学校へ行くのも
職場に行くのも
スーパーや
銀行に行くのも
目的があるから
そこに
行きます
何の考えもなく
何の目的もなく
行くなんて
あまり
聞いたことが
ありません
この世に
生まれて
くるのだって
目的もなく
何の考えもなく
偶然に
生まれてくるなんて
信じられません
きっと
何か目的があって
考えがあって
みんな
生まれて
きたのです
学校へ行くのも
職場に行くのも
スーパーや
銀行に行くのも
目的があるから
そこに
行きます
何の考えもなく
何の目的もなく
行くなんて
あまり
聞いたことが
ありません
この世に
生まれて
くるのだって
目的もなく
何の考えもなく
偶然に
生まれてくるなんて
信じられません
きっと
何か目的があって
考えがあって
みんな
生まれて
きたのです
80代の女性のお話
先の見えない不安な
日々の中 75年前の
太平洋戦争の敗戦前後の頃を
思い出した。
一晩に10万人も亡くなった
東京の大空襲 焼け野原になり
被災者は100万人以上。
原子爆弾がヒロシマ 長崎に
落され合わせて25万人もの
犠牲者が出た。
沖縄では地上戦で20万人もの
人たちが犠牲になっている。
日本中が焼け野原になり
次は私たちの番と
命を落とすことを考えていた
不安な日々
戦死や戦争の犠牲者は
300万人もになった。
敗戦になり空襲の不安は
なくなったが
引揚者など人が溢れ
食糧難で食べるものがなく
栄養失調で亡くなる命の
危険が続いた。
私一家の場合だが
12歳の時敗戦
樺太から引揚げてきた
母は6人の子供に食べさせるため
毎日食料の買い出しに歩き回った。
零下30℃にもなる
真冬の吹雪の日も
モンペに角巻姿でリックを背をって
数キロも歩き農家を何軒も回った。
お米など見たことがない。
良くてジャガイモかカボチャ
でんぷん粕を食べたこともあった
姉たちは家計を助けるために
学校を中退して働いたが
母の苦労は大きかった。
母は子供を守るために
強かった。
だれにも頼れず
生き延びるための
食料の買い出しの日々
父の消息も判らない
不安と物が何もない中で
必死に強く生きた。
日本国中の他のお母さんたちも
皆そうだったと思う。
戦争で親を亡くした孤児たちは
もっと悲惨だったが
一人で生き延びた。
(中略)
コロナも戦争と同じ
明日の命がわからないが
頑張って働いている多くの方たち
強く生きた母たちを見習い
強い心を持たなければ
今は 食べ物も着るものも
住むところもある。
愚痴や文句は言うまい。
我が身を守り迷惑を
かけないようにしよう。
いつかは終息する
75年前、
こうした中で立ち上がった
皆様のおかげに今の日本がある・・・
ご苦労に耐えられた方々のおかげに、
繁栄した日本が築かれた。
ただただ頭が下がるのです。