震災のあった3月11日の日の自分の行動、気持ちは今もはっきりと覚えている。
そのとき、私のいた場所は東北からとても遠い西日本の県でした。もちろん地震の揺れも全くありません。その東北で地震があったその時間に、私は職場の学校で高校入試の採点をしていました。採点の場では、携帯電話や個人のPCは持ち込めず、ただひたすら赤ペンをもって受験生の解答に集中する体力のいる作業をこなしてました。その途中に、学校の教頭が採点の場に飛び込んできて「大きな地震があった」と知らせに来た。が、私たちは皆採点の集中していたので「今、何って言ったの?」とよく意味が分からない状況であった、「地震らしいよ」日本は地震は多いから「そんなんだ・・・」ぐらいの話題でまた採点に集中しはじめたのですが、管理職がまだざわざわしている。。。。「大きい地震なんだ、、M7、8」・・・・・「ん?」自分たちの今まで経験した地震はM4ぐらい。「M7、8」想像がつかない。。。。
そして、ある先生が「まずい、自分のクラス(3年☐組)の〇〇が関東に大学の後期試験を受けに行っている」「あっっ、うちのクラスの子もだ・・・」と3年の先生達が慌て始めた。そこで管理職が「すぐ生徒の安全の確認をとってくれ」といい、採点会場から数人の教員が電話をかけに外にでた、学校が知っている電話番号は自宅の電話番号か保護者の携帯番号であり、本人に連絡がつかない。保護者を通して、連絡を待つ。そして高校入試の採点も時間以内で仕上げないといけないので、落ち着かない状況が採点会場に立ち込めていた。
私はその年はその学校に赴任した年であり、その学校では3年の担当であったが副担任であった。しかし、前任校で担任をしていた生徒がこの年大学受験であり、元の学校の生徒が気になる。そして、2日前ぐらいに前任校の生徒達が大学の前期試験の合格を知らせに私の携帯電話に連絡をしてきた。自分の携帯番号は知らせていないはずだが、なぜか嗅ぎつけているのです、が、わざわざ嬉しい知らせを知らせてくれたので。。まあ、許しましょう。
しかし、その担任をしていたクラスで優秀だった女の子がその子の周りの友達がほぼ合格した中で難関大を落としてしまっていた。その子も後期試験に行く前に、私に連絡があった。
その女の子の後期試験先が筑波大学。
私は採点の休憩中に、その子に電話をしてみた。その頃には、電話が繋がりにくいと騒いでいるころであったが・・・・つながった。
「今どこにいる?」と私が聞くと、その女の子は「大学近くのホテルの外、ホテルから外に出さされてそこで皆で座っっている、大きい揺れが続いて怖い」と答え。
「一人なの?」と聞くと(大学受験は一人で行く子も多い)「いや、お母さんが傍にいる」と答えたので、「良かった。」と少しほっとして「帰っておいで」と言うと「大学受験は?」とその子が言うので、その頃には東北・関東地方の各大学が後期試験を行わず別の対処(センター試験の点数のみでの判定)すると発表していたので「大学が後期受験は行わないと発表しているところが多い、今まだ筑波大は発表されていないが、筑波も後期試験をしない可能性が大きい、それより無事に帰っておいで」と伝えている間も、揺れている様子で「怖い、怖い」と声が聞こえていた。
彼女と連絡が取れ、傍にお母さんがいることを知ってちょっと安心して私は採点に戻った。そして、その日の採点が終わり、夕方に東北の様子を写す映像を始めて目にし衝撃を受け、前任校の同僚に電話をしその女の子の話をすると「その女の子と連絡が取れずに困っていた、家族もその子の携帯に連絡できず困っている、連絡があったことを家族に伝えよう。」とのこと。私とつながったのは、非常に運が良かったのだ。そして、数日後その子から「無事帰りました」と連絡があった、「すぐ帰れた?」と聞くと「今、帰ってきました。」「えっっ?」「3日かかりました。」
そして、東北の震災の様子が絶えず放送され、さらに原子力が追い打ちをかけるように悪化させている様子も知ることができました。自然の怖さと人類の無責任な進化を思い知らされました。
その後、その筑波大の後期に合格し筑波に進学した彼女も今は社会人で頑張っていることでしょう。
数年も経つが、今まだ人類の無責任な進化の処理は解決していない。
私は次の世代に数学を伝え入る仕事をしてきて、今はさらに若い時期の子どもたちに、少しでも本当の理系の主体となる数学の力をつけてもらい、責任のある進化へつなげてもらいたいと考えている。
自身の無力感を大いに感じますが、私ができることはたったこれだけです。