内因性の鬱病は別として、心因性による鬱病には、精神的なそれまでの流れで原因が形づくられてます。
育った家庭環境、親の教育方針、小学校・中学校・高校・大学での人間関係、職場での人間関係や仕事の重圧、親の病気による心労、恋愛・結婚生活の破綻など、世の中にはたくさんのストレスと抑圧要因が存在してます。
中にはもう二度と思い出したくない嫌な過去もあるでしょう。
でも、目を背けたい、蓋をしたい事実こそ鬱病の大きな原因(種)となってるはずです。
僕もたくさんの鬱病の種が潜在意識に植えつけられてしまいました。
だから、自分でどうすることもできなくなり苦しむことしかできません。
しかもストレスや重圧で、抑うつの種に水をやり肥料を与えてしまってました。
鬱病の原因が密林のようにあっという間に膨れあがってしまいました。こうなると鬱病になって当然の人生になってしまいます。
これは「鬱病の原因分析と考察」「うつ病原因と回復記録」に書いています。
ストレスのはけ口がないまま、心を抑圧して生きてしまうと、必ず限界が来ます。
その結果が鬱病であり、抑うつ状態でした。
どうしようもなく気分がふさいでどうしようもなくなってしまいます。
無気力、苦痛、自責の念、希死念慮、苛立ち、集中力の低下などもすべて抑圧し続けて対応しきれなくなった無意識からこみ上げてくるものです。
世の中には、心を抑圧してしまう人もいれば、さらっと受け流して生きる人もいます。
この違いはどこから生まれたのかというと、やっぱり生い立ちに帰せられると思います。
完璧主義を強いられてきた人や、厳格に育てられた上に愛情や見返りを与えられなかった生い立ちを持つ人が鬱病になりやすいそうですが、僕も当てはまってました。
そういう人は、さらに頑張ってしまいます。
頑張れば頑張れるだけの見返りが求められる、不完全に終わらせたくない気持が、逆に鬱病へと導いてしまいます。
融通がきかない生き方になってしまうため、大学や職場の人間関係でもうまくいかず、そこでもストレスをもらってしまい、完璧主義者としての現状への不満と憂鬱が、自分自身への自信のなさを逆に作り上げてしまいました。
頑張れば報われるのが普通なのに、頑張っても頑張っても、どんだけ歯を食いしばっても、抑圧を受け続けることになってしまい、ついには鬱病を発症してしまうと言う流れが一般的だと思います。
過去の自分を振り返って、抱えきれないストレスを思い出すことは非常に苦痛です。落ち込みます。
また嫌で嫌でたまらなかった家庭環境を考えるだけで、落ち着かなくなってしまいます。
でも、そこが肝心です!
目を背けたいこととは、抑圧をして心に蓋をしてしまっているということです。
でも、無意識で抑圧し続けることができる心の容量は決まっているし、はけ口がないため、さらにすぐ溢れてしまいます。
もう今まででさえ、抑圧量は満杯なのに、仕事や鬱病そのものの心労が重なると、もっと重度の鬱病になるのは当たり前だと思います。
心の抑圧量を減らすことが、心に余裕を与えます。
心の余裕は脳の余裕です。
ギリギリのストレスの中で生きてきた人の脳は、そりゃあセロトニン分泌が阻害されますよね。
余裕が次第にできてくれれば、セロトニン分泌が再開される余地ができます。
抗うつ薬の覚せい剤効果で無理やり分泌させる方法だけに頼ると、その副作用もきつくなります。
抑うつ状態を減らすには、ストレスを受け流せる自分になること、過去の抑圧原因そのものを縮小させることで、僕は心に大きな枠を確保できたと思います。
だから、落ち込みも抑うつ状態も不安も焦りも感じにくくなりました。
悪い出来事にも冷静に対処できるし、客観的に見ることができて、不安に苛まれることもなくなりました。
過去の積み重なった抑圧原因をしっかりと見つめれば、抑圧が抑圧でなくなってきます。
最初は嫌で溜まらない作業ですが、それをしないと、今後もストレスがある度に、鬱病悪化や再発を繰り返してしまいます。
できれば、特殊な意識が強く変容している状態の時に、過去の抑圧要因を見つめたほうがいいです。
詳しくはこちらに脳についての話が書かれてあります。
僕は鬱病の再発はずっとありません。
自分の心の余裕を感じられるからです。
今となっては再発の心配もしてません。
心のヘドロ掃除ができたからだと思います。
鬱病になるべくしてなったのなら、落ち込みの原因を洗い出してなくしていけば、また鬱病になったらどうしようなんてことは起きません。
