こころの・・・

^~^ スナフキンです
今日の貴方の心は~~~  

おかげさまの心

2017-01-17 10:09:18 | 日記

ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子様のお話

小さなお子さんの手を引いて、一人のお母さまが水道工事の現場のそばを通りかかりました。
暑い夏の昼下がりのことでした。
お母さまは坊やに向かって、
「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。
ありがとうと言いましょうね」と話してやりました。
やがて、もう一人同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。
「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、
こういうお仕事をするようになりますよ」と言ったというのです。
同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。
最初の母親は、この日、子どもの心に労働に対しての尊敬と感謝の気持ちを育てました。
二番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、
恐ろしいまでに誤った差別観念を、この日、我が子に植えつけたことになります。
私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。
会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、
働いている人たちのそばを通るかということなのです。
人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。
感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、
まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を生活の中で発していることが大切なのです。
近頃の学生たちで気になることの一つは、いわゆる
〈枕詞〉のようなものを習ってきていないということです。
例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、
「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。
遅刻して教室に入ってきた学生が、授業の後で、「遅刻しました」と、
名前を届けにはきても、「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。
「お話し中、すませんが」とか、「夜分(やぶん)、失礼します」という
挨拶のできる学生も少なくなりました。
いずれにしても、言葉が貧しくなっています。
そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。
せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。
理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。
何のおかげでも良いのです。
この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、
たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。
見えないものへの感謝なのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする