AクラスとBクラスの差をまざまざと見せつけられる試合でした。
モチベーション高いチームと低いチームとの差でもある。
しかしそれだけじゃない。
4勝12敗なんていう対戦成績は後半戦のモチベーションの違いだけが原因だとは思わない。
相手のベイスターズ研究班が優秀でベイスターズのはポンコツなのが原因じゃないかしらね。
結果が物語っています。
1試合、2試合で語れるもんじゃないが、ここまで来たら因果を認めても良いでしょう。
ベイスターズのヤクルト分析班仕事しろ。
とはいえ分析班がちゃんと分析しても選手がポンコツだったら試合は勝てないわけで主な原因がどっちか実は分からない。
顔が見える選手、監督、コーチと言いたくないから、顔の見えない裏方に責任を押し付けているような気もする。
でも選手がポンコツと思うのは寂しいじゃないですか。
なので私は分析班というよく分からない架空の存在を作り彼らの責任とすることにしました。
それくらい4勝12敗はおかしい。
たまたまですよ、という向きには、そのたまたまが連続して「ハマスタは阪神のホーム」とバカにされるチームに成り下がっていたことを覚えていますか?と聞きたい。
今日の試合について。
家を出たのが試合開始を回っていたときだった。マンションのエレベータ部分は電波の状態が悪い。
その中で最後の通知を受け取った。
「ノーアウト満塁のピンチを切り抜けるか?!」
1階に下りて試合の速報を確認する。
グ・ラ・ス・ラ
今からハマスタに向かう私に非情な現実。
せめて村上選手のホームランを見たかったよ。
マウンドでうなだれるピッチャーを見たかったよ。
結果だけ知っても楽しくない。
うなだれてしょげている姿を見て「次に頑張れよ。這い上がれよ」と思えるが、ただ結果だけ見ると「ちゃんと投げろよ」としか思えない。
でもよく考えたら村上選手は坂本選手よりももっと良いピッチャーからもホームランを打っている選手だから仕方ないのだろう。
ベイスターズを応援している時の私の最後の行きつく先は「仕方ない」だ。
弱くても「仕方ない」。
優勝しなくても「仕方ない」。
諦めなくてはいけない。
勝てるなんて信じてはいけない、とずっとずっとずっと自分に言い聞かせながら応援をしてきた。
そうやって何とか平静を保ち、勝てないことに大した意味はないとずっと勝ち負け度外視して応援していた。
応援するとは勝つためではなく応援歌を歌い、手拍子を鳴らし、その行為を楽しむものであった。
外野スタンドからメガホンを投げ込むファンをバカだなと冷静にみていられたのは「弱いのは仕方ない」と思っていたから。
草野球のようなプレーを雨の中見せられても応援歌を歌い手拍子をならし外野スタンドの人たちと一体感をもつことだけで満足できた。
いわゆる暗黒期に遠征含めて50試合程度観戦にいくなどしていたのは野球や選手ではなくただ「プロ野球の応援」が好きだったからだと思う。
夏のナイターでハマスタの高い位置から俯瞰して野球を肴にビールを飲む。
隣、といっても制限下でもないのにガラガラのハマスタでは間を空いていたが、の見知らぬファンと愚痴を言って笑ったりしていた。
結果に何の希望をもっていなくても楽しかったのだ。
楽しみ方は人それぞれ。
だから諦めることを覚えた、というよりそういうもんだと思っていた。
1998年の優勝を知っていたらもう少し違ったのかもしれないがその頃はファンじゃなかった。
そんな私がDeNAになってしばらくは年に数回見る程度になった。
弱いままゴタゴタの中身売りされた球団。
私は捨てられたように感じた。
丁度東京に住むようになってハマスタに通うのは難しくなっていた。
仕事も忙しくそちらに気持ちがいっていたのもある。
ベイスターズファンではあったし結果は見ていたが気持ちが冷めた時期があったのだ。
それでも会社に同好の士がいたりなどあってまた観戦するようになった。
それはラミレス監督になるちょっと前くらいだったと思う。
土日に時々ハマスタへ平日神宮球場へとまた足を運ぶようになった。
一年間に20試合くらいから徐々に増やしていき、40試合、50試合と増やしていくうちにファンも増えチームも強くなった。
