無意識とかトラウマの処理もしなくてはいけないかもしれませんが、基本としてやった方がいいと思います。
ただし、それで落ち込むようならば絶対にやらないでください。
色々な意見もあるかと思いますが、鬱病が治った男の一つの例として受け止めてください。