今さらなろうと思っても鬱病にならない自信も時間と共につきました。
育った家庭環境、親の教育方針、小学校・中学校・高校・大学での人間関係、職場での人間関係や仕事の重圧、親の病気による心労、恋愛・結婚生活の破綻など、世の中にはたくさんのストレスと抑圧要因が存在してます。
中にはもう二度と思い出したくない嫌な過去もあるでしょう。
でも、目を背けたい、蓋をしたい事実こそ鬱病の大きな原因(種)となってるはずです。
僕もたくさんの鬱病の種が潜在意識に植えつけられてしまいました。
だから、自分でどうすることもできなくなり苦しむことしかできません。
しかもストレスや重圧で、抑うつの種に水をやり肥料を与えてしまってました。
鬱病の原因が密林のようにあっという間に膨れあがってしまいました。こうなると鬱病になって当然の人生になってしまいます。
これは「鬱病の原因分析と考察」「うつ病原因と回復記録」に書いています。
ストレスのはけ口がないまま、心を抑圧して生きてしまうと、必ず限界が来ます。
その結果が鬱病であり、抑うつ状態でした。
どうしようもなく気分がふさいでどうしようもなくなってしまいます。
無気力、苦痛、自責の念、希死念慮、苛立ち、集中力の低下などもすべて抑圧し続けて対応しきれなくなった無意識からこみ上げてくるものです。
世の中には、心を抑圧してしまう人もいれば、さらっと受け流して生きる人もいます。
この違いはどこから生まれたのかというと、やっぱり生い立ちに帰せられると思います。
完璧主義を強いられてきた人や、厳格に育てられた上に愛情や見返りを与えられなかった生い立ちを持つ人が鬱病になりやすいそうですが、僕も当てはまってました。
そういう人は、さらに頑張ってしまいます。
頑張れば頑張れるだけの見返りが求められる、不完全に終わらせたくない気持が、逆に鬱病へと導いてしまいます。
融通がきかない生き方になってしまうため、大学や職場の人間関係でもうまくいかず、そこでもストレスをもらってしまい、完璧主義者としての現状への不満と憂鬱が、自分自身への自信のなさを逆に作り上げてしまいました。
頑張れば報われるのが普通なのに、頑張っても頑張っても、どんだけ歯を食いしばっても、抑圧を受け続けることになってしまい、ついには鬱病を発症してしまうと言う流れが一般的だと思います。
過去の自分を振り返って、抱えきれないストレスを思い出すことは非常に苦痛です。落ち込みます。
また嫌で嫌でたまらなかった家庭環境を考えるだけで、落ち着かなくなってしまいます。
でも、そこが肝心です!
目を背けたいこととは、抑圧をして心に蓋をしてしまっているということです。
でも、無意識で抑圧し続けることができる心の容量は決まっているし、はけ口がないため、さらにすぐ溢れてしまいます。
もう今まででさえ、抑圧量は満杯なのに、仕事や鬱病そのものの心労が重なると、もっと重度の鬱病になるのは当たり前だと思います。
心の抑圧量を減らすことが、心に余裕を与えます。
心の余裕は脳の余裕です。
ギリギリのストレスの中で生きてきた人の脳は、そりゃあセロトニン分泌が阻害されますよね。
余裕が次第にできてくれれば、セロトニン分泌が再開される余地ができます。
抗うつ薬の覚せい剤効果で無理やり分泌させる方法だけに頼ると、その副作用もきつくなります。
抑うつ状態を減らすには、ストレスを受け流せる自分になること、過去の抑圧原因そのものを縮小させることで、僕は心に大きな枠を確保できたと思います。
だから、落ち込みも抑うつ状態も不安も焦りも感じにくくなりました。
悪い出来事にも冷静に対処できるし、客観的に見ることができて、不安に苛まれることもなくなりました。
過去の積み重なった抑圧原因をしっかりと見つめれば、抑圧が抑圧でなくなってきます。
最初は嫌で溜まらない作業ですが、それをしないと、今後もストレスがある度に、鬱病悪化や再発を繰り返してしまいます。
できれば、特殊な意識が強く変容している状態の時に、過去の抑圧要因を見つめたほうがいいです。
詳しくはこちらに脳についての話が書かれてあります。
僕は鬱病の再発はずっとありません。
自分の心の余裕を感じられるからです。
今となっては再発の心配もしてません。
心のヘドロ掃除ができたからだと思います。
鬱病になるべくしてなったのなら、落ち込みの原因を洗い出してなくしていけば、また鬱病になったらどうしようなんてことは起きません。
今さらなろうと思っても鬱病にならない自信も時間と共につきました。