こんにちは。
アナタに明日への希望をお届けする「情熱の女」カウンセラー もるもです。
いよいよ明日でオリンピックが終了ですね。
いよいよ明日でオリンピックが終了ですね。
昨晩の男子陸上400mリレーの結果は印象的でした。
山縣亮太選手の「攻めた結果、これがスポーツ」というコメントが勝負の本質を表しているなと思いました。
これについてはまた改めて記事を書きたいと思います。
さて、本日そんなオリンピックのNHKテーマソングである嵐の「カイト」について歌詞分析いたします。
この曲は、オリンピックのテーマソングであり、また2020年に活動を終了した嵐の集大成に向けた一曲でもありました。
作詞作曲は米津玄師さんです。
曲調はミディアムテンポのバラードでして、オリンピックの壮大な雰囲気を醸し出すストリングスを中心に構成されています。
ただ、歌詞を読むとそのヒーロー像は以前とだいぶ違うことに気づきます。
憧れた未来は
一番星の側に
そこから何が見えるのか
ずっと知りたかった
「憧れた未来」とはおそらくオリンピックの金メダルのことなのでしょうが
その金メダルはすでに一番星の隣に見えてはいるけれど
この主人公は「そこから先に何があるのか、ずっと知りたかった」と言っています。
要は、金メダルを取ることはゴールでは無く
その先に待っている世界とは一体何なのかを疑問に思っている、ということです。
既に金メダル後の世界を見据えているのです。
これは、日本が「金メダルを取る」ことや「経済成長を達成する」ことが目標だった時代は既に過ぎ去り
一体成功すること自体に何の意味があるのか?
その先に何が見えるのか?
成功の価値が相対化し、その先の価値観(幸福・平和など?)を模索している
そんな現代人のメンタリティが象徴されています。
そして、家族像も過去とは変わってきています。
母は言った「泣かないで」と
父は言った「逃げてもいい」と
母が「泣かないで」と言うのはあまり昔と変わっていない印象ですが
父が「逃げてもいい」と言うのには衝撃を受けました。
米津玄師さんの父親は「逃げてもいい」という教育をされたのでしょうか?
私のような40代がイメージする「父親」は「負けるな」「逃げるな」と教育するのが一般的だったと思います。
子ども時代には、学校におけるいじめや教師の体罰、スポーツ活動における運動神経の良い子どもの悪い子どもに対する差別など
多数の理不尽な出来事が起こります。
それらに逃げずに立ち向かい、自立を果たすよう促すのは主に父親の役割でしたが
今の父親は「逃げてもいい」って言うんですね。
もちろん、自分の能力を発揮できず理不尽な扱いをされる場所からは
逃げることも人生の大切な選択肢の一つです。
現代の価値観は「逃げてもいい」なんですね・・・。
こんなひとフレーズにも、時代の移り変わりを感じます。
そして、今の時代の主人公に対しては「逃げてもいい」と言うメッセージが奏功するようです。
その度にやまない夢と
空の青さを知っていく
・・・父が「逃げてもいい」と言ってくれたことで
むしろ自分の夢や、自由さ(≒空の青さ)を強く意識する。
「立ち向かわない」選択肢を与えられたことで、逆に「チャレンジしよう」と思えるようになるのです。
これにも、いわゆるかつてのスポ根アニメに象徴されるような
退路を断つ、気合と根性で全てを乗り越えようとする
そうした過去の価値観からの脱却が象徴されています。
現代のヒーローは、敵に立ち向かわなくてもいい、逃げてもいいと言う退路を与えられることで
逆説的に敵に立ち向かう勇気を持てるようになるのです。
そして、そんな現代のヒーローは
自ら力んで疾走することはなく、カイトのように吹く風に身を任せて前に進みます。
風が吹けば 歌が流れる
口ずさもう 彼方に向けて
君の夢よ 叶えと願う
あふれ出す ラル ラリ ラ
・・・もはや自分の夢なのか、他人の夢なのかもごっちゃになっていますね。
オリンピックソングなので、サビ終わりはアスリートへの応援を伝えたかったのでしょうが
そもそも歌詞がアスリート本人のことなのか、応援している側のことなのか
その辺りが曖昧になっているところにも
