カルタゴは地中海の殆どで広く交易をしていた地中海第一の海運国で、多くの軍艦も保有していました。
カルタゴの港は商業港と軍港に分けられ、入り口には長方形(500m×300m)の商業港があり、周りには多くの倉庫などが建てられていました。
商業港の奥には円形の軍港があり、敵が攻めてきた時などは鎖で軍港を封鎖し、敵船が入れないようにする設備もありました。
軍港は直径300mに220艘の軍艦が係留できました。
カルタゴ軍は第1次ポエニ戦争(紀元前264~前241)当時5段層軍団を120艘保有しており、1艘に漕ぎ手が300人、戦闘員が300人乗船できる大型でした。
当時のローマは軍艦や輸送船団さえ保有していなかったのですが、ローマ連合(3段層軍団まで)の支援を受けてシチリア島に渡ることが出来、「ローマは一日にして成らず」のスタート点となったのです。
この画像は軍港のドックで、軍艦を修理や陸に上げての係留に使われました。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
カルタゴの港は商業港と軍港に分けられ、入り口には長方形(500m×300m)の商業港があり、周りには多くの倉庫などが建てられていました。
商業港の奥には円形の軍港があり、敵が攻めてきた時などは鎖で軍港を封鎖し、敵船が入れないようにする設備もありました。
軍港は直径300mに220艘の軍艦が係留できました。
カルタゴ軍は第1次ポエニ戦争(紀元前264~前241)当時5段層軍団を120艘保有しており、1艘に漕ぎ手が300人、戦闘員が300人乗船できる大型でした。
当時のローマは軍艦や輸送船団さえ保有していなかったのですが、ローマ連合(3段層軍団まで)の支援を受けてシチリア島に渡ることが出来、「ローマは一日にして成らず」のスタート点となったのです。
この画像は軍港のドックで、軍艦を修理や陸に上げての係留に使われました。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