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10/26 リヨンからTGVにてパリ リヨン駅に昼過ぎ到着。地下鉄でホテル近くまで移動。13:30頃に到着したが、チェックインが14:00以降だということなので近くのカフェで昼食。とそこまでは順調だったがこれからが大変だった。
14:30頃そのアパートの下に着いて呼び鈴を押せどドアをたたけど誰も出ない。予約をしたbooking.com に電話をして確かめようとするが、これがビジーで10~20分待ってもつながらない。英語の窓口にかけてようやくつながったが、こちらはIP電話で聞こえにくいし、英語も拙いから何回かやいやいやって、何度か目にようやく話が向こうにも見えてきた。〇〇番のメールボックス,PW✕✕でキーが取り出せるからそれで入れと。ところがメールボックスは外のドアの内側にあり、そのドアを開けるPWが分からない。また電話をしたが、通じない。しょうがないから内から人の出てくるのを待ち、するりと中に入り、メールボックスからキーを入手。しかし、内側にもドアがあり、そのPWもわからないのでまた人の出てくるのを待ってするりと中へ。ようやく部屋にたどり着いたのは16時頃。ホテルのおっさんに電話して内外のドアのPWを聞きだしようやく落ち着く。部屋自体は問題なかったのでようやく生きた心地を取り戻した。
窮すれば通ずと言うがまさにその通り、気力と押しの力が大事だが、今後は事前に念を押しておく必要があると肝に銘じた。
なお、帰国後booking.comには厳重な抗議を申し入れ、後に来る人のためにも、booking.comの信頼性確保のためにも、事実関係の確認と今後の対応策をきちっと出させる約束を取り付けたが、まああまり期待はしないこと。
今騒動のお蔭ですぐ近くにある「ピカソ美術館」に行きそびれてしまった。(近くにあるのを出発間際にようやく気付いたんだからしょうがないね。)そう言えばこの宿に近辺は画廊が多くあり、その一つでは誰かの個展の初日であったのだろう、大勢のお客が来て、シャンペン、つまみが出されていた。
その日は疲れたので観光は中止。スーパーで買い物をしてアパートで乾杯をした。
翌27日、パリ北部にあるサンドニ大聖堂を訪問。ここに行くのに地下鉄駅を一つ乗り過ごしてしまい、どうしようかと思っていると、ちょうどおばあちゃんが来たので大聖堂への道を聞く。地下鉄で一つ戻れというのを「いや歩いて行く」と言ったら、じゃあ途中まで同じ方向だから連れていってくれるという。別れる時、「真っ直ぐ行って、トラムを越えてまだまっすぐ行くと着くわよ」と親切に教えてくれた。片言の英語同士なんだが通じるものだ。そしてここだけではなくフランス人もほとんどの人は親切だということを何度目かの実感を得た。
ところでサンドニ大聖堂、ここはゴシックで初めて建てられた教会であることと、フランスの歴代王朝の墓所だということ出有名である。初代修道院長のシュジュールはゴシックを代弁して「金銀宝石で彩られる装飾を華美過ぎるという人もいるが、これは神の栄光を讃えるもので黙示録でのエルサレムの様子を再現しようとするものだ、大きなステンドグラスは神の栄光を讃える光る壁なんだ」と述べている。
●サンドニ大聖堂 外観、内部、墓所の様子
サンドニ大聖堂を出ると、正面に広場があり、市が立っていた。中を巡ると「ムスリム系」の商品がほとんどでお客もムスリムの人がほとんどであった。この時は そうか と言うくらいしか思わなかったが、あのテロの後、テロ一味が隠れ?住んでいたところで銃撃戦の末射殺さたそうだ。何か複雑な心境だ。
この後ポンピドーセンタの国立近代美術館を見に行く予定であったが、ガイド本を見ると休館と言うことなので急遽オルセー美術館へ行く。いや~混んでいる。なんと入場まで1時間待ち。入場料は11€なんだが、これだけ混んでいるということは1日何万人入るのだろう。これを目当てにフランスに来る客は何人いるのだろう、と考えるとそれだけでもフランス恐るべし。まさしく文化戦略そのものではないか。日本のあまりに貧困な状況を憂う。
●オルセー美術館の様子、エクスアンプロバンスのセザンヌを思い出しセザンヌの絵
ただし、私個人的に言えばセザンヌの静物、お山の絵はいいがだんだん崩れていくというか、溶けていく絵は正直言って好きではない。
最後にサンジェルマンデュプレにあるサンジェルマンデュプレ教会を訪問、パリに残る数少ないロマネスクの教会である。大都市の喧騒の中で孤高を保っているというか、静寂を保っているのは立派だ。
●サンジェルマンデュプレ教会