「アスリートも応援する側も対等である」という
いかにも現代らしい考え方が象徴されています。
そして、そんな現代版のヒーローが秘めた想いは
極めて個人的な体験に裏打ちされているようです。
憧れた未来は
いつもの右ポケットに
誰も知らない物語を
密かに忍ばせて
友は言った「忘れない」と
あなたは言った「愛してる」と
些細な傷に宿るもの
聞こえてくる どこからか
主人公が未来に向かって努力をするのは
成功のためでも栄誉のためでもなく
親しい友達との忘れられない思い出や
恋人と愛し合った時間や
そうした個人的な、そして思う通りにならなかった悲しい経験(≒誰も知らない物語、些細な傷)を
乗り越えて先に進むためなのです。
この辺りにも、国家の威信を背負ってオリンピックに臨んでいたかつての時代のアスリートの姿は無く
個人的な体験、想いに基づき
あくまで個人の充実・幸福を目指して精進を重ねる
そんな今の時代のヒーロー像が見て取れます。
この歌詞を見て、現代のヒロインである大坂なおみ選手が2年前にサーシャ・バシンコーチとの関係を解消するときに
「成功より個人の幸福が大切」
そうコメントしていたことを思い出しました。
そして、そんな現代のヒーローが最終的に帰る場所も極めて個人的でして
嵐の中を掻き分けていく
小さなカイトよ
悲しみを越えて
どこまでも行こう
そして帰ろう
その糸の繋がった先まで
悲しみを越えて、風に吹かれて進んで行ったカイトが最後に戻る場所は
カイトの糸が繋がった先、つまりは家族の元なのです。
小さい頃は、誰もが両親にカイトを買ってもらって、両親にカイトを上げてもらって
そのカイトを追いかけて遊びながら育ちます。
そして、子どもは成長して自らの力や他人の力を借りながらどんどん先へと進みますが
そのカイトは自分を育ててくれた両親、家族に繋がっていますので
最後は誰もが家族に還る
そんな世界観が表されています。
何よりも大切なものは家族なのです。
これもいかにも現代らしい表現でして
そもそも戦後から90年代くらいまでは
家族(家制度)からの解放、地方から都会への人の移動、個人の自立などが
一般的に持て囃されていた価値観でした。
しかし今は、逆に個人から家族へと回帰し
努力する動機としても「自立のため」よりは「家族、友達、恋人」など
身近な関係性を最重要視する時代になってきていることが
この歌詞を読んでいるとありありと伝わってきます。
そういえばこの歌詞を作詞された米津玄師さんは3年前に「lemon」というヒット曲をリリースしていますが
その歌詞を書いた動機が「おじいさんの死」だと知ったときに
20代半ばの青年にとっておじいさんが亡くなることはある意味必然の出来事であり
それがどうして歌詞にしたいほどショックなのだろう?と
疑問に思った記憶があります。
しかし、私のような発想こそが過去の時代の考え方であり
家族第一主義であり、また死が特別視されている現代において
おじいさんの死は青年の心を強く動かす特別な出来事であったのだろうと
この「カイト」の歌詞を分析していて気づきました。
またこの「カイト」は「嵐」というチーム自体をも象徴しており
日本を代表するトップアイドルの地位を惜しみなく捨て
「自由に生きたい」と、ある意味トップアイドルのリーダーとしての責任を放り投げているかにも見えるような大野智さんが
自分の家族を大切にし、趣味の釣りに専念し、愛する人と結ばれたいという
極めて個人的な願望に立ち返って行く姿にもピッタリ合っています。
本当に時代は変わりました・・・。
しかし時代は変わっても、この「カイト」のように名曲が生まれ続け
その名曲に人々が心を動かされることは
きっと今後も変わらないと思います。
そんなきっかけを与えてくれたオリンピックというイベントに感謝するとともに
あと2日間、楽しみながら観戦したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
素敵な土曜日の夜を。
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