京旬の彩り 

京都の神社、仏閣、歳時記、自然、等、目に写ったり感じたことを
写真で掲載したいと思います。

時代祭 その1

2010-10-23 21:30:37 | 日記
時代祭は京都三大祭の一つで1895年平安遷都1100年を記念し、
動く歴史風俗絵巻として内外に披露する事を主眼として延暦時代から
明治時代までの文物風俗を模した行列で、各時代行列に使用している
衣装や祭具は厳密な時代考証をもとに作製された本物です。


平安神宮は1895年平安京創始の桓武天皇を祭神として創建され
1940年近代日本の礎を築かれた孝明天皇を合祀して、
京都総鎮守となっています。
祭儀は10月15日より始まってをり境内は飾り付けをしていました。


行列に使用される祭具等が準備されていました。




行列前の御苑で一休み


そろそろ行こうかな


行列の順序は新しい時代から順次古い時代に遡って延暦時代まで、
最後に御鳳輦の神幸列、弓箭組列の順となっています。
平安騎馬隊の先導で京都御所建礼門前をスタートです。


名誉奉行


時代祭です


維新勤王隊列 (軍楽隊)


維新志士列 (桂小五郎、西郷吉之助、坂本龍馬、中岡慎太郎・・・


近衛忠凞


公卿、三條、姉小路、中山、平野


徳川城使上洛列
長持


毛槍


長槍

浄瑠璃寺と岩船寺

2010-10-19 23:04:03 | 日記
浄瑠璃寺は739年聖武天皇勅願・行基開創説と寺の「流記」に記す
1047年西小田原浄瑠璃寺創建(本尊薬師如来)
1107年九体阿弥陀堂建立(国宝)
1178年京都市内より三重塔を移築(国宝)

山門


九体阿弥陀堂(国宝)藤原時代
九体の阿弥陀仏を祀るための横長の堂で、現存する唯一の建物。


九体阿弥陀如来像(国宝)
           この写真はポストカードの写しです


苑池の西岸奥には少し色着いた紅葉が


三重塔(国宝)藤原時代
京都一条大宮から移築されたもので東方本尊の薬師如来(国重文)
現在修理中で塔の色が違っていました


1150年憎恵信が浄土式庭園として作庭された苑池
(特別名勝及び史跡)
苑池の此岸より彼岸の本堂を望む


岩船寺
寺伝で729年に聖武天皇の勅願で、行基が阿弥陀堂を創建。
946年制作の285cmの木造阿弥陀如来が本尊。

山門


本堂


三重塔(国重文)1442年建立

円徳院と金戒光明寺

2010-10-17 23:10:48 | 日記
円徳院は豊臣秀吉の妻、北政所ねね終焉の地。
豊臣秀吉の没後、妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に、
高台寺を発願し、1605年に伏見城より化粧御殿とその前庭を山内に
移築して住み、77歳で没するまで19年間をこの地で過ごした。
ねねを支えた兄の木下家定と次男の利房が木下家の菩提寺として円徳院を
建てた。

AMERICAN EXPRESS GOLD CARDSを持参すると
特別入り口よりサロンへ案内してくれました。


方丈の南庭


今回訪れたのは長谷川等伯の襖絵を展示しての特別公開と言う事で行って
きました。
北庭(国名勝指定)
伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもの。






金戒光明寺 くろ谷 (今年のJR「そうだ京都へ行こう」の場所です
1175年法念上人が比叡山の修行を終えこの地で念仏をした時、紫雲
たなびき、光明があたりを照らしたことから、浄土宗最初の念仏道場を
開いた場所。

山門 1860年落成、楼上正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の
勅額があります。


熊谷直実 鎧かけの松の奥に阿弥陀堂1605年再建で
本尊阿弥陀如来は、恵心憎都最終の作「ノミおさめ如来」


唐門


紫雲の庭





嵯峨水尾と越畑のそばの花

2010-10-15 09:21:19 | 日記
愛宕山の南山麓の山間に位置するところに水尾があります。
昔は山城と丹波を結ぶ要地で、772年光仁天皇が奈良から訪れ、
788年桓武天皇も遊猟しています。
源氏の祖清和天皇もこの地が気に入り没後はここに墓を建てる事を望んだ。

鳥居本より山道を進むと明智光秀が亀山から京都へ入る時に通った峠へ


また水尾は柚子の里としても有名で、秋の収穫の頃には民家で柚子風呂に
入り地鳥の水炊きが食べられます。
現在まだ柚子は青い色をしてました。


集落の西、清和山の中腹に清和天皇陵があります。谷を降り階段を上がった
場所だとの事で今回は遠慮しました。


街道沿いに清和天皇を祀る清和神社がありました。
境内摂社の四所神社がありました、清和天皇の母、染殿皇后が信仰した
大原野神社の祭神を勧請したと伝わる。





集落の中心部に円覚寺があります。
元は水尾山寺と称していましたが、清和天皇が譲位後、水尾山寺に入り
仏堂を建立,後病に倒れ洛東粟田の円覚寺に移り、そこで没する。
1420年に円覚寺が焼失したため、水尾山寺に円覚寺を移し現在にいたる
境内に清和源氏の祖清和天皇の皇子貞純親王、源頼義、為義、義朝ら源氏
一族の供養塔があります。






狭い杉林の山道を過ぎ道が広くなり棚田が目に入って来る、嵯峨越畑へ
山道の端にハロウィンに使うのか大きなかぼちゃが転がっていました。


棚田今は稲も刈とられ来年の春、水を張った頃訪れたい。

 




棚田にそばの花が見頃を迎えていました。




近くの民家





河原家住宅(市登録有形文化財)
由緒書によれば、当家は藤原鎌足の子孫が河原と改姓したことに始まる。
その後豊臣秀吉に仕えていた長右門衛門の子、16代目源之允が現在地
へ移り住んだと伝わる。
主屋は、1657年の建築で年代が確定する民家として市内最古。






初秋を感じさせるススキが沢山穂を揺らしていました。


ここにもあまり広くない蕎麦の花が咲いていました。


近くに蕎麦100%のそばを食べる店があります、訪れた日は休日で  
残念でした、でも日本の現風景を見ることが出来堪能できました。






梅小路公園の藤袴

2010-10-11 22:25:53 | 日記
梅小路公園は平安建都1200年を記念して作られた公園。
朱雀の庭に京都府絶滅寸前種のフジバカマと和の花展に行って来ました。

緑の館


朱雀の庭の藤袴を二階から




原種の藤袴




藤袴の名前は花が咲いた姿が袴の様に見えるために付けられた名前だそうです。

渡りの蝶、アサギマダラを写そうと出かけたのですが、いませんでした。




朱雀の庭のフジバカマ




花床


オミナエシ


ヒガンバナ


貴船菊


七条入り口広場のコスモス