では、私の思うアセンションとは何か?
ようやく現時点で思うところがまとまったので書き留めておきたいと思います。
あくまで私の個人的な見解なのですが…
俗に言うアセンションと、私が認識しているアセンションとは異なると思います。
すでに展開された無数の並行現実に意識を置きながら
物質の場として認識し思考し、感情を持ちながら
さまざまな経験を
ある意味「体験させられてきた」というのが三次元の世界だった。
そして観測者側の意識は三次元的な物質ではなくて、
意識を重ね合わせることで、三次元を体験していると思っています。
想像ではなく、体験からそのように受け止めています。
そして、そのことに気付いた時点で三次元的あるいは
四次元的な感覚を越えているのだろうと思います。
では、アセンションとは何か?というと。
体験させられている側ではなく、創造主として自分の世界を作り出す者となる。
ということじゃないかな?って思うんです。
それはこの物理次元を卒業する、という意味ではないかもしれません。
ですので「物理で言うところの五次元」を体験できるか?
はわかりません。
というより、私に与えられているのはそこじゃない、気がします。
この世の中で、今の人生で、自分を体現する者。
まずはそこだと思うんですね。
さまざまな葛藤を越え、いろんな感情を味わいながらも、
自身の思う人生を作り出していくということ。
もちろん、パラレルワールドの感覚から言うと、それはすでに、ある。
しかしながら、何でも好きなように選ぶことが出来ない。
その葛藤を超えて、
思うようにならないことに対して
時に立ち向かい、時に挫折し、傷つきながら優しさを愛を知る。
そして時に人を傷つけ、自己嫌悪に陥りながらも、
自分にとって大切なものは何か?を知る。
愛とは何か?それは、もう、すべてということに他ならないと思うのですが…
それはかみさまの領域ですよね。
そうではなくて、(そういう人物もいらっしゃるかもしれません)
「私」の思う愛とは何か?それを体現していくということ。
そしてアセンションとは、この次元で学んだことを元に
一から…つまり感情も色彩も無い世界をどう彩るか?
を体現していくということ。
何故そう思うのか?というと、
これは宇宙人に見せられた光景からそう感じるのです。
私が見た光景とは、緑の木々と野原でした。
そこにには他の色彩が一切なく、木々ですら生命感がありませんでした。
その光景を見た時思ったんですね。
ここに地球のように色とりどりの花や空を飛ぶ鳥、動物たちがいたらいいなって。
「あぁそうだ、花があったら美しいな…でも、地球から種を持って行けるのかな?」
とか、現実的なことを考えたりしましたね。
そして、さらに後から思いました。
そこには愛が、感情が、ない。優しさを欲しているのだと。
何もないのですから、淋しさ、すらない。
しかしながら淋しいと感じる自分がここに居る。
そして、彩りを、愛を、優しさを与えたい、と思う自分が居る。
そう、それが始まり。
一から、あの世界をどう彩っていきますか?
あなたならどんな世界を創造しますか?
そのように問われたと思うのです。
つまり、創造主となる。
これが、私の思うアセンションです。
今世に関りのないビジョンを私は見たことがありません。
ですから、この宇宙人に見せられたあの星は、
次に私に与えられる場なんじゃないかな?って。
だから、「今、体現する者となれ」
と言われている。
そう思ったのです。
そして、見せられたビジョンが未来世だとしても、
過去世を、これまでの体験をすべて思い出しているんじゃないかな…
そんな気がするんですよね。
その体験を元に
そもそもが自分が作り出したこの世であったとの認識を持ち、
新たな一歩を歩み始める。
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