そしてCSに初めて進出が決まった試合は確か雨の日のハマスタで投手は今永投手だったと思うが、感極まって泣いた。
結果なんてどうでもいいと思っていたのに強くなれるんだと実感して泣いたのだ。
あの日私の中で小さな期待が生まれた。
その年はCSで惜しくも敗れたが私は満足であった。
翌年はCSを下剋上して日本シリーズまで行く。
希望の灯はどんどんと強くなった。
しかしそこからペナントレースの優勝は遠かった。2019年の2位からまたジリ貧になっていく。
優勝を経験していないのにまた下降線をたどっている。
勝ちきれないチームを見るたびに思い出すのだ。最初の頃に覚えたというか当然であった諦めの気持ちを。
それでもまだこの所でともった希望の光は弱弱しいながらも私の中で消えずに残っている。
そのために連勝できないチームや1チームにやたら弱い等の、そういうのあったら優勝なんて絶対無理だよね、というのを見せつけられる度に焦燥感でイライラとするのだ。
もう少ししたら希望の光は消え失せ、そのような焦燥感はなくなると思う。
ただあの日CSを初めて決めたあの雨の日の瞬間がまだ私をとどめている。
なんてポエム語りをしたくなるくらいにはつまらない試合だった。
とは言え最悪な試合じゃない。
坂本投手については2回の投球を少しみたけれど、あのままなげていたらフルボッコだったと思うから良いタイミングで交代したと思う。
後続は1失点のみだし中継ぎ陣は良くやった。
三嶋投手も調整登板できたし、むしろ良かったかも。
伊勢投手も力強くて頼もしかった。
戸柱選手と祐大選手の盗塁阻止は素晴らしかった。
シャッケルフォード投手の牽制暴投の時3塁への進塁をヤクルトは一瞬狙ったがすぐにやめた。
ボールが転がった場所もあるけれど牧選手の肩が知れ渡っている気がする。肩が強いのは長所。
攻撃は物足りなかったけれど全体でみればそんな悪い試合じゃない。
まぁ気持ち切り替えて明日は勝ってくれ。
頑張れベイスターズ!今日も明日も明後日もこれからも応援している!
[平良拳太郎投手復帰の道:107日目]
モチベーション高いチームと低いチームとの差でもある。
しかしそれだけじゃない。
4勝12敗なんていう対戦成績は後半戦のモチベーションの違いだけが原因だとは思わない。
相手のベイスターズ研究班が優秀でベイスターズのはポンコツなのが原因じゃないかしらね。
結果が物語っています。
1試合、2試合で語れるもんじゃないが、ここまで来たら因果を認めても良いでしょう。
ベイスターズのヤクルト分析班仕事しろ。
とはいえ分析班がちゃんと分析しても選手がポンコツだったら試合は勝てないわけで主な原因がどっちか実は分からない。
顔が見える選手、監督、コーチと言いたくないから、顔の見えない裏方に責任を押し付けているような気もする。
でも選手がポンコツと思うのは寂しいじゃないですか。
なので私は分析班というよく分からない架空の存在を作り彼らの責任とすることにしました。
それくらい4勝12敗はおかしい。
たまたまですよ、という向きには、そのたまたまが連続して「ハマスタは阪神のホーム」とバカにされるチームに成り下がっていたことを覚えていますか?と聞きたい。
今日の試合について。
家を出たのが試合開始を回っていたときだった。マンションのエレベータ部分は電波の状態が悪い。
その中で最後の通知を受け取った。
「ノーアウト満塁のピンチを切り抜けるか?!」
1階に下りて試合の速報を確認する。
グ・ラ・ス・ラ
今からハマスタに向かう私に非情な現実。
せめて村上選手のホームランを見たかったよ。
マウンドでうなだれるピッチャーを見たかったよ。
結果だけ知っても楽しくない。
うなだれてしょげている姿を見て「次に頑張れよ。這い上がれよ」と思えるが、ただ結果だけ見ると「ちゃんと投げろよ」としか思えない。
でもよく考えたら村上選手は坂本選手よりももっと良いピッチャーからもホームランを打っている選手だから仕方ないのだろう。
ベイスターズを応援している時の私の最後の行きつく先は「仕方ない」だ。
弱くても「仕方ない」。
優勝しなくても「仕方ない」。
諦めなくてはいけない。
