最近の世相を見ていて思います。
人間は生きている限り、事あるごとに
他人を裁きたくなるものなのでしょうか。
他人をどうしても許せない時、案外それは
今まで目を背けてきた自分自身を見ているのかも知れません。
他人を裁く気持ち、許せない気持ちは、
裁かれる側はもちろん裁く側にとっても大なり小なりの苦をもたらすものです。
逆に言えば、
他人を許すことで苦から解放され自由の身となれるのではないでしょうか!
許すことで、自由と幸せと希望がもたらされるという気がするのです。
人が他人を裁くとき、
地上には裁く人と裁かれる他人が居て
天にはそれをじっと見守る神仏が居る
そんな三角の図式を思うと、
裁きは天の神仏に任せておけばよいと思えるのです。
底辺(地上)で裁く側の人が いつの間にか頂天に上り、
神仏に成り代わって裁定を下そうとしている・・・
人と他人と神仏のちょびっと不自然な三角関係!
人と他人は『許し合う』関係が一番いい~~~
暫くの間、ブログ休みます ゴメンなさい スナフキン