昔といっても、当初はこんなテロップは出ていなかった。
ドラマやCMの内容にいちいち、馬鹿がクレームを入れた為、已む無くこう云う無駄な文言を入れざるを得なかった。
テレビのドラマや映画、CMの表現が実際のものでは無いと云うのは解り切った事である。
其れを、「ああだ」「こうだ」とクレームを入れるは想像力が無いのか、態と悪意を持ってクレームを入れているかの何方かである。
「子供が真似するから、悪影響だ」とか、
「暴力を助長するから」とか、
「差別的だ」とか、
「動物虐待だ」とか、
「社会に悪影響を及ぼす」とか、
もうこんな事は、見識が在り、地頭の良い親御さんが子供に説明すれば良いだけの事である。
眼を三角にして口角泡を飛ばして半気狂い(キチガイ)の如く喚き散らす連中のせいで、娯楽と云うものが端に追いやられ、況してや文化迄もが潰されてしまった。
こう云う連中の独善的な色眼鏡で基準が作られ、有害図書と云う意味不明な四文字迄作られて、エロ本や暴力表現の在った本やその類のものが激減してしまった。
目の前から、得て勝手な基準で世の中のものを選別し消し去る事で、「相傷付ける事無く相食む事の無い平和や調和」が来迎するとでも思っているのだろうが、何とも度し難い考えである。
人間が此の世に存在する限りそんなものは訪れる事は無い。
善一元も無い。
悪一元も無い。
善と悪が入り交じって此の人間社会が形成されている。
其の混沌とした中で、生きるには悪のみを消し去る事に執心するのではなく、如何に己の心を調御するかにかかっている。
アスリートがやっているのも心の調御である。
プレッシャーやストレスが無くなる事は決して無いので、其れ等に晒され乍ら己の心を調御している。
其れがメンタルトレーニングである。
吾も、職場やプライベートで色んな出来事に晒される。
凡てを投げ出して逃げ出したい事も在った。
だが、泣き言を云いながら、そんな体たらくな己を自分で慰めたり励ましたりしてでも実生活を送っている。
此れも心の調御である。
臨床心理士やカウンセラーなどの専売特許ではない。
難しい専門用語なんか何の慰めにもなりはしない。
実生活を送る中で、泣いたり笑ったりしながら、時には塞ぎ込んでみたり、薬に頼ってもいい。
そうして己の心を調御していけば良い。
だが、そう云う作業を止めてしまい、唯単に消してしまえばいいと云う安直な考え危険である。
そう云う経験も無駄では無い。
まぁ、世界の情勢を見れば解る。
人間が居る限り、此の世から戦争や紛争は無くならないし、平和も来ない。
元来、人の心を安寧に導く宗教さえも対立し、宗派争いも絶えない。
心を取り扱う宗教さえも此の有り様で平和なんぞが来迎する訳が無い。
話が大分逸れてしまった。
最近、生き辛い世の中になったと皆が嘆息するが、娯楽に迄クレームを入れる連中が諸悪の根源である。