勝てるなんて信じてはいけない、とずっとずっとずっと自分に言い聞かせながら応援をしてきた。
そうやって何とか平静を保ち、勝てないことに大した意味はないとずっと勝ち負け度外視して応援していた。
応援するとは勝つためではなく応援歌を歌い、手拍子を鳴らし、その行為を楽しむものであった。
外野スタンドからメガホンを投げ込むファンをバカだなと冷静にみていられたのは「弱いのは仕方ない」と思っていたから。
草野球のようなプレーを雨の中見せられても応援歌を歌い手拍子をならし外野スタンドの人たちと一体感をもつことだけで満足できた。
いわゆる暗黒期に遠征含めて50試合程度観戦にいくなどしていたのは野球や選手ではなくただ「プロ野球の応援」が好きだったからだと思う。
夏のナイターでハマスタの高い位置から俯瞰して野球を肴にビールを飲む。
隣、といっても制限下でもないのにガラガラのハマスタでは間を空いていたが、の見知らぬファンと愚痴を言って笑ったりしていた。
結果に何の希望をもっていなくても楽しかったのだ。
楽しみ方は人それぞれ。
だから諦めることを覚えた、というよりそういうもんだと思っていた。
1998年の優勝を知っていたらもう少し違ったのかもしれないがその頃はファンじゃなかった。
そんな私がDeNAになってしばらくは年に数回見る程度になった。
弱いままゴタゴタの中身売りされた球団。
私は捨てられたように感じた。
丁度東京に住むようになってハマスタに通うのは難しくなっていた。
仕事も忙しくそちらに気持ちがいっていたのもある。
ベイスターズファンではあったし結果は見ていたが気持ちが冷めた時期があったのだ。
それでも会社に同好の士がいたりなどあってまた観戦するようになった。
それはラミレス監督になるちょっと前くらいだったと思う。
土日に時々ハマスタへ平日神宮球場へとまた足を運ぶようになった。
一年間に20試合くらいから徐々に増やしていき、40試合、50試合と増やしていくうちにファンも増えチームも強くなった。
そしてCSに初めて進出が決まった試合は確か雨の日のハマスタで投手は今永投手だったと思うが、感極まって泣いた。
結果なんてどうでもいいと思っていたのに強くなれるんだと実感して泣いたのだ。
あの日私の中で小さな期待が生まれた。
その年はCSで惜しくも敗れたが私は満足であった。
翌年はCSを下剋上して日本シリーズまで行く。
希望の灯はどんどんと強くなった。
しかしそこからペナントレースの優勝は遠かった。2019年の2位からまたジリ貧になっていく。
優勝を経験していないのにまた下降線をたどっている。
勝ちきれないチームを見るたびに思い出すのだ。最初の頃に覚えたというか当然であった諦めの気持ちを。
それでもまだこの所でともった希望の光は弱弱しいながらも私の中で消えずに残っている。
そのために連勝できないチームや1チームにやたら弱い等の、そういうのあったら優勝なんて絶対無理だよね、というのを見せつけられる度に焦燥感でイライラとするのだ。
もう少ししたら希望の光は消え失せ、そのような焦燥感はなくなると思う。
ただあの日CSを初めて決めたあの雨の日の瞬間がまだ私をとどめている。
なんてポエム語りをしたくなるくらいにはつまらない試合だった。
とは言え最悪な試合じゃない。
坂本投手については2回の投球を少しみたけれど、あのままなげていたらフルボッコだったと思うから良いタイミングで交代したと思う。
後続は1失点のみだし中継ぎ陣は良くやった。
三嶋投手も調整登板できたし、むしろ良かったかも。
伊勢投手も力強くて頼もしかった。
戸柱選手と祐大選手の盗塁阻止は素晴らしかった。
シャッケルフォード投手の牽制暴投の時3塁への進塁をヤクルトは一瞬狙ったがすぐにやめた。
ボールが転がった場所もあるけれど牧選手の肩が知れ渡っている気がする。肩が強いのは長所。
攻撃は物足りなかったけれど全体でみればそんな悪い試合じゃない。
まぁ気持ち切り替えて明日は勝ってくれ。
頑張れベイスターズ!今日も明日も明後日もこれからも応援している!
[平良拳太郎投手復帰の道:107日目]
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