☆おこしやす☆

趣味の小部屋

Birthday Short film

2014-11-11 01:03:23 | スポーツ

身支度を整える老紳士と老婦人。二人ともめかしこんでいますが、顔がどこか悲しそうで……。言葉を全く使うことなく視聴者の想像をかきたてる、絶妙な手法で作られたショートフィルム。

“行間を読む”という言葉があります。そこに直接書かれているわけではないけれども、前後の文脈の間に消失している“心で読み取る”べき言葉を推測する行為ですね。目には見えない感情を、その周囲の事象から汲み取ることだともいえるでしょうか。この“行間を読む”という作業、情報が溢れる社会になった昨今ではますます困難になりつつあります。

今回、Vimeoのショートフィルムからご紹介する「Birthday」という作品は、まさしくこの“行間を読み取る”映画だと思いますね。

 


登場する老紳士と老婦人が積み重ねてきた年月を象徴するかのような、柔らかい埃に輪郭のにじむセピア色の映像、そして、登場人物の心の襞を照らし、慰撫するかのようなライティングの妙。さらに付け加えるなら、二人の老人が、その長い生涯の間に抱えきれないほど溜め込んだのであろう孤独と寂寥を、彼らの後ろ姿や表情の微細な変化、さりげない動作、少し引いた位置で捉える悲しげな全身像などで、立体的に伝えるカメラワーク。たった4分にも満たない短い映像が私たちに訴えてくる感情は、あまりにも身近で切実で繊細で、そしてあまりにもやるせないものです。

画像


本編では、この二人が一体どういう人物で、どのような人生を送り、何があって別居しているのか、といった情報は全く提示されません。あるいは、自らピストルを握らねばならないほど、また自ら睡眠薬をあおらねばならないほどの悲しみはどこから生まれてきているのかも、謎のままです。
しかし、老紳士が彼らにとって特別な日のためにでしょう、ようようといった風情で着込む一張羅のスーツのくたびれ加減や、彼が涙ながらに見つめる誕生日のケーキのろうそくを吹き消す少年の古い写真などから、彼ら二人の人生の背景を察することはできますよね。

画像


かつては夫婦という関係にあったものの、何かの理由で彼らにとっては命よりも大切なもの―我が子―を幼い時分に亡くしたのかもしれない。それ以来、彼らは生きる指針を見失ったまま、糸の切れた風船のようにただただ人生を彷徨ってきたのだとしたら…?彼らがささやかなケーキで祝おうとしていたのは、彼ら自身の誕生日ではなく、他でもない、幼くして天に召されていった彼らの子供の誕生日だったとしたら…?二人とも、老年に至るまでずっとずっと、“亡くなった子供の誕生日を祝う”という記憶と習慣だけは消し去ることができなかったのだとしたら…?二人の絆を辛うじて繋いでいるものが、今やこの“子供の誕生日”の記憶だけだったのだとしたら…?

それほどまでの悲しみを、私は他に知りません。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする